第2話 ラッセルとその妻アリエルちゃん



 ラッセルに拉致されて1ヶ月。


 ラッセルはなんと言うか、俺様何様国王様を地でいく、まさに権力者といった男だった。


 いつも偉そうだし、だからこそ、周りは皆、彼を腫物として扱う。

 それはそうだろう、ちょっと気に入った、くらいで女を攫って妻にするのでは、視界に入るのも恐怖だわ。


「ラッセルって馬鹿なの?」

「馬鹿とはなんだ、俺のことは愛称で呼べ」

「命令しないと愛称で呼んでもらえないとか、恥ずかしくないの」


 冷めた目でお茶を飲む私に、ラッセルは机に突っ伏して、体の痛みに耐えていた。


 こいつは毎日、私のティータイムに現れては1時間しっかりお茶と会話を満喫して去っていく。

 最初は仰々しくお供を大量に連れていたので、「沢山つれてくるな、うっとうしい!」と言うと、今度は二人か三人で現れるようになった。しかも専門の毒見役も置いてきたみたいだったから、毒味くらいはしてやるかと、カップに一度口をつけてから、それを差し出したら、それを見たラッセルは「間接キス!」と喜んでしまったらしい。その結果、私の結界により電撃の天誅を喰らってしまっていた。こいつは馬鹿だ。いや、阿呆かも。


 ちなみにこの結界、私に接触しなくても発動するのだ。

 初夜の時、触れなくても見るだけなら……と、侍女たちに命令して私の服を脱がせようとしたラッセルは、見事に電撃を浴びて失神していた。村の皆、ありがとう。そしてラッセル、この大馬鹿野郎。



 それでもめげないラッセルは、毎日こうして私に会いにくる。食事の時間に来ないのは、正妃である王妃様と食事を取るから。

 そうそう、この最低男、なんと私を迎える前から妻がいるのである。しかも、男の子を一人設けていて、その子がなんとまだ3歳。最低すぎないか? 王妃様、可哀想。


 そんなことを思っていたら、ある時期から食事に毒が盛られるようになった。


 おい、国王ぅ?


「お、俺じゃない! 俺に靡かない腹いせをするにしても、殺したりしない!」


 詰め寄ってみたけれども、犯人はわかっているのだ。

 王妃だ。


 ムカプンの私は、王妃の部屋に突撃した。


「両手を上げて口を閉じなさい! ほらほら、逆らって無事でいられると思うんじゃないわよー!」


 先日うちの村に異世界から落ちてきた『はりうっどえいが』なるものを参考に、頑張って下卑た笑いを浮かべながら、自室のティータイム中だった王妃に杖をつきつける。


 急に室内に現れた私に、王妃も周りの侍女達も石像のように固まっていた。護衛は扉の外のようだ。らっきー。


「ほらほら可愛いお嬢ちゃん。どうしてこういうことをしたのか、お姉さんに言ってごらん?」


 私は毒が染み込んだお茶の葉を、パラパラと座る彼女のスカートに落とす。

 若干の震えを隠しながら、毅然とこちらを見上げる赤毛でグリーンな瞳の王妃は、お人形のように可愛かった。癖になりそうだ。


「なんのことか分かりかねます」

「んー? 犯人が誰かは割れてるのよ? ちゃんと録画つき」


 そう言って私は、王妃が私の暗殺を命じているシーンから毒入りのお茶の葉が私の元に届くまでの、ダイジェストな映像を壁に投射してみせる。


「まだ分かりかねるなら、国王と国民にも見せるけど」

「……魔法が、使えないはずでは」

「ん? ああ、私はね」


 私は精霊の友達を何人か呼ぶ。


「この子達は別に、魔法を封じられてないし」

「……」


 ぎり、と歯を食いしばった王妃は、もはや敵意を隠すつもりはないのだろう、私を睨みつけた。


「私をどうするつもりですか」

「別にどうも」

「私はあなたを、殺そうとしたのに?」


 んー、と私は考えた後、両手を合わせた。


「いいこと思いついた。週に1回、お茶会しましょ」

「……え?」

「15時のは、あの胸糞最低男が毎日来てるからだめね。10時のティータイムに、週1で私のところにいらっしゃい。それで手を打ってあげる。目一杯おしゃれしてきて!」

「………………え?」

「じゃ、待ってるから!」


 そう言って、私は姿を消す。

 実は、姿を消しただけで、転移魔法ではない。早くドアを開けてくれないかなと思いながら、部屋の隅で待っているのだ。


「…………え?」


 私がいなくなった後も、王妃――赤毛がチャーミングなアリエルちゃんは、しばらく呆然としていた。

 そんなにびっくりしなくていいのに、おねーさんショックだわ。




 そんなこんなで、私は毎日、10時にアリエルちゃんと、15時にくそラッセルと、お茶をしていた。

 アリエルちゃんとは週一のはずだって?

 そのはずだったんだけど、あの子、呼ばなくても毎日来るんだもの。


「お姉様、今日のお菓子はなんですか?」

「私お手製のスフレよ」

「嬉しい! スフレってことは、あの馬鹿男は食べられないのね」

「スフレは時間が命だものね。午後に別途焼く予定は当然ないから、私達だけのものよ」


 そういいながら、口が汚くなってしまったアリエルちゃんを窘める。


「だってお姉様、あんなやつ、尊敬に値しないわ」


 アリエルちゃんがラッセルを見限ったのには訳があるのだ。


 私がアリエルちゃんをお茶に誘ったのは、アリエルちゃんと仲良くなるためだ。

 仲良くなりたかったのは、日々を穏やかに過ごしたいという理由の他に、もう一つ理由がある。この、破産者の腕輪の鍵を入手して、外してもらいたかったのだ。

 他の人なら罰を受けるかもしれないが、妻であり、一人息子の母であるアリエルちゃんが、手ずから私の鍵を外したのであれば、ラッセルも文句は言えないだろう。

 そう思った私は、アリエルちゃんの警戒が解かれた頃に、私の鍵を外してくれるようお願いしたのだ。


「アリエルちゃん、お願い」

「でも……」

「外れたら、すぐ出ていくから。その方が、アリエルちゃんとしても安心でしょう?」


 なんだかんだ、アリエルちゃんはラッセルのことが好きだし、息子の将来的にも、私がラッセルの寵愛を一身に受けている現状を憂えている。

 だから、私のお願いに最終的には折れてくれて、ラッセルの部屋から盗ってきた鍵を私に渡してくれたのだ。


「アリエルちゃん、ありがとう!」

「私のためでもありますから」


 そう言って憂鬱そうな顔をしたアリエルちゃんが、私の腕輪に鍵を当てる。

 鍵についている宝玉が光って、文字が浮かんできた。


「ん? 解除の条件を満たしていない?」

「ここを押すと、条件が見られるみたいです」

「ふーん。じゃあ押してみて」

「はい」


 女二人で、鍵の宝玉を覗き込む。


 覗き込む。



 覗き……。



「えっ……気持ち悪い」



 アリエルちゃんの恋心が砕ける音がした。


 鍵の宝玉に浮かび上がった言葉は次のとおり。


『乙女の間は鍵は開かない』


「…………」

「…………」


 あいつ、マジ最低だわ。

 何なんだ、私が今まで全然モテなかったことまで赤裸々になってしまったじゃないか。

 はっ、違うわ。モテなかったんじゃない。今まで恋愛とかしたことなくて、好きになった人すらいないもの。モテなかったんじゃなくて、運命のいたずら。私の気持ちが揺れるような相手と、出会ったことがなかっただけ……。


 羞恥と怒りで顔を真っ赤にして黙り込んでいる私に、アリエルちゃんが問いかけてくる。


「サンドラ様、初夜は?」

「……」

「何もなかったのですか」

「……」

「今後も何もない予定ですか?」

「もちろんよ……ていうか、私の結界のこと、知らされてないの?」


 アリエルちゃんはパチクリと目を瞬く。

 どうやらあの変態は、結界に阻まれて私に指一本触れられていないことを、アリエルちゃんに隠していたらしい。なんなのだ、男の沽券ってやつか?


 私から真相を聞いたアリエルちゃんは、ポツリと呟いた。


「じゃあ、世継ぎはこれまでもこれからも、私のリチャードだけ?」


 言外に、私が今後一生ラッセルに惚れることはないと言っているアリエルちゃん。なかなかにラッセルへの評価が厳しい。

 ともあれ、それを否定する要素はないので、私は頷いた。


「私があの変態を好きになる可能性はなかったし、この鍵の文字を見てさらにその事実は強固なものになったから、そのとおりだと思うわ」


 私の言葉に、アリエルちゃんは何かを計算するかのように考え込んでいる。


 ……なんだか、このまま考え込ませて、結論を出させてしまってはいけない予感がする。ど、どうしようかしら。


 私の逡巡を知ってか知らずか、アリエルちゃんは、ぱっと顔を上げて私をみた。

 何か吹っ切れた、晴れやかな笑顔だ。


「お姉様」

「お姉様!?」

「諦めましょう。腕輪はこのままでいいと思います」


 いい訳あるか!


「お姉様は腕輪が外れたら、私に会いにきてはくれないでしょう?」

「え? ちょっとしたらまた会いにはくるわよ。友達だし」

「ちょっとってどのくらいですか?」

「うーん、20年くらいかなぁ」


 元々この大陸をぐるぐる巡ってから、一度実家の村に帰る予定だったのだ。そしてここに戻ってきたら、大体そのくらいの年月はかかるだろう。

 考え込んでいると、アリエルちゃんにそっと右手を握られた。うるうるお目目が扇情的で美しい。


「お姉様、旅に出るより先に、私の傍にいてください」

「え?」

「あんな変態と二人で残されるなんて、私、嫌です。それに、お姉様は派閥争いに関係がないし、私、お姉様とのお茶の時間が毎日の楽しみで……」


 私はアリエルちゃんに毒を盛られて以降、自分専用の台所を作って、自分でご飯もお菓子も作っている。材料は精霊に調達してもらっているから、私以外の王宮の人間の手を経ていないのだ。

 そもそも毒を盛られていたら私の精霊友達がすぐに気が付いてくれるので、そこまでする必要もないのだが、毒を盛るチャンスがないと見せつけるのも大切ということで、私は自炊を続けている。

 そんな安全安心の私の手料理を、私のタメ口トークを聞きながら食べるのが、殺伐とした王宮内でのアリエルちゃんの癒しなんだとか。それで最近、毎日来てたのか……。


「お姉様に好きな人ができるまででいいんです。ね、お願いお姉様」


 首を傾げておねだりするアリエルちゃんは最高に可愛い。人妻とは思えない。いや人妻だから、こんなにあざと可愛いのか。



 こうして私は敗北した。


 日がな毎日、王妃のアリエルちゃんと、国王のラッセルがお茶しに来る。

 それを、ゴシップ紙片手に、私が手料理でもてなす。


 10年、20年と経つと、段々、アリエルちゃんとラッセルは一緒に私のところにやってくるようになってきた。

 二人は好き放題に仕事の愚痴を言いながら、スッキリした顔で帰っていく。

 段々と年老いてくる彼らは、呼び捨てタメ口で接してくれる人に飢えているのだとか。ラッセルはともかく、アリエルちゃんまで変態の仲間入りをしたようで少し寂しい。



 40年ほどそれを続けていたら、ラッセルが倒れた。

 病気というよりは、寿命らしい。人間て60歳程度で死ぬの!? 早くない?


「馬鹿と変態は死なないと思ってたんだけど」

「君はいつまで経っても、口が減らない」


 嬉しそうにそんなことを言うラッセルは、もう寝たきりだ。もって後数日だろうと、医者も言っている。


「結局、私に触れるようにならなかったじゃないの」

「まだ猶予がある」

「まだ頑張る気なの!?」

「ラッセル様、最低ですね」


 私にそんなクズな返事をしているラッセルに、アリエルちゃんが相変わらず厳しいツッコミを入れている。何年経っても、その厳しさは変わらない。けれども、そこには段々と、温かい響きが含まれるようになってきていた。


 そんなこんなで今際の際、ラッセルの傍には、私とアリエルちゃんが控えていた。本人の要望で、同じ部屋にいるのは、私達二人だけだった。


「サンドラ」

「何よ」

「君を、愛している」


 私は目を瞬いた。

 初めてだ。この変態野郎は、初めてまともに、私に愛を囁いたのだ。こんな、最期の、ぎりぎりの駆け込みで!


「今更すぎるわ!」

「今なら、返事を聞かずに言い逃げできる」

「さ、最低」

「そうだな。君の前では……君とアリエルの前では、俺はただのクズ野郎だ……」


 心の底から楽しそうな笑顔に、私は本気で腹を立てる。

 言い逃げとはなんだ、権力を振り回して好き勝手しておいて、そんなヘタレが許されると思っているのか。


「ありがとう。君は本当に、いい友人だった」


 目から出た液体でぐちゃぐちゃになっている私の顔を眺めた後、ラッセルはアリエルちゃんに向き直った。


「アリエル」

「何ですか、クズ野郎」

「君も大概、最後まで手厳しい」

「あなたも最後まで変わりませんでしたね」

「おいおい、過去形でいうんじゃない。まだ俺には未来があるんだ」

「まだ頑張る気ですか」

 

 憎まれ口を叩くラッセルに、アリエルちゃんは呆れたようにそう口にする。

 けれども、その両手は、ラッセルの手を強く握りしめていた。


「アリエル、君を愛している」

「……」

「愛しているんだ。信じてもらえないかもしれないが……君はこんな不義理な俺に勿体無い、最高の妻だ」

「今更すぎます」

「そうだな。今更だ。……でも、間に合ってよかった」


 そう言うラッセルの目は、もう何も見ていない。


「二人がいてくれたから、本当に楽しかった。楽しい旅路だった。悔いは……」


 しばらく間があった。どうした。悔いがあるのか。


「いや、待て。悔いはある。悔いだらけだ。やっぱりサンドラを抱きたかった。子どもだって作りたかったし、アリエルとの子だって、あと3人ぐらい作りたかった。こんな友人の距離じゃなくて、蜜月的なベタベタした爛れた関係にしたかった。二人の俺に対する扱い、俺の自業自得とはいえ、ちょっとドライすぎだ。俺の努力次第で、もうちょっと、なんとかできたんじゃ」


 この腐れじーさんは、最後の最後に何を言ってるのだ。


「死にたくねぇ……」



 そう言って、ラッセルは死んだ。



 冗談じゃなく、死んだ。



 最低の最後だった。



「クソ野郎でしたね」



 ア、アリエルちゃん……。



 恐る恐るアリエルちゃんの顔を見ると、笑っていた。


 目からぼろぼろ涙を流しながら、それでも笑っていた。


「アリエルちゃん」

「お姉様ったら、お優しいのね。たかだかクズ野郎が死んだくらいで、そんなに泣いちゃって」

「今のアリエルちゃんに言われたくないわ」

「あら、私のは心の汗です。この何十年かを振り返ると、どうにも涙が出ちゃって」

「なら私も同じよ。とんでもない数十年だったわ」

「本当です。本当に、とんでも」


 そこから先は、続けることができなかったようだ。

 嗚咽を漏らすアリエルちゃんを、私はそっと抱きしめる。


 なんなんだ、ラッセルの馬鹿野郎は。最後まで自分だけ、平常運転とは何事だ。

 私は、私達はこんなに、動揺しているというのに。最後まで本当に、なんてずるい奴だ。


 それから私達は、思う存分、わんわん泣き続けた。




 アリエルちゃんは、ラッセルの後を追うように、それから1年後、静かに息を引き取った。


「私のことをちゃんづけで呼んでくれるのは、もうお姉様だけです」


 そう言って、シワがいっぱいになった可愛い笑顔で笑ってくれた彼女は、もう傍にいない。



 私は、窓の外を眺めながら、ふと思う。

 アリエルちゃんのおねだりを叶えるべく、ちょっとだけとはいえ傍にいてあげたというのに、そのお返しはとんだ酷いものだった。

 こんなに目が腫れあがって、こんなにご飯が美味しくなくて、こんなに胸が痛い。


 だけど不思議と、あの時ここを出ていかなくてよかったなとも思う。



 二人との時間は、自分で思っていたよりも、私の中で、とてもキラキラと輝いていた。

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