第6話 私、『江東の虎』とまみえる

 長江を船で渡り、港町から馬で移動すること、約二週間ほど。私、周瑜しゅうゆ長沙ちょうさの手前まで来ている。

 それにしても、長江というだけあって、かなり大きな河川だった。船旅といっていいほどの長さはあった。

 私に届いた孫策そんさくくんからのお誘いで、南荊州けいしゅうにある城街まちまで行くことにした。

「そうか、長沙に行くのか。あそこら辺は最近きな臭いから気をつけてな。あ、しばらく、羽を伸ばすつもりでのんびりするといい」

 出立する前に、万葉まんようが言った。私のいない間、あきらかに仕事をサボる気満々である。

「何ですか、この忙しい時にひとりだけ遊びに行く気ですか? 税や収穫物の確保で大変な時期に誘いを寄こすなんて、孫策様は馬鹿ですか? 何を考えてるんですか?」

 燐玉りんぎょくさんがひたすらぼやいた。暗にその誘いに乗る私も非難されてる。長沙から帰ってきたら、また、色々とぼやかれるんだろうなぁ。

「お出掛けいいな~。あ、むこうで美味しそうなお酒があったら買ってきてね~」

 沙羅さらさんから、お土産を要求された。そういえば、うちのお酒の消費量が半端ないと、燐玉さんがぼやいてた。どれだけ、お酒が好きなんですか、あなたは。

「うお~、周将軍、孫家の城に行くんですね! いいな~、俺も兵を率いて行ってみたいです!」

 飛天ひてんくんがすごく羨ましそうな表情をした。いや、別に行軍とかするんじゃなくて、ただ単にプライベートな旅行だから。

「……それでは進軍しているように見られるだろう。周瑜様、民政の方はつつがなく進めておきますので、ご心配には及びません。道中、お気をつけください」

 飛天くんにツッコミを入れた後で、蘆信ろしんさんが軽く頭を下げた。うん、この中で一番、普通だ。このメンバーのツッコミ担当に任命したい。というか、しよう。

 秋を過ぎた頃から、食い扶持を求める賊や傭兵団などが頻繁に出没するけれど、この人たちならそれくらい簡単に撃退できるだろう。私は安心して、旅立った。

 途中で普通の童子姿をしたしのびの風鈴に出会った。

「主様の身辺は、ちゃんと、あたしたちの手の者が警護しますので安心してください。それから……」

 と懐から小さく丸めれた紙の書簡を手渡し、ふらりと人混みの中に紛れていなくなった。

 書簡の送り主は忍のまとめ役である商人のこうさんからだった。『長沙に行ったら、市場で物価や品物の種類や量を見て来てくださいまし。あと、孫家にわたしの宣伝を』と書かれていた。ビジネスチャンスを狙っているんだろう。いずれ、この全土に自分の店を出店する気なんだろう。商魂たくましいなぁ。

 と、関係者一同から様々な反応をもらいながら、私は長沙の目前までたどり着いた。

「公瑾!」

 聞き覚えのある大きな声が、私の耳を打った。馬に乗った一人の若者がこちらに駆けてくる。

 孫策くんだ。どうやら、私を出迎えるために城門の前で待っていたらしい。

「久しぶりだな、公瑾! よく、来てくれた!」

 日焼けした顔に満面の爽やかな笑みを浮かべて、孫策くんは言った。心なしか、身体も少し大きくなったのかな? 逞しくなった感じがする。

「こちらこそ、招いてもらってすまないな、伯符」

 取り扱いを間違えると、すぐに地雷を踏んでしまう孫策くんに、私は慎重に答える。なんか、恋愛ゲームの選択肢を選んでいる気になってくる。前世二十九歳のお姉さんはドキドキだ。

「いや、俺が公瑾に会いたいと言ったら、父上もお前に会いたいと言われてな」

 馬を降りながら、孫策くんが言った。孫策くんの父上……ということは、孫家当主である孫堅そんけんさんだ。

 江東にある呉地方から旗揚げして、その武勇で、今や長沙を中心とした南荊州一帯を支配している将軍の一人。

 本来なら顔見知りらしいのだけれど、十六歳の周瑜くんに転生した私に、それ以前の記憶はない。だから、孫堅さんのことを言われても、いまいちピンとこないのが実情なのだ。だから、会いたいと言われても、いまいち何の感情も湧かない。

 長沙の城街まち内に続く城門には多くの人々が往来していた。農作業をしに行く人や荷物を背負ったり、荷馬車を引いている商人、近くの村から品物を買いにきた人、兵士など老若男女問わず様々。この風景は私の領内でもよく見ている光景だ。ただ、空気がピリピリとしていているのを感じていた。

 本来なら、城門を護る衛兵さんに止められるところとこなんだろうけど、孫策くんが隣にいるおかげで、すんなりと城街まちの中に入ることができた。

 城街まちの中は小規模ながら、多くの人で賑わっていた。ただ、一般の民よりも、兵の数の方が多い気がした。どうやら、万葉が言っていたようにいくさの気配が漂っている。

「ずいぶんと賑やかだな。うちとは大違いだ。それに兵たちも忙しそうだ」

 兵糧の山を乗せた荷車を引っ張る兵士が横を駆け抜けるのを見ながら、私は言った。

「一応は南荊州の要の城街まちだからな。父上も何年もかけ、ここまで大きくされた」

 孫策くんはそう言ったあと、私の顔に近づけた。イケメンの顔が近くにあり、前世二十九歳女子の私は、なんかドキドキした。いや、別にヘンな気持ちは起こしませんが。

「そろそろ、北荊州を獲る心積もりなのだ、父上は」

 と小声で言う。おそらく、周囲を警戒しての事なんだろう。どこで誰が聞いているかわからない。壁に耳あり、障子に目ありだ。

孫堅そんけん様は、もう出かけられているのか?」

 あえて、出陣や進軍という言葉を避け、そう訊いた。私の孫堅さんの呼び方に違和感を感じたような孫策くんだけれど、軽く頷きながら、

「もう、北の方に出ている。そろそろ行こうか」

 長沙を一回りした私と孫策くんは、入ってきた城門を出て、再び馬に乗った。

 しばらく、馬を駆けさせると、陣地らしい場所が見えてきた。私と孫策くんは陣前で馬を降り、陣内を歩いて移動する。

 あくまで中継地点なのか、塹壕や土嚢などの本格的な備えはなく、武具や兵糧などを集めた区画や兵の調練をする場所を囲う柵などで構成された簡単な陣だった。

 いくつか建っている幕舎のうち、『孫』の旗が掲げられている方に孫策くんは向かってゆく。私は孫策くんの後ろからついて行くだけど、周りの人からは訝しげな視線や奇異に見られている。いったい、孫家の若君とどのような関係にあるのか、それを詮索するような感じだった。

「父上!」

 幕舎の前で指示を出していた武将の集団に、孫策くんが声をかけた。おそらく、その中に孫堅さんがいるんだろう。私には誰だかさっぱりわからないけれど。

 武将たちの中で、腕を組んでいた男性が振り向いた。そして、孫策くんと私を見て、表情を和ませた。

「おお、意外と早かったな、策。それから、久しぶりだな、周瑜」

 そう言った武将が、『江東の虎』こと孫堅さんなんだろう。

 ……なんというか、『江東の虎』より、『江東の熊!』というのがピッタリな印象だった。とにかく、デカかった。孫策くんも大きいと思っていたけれど、さらに一回り大きい。

 赤い頭巾を金属の環で留めて、額も鉄で補強されている。顔は孫策くん同様に陽に焼けた肌にキリッとした太い眉、鋭い眼光を宿した目元、無精髭が生えている角ばった顎など、孫策くんを渋く精悍にした感じのイケオジ顔。熊のような身体に具足を着けているが、それ以外の部分は筋肉でパンパンな感じで赤い戦袍せんほうがはち切れそうだった。戦袍や鎧の飾りに虎の毛皮を使っているのを見ると、ちょいちょい江東の虎アピールを意識しているんだろう。腰には重そうな刀を佩いている。なぜだか、私は『肥前の熊』こと竜造寺隆信様を思い浮かべた。一般人から見れば、やはり大きな武将にはそんなイメージを抱くのだろう。前世一般庶民だった私はそんなことを思った。

「お久しぶりでございます、孫堅様」

 私が拝礼すると、孫堅さんはおかしなものでも見るような表情をした。最初に孫策くんと会った時と同じようなリアクションのような気がする。

「おいおい、いつから蘆江の周瑜は他人行儀なぞ覚えた? 今まで通り、孫文台そん ぶんだいでいいぞ」

 ……最初にこの人と会った時、どんな感じだったんだろう。周瑜くんの『黒歴史』の闇は、とても深そうだ。私は知らない方がいいのかよくないのか分からない。

「それから、俺がいない間に策のせいで周家の御曹司を死の淵まで追い込んだらしいな、その件は申し訳なかった」

 と、孫堅さんが謝った。隣にいる孫策くんの顔と身体がビクンと反応して、固まった。ああ、やめて! それには触れないで! その件は孫策くんの地雷で、今すぐにでも五体投地したうえで、頭を割らんばかりに地面に打ちつけようとするに違いない。私は慌てて、フォローする。

「いえ……あれは、たまたま私の運が悪かっただけのことです。自らの命を顧みず、助け出してくれた伯符のおかげで今があります。むしろ、伯符を褒めてやってください」

 そう言うと、孫堅さんは無精髭に覆われた顎をさすりながら頷いた。孫策くんも金縛りにあったような状態から解除されつつある。

「そうか、それなら良い。ところで、どうだ、初めて見る戦陣は?」

 と訊いてきた。今まで領内の兵や民兵を率いて戦ったことはあるけれど、ここまで大規模な戦の陣地を目の当たりにするのは初めてだった。

「さすがは天下に武名を轟かす孫家の陣と思います。兵の質も士気も高く見えます。ただ……」

 そこで、私は、その先を言うか言わないか迷った。しかし、孫堅さんに促され、言うことになった。

「兵糧や武器、兵などの輸送に難儀されている様子です」

 その言葉に、孫堅さんや周りの武将達が少し顔をしかめた。図星を指されたようだ。確か兵站確保が完璧になったのは、前世の私が知る限り、第二次世界の途中からだ。それ以前の戦争の兵站なんかはひたすら効率の悪いことこの上ない。今、孫堅さんたちが兵站に苦労することは必然といえる。

「……とすると、どうすればいい、周瑜?」

 孫堅さんは尋ねてきた。

「船を使えば良いと思います」

「船か……!」

 孫堅さんは、何か気づいたような表情をした。

「荊州には長江の支流が数多くあります。そこを船で使えば、色々なものを楽に運べるでしょう。さらに、荷馬などを使う機会が減るので、まぐさや兵糧の節約にもなります」

 私の説明に孫堅さんは無精ひげの生えた顎をさすりながら聴いていた。後ろに控えている武将達も感心した表情で、こちらを見ている。

 この船の運用方法は蘆江にいる時から考えていた。領内の治水と同時に水路を開発しているのも、そのためだ。さらに船の機動性や機能性なども改造している。

「ふむ、船を使うか。なかなか良い案だ。さっそく、取り入れよう。しかし、この戦陣を見て、そこを見抜くとは、意外にやるではないか、周瑜」

「公瑾はこういう兵法が大好きなんですよ。学問もできますが、戦はもっとできるんですよ、父上」

 孫策くんが言うと、孫堅さんは意外そうな表情を浮かべた。おそらく、殺伐とした戦場の情景に相反するたおやかな容貌がそう思わせているのかもしれない。

 孫堅さんはあごをさするのをやめて、今度は腕を組み、真剣な表情で私に問いかけた。

「お前は戦が好きではないと思っていたが、どうなのだ?」

「正直、戦をすることは好きではありません」

 私は本心を言った。孫堅さんの真剣な目に応えるように、私もなるべく真摯に答えるよう努めた。

「ですが、今は戦が必要な世だと思っています。戦によって、戦を無くす。そして、民や子供が戦の犠牲にならなくてすむ平和な世界を手に入れる。そのための戦なら私は全力で戦います。それに私にも叶えたい夢があります……」

「ほう? 周瑜の夢とはなんだ?」

 興味深そうな顔で孫堅さんが訊いてきた。隣にいる孫策くんもどんな夢か気になるようだ。私の顔を穴が開きそうなほど、じっと見ている。

「それは……」

 言えなかった。まさか、長生きして楽隠居したいのが夢だなんて言えるような雰囲気じゃなかった。うん、なんかこの二人には言いづらい。

 言い淀んでいる私の沈黙を孫堅さんは違った意味で捉えたらしい。真顔でとんでもないことをおっしゃった。

「……どうやら、いずれ孫家は周瑜に乗っ取られるな」

 その発言で、今度は後ろに控えていた家臣の方々の顔が引きつったような表情になった。どの武将さんたちも年季の入った強面さんが多い。一瞬、空気がピキッと固まった感じがした。なんか、このまま、家臣の皆さんに斬られるんじゃないかってぐらい殺気立っている。なんか、逃げ出したい。

「ははははは……冗談だ、冗談!」

 孫堅さんが固まった空気をぶち壊すように大笑いして、私の肩を叩いた。孫策くんの筋力が父譲りなのが、よくわかった。一瞬、肩が脱臼するかと思うくらいの衝撃が襲う。

 大笑いした後、孫堅さんは近くに控えていた従者の一人に何かを命じた。従者の人が天幕の中に消えると、手に木の箱を持って出てきた。孫堅さんはその木の箱を受け取り、箱の蓋を開けて、私に差し出した。中には孫堅さんが身に着けている赤い頭巾が入っていた。

「これは羊毛を紅く染め、特別な技法で編み込まれて作られている頭巾だ。周瑜、お前に受け取ってほしい」

 差し出された頭巾を見て、今度は私が緊張した。これは孫堅さんに認めらた証だけど、これからも孫策くんをよろしく頼むと言われている気がした。少し緊張した感じの両手で包み込むように頭巾を受け取り、私は拝礼した。

「……大事にいたします」

 孫堅さんは頷いて、

「わしは忙しいゆえ、それほど相手はしてやれないが、一日、ゆっくりしてゆくがいい。策と共に陣内を好きに見て回ってもかまわん」

 私より孫策くんが嬉しそうに返事をした。よほど、この陣の中を見て回りたかったのだろう。私を急かすように孫策くんは駆けだしていた。私はもう一度、孫堅さんに拝礼してから孫策くんの背中を追った。

 孫策くんは、とにかくテンションが上がっていた。兵士の調練や陣形の組み換えの訓練を熱心に見入り、攻城戦に使う兵器などに目を輝かせていた。攻城兵器に使われている木材は、あらかじめバラバラにしておくと、陣地戦で防壁や馬防柵にも使えることを教えてあげると、すっごく感心された。まぁ、これも前世で知った日本の戦国武将の受け売りなんですけど……。

 それにしても、孫策くんの陣地をアグレッシブに動き回るテンションは凄かった。こうして陣の中を見物しまくっていると、ふと、孫策くんがテーマパークで一日中はしゃぎまくっていた前世の私の元カレと重なった。インドア派の私には付いて行くのが大変な思い出が蘇ってきた。……元カレは今でも元気だろうか……?

 日が暮れるまで出陣前の陣を堪能した孫策くんと私は、長沙の城街まちに帰る前に孫堅さんのところに挨拶しに行った。

「今日はありがとうございました。これで失礼いたします」

「おう。今度は蘆江で会おう」

 もう勝ち進むことを確信しているように、力強い不敵な笑顔で言われた。実力と実績からすれば、それも当然だろう。だから、浮かべられる実力と自信に裏打ちされた笑みだと感じられた。

「ご武運を……」

 私は孫堅さんに拝礼して、陣を後にした。


 それから数か月後、そろそろ冬本番を告げる北風が強くなってきた頃、一つの知らせが届いた。

 『江東の虎』孫堅文台、戦死の報告だった。

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