第2幕 夢の劇場

 休日に先輩の舞台を見に行くことになった。

 バイト終わり、いつものように蛸部屋で着替えていると、「NO LIFE NO FUTURE」というしごく当たり前のことが書かれた長Tシャツを着た先輩が近づいてきて、右手を突き出し何かを見せてきてこう言ったのだ。

「これはなんでしょう」

「免罪符ですか」

「ふふ、なんでやねん。吉丸興業大劇場の無料チケットや」

 なんと。先輩自ら神の国へのチケットをくれるというのか。

「行きます。行かせてください。でもなんで」

「金ないゆーとったやろ? 行きたいとも言っとったし。こっちとしても来てほしいし」

 先輩は照れたように視線をそらした。

「お前の台本のおかげで、コントもやるようになったし」

「そんな。掛け合いパートはお二人主導だったじゃないですか。僕は園長の脚本にお二人がきちんと登場できるように案をちょっとねじ込んだだけです」

「それがおかげやっちゅうねん。芳賀は謙遜しぃやな」

 大きな瞳でのぞき込まれる。心臓が跳ねる。

「……先輩が褒めすぎなだけです」

「そうかぁ? そうでもないで。……とにかく、これは招待状や。来てくれたらファンサするからな!」

 たぶん召される。

 というわけで、ここは劇場1番ホール。テンポ良く段取りが進行していき、次が先輩の出番である。

 伝説的バンドの王道アップテンポソングが鳴り響く。出囃子に続き、二人が上手から小走りにやってきた。

「はいどーもぉ! 綿貫露店ですよろしくお願いしますぅ」

 ここで黄色い悲鳴が聞こえた。……ん? かまわず漫才が始まる。

「花田くん」

「なんですか瀬野さん」

「君はお化け屋敷に入ったことがあるか」

「お化け屋敷ぃ? そんなん子どもの頃しか入ったことないよ」

「古いッ!」

 ここで少し笑いが起こった。

「古いだぁ!? なにゆうてんの?」

「時代は大人の一人お化け屋敷」

「またなに? おひとり様流行りのなんか?」

「違うッ。これは修行僧のごとき精進の一環である」

「世界観いかついなぁ」

「ええか? 大の男が一人でお化け屋敷に入んねん。単純に一人はビビるし、それに「大の男が一人でお化け屋敷に入っていった」という事実も謎でけっこうキツイやろ。それに耐えてこそ一人前の人間といえるねん」

「お前の一人前の定義のほうが謎やけどな」

 笑い声。僕もふふっと笑ってしまった。

 話は一人お化け屋敷のシミュレーションに移っていく。花田さん演じる男が幽霊に脅かされて腰を抜かす。しばらく問答を続けるのだが、どうも幽霊は本物らしい……。という展開に。

 4分程度のネタだったが、見終わった後の満足感は深かった。舞台袖に帰るとき、先輩はちらりと僕を見て器用にウインクをした。僕は静かにときめいたが、僕の他にもきゅんときた人がいたらしい。少し歓声が上がった。……どうやら固定女性ファンがいるみたいだった。


 楽屋に呼ばれていたので、案内してもらって白い扉をノックする。

「どうぞー?」

「失礼しまーす」

 ドアノブを回して中に入ると、蛸部屋とは大違いの広々とした部屋。そこに複数の芸人さんが座っていたり、立って話したりしていた。

「おわ、なんかえらいしゅっとしたのが入ってきたで」

「背ぇ高いな兄ちゃん」

「……俺見ながら言うなや!」

 あまりのパワーに気圧されていると、「あんまいじったってくれるなや」と言いながら、奥から先輩が人を跨ぎつつつやってきた。

「おっ瀬野のツレか? お兄さんか何か?」

「ちゃう、バイト先の後輩や。前言ってた、遊園地の」

「あー! 瀬野が褒め倒してた! そうか〜この子ぉか」

 今度は視線を一斉に浴びて、僕は頭を下げた。

「瀬野さんがお世話になってます」

 どっと湧く一同。

「ええ後輩持ったなぁ瀬野」

「かわいい弟やん」

「家督継がせぇ」

「なんでやねん」

 しばらくもみくちゃにされた後、先輩はぱんと手を打った。

「よしよし、ほんなら俺ぁこの芳賀と一緒に帰るわ。お先に」

「なんや帰るの、寂しいな」

「そうか。外大騒ぎやから気ぃつけや」

「ありがとな」

 先輩に手を引かれて一気に心拍数が上がった僕は、やっとのことで振り返り、少し会釈をした。何人かが手を振って見送ってくれた。廊下に出、自然に手を離されると、触られていたところが熱を持っていた。

 そのまましばらく歩く。やがて「関係者出入口」と書かれたドアの前に着くと、先輩はがばりと振り返り、真剣な目で僕を見た。

「こっからちょっと大変やから。俺から離れたらアカンで」

「……どういうことですか?」

「見たらわかる。大丈夫、俺の背にくっついとったらええからな」

 もしかして、と思う間もなく扉が開かれる。途端に爆発する熱気。黄色い歓声。呼びかけ。間違いない、出待ちのファンだ。

「瀬野さーん!」

「握手してください!」

 色とりどりの華やいだ声が、僕を見てすっと収まった。

「誰ですかー?」

「瀬野さんの彼氏ぃ?」

 笑い声が少し起こる。先輩が小さく舌打ちしたのがはっきり聞こえた。

「あのな、初対面の人にそない失礼なこと言うたらあかん。この人は俺の友達や。大事にしたってな」

 すると女性たちはまたわあっと歓声を上げた。

「かっこいいね」

「ごめんね瀬野」

 差し出された色紙の2つ3つにサインをして、先輩は僕の手をとり、細い路地に入った。歓声が遠ざかる。

「はぁ〜〜すまんかった、芳賀」

「いや全然……瀬野さん、やっぱ女性人気すごいんすね」

「やっぱってなんや。そんなこと想定してたんか?」

「そりゃ、まぁ……」

「芸人にしちゃ、ってことでちょっとは騒がれてるんかもしれへんけど。……でも、俺としては別にアイドル人気はいらんねん」

「ぶれないですね」

「そりゃな。……でもなんか」

 瀬野さんはついと目をそらして言った。

「芳賀にそないなこと言われんの、嫌な気ぃする」

「え」

「……今はどうでもええねん、あんなん。これから町案内するんやから」

 そうなのだ。出番が終わったあと、僕は先輩に劇場周辺の行きつけの店を案内してもらうことになっていた。

「あ、の、そうですね……。よろしくお願いします」

 なにか核弾頭級のものを落とされた気がして、呂律が怪しくなった。えっと……つまりどういうことだ?

 再び手を引かれて、ラーメン屋に連れてこられた。その間、先輩は何事もなかったかのように喋りかけてくる。僕は応じながら、先輩の一挙一動に心臓を握られているような気がしていた。先輩。さっきの、どういう意味ですか。先輩。

「……教えてください」

「はぁ?」

 塩ラーメンを啜っていた先輩が、眉を逆ハの字にして僕を見た。やばい、心の声が漏れ出た。

「何をよ」

「いやだから、その……」

「何ぃ。はよ言うてみ」

「先輩はなんで塩ラーメンが好きなんですか」

「そんなしょーもない質問するために言ったんちゃうやろ」

 いまにも割り箸を横方向に割りかねない先輩のいらちに、僕は観念した。

「……さっき先輩が、僕が女性ファンのことを言ったとき……」

 途端に、先輩の顔が赤くなった。

「……なんでもないっ。ほら味噌ラーメン冷めるで! 脂固まるからさっさと食いっ!」

 しかもはぐらかされた。自分から訊いたくせに。

 もうここは押すしかないのかもしれない。

「先輩、ファンサ届きましたよ」

「……あ"ーー、あれは会場全体に……」

「ちゃんと目が合ったなって思いました。すごくどきどきした」

 先輩の箸が止まった。

「僕、先輩のことが好きなんです。たぶん、初めて会った時から。……僕のことを見抜いてくれた時から。あなたがいないと、もう僕は僕として存在できない」

 先輩は黙っている。

「秘めておくつもりでした。あなたに迷惑がかかると思って。でも今日の声援や、あなたの態度で気づいたんです。このままだと絶対後悔することになる。だから、どうか言わせてください。……僕と付き合ってくれませんか」

 不思議と鼓動は落ち着いていた。どこもかしこもしんとして、彼の返事をただ待っていた。

「……大変やで、芸人の恋人やるんは。散財するし、あっちこっちでオンナ作るし、基本的に自堕落な生活やし」

「え、でも瀬野さんそんな人じゃないですよね」

「……したことないけど」

「……じゃあなぜ自分のことのように話したんですか」

「……将来的になるかもしれへんし」

「そういう考えの人はそうならないですよ」

「……せやな」

 二の句が継げなくなった様子の先輩は、僕の手をおずおずととって「じゃあ、よろしく」と呟き耳まで赤く染めて下を向いた。

「先輩……」

「……あかん、酔うたわ」

 一滴も飲んでいないはずである。

「家まで帰れます?」

「なんて言うてほしいん」

「無理かも、って言ってほしいです」

「正直やな」

 先輩は控えめに笑った。

 涼しい夜風の中、僕は手を引かれて、先輩の家に行った。後は察してほしい。ただ、全ては溶けてしまったとだけ伝えておこう。

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