【発売前大量試し読み】追放された聖女ですが、どうやら私が本物です 前世薬師は“癒し”の薬で救いたい！／さくら青嵐

一章①

　聖女を解任されてから十日後、エミリアはホーロウに向かって出発すべく、神（しん）殿（でん）の馬車廻（まわ）しにいた。

　革製の鞄（かばん）の持ち手を握り、すぐ側（そば）に立つ王太子妃（ひ）アンとシエナを交（こう）互（ご）に見る。

「王太子妃殿（でん）下（か）。いままで、本当にありがとうございました」

　ぺこりと頭を下げた。

　エミリアが聖女として王都で暮らしている間、いつも気（き）遣（づか）ってくれたのは王太子妃アンだった。

　いずれ、メイソンと正式に結（けつ）婚（こん）したら義（ぎ）姉（きよ）妹（うだい）になるから、仲良くしてね、とアンの方から声をかけてくれたことを、今でも鮮（せん）明（めい）に覚えている。

　エミリアが聖女としての能力を発揮できず、苦しい立場にある時も、社交の場では彼女が盾（たて）となって守ってくれていた。

　今日とて、忙（いそが）しい身だというのに公務の間を縫（ぬ）って見送りに来てくれたらしい。

　結局義理の姉妹ということにはならなかったが、エミリアにとってアンは、頼れる姉のような存在だった。

「本当に……。なんと言えばよいのか……。わたくしに何かできればよかったのだけれど」

　困（こん）惑（わく）しているのはアンだ。日（ひ）傘（がさ）を持たせている侍（じ）女（じよ）に視線を走らせると、年（とし）嵩（かさ）の侍女も不満そうな顔で頷（うなず）いた。

「そんな……。私の方こそ、なんの力も発揮できず……。すみませんでした」

　曇（くも）った表情のふたりとは裏腹に、エミリアは存外、晴れ晴れとしていた。

　前世の記憶が戻り、それが次第に現在の自分に馴（な）染（じ）むことによって、心や身体の欠片（かけら）が埋（う）まったような充（じゆう）足（そく）感があった。

　ひっそりと神殿を出ることに、寂（さび）しさも侘（わび）しさもない。

　聖女ではない、と上級神官たちの前で明言されたことに辛（つら）さや悲しさはあったが、それを上回る解放感が、エミリアの全身に満ちていた。

「どこに行っても、あなたはわたくしの可（か）愛（わい）い妹です」

　目を見てはっきりと言われ、不意にエミリアは涙（なみだ）ぐみそうになる。

　自分だけが〝姉〟だと慕（した）っていたわけではなかった。

「妃殿下……」

　呟（つぶや）く声が潤（うる）む。

　アンが手を伸（の）ばしてくるので、エミリアは慌てて再び鞄を地面に下ろし、失礼にならない程度に彼女に近づいた。

　アンと軽く抱（ほう）擁（よう）を交わすと、彼女からふわりと懐（なつ）かしいポプリの香（かお）りがする。

「妃殿下、この香り……」

　身を離（はな）して見上げる。瘦（そう）身（しん）で背の高いアンはエミリアを見つめて柔（にゆう）和（わ）に微笑んだ。

「あなたがいつもわたくしのために作ってくれたポプリです」

　王太子妃の片頭痛は、宮廷で知らぬものはいない。それほどに悩（なや）まされ、苦しんでいた。エミリアは、彼女のためにせめて何かできないか、と毎朝フェアリージュ神に祈（いの）るとともに、庭園で育てていたハーブや植物を使って、ポプリを作ったのだ。

　当時は薬剤師としての知識はなかったが、イルリア王国には代々受（う）け継（つ）がれてきたハーブの活用方法があった。

　瘴気を吸い込んで被（ひ）害（がい）に遭（あ）った都民や貴族たちに対し、神殿は施（せ）療（りよう）院で対処にあたっていた。ハーブはそこで活用されているのだ。

『〝癒（いや）しの力〟は、感情の起（き）伏（ふく）によって発現することがあります。神殿の中ばかりにいるのではなく、施療院に行って患（かん）者（じや）たちに会ってみますか？』

　神官に促（うなが）され、エミリアは足しげく施療院に通ったのだが、残念ながら力が目覚めることはなかった。

　だが、瘴（しよう）気（き）に苦しむ患者たちの力になりたい、と、その後も通うことを止（や）めず、神官が扱（あつか）うハーブを覚えたり、治（ち）療（りよう）の順番を辛（しん）抱（ぼう）強（づよ）く待つ患者たちを励（はげ）ましたり、と、自分にできることをやり続けた。

『そんなことよりも、早く〝癒しの力〟を発揮していただきたいものだ』

　神官たちがこれ見よがしに言うことも、しばしばだったが、それでも通い続けたのは、エミリアを待ってくれる患者たちが居たからだ。

『あの……。このお薬は、いったいどのようなもので、いつ飲むのでしょうか』

　施療院では身分を隠（かく）していたため、患者たちはエミリアのことを医官の見習いだと思っている者がたくさんいた。そういった患者たちは、治療はしてくれるが、横（おう）柄（へい）で高（こう）慢（まん）な態度の神官たちに質問ができず、渡（わた）されたハーブの効能を尋（たず）ねるために、エミリアのところにやってきていたのだ。

　エミリアは自分がわかる範（はん）囲（い）で説明をし、患者が不安に思うことに耳を傾（かたむ）け続けた。調合が違うのでは、と思うときは、冷（ひ）や汗（あせ）をかきながらも神官に意見をしたりもした。

　結局、瘴気に対する癒しの力を発揮することはできなかったが、瘴気で怪（け）我（が）を負った人間に対してなんらかの治療ができないだろうか、とは常々考えていた。瘴気を吸い込んだ人間が呼吸器系に影（えい）響（きよう）を受けることは一（いち）目（もく）瞭（りよう）然（ぜん）だ。そこにアプローチができないだろうか。

　庭園を借りて多種多様な植物を育てていたのも、そのためだった。

　その努力が実ることはなかったが、アンの役に立てたのなら、無（む）駄（だ）ではなかった。

「ホーロウに移っても、ポプリを作ってお送りしますね」

　エミリアの言葉に、アンは深く頷いた。

「わたくしも手紙を書きます」

　アンに丁重に礼をすると、エミリアは視線を数歩後ろに控（ひか）えているシエナに向けた。

　目が合うと、紫（むらさき）色（いろ）の瞳（ひとみ）に涙を浮（う）かべて駆（か）け寄ってきた。

「本当に……。このようなことになってなんと言えばいいのか……」

　陽（ひ）の下で見ると、透（す）けるような白銀の髪（かみ）だ。頬（ほお）を染め、長い睫（まつげ）に涙の粒（つぶ）を散らすさまは、まるで彫（ちよう）像（ぞう）のような美しささえある。

　その潤んだ瞳で見つめられ、エミリアは内心たじろいだ。

　苦手意識と言うよりも、劣（れつ）等（とう）感を感じてしまう。

　外見も、能力も、身のこなしも。いずれにおいても、到（とう）底（てい）及（およ）ばないほど、彼女は完（かん）璧（ぺき）な「聖女」に見えた。

「……どうか、お気になさらないでください」

　エミリアは首を横に振（ふ）る。そうしてさりげなく、彼女を視界から外した。

「シエナ嬢（じよう）の尊いお力で、どうぞ国をよき方向に……」

「エミリア様は、本当に立派な聖女様でしたわ」

　彼女の背が高いからだろう。シエナはエミリアの手を握（にぎ）り、わずかに膝（ひざ）を曲げてみせた。

「でしたわ、ね。あっさり過去形か」

　聞きなれた低音に、エミリアだけではなく、その場にいた全員が声の主を見る。

「あれ。ローガン」

　口から驚（おどろ）いた声が出たが、なによりシエナとの会話に割って入ってくれたことに、ほっとした。

「ローガン卿（きよう）、どうしてここに……。あら、あなた……」

　アンが両手を合わせて華（はな）やいだ声を上げる。

「よかった。エミリアに付（つ）き添（そ）ってくれるのですね」

「はあ!?」

　王太子妃の前だというのに、素（す）っ頓（とん）狂（きよう）な声が口から飛び出した。

　確かに、馬の手（た）綱（づな）を引いて現れたローガンはいつもの青竜騎士団の隊服ではなく、マントを羽織り、旅装をしている。鞍（くら）にもいくつか荷物がくくりつけられている。

「いえいえ、妃殿下。私はひとりで行きますから」

　慌（あわ）てて首と手を反対方向にぶんぶんと振るのだが、馬の手綱を馭（ぎよ）者（しや）に渡してローガンが近づいて来る。

「しばらくホーロウにいます。王太子殿（でん）下（か）にもよろしくお伝えください」

「はあああああ!?」

　大声を張り上げると、うるさい、とばかりに顔をしかめられた。

「あんた一人を行かせられんだろう。一（いつ）緒（しよ）について行ってやる」

「なに、その保護者発言！　必要ありませんっ！　ひとりで行けるからっ」

「何を言っているの、エミリア」

　激しく拒（きよ）否（ひ）をしていたら、ぴしゃりとアンに𠮟（しか）られた。

「ローガン卿に同行していただきなさい。なにかあってからでは遅（おそ）いのですよ？」

「いえ、本当にっ。なにもありませんからっ」

　そう。自分は舞（ぶ）台（たい）から退場する〝偽（にせ）聖女〟なのだ。自分にまつわることは何も起こるはずがない。

「というか、青竜騎士団はどうするの!?　団長不在じゃまずいでしょう!?」

「辞（や）めた。引き継ぎも終わっている」

「はあああああ!?」

　あんぐりと口を開いたまま彼を見つめる。なるほど、だから隊服ではないのだ。

「ローガン卿。わたくしのエミリアをよろしく頼（たの）みます」

　もはや母親のような立場で訴（うつた）えるアンに、我に返った。アンには自分がよほど頼（たよ）りなく見えるらしい。ローガンと目が合うと、にやりと笑われた。

「まあ、どちらの社会的信用が上か、ということだな」

「は、……、腹立つ……。なに、こいつ」

「思っていることが口から駄（だ）々（だ）漏（も）れのようだが、こういう時は、なんと言うんだ」

　顎（あご）を上げ、目をすがめて睨（にら）まれる。いやだ、絶対に言いたくない、と唇（くちびる）を引き絞（しぼ）っていると、「これっ」とアンにまた𠮟られた。

「お願いします、とおっしゃい、エミリアっ」

「………………お、ね、がい、し、ま、す」

　歯ぎしりしながらローガンを睨みつけると、腕（うで）を組んで鼻を鳴らされた。

「仕方ない、お願いされてやろう。さっさと馬車に乗れ」

　言うなり、背を向けて馬車に近づく。

「あの……、お荷物を」

　背中を蹴（け）りつけてやろうかと思っていたら、鈴（すず）が転がるような声がすぐ間近でした。

　シエナだ。

　地面に置きっぱなしにしていた革（かわ）鞄（かばん）を両手で持ち上げようとしてくれているらしい。前かがみになり、彼女の大きく開いたデコルテがエミリアの視界に入る。

　同性とはいえ、なんとなく目を逸（そ）らそうとしたのだが、光がちかり、と反射して動きを止める。

（きれいなペンダント……）

　ドレスの胸元にしまわれているペンダントトップが、こぼれ出ようとしている。幾（き）何（か）学（がく）的な模様が描（えが）かれた、大ぶりの翡（ひ）翠（すい）だ。

　だがそれは、彼女が革鞄を持ち、背を伸（の）ばすことであっさりとエミリアの視界から消えてしまった。

　にっこりと微笑（ほほえ）んで差し出された鞄を受け取ろうとしたら、背後からローガンが手を伸ばして、がっつりと鞄を掴（つか）んだ。

「行くぞ」

　シエナには目もくれず、ローガンは空（あ）いた方の手でエミリアの背を押す。

「あ。……ありがとうございます。それでは、あの。皆（みな）さまお元気で」

　なんとも締（し）まりのない別れの挨（あい）拶（さつ）を口にしながら、ローガンに促（うなが）されるまま、馬車に乗り込んだ。

「出してくれ」

　布張りの椅（い）子（す）に座ると、ローガンの声が聞こえる。彼は騎乗なのだろうと思っていたら、長身を折るようにして向かいの席に座るから驚く。

「え!?　ローガンは馬じゃないの？」

「馬は並走させる。ほら、手を振れ」

　言われて馬車の窓を見ると、アンとシエナが手を振っていた。エミリアは思わず中（ちゆ）腰（うごし）になり、必死に手を振り返す。

「妃（ひ）殿（でん）下（か）だけでいい。となりの女に振るな」

「うるさいなぁ、もう。いいじゃない」

　馬車廻（まわ）しを過ぎると、ふたりの姿は見えなくなった。エミリアは椅子に座りなおし、対角に座るローガンを上（うわ）目（め）遣（づか）いに見る。

（……なんで、青竜騎士団を辞めてまでついて来てくれるんだろう……）

　ローガンは長い脚（あし）を組み、背もたれに上半身を預けて、一路教会領ホーロウに向かう車窓を眺（なが）めていた。旅装とはいえ、教会騎士としての身分を表す軍服と剣（けん）はつけている。

　そういえば彼は今まで、どんな気持ちで自分の側（そば）にいたのだろう。そんなことを考えた。

　聖女のための騎士団、青竜騎士団団長だというのに、その聖女は、一言でいえばポンコツ。

　さぞかし、守りがいもなく、仕事に対しての失望感も強かったに違（ちが）いない。「こんなはずじゃなかった」。きっとそう考えていただろうに、記（き）憶（おく）をたどっても、彼がエミリアを邪（じや）険（けん）に扱（あつか）ったり、軽んじたりする様子はなかった。

（……まあ、口は悪いけど……。意地悪ではなかったわね）

　内心で小首を傾（かし）げる。

　では、彼は、自分をどうとらえていたのだろう、と。

「なに」

　目線を窓に向けたまま、ぶっきらぼうな声が飛んできた。

「ねえ。今すぐ扉（とびら）を開けて、馬車を降りて」

「俺を殺す気か」

「違うわよ。あなたを巻き込みたくないの。ねぇ、そもそも、どうしてついて来てくれるの？」

　エミリアは身を乗り出した。ローガンは相変わらずこちらを見ようともしない。

「あなたから見れば私は随（ずい）分（ぶん）と頼りないんでしょうけど、自分のことぐらいなんとかするわよ。だから、あなたは青竜騎士団の団長に戻（もど）って。何も王都を離（はな）れることはないわ」

　ローガンは、それでもしばらく黙（だま）っていたものの、ため息をひとつ吐（は）くと、ようやくエミリアに顔を向けた。

「あんたみたいな、貴族のお嬢（じよう）ちゃんが田舎（いなか）でひとり、暮らせるもんか。三日で野垂れ死ぬぞ」

「一人暮らしぐらいできるわよ」

「現地で使用人を雇（やと）うとしても、あんたみたいに見る目のない女。ごっそり金を盗（ぬす）まれておしまいだ」

「見る目がないって……。だいたい、使用人なんて雇わなくても、私ひとりでどうにかなるし」

　む、と口をへの字に曲げる。ゴトゴトと揺（ゆ）れる馬車の中、ローガンを睨みつけた。これでも前世では、大学生時代に両親の元を離れて六年間、一人で生活したのだ。

「あんたが？」

　訝（いぶか）しげにじろじろと見てくるが、エミリアは胸を張って大きく頷（うなず）いた。

「竈（かまど）を使えるのか？　薪（まき）は？　水（みず）汲（く）みなんてどうする気だ」

「か、竈……？　薪？」

　そうだ、と愕（がく）然（ぜん）とする。

　電気どころか水道もないのだ。スイッチを押せばガスが点火するわけでもない。

「それに、一人で行くとさっきから言っているが、あんた、馬に乗れるのか？　馬車は途（と）中（ちゆう）までしか乗り入れられんぞ、道（みち）幅（はば）が狭（せま）くて」

「う、ま……」

「よしんば、鞍（くら）にしがみついてなんとか乗れたとしても、夜（や）盗（とう）に襲（おそ）われたらどうするつもりだ。あんたみたいなひょろひょろの娘（むすめ）が夜道を歩いていたら……。まあ、どうなるか想像つくだろ」

　ぱくぱくと、口を開閉していると、視線の先で、ローガンがにやりと笑う。

「俺は公（こう）爵（しやく）の息（むす）子（こ）だが、野戦訓練で何度も野宿したことがあるし、あんたより力はあるつもりだが」

　どうする、と首を傾げ、もったいぶった態度でエミリアの返事を待っている。

（しまった……。そうか。移動手段とか警備とか考えてなかったな……）

　もちろん、それら一切をメイソンに頼（たの）んでもいいのだろうが、薬局開設にまつわる備品をお願いした上に、さらに費用負担を申し出るのは気が引ける。

　エミリアは上目遣いにローガンを見た。

「……げ、現地で……、家事を任せられるいい人を見つけるまでは、よろしくお願いします……」

「おう」

　横（おう）柄（へい）に頷き、またそっぽを向く。

（でも……。早急にローガンには王都に戻ってもらおう）

　自分のせいで、ローガンの人生が歪（ゆが）むのは阻（そ）止（し）せねば。

　彼は自分と違って、居場所がある。誰（だれ）からも求められ、信（しん）頼（らい）されている存在だ。

　エミリアのせいでその役割を失ってはいけない。

（あれ……。でも、なんか私、はぐらかされた……？）

　ふと、首を傾げる。そういえば、彼は『どうして私について来るのか』ということについては、明確に答えていないような。

「なあ」

　流れ行く窓の外の景色を眺めてそんなことを考えていたら、またローガンが声をかけてきた。

「なに」

「あんた、いいのか？」

　組んだ脚に頬（ほお）杖（づえ）をつき、やっぱりローガンの顔は窓に向けられていた。

「いいって、なにが」

「メイソン王子のことだよ。婚（こん）約（やく）者だったんだろ？　あの女に譲（ゆず）っていいのか」

「譲るもなにも……」

　口から乾（かわ）いた笑い声が漏（も）れた。

「メイソン殿（でん）下（か）のお相手は、聖女だもの。シエナ嬢がふさわしいのよ」

「……なるほど」

　ローガンはぼそりと呟（つぶや）いたきり、次の休（きゆう）憩（けい）まで特に何も話すことはなかった。