第2話サイレントナイト2

 それは、大学四年の夏休み前のこと、有賀が自主退学する直前のことになる。

講義室の長い机の端に座っていた私の横に、偶然、彼とその友人の橋本徹夫はしもとてつおが座った。


 茉莉は軽く挨拶しただけで、次の講義の教科書に目を通していた。

二人は何やら盛んに会話をしていたが、ふと間違ったことを話していることが聞こえてきて、茉莉は思わず口を挟んでしまったのだった。


 それが何だったのか思い出せないほどに、些細なことだったと思う。何を言ったのか、茉莉自身でも忘れているくらいなのだから。


 でも、それが有賀の気に触ったのだろう、突然激高すると、何やら意味のわからないことをわめき立て、席を立って出て行ってしまった。


 茉莉は何が起こったのかわからないままに、体を固くして、隣にいた橋本に目を移した。

橋本もあっけにとられたように驚いていたが、茉莉の視線に気づいて、気を取りなおした。

「あいつ、色々悩んでるみたいでさ……」


 それだけ言って、後を追うように講義室を出て行ったので、茉莉はわけがわからないままに、取り残されてしまったのだった。


 何か悪いことを言ったのなら、あやまることもできたろうけれど、なにが悪かったのかさえわからないので、なんともしようがなかった。


 ただ、その時の有賀のくらい目つきが恐かった。

体じゅうから湧き上がるような嫌悪感、激しい怒りなどが、直接茉莉にぶつけられたのだ。


 あの時の衝撃と恐怖が、茉莉の心の底には今でも残っていて、今夜偶然出会って、隣に立っている有賀の姿にも、実は、懐かしさと同時に、近づきたくないような距離感を感じているのだった。


 あまり自覚はしていなかったけれど、茉莉は、当時彼に好意を感じていたのかもしれないと、思い出す。または、好意とは言えないものの、少し気になる存在だったとは思う。

それで、つい、隣でしている会話を聞いてしまい、口を挟んだのがいけなかった。


 でも、あの一瞬で、あったかもしれない気持ちは霧散してしまった。

あの時の甘いような、くすぐったいような気持ちは一切消えてしまった。


 それくらい、彼の激しい怒りは恐ろしかったし、茉莉の気持ちも、それくらいのことで吹きとんでしまう程度のものだったと言うことだ。



「せっかく会ったんだし、どっかでメシ食おうよ」

そんな茉莉の感情も知らず、有賀は当然というように誘ってきた。


「ええ? 有賀君、用事あるんじゃないの」

クリスマスイブに、彼がデートする相手がいないなんて考えられなかった。

「用事があったら誘うかよ。お、席空いた、座れ」

ちょうど有賀の前に座っていた乗客が、赤いクリスマスケーキの箱を抱えて立ち上がったのを見て言った。


「あ、ありがとう、荷物持とうか」

茉莉は礼を言って座席に座り、有賀が持っていた紙袋を受け取った。


「で、どこで食おうか、終点まで行ってもいいけど」

「それは悪いよ。松戸で下りてもいいけど」

「うーん、それじゃ、オレの方が悪い気になるな、じゃ中間で、柏か、我孫子まで行くか」

「それなら、柏の方がお店選びやすいかな。我孫子駅は降りたことないから、よくわからないし」

「承知。じゃ柏で。駅まわりに何かあるだろう」

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