第五話 夜明けの後も悩みは尽きない

 明かりが何もない中、山を下るというのは予想以上に時間がかかるものだ。登りはは三十分かからなかったはずなのに、下山には一時間以上を要した。

 理由としては、単純に暗いのはもちろんとして、貴治が着ている服が大きすぎて裾を踏んでしまったりしていたからだ。斜面である以上、少し転べばそのまま転がり落ちてしまうかもしれない。だからこそ、細心の注意を払う必要があった。

 時刻はもう五時を過ぎており、冬至が近づいているとはいえ、まだまだ先だ。うっすらとだが太陽がすでに昇りかけている気配があった。


「もう朝か……。というか、テスト勉強何もしてない」


 大祐は貴治とは違って普段から勉強していない。テスト前日に一夜漬けをして赤点ギリギリにならないようにするタイプだ。

 元々、山から帰ったら一夜漬けするつもりだったのだ。だが、この様子では赤点は避けられない。


「まあ、いいか」


 楽観的な大祐は自宅へと帰る。うっすらと顔を覗かせた朝日によって少しばかり道は明るくなったため、難なく家の玄関前に帰ることができた。


「さて……」


 大祐は、生まれてこの方自宅の玄関前でこれほど緊張したことなどない。

 なにせ、テスト当日に朝帰りしてきた息子が女性を連れているのだ。家族がどんな反応を示すのかわかったものではない。

 恐る恐る自宅の鍵を取り出し解錠を試みる。朝日が昇りかけているとはいえ、まだ五時過ぎ。眠っている……はず。そんな思いに縋りながら解錠しドアノブを握りしめゆっくりと音を立てないようにドアを開けた。

 中は電気がついていないのか薄暗い。この様子だと寝ている可能性が高い。安堵の表情を浮かべ、自室へ貴治を連れて行こうとしたときだった。


「大祐?」


 大祐は思わず足を止める。声からして、大祐の母親であることは明白だった。ゆっくりと振り返ってみると、そこには鬼の形相をしている母親が仁王立ちで立っていた。


「か、母さん……?」


 怒らせしまえば、雷が落ちて即雷撃が貴治にまで及ぶのは自明の理。さらにややこしくなるに違いない。そう思った大祐は刺激しないように説得を試みるが、母親は既に帯電していたようだ。


「大祐!」


 近所迷惑にすらなりかねない怒号が飛び、貴治は怯えながら腰を抜かし大祐は覚悟を決める。


「こんな夜更けまでどこ行って──」


 大祐の母親は、大祐に詰め寄り詰問しようとするが隣にいる貴治の姿を目に入れた途端突如動きが止まる。さながら停電してしまい壊れてしまった電化製品の様だった。

 

「えっと、あの、その」


 大祐の母親が固まった原因は間違いなく貴治だ。女っ気の全くなかった大祐が同年代の少女を侍らせながら朝帰り。貴治自身はそれを理解している。だからこそ何か言ったほうがいいのだと口をモゴモゴと動かし紡ぐ言葉を探るが、全く出てこない。


「そ、その母さん。泊めさせてあげたいんだ」


 意を決して大祐は母親に言う。だがなんて返されるのか怖く、まともに母親の顔を見る勇気すら持てずに目を瞑る。


「大祐が……女性を……」


 信じられないとばかりに目で見た事実を述べる。いや、述べているというよりかは、目から脳に入ってきた情報がうまく処理されずにそのまま口から放出されているといったほうが正しいだろうか。


「大祐があああ!」


 暴走した大祐の母親は突如奇声をあげて家の奥に戻っていった。近所迷惑など知ったこっちゃないとばかりに。

 そんな様子を見ていた貴治は、何が起こった理解できなかったがとりあえず何かまずいことになったことはすぐにわかった。


「大祐、なんかごめんね」


「いや、大丈夫だ」


 貴治はおおよそではあるが、自身の母親の行動の理由を考えた。

 女を連れた自分の息子に狂喜乱舞してしまったのだろうか? と、仮説を立ててみる。

 だが、外側は美少女とはいえ中身は貴治だ。そう思うと、狂喜乱舞している母親の行動に理解はするが共感できなくなってしまった。


「本人のためにも言わないでおくか……」


 どうせすぐに貴治は元通りになるのだ。わざわざこの美少女の正体が貴治であると明かす必要はないと考え自分で自分の意見に何回も頷いた。

 そんな中階段から足音が聞こえる。どんどん一階へと下りているようだ。


「ちょっと母さん。うるさいんだけど……」


 下りてきたのは現役女子高生の大祐の姉だ。苛立っているのか頭を乱雑に掻いている。


「ん? 何だ大祐。どうした──え?」


 大祐の姉は大祐を発見したので母親の奇行について聞こうとしたのだろうが、大祐の隣にいる貴治が目に入る。


「……大祐。私たちがいるから家じゃできなかったんだろうけど、せめて遅くなるなら連絡して」


 大祐の姉は真摯に、大祐に語りかけた。


「何を!?」


 あらぬ誤解をされているのではないか。大祐も、貴治も思いは同じだった。


「違うんだ姉貴。決してそんな関係じゃないんだ!」


「そ、そうですよ」


 強い言葉で否定する大祐。それに同調しようとするも、ちょっと動揺してしまっている貴治。大祐の方は冷静さを保っているが、貴治の方は顔を真っ赤にしている。

 説得力が感じられなかった。


「わかった。わかったから。私はこれ以上何も追及しない」


 無害アピールをするなり、大祐の姉は母親を諌めるためリビングへと向かっていった。


「ねぇ、大祐。やっぱり迷惑じゃ」


 貴治が一緒にいた故の二人の行動を見ると、やはり自分がいることによって宗亭家に大きな影響を与えているのではないか。特に大祐にとっては、誤解を解くなど心理的な苦労が絶えない。そういった面からも、貴治はこれ以上自分によって宗亭家に影響が及ぼされることを危惧していた。


「大丈夫だ。心配するな」


 そう大祐は貴治を安心させようとするも、不安の表情は何ら隠せていない。とりあえず、リビングへと向かった。

 早朝といえど、明かりがついている。大祐を待つためにずっと付けっぱなしだったのだのだろう。リビングでは興奮した大祐の母親と落ち着いている姉が何かを喋っていた。何を喋っているのかと二人は思ったが、母親は喋り終わると視線を貴治へと移しすぐに大祐へと移す。


「ちょっと大祐! こんな時間まで女の子連れて遊んでちゃだめでしょ!」


 案の定会話の話題は貴治についてだ。母親にも誤解されていることは明白。大祐もすぐに訂正にかかる。


「いや、違うんだ母さん。聞いてくれ」


 まず、その興奮状態を落ち着かさねばならない。興奮状態でまともに人の話を聞くとは思えなかったのだ。

 しかし、母親は大祐の横を通り過ぎ貴治へと向かう。


「ねえ、あなた名前は? 大祐とはどういう?」


 大祐の言葉に何ら耳を傾けない母親は貴治へと迫る。


「えっと……」


 貴治は名前を答えようとして問題にぶつかった。長谷川貴治という名前は、どう聞いても男性名なのだ。ちょくちょく大祐の家で遊んでいた以上、当然ながら大祐の母親もそのことを認知している。本名を口にすることでさらなる混乱が目に見えたのだ。


「というかあなたその服、もしかして──」


 人間、興奮すると予想以上に人の話を聞かないものだ。

 大祐の母親は、今自分が誰何したことすら忘れたのか貴治の服装に目をつける。女性になってから着替えていないため当然ながら男性の服でありぶかぶかである。

 その時、貴治はしまったと思った。間違いなく変な人物扱いされるのだと。

 だが、予想とは裏腹に大祐の母親は大祐顔を向けた。


「ちょっと大祐! 女の子になんてプレイを強要しているの!」


 息子が、女の子に男の服を着させるプレイを強いている。そう大祐の母親は思った。

 大祐からすればあらぬ冤罪ではあるが、内心貴治は安堵した。奇人扱いされずに済むと。


「え? いや、これには事情が──」


 覚悟していた大祐とて、こんな発言をされるとは夢にも思ってなかったらしい。もちろんだが言葉に詰まる。


「事情も何もないでしょうが! 大体、なんでこんな時間に連れてきたの!」


 どんどん詰問される大祐だったが、貴治はその様子を間近で見ながらただ祈ることしかできない。


「そ、それは家出だよ」


 大祐は一応この問いに対する返答は用意してきていた。しばらくの間、貴治は泊めてもらうのだから。


「家出ねぇ……」


 怪訝な目で大祐の母親は貴治を上から下にかけて凝視する。家出であれば準備して行くものだ。衝動的な家出であったとしても、男性用の服を着ている意味がわからない。そう言いたいのだろう。

 貴治からすればこそばゆいったらありゃしない。


「な、何を……?」


 やがて大祐の母親が靴下までを凝視し終わると、腕を組み何かを考え始めた。


「とりあえず、お風呂入る?」


 凝視は何だったのかと思うほどに関係ない問いだった。貴治も思わず愕然としたが、山の登り下りで汗をかいたり、また土埃がついて汚れているのは事実。さすがにこのままでは体裁が悪い。ありがたく入らせていただくことにした。


「あ、はい。お風呂いただきます」


 大祐の姉の案内により、貴治は風呂へと向かった。

 大祐は、一先ずは貴治が家に馴染めたことに安堵する。だが、隣で異常ともいえる穏やかな笑顔を浮かべている母親の存在をすぐ思い出したのは言うまでもない。


「さて……」


 落ち着きすぎた母親の声。これが叱責の前兆であることは、大祐も承知の上だった。


「大祐!」


 一方の貴治は、風呂の外から聞こえてくる怒声に恐怖心を頻りに煽られながら体を苦労しながら洗う。初めて洗う部分もあるため、試行錯誤しながら体を洗い終えて湯船に口元まで浸かった。

 すぐ近くでは親友がただ冤罪で叱られており、その怒声も風呂場まで響いてくる。全てが全て大祐の責任ではないため、一方的に叱られている大祐を思い心が苦しくなるばかりだった。風呂は早めに終えると、大祐の姉から借りたパジャマを着る。


「服のサイズとか大丈夫?」


 大祐の姉は、拙い動作でパジャマを着る貴治に注意を引かれてずっと貴治のことを見守っていた。貴治も少なからず恥ずかしかったのだが、いざ女物の服を目にしたときにどうやって着ればいいのかと疑問が生じるため結局頼りにしてしまった。

 女物であるにもかかわらず着方を知らないなど怪しまれるのではないか。そんな不安もあったが、長く入院していてその辺の知識がないと嘘を告げた所あっさりと信じてくれた。大祐の姉はまるで園児を見守るかのように優しくしてくれたのだ。だが、その代わりに実の弟に対して、世間知らずな子を騙して男物の服を着せるプレイを強いたクソ野郎の烙印が押されてしまった。


「ええ、大丈夫です」


 無事にパジャマを着れた貴治だが、その後について相談するため大祐を呼ぶことに。大祐は貴治の後に風呂に入っていたため、風呂越しに出たら大祐の部屋のベランダに来るように告げた。

 大祐の部屋のベランダを指定したのは、いつも行き慣れて勝手がわかるからだ。もちろんだが、寝るときの部屋は別である。


「どうしたんだ? そのたっちゃん……」


 たっちゃん呼びは万が一聞かれてても母や姉に怪しまれないようにという大祐の計らいである。


「ん? どうかしたの?」


 何かを言おうとしたが、何かの原因によってうまく文章を終わらせなかったような言い方に違和感を覚え大祐に近づいた。


「随分とまた少女趣味なパジャマで……」


 大祐はあまり貴治を意識しないように近づくなというハンドサインを出した。

 というのも、姉は無駄にガーリーな服ばっかりもっておりパジャマも例外ではない。中学生の頃に彼氏を作るため男ウケの良い服を選び始めたのがきっかけだったらしい。女子高生がパジャマまで男ウケの良いものにする必要などないのだが、ついくせでそうなってしまったらしい。

 その結果、貴治の着ている服は無駄にフリルのついたガーリーなものだ。貴治は当然のように戸惑ったが、泊まらせてもらっている分際で口出しはできない。おとなしく頷くしかなかった。なお、下まで他人に貸すのは姉も嫌だったらしく今現在の貴治は履いていない。とはいえ洗濯中なので、就寝までには履けるはずである。


「あ、大祐。その、ごめんね?」


 貴治はなぜ大祐がここまで拒絶してくるのかをすぐに理解し、大祐から離れた。


「いや、いいよ。で、本題は?」


「そのさ。これ以上いたら大祐がいろいろ言われそうだし明日もう出ていくよ。なんだかんだ言って、倉敷さん優しそうだし」


「そ、そうか……」


 大祐は無理強いはしなかった。まず、貴治の言う通り大祐は母親や姉から謂れのないことをいろいろと言われていて気が滅入ってしまっているのだ。


「ごめん」


 大祐は貴治に、頭を下げて謝った。何一つ貴治にやれてやれなくて、自分が嫌になったのだ。


「いいよ、別に。明日、じゃなくて今日テストでしょ? 早く勉強しなよ」


「ああ、わかった」


 大祐は自室へと戻っていった。時刻は六時。今から寝るくらいならいっその事勉強したほうがいいと、勉強道具を取り出して勉強を始めた。

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