砂塵まう国の殺人

小泉葵

第1話 そして旅は始まった

「さて、行くか」

 俺は小さめのスーツケースに荷物を詰め込んで家をでた。初夏の日差しが眩しい。

スーツケースには着替えの下着1週間分とシャツとズボンが2セット、それに非常食カップラーメンだ。海外にいくと無性にこれが食べたくなる。現地調達を基本としているため、最低限の荷物しかもたないつもりでいるが、なんだかんだで荷物が増えるのは何故だろう。


 まずは成田エクスプレスで空港を目指す。成田エクスプレスに乗るってだけで、久しぶりに海外に行けるぞと、心が踊る。今回は行き先はエジプトからイタリアだ。なんとも言えない組み合わせだが、これには当然理由がある。一方は砂漠とコーランの国、もう一方は芸術の国。関連性がないように思えるが、著名な建造物や遺跡がある点で共通している。


 イタリアは言うまでもなく国中が世界遺産でできているようなものだし、エジプトはピラミッドを初めとする多くの巨石遺跡がある。もっとも世界遺産登録数ではイタリアが58件で世界一に対して、エジプトは以外にも7件で世界47位である。大ピラミッドは有名だが現存数が少ないせいか、アラブ人の気質から登録を面倒がっているのか。なお、日本は25件で世界11位と割と健闘してる。


 俺の仕事は、諸外国のホテルや個人営業の宿からの依頼で、ホテルの魅力と現地の魅力を伝える記事やHPを制作し、ツーリストを紹介するいわゆる営業活動をすることだ。趣味が興じて取得した世界遺産検定がこんなところで活かされようとは。特に遺跡についてはマニアを自負しているほどだ。手始めとして、これまで訪れた国の知り合いをつてに仕事を始めたため、遺跡共通のエジプトとイタリアからの依頼となった。その依頼人と直接会って取材をすることが今回の旅の目的だ。


 そもそも、フリーライターに転職して早々、例のウィルスがあっという間に世界を席巻し、海外に出かけるどころの話じゃなくなってしまった。そのため本来は半年くらい時期をずらして別々に訪問する予定が狂ってしまい、2国巡るというハードスケジュールとなった。


 ツーリストの確保が依頼者の死活問題になるため、もたもたしている場合ではないのだろう。こんなことなら、もう少し転職時期を遅らせればよかったよな、と思っても後の祭りだ。そんなことをうだうだと考えているうちに、成田空港第一ターミナルへ到着した。今回は長い旅になりそうだ。


 「日本食の食べ収めでもするかー」

と空港内のレストランを物色している道すがら、売店の方からなにやら叫ぶ声が聞こえてきた。

「もっとド派手なのはないの?」

「スーツケースが地味なんだから、派手なバンドさがしてちょうだい。」

「万が一、似たようなバンドのせいで他の人のと間違われたらどうしてくれるの?」

「なんということでしょう、こんなのダメ、センスを疑うわー。」

「このデザイン、唯一無二なんでしょうね。」

どうやらスーツケースのバンドでもめているようだ。


 確かに海外旅行の不安要素の一つに、空港でスーツケースを初めとする荷物の受け取りがある。ベルトコンベアから出てくる荷物を自分で探して取るため、コンベア上を流れて来たらすぐに分かる方が望ましい。そのため個性的なケースの色だったりバンドをまく工夫をする。これが毎回ドキドキで、受け取るまで安心できない。ド派手なバンドを探したくなる気持ちも分かる。


 日本食にしようか中華にしようか店の前をうろうろしていたら、今度はブツブツとした話し声、というか独り言が聞こえてきた。

「今のレートだと、とりあず米ドルに両替してっと。」

「それから現地の空港で現地通貨に両替するのが効率よさそうね。」

「到着時刻の現地の天候と温度、それに湿度は、ふむふむ。」

「あー夜冷え込みそうね。到着夜だから上着もって搭乗したほうがよさそうね。」

「充電器の規格は大丈夫そうねっと。」

「念のために充電器買おうかしら。」

「予備とバックアップも含めて3個ね。」

とタブレット端末をしきりに操作しながら、渡航先の様々なデータを収集しているようだ。


 国によっては日中と夜の気温差が大きく、特に夜に到着する場合には注意が必要だ。これから向かうエジプトは日中40℃近くまで上がることはざらで、そうかと思うと夜は20℃を下回ることがある。いわゆる砂漠気候だ。この温暖差で体調を崩す人が意外と多い。


 いろいろ迷った挙句、飛行機の中で機内食でるからいいやと、コンビニでのど飴を買うにとどまった。今回乗る飛行機はエジプトエアーのエジプトまでの直通便だ。エジプトの首都カイロまで、約13時間のフライトなので割とあっという間につきそうだ。昔は乗り継ぎで20時間以上かかったこともあり、とても遠い国のような気がしていたが、今では空港まで来る方がむしろ大変な感じだ。


 カウンターで荷物を預けて搭乗手続きをしていたら、聞き覚えのある独り言が。

「エジプトの犯罪発生率は、ふむふむ。」

「窃盗や盗難に会う確率は、私の行動パターンから予測すると7%か。」

「結構高いな。試しに成田空港での予測は、7%・・・」

「この予測AIあてにして大丈夫かな。」

「まあいっか。転ばぬ先の杖じゃないけど、掛け捨ての保険かけとくかなっと。」

どうやら、この人も同じ便でエジプトに行くようだ。


 そうこうしていると、搭乗のアナウンスが聞こえてきたので、出発ロビーに向かい、飛行機に乗り込んだ。例のウィルスの影響が残っているのか、搭乗率はパッと見たところ50%程度であった。隣の席が空席だったので、エコノミーではあるが割とゆったりとできて助かった。搭乗客の一人が遅れた影響で、予定時刻を過ぎての離陸となったが、いよいよ旅が始まった。


 所定の高度に到達して、シートベルトのランプが消えるやいなや、機内食が運ばれてきた。現在の時刻は日本時間で18時。夕飯にはちょっと早いが空港で何も食べなったので、空腹だ。CAが何やら英語で話しかけてきた。どうやら肉と魚どっちがいいか聞いているようだ。無難に肉を選び、飲み物にオレンジジュースをもらった。

そういえば、エジプトエアーには日本人のCAはいないので、全部英語なんだった。

機内食は、硬いパンとビーフシチューのようなものとサラダとデザート。なお味は・・・。食材は間違いなく日本産のはずなのに、どうしてこんなに美味しくないんだろう。などと思いながら食べていた矢先に、後ろの席から話声がした。


「なんということでしょう~」

「この機内食ケチャップがついていないわ、どうしましょう。」

「マイケチャップはスーツケースに入れてたんだった、は~」

「ギブミーケチャップ」「アイアムケチャップ」

人の食の好みはいろいろなのだけど、いったい何にケチャップを付けるんだろうか。

そして望みはCAに伝わったのだろうかと、いらぬことを考えているうちに、空腹も満たされ睡魔に襲われた。


 冷たいものが頬に触れた。目を覚ますとCAが機内食を運んできていた。さっき食べたばかりだと思ったのに、4時間近く寝ていたようだ。寝起きで、そして席に座りっぱなしで食欲がなかったので、デザートとオレンジジュースだけもらった。後ろの座席の人は、相変わらずケチャップを要求して、元気いっぱいな様子で食事を摂っていた。タフな人だ。


 フライトも半分が過ぎ、時計をカイロの現地時間に合わせることにした。日本とカイロの時差は7時間だ。日本の方が7時間早く進んでいるため、到着は深夜0時。真夜中だ。まあ、そのままホテルに直行して寝てしまえば、時差も解消できてちょうどいい。そのため、到着まであと7時間はできるだけ起きていよう。JALあたりの国際線だと日本で未公開の映画や海外先行の映画を見ることができる。何かめぼしいものはないかと探していたら、どれも数年から十年以上も前の映画や音楽ばかりだった。


 映画はあきらめて、依頼人の確認をはじめた。今回の依頼者はカイロ在住でタクシー会社を運営しているムハマンド氏だ。初めてエジプトを訪れた時にたまたま乗ったタクシーの運転手で、カイロ内をいろいろと案内してもらった。後から考えてみると、単にいいカモにされていただけのような気もする。その際に連絡先を交換していたのが縁で、たまに連絡を取り合う。大ピラミッドのあるギザ地区にホテルをオープンしたいので、日本で宣伝よろしく頼むとのことだ。ウィルス騒動で事業が頓挫していないといいんだが。直近の連絡では問題ないようなことを言っていたが、なにせアラブ人。何があっても不思議ではない。

 そして、ほぼ予定通りにカイロ国際空港に到着した。



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