化け骸【R15版】

故水小辰

蒼翅碧花の一周忌に寄せる手記

序文


 作家の蒼翅碧花あおばねへきかが死んで、今日で一年になります。


 この一年間を振り返ると、私は、これだけのことが本当に一年の間に起こったとは信じがたい気分になるのです。一生分の事件が大波のように押し寄せて私の足元をすくって押し倒し、そのまま激流に飲まれてようやく陸地に上げられた、この一年を一言で言い表すとしたらそのようになるでしょう。蒼翅碧花の死が世間に公表されてからというもの、彼の唯一の友人だった私のもとには、弔辞やお悔やみの皮を被った執拗な詮索がひっきりなしに寄せられました。葬式など、まるでどこかの富豪が結婚式でも挙げたのかと訊きたくなるような盛況ぶりでした——純粋に彼の死を悼むために集まった文壇の知り合いや彼のファンはまだしも、新聞やラヂオの取材に加えて野次馬までもが集まって、あまりの人の多さと場違いな賑わいに、一切を取り仕切っていた私はすっかり頭が痛くなりました。生前のどの傑作もこれほどの熱狂をもって迎えられることはなかったというのに、誰もかれもが、彼の最期にだけはひどく興味をそそられ、その死を以て蒼翅碧花という作家をこぞって持ち上げました。出版社はどこもかしこも彼の作品を、その長短にかかわらず、佳作から習作まで全てかき集め、金色の『蒼翅碧花全集』の文字に彩られた何冊かの本に収めて書店に並べたがりました。まるで彼の綴った物語の全て——彼の綴った一句一句、一文字一文字、句読点の一つ一つに至るまでが、作家・蒼翅碧花の奇っ怪な最期を紐解く手掛かりになるとでも言わんばかりに。


 ところで、私は彼の死を奇っ怪と形容しましたが、何も私が表現力に乏しく、才覚センスに満ちたものの書き方ができないわけではないということを先に断っておきましょう。彼が発見されたときの変わり果てた姿を見れば、誰もが同じ感想を持つと私は思います。もちろん、日本語を操ることに関してはいっとう優れていた蒼翅碧花と比べては、私の文章など稚拙にして幼稚、見るに堪えないものでしょう。私は彼のように藝術の才というものには恵まれませんでした。私はただ、父から引き継いだ仕事と学生時代の交友のおかげで彼のそばにいることができたに過ぎません。というのも、色々の事業をやっていた父が出版にも手を出しており、そちらの事業を継いだ私は文壇で少しばかり顔の利く存在だったのです。おそらく、彼にとっては、私の使いどころはこの一点に尽きたでしょう。あとは週に何度か街に繰り出し、道楽に耽るときの付き人です。彼は実に遊び好きで、酒と見目麗しい男女が大好きでした。実は、彼の奇っ怪な死にざま——くどくどと書いておりますが、本当にそうとしか形容ができない姿で彼は発見されたのです——の理由として、世間が真っ先に目をつけたのがこの遊び癖でした。彼の道楽好きは今に始まったことでなく、我々が初めて知り合った高等学校の頃からそのは見え隠れしていました。思えば、その時から、彼は親からもらった名というものを一切名乗っていませんでした。高等学校で出会い、互いに自己紹介をしたときから、彼は蒼翅碧花と名乗っていました。出席簿の名前では決して返事をせず、試験や諸々の提出物にも蒼翅碧花の署名をし、このことで先生方をひどく困らせておりました。ところが、この名で呼ばれると彼は一転して実に快く応じ、癖のある前髪をかき上げて少しばかり青白い顔で笑っておりました。物憂げで気怠そうな笑顔でしたが不思議と魅力的で、同級の少年たちにやや気取った口調で語る内容がこれまた面白く、友人こそ少なかったものの取り巻きにはこのころから事欠いておりませんでした。

 ちなみに、私は彼の中で他の連中よりも一段上に位置づけられていたようで、学校で唯一彼から頼まれごとをされる生徒でした。もっとも、その頼まれごとと言っても、取り巻きが行き過ぎた干渉をしないように見張る程度のものが多かったのではありますが。


 話がいささか逸れてしまいましたが、この時彼が取り巻き連中に話した内容というのが、彼の道楽趣味についてでした。親兄弟のいない彼は遠い親戚からの仕送りで下宿暮らしをしておりましたが、多くはない所持金を遊びで全て使ってしまうことがままありました。学生のいきすぎた素行を咎めるはずの大家さんまで彼の手腕にまいっていたようで、彼が平然と話す二人の関係に当時の私は大いに驚きました。他にも彼は休み時間に、人間の愛欲と情というものについて、昔の出来事や文学作品、外国の学者の考えなんかを引き合いに出して一席打っていました。当然、お堅い高等学校で聞けるような話ではありませんでしたし、聴衆は皆血気盛んな若者です。彼の演説があると知るやいなや他の学級、他の学年の生徒までもが我々の教室に押し寄せ、しまいには騒ぎを聞きつけた先生が怒鳴りながら乗り込んできて全員を退散させるといった有様でした。


 彼は高等学校を卒業すると、職にも就かず下宿にこもりきるようになりました。他方私は大学校に進み、彼とはしばらく疎遠になっておりました。新たな友人たちは蒼翅碧花と比べるとどうしてもかすんで見えてしまい、高等学校での日々と比べると大学校は格段に退屈でありました。ひとたび蒼翅碧花と真っ向から付き合う資格を得ると、山積みの気苦労と引き換えに刹那的ではない刺激が手に入ります。それは、私の青春の日々をことさらに明々と照らしてくれました。その刺激を失えば、若き日の輝きもたちまち薄暗く淀んでしまうことは、皆様の想像にも難くないと思います。

 そんなある日、私は新聞の連載に蒼翅碧花の名前を見つけたのです。私は最初の一文を読んですぐ、それがまぎれもなく彼本人であると確信しました。彼はそこでも、十八番の愛やら情やらについて、流れるような調子で述べていました。彼の並べる言葉は実に小気味良く、時に心地よく響き、時に読む者を攻撃し、そうかと思えば抱擁するといった調子で、やはり人を惹きつける何かがあると私は改めて感じたものです。私はすぐさま新聞社に連絡して、彼の学友のなにがしだと名乗り、蒼翅碧花先生記事が良かったとお伝えくださいと言いました。すると一週間ほど経って、新聞社から一通の便りが来たではありませんか。何事かと首をかしげつつ封を切ると、なんと蒼翅碧花本人からの返事が入っていたのです。そこには、空にたなびく雲のような軽快な字で以て、私への礼と、私の近況を問う文言が綴られていました。手紙は、彼の現在の居所と、「これからはここに宛てて書いてくれたまえ」という言葉で締められておりました。そして気取った飾り文字の「P.S」に続く、「普段はこのようなことはしないのだが、君という男に新聞社を通すなどというまどろっこしい真似をさせるほど、蒼翅碧花は薄情ではないからね」という一文! 私はすっかり嬉しくなりました。蒼翅碧花は私のことを覚えていただけでなく、まだ特別に思ってくれているらしかったのです。私は急いで部屋に戻ると、彼の居所に宛てて返事をしたためました。ここから我々の交際が復活したのでありますが、ここではそれは省くことにします。もうすでにかなり脱線していることですし、いい加減本題に戻るとしましょう。


 そう、蒼翅碧花あおばねへきかの死に様です。

 彼は冬の早朝、自宅の狭い庭で倒れているところを発見されました。その傍らには一体の白骨が土から上半身を覗かせており、二人はうっすら雪をかぶっていたと言います。そしてなんとも奇妙なことに、蒼翅碧花はからからに干乾びて変色し、潰れた紙風船のようにひしゃげていて、まさしく骨と皮だけといった有様だったのであります。

 私はそれを聞いて大層驚き、そんなことはあるはずがないと反論しました。たしかに彼は往時よりもやつれ、疲れ、色々の問題を抱えていましたが、それにしたって生きている人間が一夜にして干乾びてしまうようなことが起こるはずがないと主張しました。

 ですがたしかに、棺に入れられた蒼翅碧花は干乾びてひしゃげて、いにしえ埃及エジプトの王に着物を着せたかのような姿に変わり果てていました。


 私は未だに、このようなことが果たして本当に起こり得るものなのか甚だ疑問に思っています。なぜなら——お前の言うことの方が有り得ないと思われるかもしれませんが——私は彼の死体が発見される前の二日間、彼の家に通い、彼と言葉を交わし、そして彼の同居人とも話をしたのですから。私を迎えた彼は、少なくともその見てくれにおいては至って正常でした。そして彼の同居人の方も至極普通に私を迎え、もてなしてくれました。今からここに記すのは、私が彼らと過ごしたその二日間の出来事です。そしておそらく、私のこれからの人生で、これほどまでに奇々怪々、魔訶不思議な出来事は二度と起こらないことでしょう。

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