6-6 手がかりと真実確定
「顔をお上げください、フレーデガル様」
イツカの声が辺りに満ちていた静寂をかき消す。
おそるおそる顔をあげたフレーデガルの目に映ったのは、怒りも恨みがましさも感じられない――穏やかな顔をしたイツカの顔だった。
わずかに目を見開いたフレーデガルの目の前で、イツカの口元が穏やかに弧を描く。まるで、不安に揺れるフレーデガルを少しでも安心させようとするかのように。
「今回のことはフレーデガル様が原因で引き起こされたわけではありません。わたしもフレーデガル様も、誰も予想できなかった不意の一撃によってもたらされた結果です」
フレーデガルも、そしてイツカも予想できなかった不意の一撃。
ということは、イツカは今回が何によって引き起こされたものなのか、大体予想がついているのだろうか。彼女の口ぶりは、まるで何によって攻撃されたのかわかっているようなものに感じられたから。
考えるフレーデガルの目の前で、イツカがさらに言葉を続ける。
「ですので、どうかご自分を責めないでください。このとおり、イツカ・クラマーズは少々復帰に時間がかかっただけで元気なのですから」
ね、と言いたげにイツカがわずかに首を傾げる。
三日間もの間、心に根付き続けた罪悪感は簡単には消えてくれそうにない。けれど、イツカ本人にそういってもらうことで、感じていた罪悪感がほんのわずかに薄れていく。
少しだけ救われたような気持ちが胸の中に広がり、フレーデガルはほうと息を吐いて苦笑を浮かべた。
「……すみません。ありがとうございます、イツカ様」
「ですから、フレーデガル様のせいではないと言っているのに」
添えられた謝罪の言葉に対し、イツカも苦笑いを浮かべた。
気にするなと彼女は言ってくれているが、完全に気にしないわけにはいかない――守りたいと胸の中で思っていた対象を、守ることができなかったのだから。
(……こんなことが、もう二度と起きないように)
今度こそ、自分が目の前にいる彼女を守らなくては。調査を依頼して、わざわざ遠く離れたこの地へ来てくれているのだから。
――フレーデガル・ネッセルローデという人物を恐れることなく、まっすぐに見つめてくれる相手なのだから。
「わたしは、わたし自身よりもフレーデガル様のほうが心配です。ぱっと見た印象ではお元気そうに見えますが……体調にお変わりはありませんか?」
そういって、イツカはこちらを心配するかのようにじっと見つめてくる。
自分のことよりもフレーデガルを優先して心配し、様子を伺う。イツカがこちらへ向けてくる優しさは嬉しく感じるが、彼女自身のことをないがしろにしていそうでもあり、見ていて少しだけ心配になるものがあった。
(……本当に、心優しいお方だ)
そもそも出会ったきっかけである夜会でも、何が見えていたのかわからないが初対面のフレーデガルに突然声をかけることができる人だ。
あのときは何を言われているのか理解できなかったが――今なら、おそらくこちらに何らかの手を貸そうとして声をかけてくれたのではないかと思える。全てフレーデガルの想像でしかないが、初対面の人間相手でもそこまでできる人だから、本当にイツカという少女は優しいのだろう。
見ていて、心配になってくるほどに。
「私は特に問題ありません。このとおり、違和感も体調不良も感じることなく、平穏に過ごしています」
「そうですか……よかったです、フレーデガル様がご無事で」
イツカがほっとしたように表情を緩め、口元にかすかな微笑みを浮かべる。
「もし、わたしだけでなくフレーデガル様も何らかの悪影響を受けていたら――と心配だったので。フレーデガル様は何事もないのなら、本当によかった。安心しました」
「悪影響……」
イツカがこぼした言葉を耳にした瞬間、ふ、と。
つい先ほどまで言葉を交わしていた相手の声がフレーデガルの耳の中でよみがえった。
『あのお方は……イツカ・クラマーズ様は、ネッセルローデ侯爵様を悩ませているものと近い存在を傍につけている可能性があります』
イツカとは異なる色彩と雰囲気を持つ相手の顔と声が、鮮明に呼び起こされていく。
『私はあの人こそがネッセルローデ侯爵様を苦しめている犯人なのではと思っています。あの人があなたと使用人の方々に悪影響を与えている相手ではないかと。ですから、どうか考え直してくださいませ』
膝の上に置かれた手が握りこぶしを作る。
フレーデガルを悩ませている一連の現象――その犯人がイツカなのだと、ヴィヴィアはそういっていた。
だが、はたして真実なのだろうか。仮に真実だとして、イツカとはあの夜会が初対面だ。害意を向けられる理由が思い当たらない。
それに何より、害意を向けている相手にここまで親切に接することができるだろうか――?
(……チェスロック様は、何か勘違いされているとしか思えない)
けれど、フレーデガルが知らないだけでイツカが何か隠しているのだろうか。
ヴィヴィアもまた、イツカと同じでフレーデガルを悩ませている現象に関する知識がある人物だ。イツカが彼女にしか見えない世界を見ているように、ヴィヴィアもまた、彼女にしか見えない何かに触れているのかもしれない。
そして、その『何か』がフレーデガルを悩ませている原因と関係しているのだとしたら?
イツカを信じる気持ちと、ヴィヴィアが口にしていた不安がぐるぐると頭の中を巡る。
二人のうち、どちらかが口にしていることが真実ではなく偽りなのだとしたら――そのとき、己はどうすればいいのだろう。
「……イツカ様、少々お尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「……? はい。わたしでお答えできることであれば、お答えしますが……」
きょとんとした顔をし、イツカが首を傾げる。
大きく息を吸い込んでは吐き出し、肺の中に溜まった空気を入れ替える。ただの深呼吸だけれど、何度か繰り返せばフレーデガルの心はほんの少しだけ落ち着きを取り戻した。
わずかな空白を置いたのち、フレーデガルはゆっくりと口を開いた。
「もしもの話ですので、気を悪くしないでください。……その、イツカ様ならどうするかをお聞きしてみたくて」
「わたしならどうするか……ですか」
「はい。もし、イツカ様が……私たちネッセルローデ領の人間を苦しめている犯人だとしたら、害意を向ける相手と親しくしますか? それとも、異なる方法を取りますか?」
紡いだ言葉は気を悪くする可能性が高い言葉だ。
それでも、フレーデガルはイツカに問いかけたかった。己の中にある疑惑の芽を摘み取るためにも。そして、今回の騒動の犯人を見つけ出すためにも。
特定の人間にしか見えていない世界を見つめているイツカの考えを参考にすれば、犯人がどのような思考で動くのかわかるかもしれない。それを参考にすれば、犯人を見つけ出す手がかりにもなるかもしれない。
調査を依頼したのはフレーデガルだが、このようなことが起きた以上、イツカに調査を任せきりにするのは悪手であるようにも思ったのだ。
「……そうですね、わたしなら――」
やや空白を置いたのち、イツカの唇が答えを紡ぎ出した。
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