灰色の聖者達

春菊 甘藍

第一話、灰色の聖者

「ごめん、いい?」


 錆び付いたようなインターホンの音に起こされた深夜。ドアを開けると、昔好きだった幼馴染みがいた。片手には、血まみれの包丁。


「彼氏刺しちゃってさ、これ借りたままだったでしょ。ごめん」


「は?」


 状況を飲み込めていない僕を置き去りに、差し出されたのは一昔前の人気コミックの四巻。そういえば借したままだったっけ。僕の本棚には、四巻だけがが無かった。


「じゃあね」


「待って」


 立ち去る彼女の手を掴んだ時、僕の物語は始まったんだ。





 今、僕たちはファミレスにいる。


「なんか、高校の時思い出すね」


 そう言って彼女は笑う。

 髪は乱れ、化粧は無くすっぴん状態。口の端に切れたあと


 彼女が持っていた包丁はタオルで包んでビニールを上から被せている。そこら辺に捨てれるようなものではないだろう。


「良かったの? 犯罪の、もしかしたら殺人に協力することになるかもしれないんだよ?」


 部屋に来た彼女を呼び止め、服装を変えさせた。一端落ち着ける場所へということで、ファミレスに着たのが一時間前。店内は某ウイルス対策が施され、ひしめく座席はソーシャルディスタンスの為に閑散としている。


 話を聞いたところ、彼女は同居している彼氏を包丁で刺してしまったらしい。


 小・中・高と一緒だったが、中学以降疎遠になった。何でだったか、どうでもいいことだった気がする。高校生になってまた話すようになった。


 でも高校二年だった頃、彼女は突然いなくなった。噂では当時付き合っていた先輩の子供を妊娠したからだとうわさされていた。


「その……高校の時ってさ。何で学校やめたんだっけ?」


 傷つくと分かって居ながら、何故聞くのか。


「妊娠したからだよ」


 あっけからんと、何でも無いことかのように言う彼女。その目は僕を見ていない。窓の外、暗闇へと向けられる。


「こ、子供は……」


 今、僕たちは十九歳。

 彼女の子供はせいぜい二歳くらい、そして彼女は彼氏を刺してきたと言う。嫌な予感に言葉が詰まる。


「どう……したの?」


 ファミレスの店内は冷房が効きすぎている訳でも無いのに、寒い。


「死んだよ」


 冷たく、その言葉に感情が見えない。


「別に私が殺した訳じゃないよ」


「え?」


 胸の中に、安堵あんどが広がる。


「私の赤ちゃん、もともと体が弱くてね。容態が悪くなって救急車を呼んで……でも受け入れてくれる病院が無かったの」


「あっ……」


 思い当たる、半年前のニュース。

 緊急搬送された乳幼児を病院は受け入れることが出来なかった。某ウイルスの所為で逼迫ひっぱくした医療は限界を迎え、ついには救急搬送さえ受け入れる事ができなくなった。


「そうか……」


「前の旦那とはそれで別れてね」


 次の男が今の彼氏。

 日々の暴力に耐えかね、今回の事件が起った……


「これからどうしよっか?」


 どこか投げやりな彼女の態度。

 時計を見ると入店から小一時間が経っている。


「そろそろ、場所を移そう」


 一カ所に止まり続けるのはよくない。

 何故かこの状況に対して、自分は冷静に行動できている。


 殺人、少なくとも傷害事件を起こしている彼女をどう逃がすかしか頭には無かった。会計を済ませ、外に出る。


「……大丈夫、かな」


 人影無し。

 周囲に人影は無い。


「行こう」


 道路に出たその瞬間。

 路肩に止まっている大型車から人が出てくる。


「……まずい、逃げろ!!!」


「え」


 最初、大型車から降りてきたのは私服警官だと思っていた。でもすぐさまに彼らが取り出した拳銃に背筋が凍る。


「あっ」


 炭酸飲料を開けた時のような音がして、腹部に衝撃。手を当てると……


「うわぁ……」


 おびただしい量の血が出ている。


「■■ー!」


 遠くで、彼女が僕の名前を呼んでいる。ずっと、呼んで欲しかったなんて言ったら……言えてたらな。





 薄ぼんやりとした、光。


「……」


 痛みと言うより、かゆみに似た何かを腹の辺りに感じる。


「起きたか」


 取り戻した視界が一番最初に映したのは、椅子に縛られた彼女。次に治療されたのであろう、包帯の巻かれた僕自身の姿。


「ンンンー!」


 猿ぐつわを噛まされ、しゃべれ無い様子の彼女。


「クソが、刺しやがったんだからな。お前のせいでコイツは死ぬんだ。悲鳴を聞かせてやるよ」


 下卑げびた笑みを浮かべる男が目の前にいる。

 その腹にも治療の跡と思われるグルグルと巻かれた包帯。


 どこかの倉庫。

 錆び付いたトタンの屋根と壁。


「ッ……」


 体を動かそうとして、自分も縛られている事に気付く。彼女の彼氏とは、どうやらまともな部類ではなかったよう。警察より早くこちらを捕まえる手腕や銃といい、まともで無いことだけが確か。


 いびつな視界は、体に何らかの薬物を入れられた事を教えてくれる。


「いやぁ、こんな早く捕まえるとは。あんたに頼んで正解だったぜ、掃除屋」


「それは良かった」


 興味なさげに賛辞を受け取る男。

 顔には恐らくは刃物でついたと思われる傷、頬には|火傷《やけど)。


「すいません、溶かす薬品を調合するんで別室に行っててもらえますか?」


 傷だらけの男が手にしていた鞄から何かを取り出す。


「別にいいじゃねェか、コイツら溶かすんだろ。見せてくれよ」


「すいません、薬品が企業秘密ってやつでして」


 ごねる男に丁寧に説明して、別室に移っている。傷の男はため息をつくと、こちらへ歩いてくる。


「……君は関係ないんだろ?」


 まだ若い、僕と変わらないくらいの年齢の声。

 彼女にも、聞こえない暗いの小さな声で耳打ち。

 

「え?」


「君は、あの男を刺した訳でも無い。彼女を逃がすために、協力した。それだけだろ?」


 詰め寄るように、確認。


「はい……まぁ、そうです」


「君だけなら、逃がす事もできる……どうする?」


 その言葉を聞いて、一瞬揺れてしまった自分自身を僕は一生許せそうに無い。


「ふざけるな」


「……」


 男は、何の感情もない様な瞳でこちらを見る。


「僕はどうなったっていい……だから、彼女を逃がしてくれ」


 立場など、状況など関係無く。

 ただひたすらに、彼女の命をうことしか出来ない自分が情けなかった。


「ダメだ」


 酷く冷たい男の声は、


「仕事だからな」


 その苦しそうな表情を必死に隠しているかのようだった。


「おい、まだかよ!」


 倉庫の奥から、先程の男が出てくる。

 金髪に染められた髪に、高そうなアクセサリーで着飾った姿は下品そのもの。


「ぼさっとしてねェで、その男。早く溶かしちまえよ!」


「……女の方は始末しないんで?」


「あぁ、そうだよ。こいつ顔だけは良いからな。ソープにでも売れば、良い金になるぜ」


 彼女の髪を掴んで、男は乱暴に振り回す。


「てめえ!!!!」


 抑えていた感情が爆発する。飛び上がるようにして立とうして、拘束にはばまれる。


「がっ!」


 腹の傷が開いたのか、激痛まで走り始める。


「ハハハハ! 馬鹿じゃねェの? 何も出来る訳無いクセしてさぁ」


「ンー!!」


 嫌な音ばかりが聞こえる。

 意識が遠のきそうだ。


「……」


 傷の男は喋らない。


「いや、いっそ海外の変態金持ちに売るってのもアリだなぁ。知ってるか? 散々犯された女は使い物にならなくなったら、バラされて木に吊されるんだぜ」


 下品な、憎悪を催す笑い声を上げる男。

 あぁ、僕は何もできないのか……


 好きだった人も守れない。

 こんな糞溜めみたいな人生。


 彼女の泣く声が聞こえる。


 嫌だ。こんなとこで死ねない。

 彼女を泣かせたまま、死ねるものか!


「がァアァア」


 軋む体を無理矢理に起こす。


「チッ、さっさとくたばれよ」


 彼女から手を離した男が、ポケットから銃を出したその瞬間。


「火を、点してくれ」


 ただ一言。

 傷の男はつぶやいて、


「うわあああああああ!!」


 銃を持った男の手を切り飛ばしてしまった。傷の男が手にして居るのは、シンプルな黒いさやつかの日本刀。


「お前、掃除屋。何で?」


 一生懸命に傷口を押さえ、突如として裏切った掃除屋への質問。傷の男は答えもせずに、おもむろに先程鞄から出していた薬品を男へ掛ける。


「あああああああああああああああああああ!!!!」


 嗅いだことの無い異臭が部屋に充満する。男の皮膚は火であぶられたかのようにただれ続ける。


「……るのは、人の命」


 血走った目で、何かうわごとをつぶやき続ける傷の男。


「あ、あんた。何で?」


 状況が飲み込めない僕を置き去りに、傷の男は彼女の拘束を外していく。


「え……ありが、とう」


 僕の拘束も解くときに、


「彼女を、守ってやれ」


 まるで、言い聞かせる様にそう言った。


「あの……あんた名前は?」


 何で助けてくれたのか。何故僕たちを逃がすのか、聞きたいことは沢山ある。でも、足早に去る彼が答えてくれたのは、


道家堂馬みちいえどうま


 ただの名前。

 

 愛した人も守れずに、人を殺し、狂った。

 傷だらけの男の名前。


 雪のように白い心を抱きながら。

 人を殺したその手は黒く。


 故に酷く歪なその様は、灰色こそが相応しい。

 白にも黒にも成りきれない。


 限りなく、黒に近い灰色で。


 願うは他人の幸福を。

 その為ならばと、罪を背負った愚か者。その有りざまは、まるで聖者のようで。


 かつて煙草の灰にまみれた男を、無法者達はこう呼んだ。




『灰色の聖者』と。

 


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