第四話

 激しい切り崩し攻勢だった。蹶起初期に派閥重鎮の宮川みやざわ啓二きいち曽我こがまことが党執行部に帰順したことが痛手であった。山端やまさき派が一名を除き鉄の結束を保っていたこととは対照的に、数の上でも蹶起叛乱の主力でなければならなかったはずの葛西かとう派がいまではもうガタガタだ。

 葛西はさらなる切り崩しを恐れて遠く離れた北海道に移動していた。そこで今一度、派内の引き締めを図ろうというのである。


「ちょ……待って下さい幹事長」

 会場入口付近が何やら騒がしい。見れば尾長のなか勉務ひろむが叛乱部隊の集会に乗り込もうとしているではないか。付き随う者などない。単身北海道まで追ってきたのだ。まなじりを決し、顔を真っ赤に染めて。止めようという葛西派の若手議員が尾長に睨まれ、思わず後ずさるほどの気魄であった。

「きみらはこんなところで何をやっとるんや!」

 ものすごい怒声だった。尾長の気魄に呑まれ、誰も言い返すことができない。

「この大事なときになにをやっとんや!」

 尾長はもう一度怒号を発した。


 ここに集まっている葛西派の連中は、骨の髄まで反執行部に凝り固まった生粋の叛乱部隊であり、文字どおり葛西と生死を共にすることさえ厭わぬ者ばかりであった。山垣たにがき定壱さだかず古河すが久秀よしひでなど、いずれ劣らぬつわもの揃い。執行部の切り崩し攻勢の前に投降帰順したような惰弱の連中とはわけが違う。

 彼等の元には

「不信任案が可決され解散総選挙になったとしても、叛乱に加わったような者に党公認は与えないし、選挙区には刺客を送り込む」

 といった恫喝が尾長から加えられていたし、内容証明付きで離党届が郵送されてきたりもしていた。

 これもまた

「叛乱部隊に加わるなら離党しろ」

 という一種の恫喝であった。

 ここに集う連中はこれら党執行部からのあからさまな恫喝に屈することなく、それでも葛西についていこうと決心したいわば精鋭部隊のはずだった。その彼等が、単身乗り込んできた痩躯の一老人に恐れをなして返す言葉を発せられないでいる。叛乱部隊が決死の覚悟なら、尾長もそれに劣らぬ覚悟だった。


 会場入口から奥の演台までを埋め尽くす蹶起部隊が、割れた海のように一本の道を形作る。その道を、演台に向かってまっすぐ歩を進めるのは聖者ではない。「同志」葛西圭一をその手にかけることを決意した一匹の鬼であった。

 先で待ち構えるのは葛西圭一その人。四角い顔を強張らせ、固い決意を示すものの如く口をへの字に結んでいる。

 思えば尾長が経験した対戦車戦闘訓練の話に聞き入る葛西も、こんな表情で涙を堪えていたのではなかったか。

「くる日もくる日も訓練でなぁ。亀の子抱えながら砂だらけになって戦車の下に潜り込むんや。毎日訓練前に連隊長が訓示すんねん。本土決戦の捨て石になれ、血の一滴になるまで戦えっちゅうてなぁ。

 冗談ちゃうでて。阿呆なことを言うなって。こんな阿呆な連中が大将なんかやってるから本土決戦なんてことになるんや。やりたかったら一人でやれ。俺をこんな負け戦に巻き込みやがって。

 そないして連隊長を罵り倒したったもんや。もちろん、心の中でやけどな」

 

 徐々に近づく葛西の表情を見るにつけ、その葛西と先の大戦やこの国の行く末を語り合った日々が思い出される。


 不意に葛西が吼えた。それは、鬼を近づけまいとするかのような咆哮であった。

めませんよ私は。もう誰にもめられませんよ!」

 しかし鬼の歩みは止まらない。演台ひとつ挟んで対峙する。

「きみは……」 

 大きく息を吸う尾長。次に出る言葉を会場全体に響き渡らせるためであった。

「きみはこんだけの若者わかもんを無用の争いに巻き込んで……。こんなことをやりたくてきみは起ったんか。やりたかったら一人でやれ。こんな負け戦に若いもんを巻き込むな!」

 瞬間、葛西の目が泳いだ。傍から見れば尾長の声量に怯んだようにも見えたかもしれない。しかしそうではないだろうと思う。言いたいことが伝わったのである。尾長にはそのことがよく分かる。

 葛西は何も言い返してこない。

 尾長も言葉を継がない。

 しばしの沈黙が流れたあと、確かめるように

「俺はきみにそのことだけを言っておきたかったんや。それでも続けたいんやったら好きにしろ」

 とだけ言うと、尾長は会場を後にした。

 あれだけ精強を誇った選り抜きの若手議員が、尾長に続いてひとりふたりと会場を去って行く。

 文字どおりの総崩れだった。

 尾長による単身斬り込みによって、「葛西の乱」の趨勢は決した。


 野党による内閣不信任案提出の当日。

 葛西圭一の姿はホテルオークラ東京にあった。

 叛乱は失敗した。残余の叛乱部隊全員が内閣不信任案に賛成票を投じたとしても否決されることは明らかだった。このうえ飽くまで賛成票を投じるというのなら除名を覚悟しなければならないだろう。無駄な犠牲というよりほかない。葛西はそのような事態を避けるために、自分と山端やまさきの両名だけで本会議場へと乗り込み、賛成票を投じるつもりだが、諸君らは執行部に帰順、投降せよと諭したのである。最後まで付き随ってくれた自派議員を救い、かつ自らの信念を貫き通すための最終手段であった。

 しかし

「葛西先生は大将なんだから! あんたは大将なんだから! 独りで突撃なんかしちゃダメですよ! 葛西先生が動くときは俺たちだってついていくんだから!」

 演台に立つ葛西圭一の両肩を必死に掴んで、本会議場討ち入りを引き止めようという山垣定壱。

「死ぬも生きるも一緒だ!」

 感極まったような怒号が続く。

 この様子はテレビ放送され、大の大人が恥も外聞もなく顔を真っ赤に泣き腫らしている異様な熱気をお茶の間に伝えていた。

 そのテレビ放送を尾長も見ている。

「何やっとんやこいつらは!」

 尾長は本会議場入口へと駆け出した。葛西が来たら追い返さなければならないからであった。

(来るな来るな、来てくれるな)

 そんな感慨を抱くのは土佐湾岸に敵艦艇群の幻影を見たあの時以来のことだった。ただし今回の相手は敵ではない。また倒すために迎え撃つのでもない。救うために追い払うのだ。毫も勝算のなかったあの時とは違う。

 それにしても、と思う尾長。

 山垣が口走った

「大将なんだから」

 という言葉が脳裏から離れないのである。

 若者を戦場に放り込んで殺すことに躊躇がなかったような者が大将だったから、先の大戦で惨めな敗北を味わうことになったのだ。もしあのとき、葛西のような人物が大将だったら、日本の歴史はいまと随分違ったものになっていたことだろう。

 それだけは間違いのないことだった。


 ひとしきり待った。

 結局、葛西も山端も本会議場には姿を見せなかった。

(それでいい)

 と思う。

 叛乱部隊は、葛西山端両名を含め全員本会議を欠席した。党員として褒められた行為とはいえなかったが、除名を免れるギリギリのラインといえた。

 内閣不信任案は否決され、事件は終熄した。

 身体を深々とソファーに沈める尾長。疲労感のなかにそこはかとなく漂う安堵感が心地よい。党分裂を回避できたからか。いや違う。

 

 葛西を日本の大将に担ぎ上げるという大望は遂に叶えられなかったが、除名という最悪の事態だけはなんとか避けることができた。


 尾長はその安堵感を、最後まで残った小さな、しかし大事ななにかでも愛でるように、いつまでも、いつまでも心の中で舐め続けたのであった。

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