第18話 蛍宮での平和な日常


 「まだ怒ってんの」

 「怒ってない」


 結衣と流司はルイに与えられた家でもめていた。

 ルームシェアのような物で、大きな家に個室が五つ。ここを好きに使えと言ってくれたのだ。


 テーブルには流司と雛、メイリンが席に付いているが、結衣は一人そっぽを向いて離れたソファに座っている。

 何なんだよと流司は溜め息を吐いたが、メイリンと雛がきらんと目を輝かせた。


 「りゅーちゃん。これは良い傾向よ」

 「何がだよ」

 「嫉妬するというのは好意を抱いてるという事です。何とも思ってないなら怒りません」

 「そう。つまり結衣ちゃんはりゅーちゃんの事が」

 「雛!!メイリン!!」

 「あら、図星のようですね」


 にやにやと笑う二人は結衣の両隣に座りひそひそと話し始めた。


 「もうちょっと素直になった方が良いよ。中身はともかく顔イイから女が寄って来るのよ」

 「マルミューラド様はかなりの好物件なので求婚の絶えない方でした。顔は元より、あのグレディアース老の愛孫で頭脳明晰。女に現を抜かす事無く祖父を支える真摯な姿勢。引く手数多です」

 「だからなんだってのよ……」

 「だからさっさとくっついとかないと」

 「何でよ!」


 三人だけで盛り上がる女性陣の意図は流司には全く伝わっていなかった。

 凛が言っていた「浮気じゃないかな」というのを思い出し、流司は面倒だと言わんばかりに大きなため息を吐く。


 「浮気だったとしてもお前に関係無いだろ」


 ピキッ


 結衣にひびの入る音がした。

 そして同時に雛とメイリンが流司の頭を叩いた。


 「何だよ!」

 「りゅーちゃん、それアウト」

 「は?何が?」

 「関係無いはアウト。キスしといて関係無いはアウト」

 「は!?な、何でそんな事知って」

 「あのさ、ちゃんと好きだって言った?まさかキスしてオッケーとか思ってないでしょうね」

 「あり得ますね。ヴァーレンハイト皇国は口付けが婚姻の証になります」

 「ゲ。軽ッ」

 「うるせえな!そんなのいちいち言う事かよ!」

 「……メイリンさん。これ本気でこのレベルなんですかね」

 「女は待ってれば寄ってくる物だと思っているのかもしれません」


 まったく話が交わらず、メイリンと雛だけが楽しそうに盛り上がっていた。

 しかしその時、バアン、と扉を叩きつけるようにして誰かが入って来る。


 「しょーたんだよ~!おはよおはよ!」

 「凛だよ。おはよう」


 翔太は体当たりするように流司に飛びつき、流司は思わずうわ、と思わず叫んでしまう。

 けれど最初よりは気を許して慣れたようで、あはは、と笑えるようにはなっていた。だがその後ろで結衣のヒビが広がっている事には気付いていない。


 「もうちょっと静かに登場して下さいよ」

 「ナチュラルハイ!!」


 言っている意味が分からず流司はがくりと肩を落としたが、これが翔太らしいと分かっているので強くは言い返さない。

 けれどそれを見て震えたのは結衣で、そんな結衣を見て叫んだのは翔太だった。


 「あ!そこでメラメラしてるのは結衣ちゃんだね!?」

 「は!?何なんですか貴女!」

 「てことはそっちの日本人ちゃんがヒナちゃんでこっちがメイリンちゃんだあ!」


 翔太はがばっと結衣に抱き着いた。


 「ちょっと!何してるんですか翔太さん!!」

 「にゃー!しょーたんだにゃー!」

 「い、いいから放して!!」


 流司は慌てて翔太を引っぺがすと、結衣を背中に隠した。

 結衣は何かに気付いたようでじーっと翔太を見つめた。


 「……男?」

 「ううん!天使だから性別はないの!」

 「え?」

 「頷いとけ。こういう人だから」

 「あの、男の人、だったの?」

 「そうだけど」

 「あ、そう……」


 当初の流司と同じように、結衣は混乱し目を回した。なんだ、と結衣は急に恥ずかしくなった。

 しかし翔太にはメイリンと雛も驚いたようで目を丸くしている。

 けれどそんな事には構いもせず、翔太は全員を外へと連れ出した。


 「では行くよ~!」

 「は!?どこに!?」

 「ゴーゴー!」


 誰も翔太の勢いには勝てず、何が何だか分からないまま四人は引っ張られて行った。


 そして付いた先は王宮にほど近い、朱塗りの建物だった。

 オレンジ色に光る提灯はお祭りのようだ。

 翔太はぴょんぴょんと飛び跳ねながら中へ入って行くと、そこには見渡す限りの服が並んでいた。


 「うわぁぁ~!!」

 「凄い!可愛い!!」

 「すごい数ですね。アイリス様のクローゼットよりも多いです」


 ここは蛍宮で一番大きな衣装店である。

 翔太は結衣と雛、メイリンを連れて女性服売り場を回っていた。どうみても女性四人組に見えるところがすごいな、と流司は一人で笑った。

 裕貴と離れ離れになって以来元気のなかった雛もきゃっきゃと楽しそうにはしゃいでいて、女性同士のように遊んでくれる翔太に感謝した。


 「あ!浴衣!」

 「えー、かわいい!いいなー!」


 結衣達の楽しそうな様子に翔太も浴衣を取り出して鏡の前であてていたが、これは骨格がバレるからだめー!と戻してしまう。今は肩が隠れるケープのような服装だから分からないが、なんだかんだ体つきは男だ。


 「でも私お金持ってないんだよね」

 「皇女様だもんね。私少しならあるよ」

 「お代はいらないよ。好きなだけ持っておいき」

 「え?」


 あれこれと手に取って見ていると、後ろから妖しい女性の声がして振り返った。

 黒いロングウェーブの髪をゆらして、にこりと妖艶な笑みを浮かべる女性が立っていた。

 派手な顔立ちと艶やかな唇、透き通るような白い肌にきらきら輝くお化粧に結衣も雛も胸を高鳴らせているようだった。


 「カレンちゃちゃちゃちゃ!昨日ぶり!」


 翔太はカレンと呼んだ女性にぎゅーっと抱き着いた。

 カレンはそれにも慣れているようで、ふふ、と微笑んで翔太の頭を撫でる。


 「いらっしゃい。この店の主人兼デザイナーのカレンよ。そっちのあなた、これはどう?」

 「いえ、私は侍女ですので」

 「関係無いよ。こんなのはどうだい?清楚な顔してるから上品なデザインが似合うだろうね」

 「うん!メイリン可愛い!すっごい可愛い!」


 あまり慣れていないのか、メイリンはいつになくおろおろと困ったような顔をして、服を手に取ることすら恥ずかしそうにしている。

 いつもは誰よりもしっかりしているけれど、メイリンも若い女性だ。やっぱり女の子はこういうのが好きなんだな、と微笑ましいその様子にふっと笑った。

 蛍宮にどういう店があるのかまでは把握してなかったけれど、こんなに喜ぶならもっと色々な場所を翔太に聞いておこうと流司は気合を入れた。

 すると、ははは、と笑いながら一人の男が店に入って来た。


 「支払いは俺がするから好きに選べよ。カレン、彼女達の服をいくつか用意してくれ。アクセサリーとか靴とか、いろいろ」

 「分かったよ。任せておくれ」

 「流司、お前はこっち。凛も」

 「いや、俺は別にいいよ」

 「アホ。いつまでもヴァーレンハイトの軍服着られちゃ困るんだよ。着替えろ」

 「ああそっか」


 流司はさして服に頓着が無い。

 結衣たちは蛍宮に来て色々な服を用意してもらっていたけれど、流司はシャツを二、三枚貰ってそれでいいとしていた。

 しかし上着は持ち合わせがなく、いまだにヴァーレンハイト皇国親衛隊の制服だった。

 あまり考えていなかったけれど、さすがに皇太子の横に並ぶのにこれはまずいのだろう。


 「どんなのがいい?」

 「何でもいいよ。あんま興味ないし」

 「そういう事いうと翔太に選ばせるぞ」

 「父が僕の服を選ぶといつもスカートが出てくるよ」


 なんでもいいけれど、それはよくないというのは分かった。


 「普通でいいよ。動きやすければ」

 「じゃあこの辺から選べ」

 「えらい高そうなんだけど……」

 「まあそりゃ俺のだからな」

 「は?」

 「ここは宮廷の装束作ってる店なんだ。俺はほとんど一回しか着ないからここに置きっぱなしにしてる」

 「ふーん。結衣もそんなだったけど、皇族ってのはよく分かんないな。じゃあルイがいいやつで」

 「んー……じゃあこれかな」


 ルイがにこやかな笑顔で手に取ったのは蛍宮のことを知らなくても分かるくらい派手、いや、絢爛豪華で黄金が眩く輝く全身赤の装束だった。


 「遊ぶな」

 「ならこれはどうだい?」


 凛が手に取ったのは黒地だが、全身に彼岸花のような赤い花と金糸の木々が描かれている。どう見ても祭事用だ。


 「遊ばないでもらえます?」

 「じゃあこれはどうだい?全身金というのはなかなか無いよ」


 凛の手にはもはや全身金じゃないかと思うくらい派手な装束が握られていた。むしろこれを着ることがあるのかこの男は、と思うとそれだけで気疲れした。

 なんでもいいから普通の物にしようと思ったけれど、もしや祭事用の装束しかないのではないかと思うくらい派手な服しかない。ここに連れてこられた時点で遊ばれてるんだろうなと察知した。

 げっそりして、流司は隅の方に寝かされていた黒で特に飾りのないものを選んだ。


 「これで」

 「おや、そんな地味な服にするのかい?」

 「地味でいいです」

 「そうかぁ?こんなの普段着だぞ」

 「普段着でいいんだよ。それに飾りが付いてると動きにくそうだし」

 「なんだよ、面白くないな」


 何で面白い格好しなきゃいけないんだ、と流司はため息を吐いて手にした服に着替えた。



 「あ、流司も着替えたの?」

 「ヴァーレンハイト皇国の服は着替えろってルイが」

 「へー。それルイ様の服と同じだね」


 中華風というのだろうか。日本でよく見るチャイナ服に比べ、どこかファンタジックで創作感がある。

 チャイナ服のような襟と合わせに銀の縁取りで、丈はくるぶしの上まである。腰から下はスリットになっていて、裏地の深い赤が覗いていた。上質なシルクのような生地で作られたパンツにフラットなソールの靴は軽やかだ。

 結衣は流司の頭からつま先までじろじろと見た。


 「どっか変?」

 「う、ううん!あの、か、かっこいい、よ……」

 「……おお……」


 結衣が真っ赤になったのにつられて流司も赤くなる。

 何となく二人でまごついている、おーい、とルイが声をかけてきた。


 「どうだ、決まったか?」

 「はい。雛とお揃いで浴衣買おうと思って」

 「和服って可愛いよな。他は?」

 「もちろん選んだよ。お嬢さん方は遠慮しちまったようだからアタシがね」


 カレンはしなりとルイにもたれかかってちゅ、と頬に口付けた。ルイもカレンの腰に手を回してぐいと引き寄せて、応えるようにカレンの首筋にキスを落とす。

 翔太はもう慣れっこなんだろう、あはは、と笑って洋服を選び続けている。けれど結衣と雛はきゃあ、と顔を赤くして悲鳴を上げた。


 「……ルイ、本当にいいのか?」

 「ああ。翔太に頼まれたしな」

 「翔太さんに?」


 実はこの前、研究所で話し終えた後に翔太はルイに相談をしに行っていた。


 『ルイ君にお願いがあるの!りゅーたんたちに家と服とご飯とお仕事ちょーだい!』

 『言われなくてもそのつもりだよ』

 『やった~!ありがと!いい子だよねえ、あの子』

 『気に入った?』

 『うん!楽しいこといっぱいあげるの!』


 振り返ると、翔太は女性陣に交じってきゃっきゃとじゃれている。

 翔太のあのテンションはこっちが気を使えば使うほど馬鹿らしくなってくるけれど、その裏に隠された気持ちに流司は嬉しくなった。


 「んーで、今日はもう一個」

 「もう一個?」


 ルイはにっこりと微笑んだ。

 そして連れて行かれたのは――


 「うわあああ!!!!」

 「すごーい!!」

 「その内側までは全て敷地だ。部屋はいくつかあるから好きに使って」


 ここは宮廷内にある離宮だ。

 造りはルイの私邸である瑠璃宮と同じ造りの色違いで、朱塗りに黄金の装飾が施されているが、大きさだけで言えばこちらの方がずっと広い。個室が八部屋に収納部屋が三部屋、リビングのような広間、台所が二か所。二家族が同居できるのではないだろうか。

 あまり使っていないようで少し埃っぽいが、街の一般住居に比べれば段違いの高級さだ。


 「さすがに悪くないか、こんな立派な家。今使わせてもらってる部屋だって十分広いのに」

 「いいんだよ。これくらい大した事じゃない」

 「そうそう!ルイ君が女の子のために建てたのにフられて無駄になった家だからいいんだよ~!」

 「こら、翔太。黙ってろよそういう事は。せっかく俺の好感度上がってるんだから」

 「お前、いつか刺されるぞ」

 「慣れてるよ」

 「あのな……」

 「いいじゃないか。ほら、楽しそうだぞ」


 ルイが指さした先で、結衣と雛、メイリンが楽しそうに騒いでいた。


 「すごーい!雛!あそこ何か泳いでる!」

 「こっちは鳥がいるよ!白い!大きい!」

 「結衣様、そんなに身を乗り出したら池に落ちますよ」

 「きゃああ!」

 「結衣様!」


 バシャン、と池に落ちた音が聞こえた。

 蛍宮は柵の無い橋が多い。一歩踏み外せばすぐに落ちるから注意が必要だ。

 しかし、すぐに宮廷の警備兵が引き上げてタオルを用意してくれていた。もしやそこかしこにいるのは警備というより池ポチャ救助要員なのかもしれない。


 「裕貴が来たらもう一棟別に用意してやるよ。それまでここ四人で我慢してくれ」

 「え?いや、五人でここ使うから大丈夫だよ」

 「え~?でも夜ヤりにくくな~い?」

 「……なんか翔太さんにそういう事言ってほしくなかった」

 「やーん♪」


 見た目が可愛くても男性ではあるのだから不思議なわけではないのだが、なんとなく嫌だなと流司は頭を抱えた。


 「でも真面目な話、結構大事な事だと思うよ」

 「え?」


 きゃっきゃとふざけていた翔太だったが、急に真面目な顔をした。


 「僕がこの世界で暮らしたいって思うようになったのは凛ちゃんが生まれたからなんだ。僕にとっては異世界だけど凛ちゃんにとっては自分の世界でしょ?だからもうここが僕の世界なんだあ。大切な人と幸せになれるおうちって大事だよ」


 翔太はにっこりと眩しいくらいの笑顔で流司をぎゅっと抱きしめて、大丈夫大丈夫、と背中をさすってくれる。

 特に何が不安というわけでは無いと思っていたけれど、こうやってあやされると何故か安心してしまう。


 「それもあるけど、俺の近くにいた方が良いと思し」

 「そうか?何で?」

 「何があるか分からないからだよ。もし追手が入り込んでも俺の側なら楪がいる」


 ここでの生活が落ち着いてきて忘れていたが、流司達は亡命したのだ。

 そして最大の敵である皇王からは指名手配をされている。つまりいつ殺されてもおかしくないのだ。


 「……悪い。有難う」

 「ともかく好きに使えよ」

 「うんうん!女の子たちは前向きみたいだしねっ!」


 結衣達はあちこち部屋を開けては棚や引き出しを片っ端から開けて、こっちがいいあっちがいいと楽しそうにしていた。


 「難しい事はルイ君にまかせておけばいいの。僕達はたのしくしあわせ!ね!」

 「……はい」


 翔太のように笑顔でいられるのなら、ここで生きていくのは悪くないかもしれないとそんな風に思い始めていた。

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