第十五話 お仕事の時間

 王宮内の見慣れた一室、その大きな扉の前で待っておくよう老執事から伝えられたディアはこれから本当に自分が王女の護衛として任務を遂行するのだと改めて感じ、久しくしていなかった緊張を思い出す。

 髪が崩れていないか、服に埃は着いていないか一応のため内ポケットに忍び込ませておいた手鏡で一通り確認していると、部屋のなかから声が聞こえてくる。


「ライリア、いいわね? 今日は貴方にとっても国にとっても大事な日なの。昨日のような恥ずかしい姿を見せないこと、それから他の子たちと交流を図ることを忘れないように」

「わかっているわ、お母様」


 大人しく言葉を返す王女の声にディアはこの様子なら力まず、冷静に彼女の行動を把握しておけそうだと一安心。

 さすがの彼女も母の顔に泥を塗るわけにはいかないということだ。


「ディア、入ってきて頂戴」

「ハッ! 失礼いたします!」


 王妃の声に反応してまだ姿を見られているわけでもないのに姿勢を正し、はっきりと聞こえるよう声を出す。騎士団に属している者として、自然とこうなってしまうのだろう。仕事柄致し方ない。

 彼は扉を開け、足を踏み入れ、扉を静かに閉める。そして、手を腹の前で組んで立つ。

 いつもの雑務を頼む時とは違い、髭をそり、肌のテカリを抑えて格好を整えている彼に満足気な王妃は近付いていき、服装はもちろんのこと香りもチェックしていく。


「…………」


 人から長くジロジロと見つめられる経験など大会にて優勝した日以来、つまり二十五年ぶりの出来事なわけで、どうにも慣れず幾度か眉を動かしたり、瞬きをしたり、自分の意識を他に向けることに注力していた彼は王妃が離れた瞬間、静かに息を吐いた。


「ふふっ、気を張るのは悪いことではないけれど、そこまでしなくていいのよ。貴方の緊張が周囲に伝染してしまってもよくないから」


 王妃の微笑みと気遣いに少々安らぎを与えられ、彼は表情を崩す。

 実際、今回のパーティー自体は交流会という名目ではあるのだから空気感で言えば実に和やかなものだ。そこにカチコチのロボットのような大男が来ても苦笑が起こるだけだろう。


「それと外見は十分問題ないと思うわ。職位や身分についても特に誰かに漏れているということはないから今日だけは近衛兵になったつもりでいなさい」

「ありがとうございます。ただ、お言葉ですが他の貴族の皆様にもそれぞれ近衛兵でなくとも護衛がついているでしょう。そちらの方に見覚えがないと勘付かれてしまう可能性も考えられるのでは?」


 その問いに任せなさいと王妃は胸を張る。


「そもそも誰も貴方にわざわざ近衛兵ですかなんて聞かないわよ。だって、それが当たり前なのだから。それにそういう固定観念は多少の疑念で覆るものではないし、貴方が怪しい行動さえしなければ何も問題なくてよ」


 自信に満ちた返答に彼は感心し、納得した。たしかにその通りだと。

 そこからは今日の大まかな流れや、その際に必要な行動の確認をして王宮から出ていく。使用人らに頭を下げられながら廊下を歩くというのはむず痒く、視線をキョロキョロとさせているところを王女に肘で小突かれハッとして見下ろした際、しっかりしなさいよと目で訴えられた。

 こんな子供に呆れられてどうするんだと自戒し、一度頭のなかをクリーンな状態にしたことで王宮からパーティー会場に着くまでの間は護衛として十分な働きを見せることに成功した。時折、話を振られればつまらなくならないよう返事をし、時には自らの失敗談を多少脚色して話し、場を盛り上げた。

 そうして到着したのは王宮を出てから小一時間のところにある、ホテルのような外観からその豪勢さが伝わってくるほど大きな建物の前だ。

 彼以外の護衛にあたっていた警備隊の者たちはその入り口やエントランスから支配人に案内された会場の扉の前で待機する。


「さあ、この扉の先ではもう他の方々がお待ちになられているわけだけど、準備はいい?」


 まるで娘を気遣うかのように王妃は振り向いて問うたが、その対象は彼で間違いない。


「いつでもどうぞ」


 真っ直ぐ届いたその返事に王妃は小さく頷き、支配人に開けて頂戴と伝える。

 そうして、彼ともう一人のスタッフにより開けられていく所々に金箔の散りばめられた赤い扉の隙間からシャッターが切られたような輝きが彼の目を襲う。


 一瞬それに瞼を閉じさせられた彼は怯んではいけないとすぐに持ち上げた。

 そうして映しだされる光景は煌びやかな装飾に身を纏う貴族らと多少なりの遊びは見られるものの固い雰囲気を持つ護衛らが皆、待ちわびていたと言わんばかりに立ったままこちらを見つめている、そんな普段は感じ得ない敬意に満ち溢れたものだった。

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