第14話 蛍宮第一皇太子ルイ
何の準備も整ってないところへの襲撃に結衣達はおたつくしかできなかった。
そして時は既に遅く、皇王はシェルターの地上入り口に立っていた。
「こんな所にこんな物があったとは。知っていたか、早乙女」
「いいえ、初めて見ました。一体何のためにこんな物が」
皇王の後ろには数名の武装兵を率いる裕貴の姿があった。
裕貴は敵対しているルーヴェンハイトの所属だが、その中でも唯一皇王を支持する第三皇子直属の部下だ。今回第三皇子の名の下で動いた兵はルーヴェンハイトを抑えるために出動しているのだった。
それを利用して結衣達を逃がしたのだが、裕貴はひどく焦っていた。
(まさかルーヴェンハイトを無視して自ら追ってくるとはな)
日本では総大将が最前線に立って戦いに出てくるなんて事はあまり無い。
てっきり城から動かないと思っていたので焦っていたのだ。
「例え水中でも干上がらせてやるわ」
自信にあふれたその言葉通り、皇王が地下への扉に触れるとどろりと溶けた。皇王の魔法を目の前で見るのは初めてだった裕貴はびくりと震えた。
皇王は迷いも恐怖も無く、どかどかと地下へ侵入した。
元々が迷宮じみていたためさすがの皇王も進むのには手間取っていたが、魔法による罠は一つも聞かないようだった。それよりも落とし穴や投石などの物理攻撃の方が有効で、流司がちゃんと仕掛けていた事に裕貴はほっとした。
ロックのかかった銀の扉には一瞬驚いていたが、それにも動じず皇王は火を起こすこともなくあっという間に扉を溶かした。
(さっきから火も使わずに溶かしてる。火じゃなくて熱を操ってるのか?)
裕貴のいたルーヴェンハイトは魔法が未発達だ。これだけの超常現象を目の当たりにするのは初めてでさすがに緊張を隠せない。
何も怖いものなどない皇王はどんどんと進み、あっという間に結衣達のいたシェルターに辿り着いた。
「何だこれは」
「……第一皇子と第二皇子の研究施設によく似ていますね」
「研究施設?何だそれは」
「ルーヴェンハイトの皇宮の地下で魔法の研究をしてるようです。まさかここも彼らが……」
「小賢しい真似を」
「全くです。今頃あの世で反省している事でしょう」
実は、皇王がここまで早くに結衣達を追いかけてきたのは反乱軍の制圧が完了したからだった。
皇王自ら先陣に立ち、第一皇子と第二皇子を捕らえ言い訳する隙も与えずに処分したのだ。
さすがにそこまで即断即決するとは思っておらず、裕貴は皇王の行動力と判断力を見落としていた事を悔やんだ。
「ふん。飲み食いした跡があるな」
「しかし誰もいませんね。ここを中継して他へ移動したのかもしれません」
「……いや。向こうに誰かいるな。強い魔力の気配がする」
裕貴は全く分からなかった。
この世界生まれの人間の感覚は分からない事が多いが、魔法については特にそうだった。何しろルーヴェンハイトは魔法無しで生きる術を追及する国だから知識が無いのだ。
「あそこだな」
裕貴があれこれと考えている隙に皇王はどんどん中に入って行く。
迷いない足取りは確実に魔力とやらへ向かっているようで、海水が満ちている天然の港のような場所に踏み込んだ。鍵のかかった扉程度では足止めにも鳴らず、それどころか満ち満ちていた海水までもがぼこぼこと音を立てて沸騰しだす。
まるで溶岩のようにぎらつく皇王の瞳に裕貴はぞくりと恐怖を覚え、自分では何もできない事を悟った。この先に隠れているであろう結衣達の無事を祈るしかなかった。
そして、沸騰する音と熱は結衣たちが隠れた社まで伝わってきていた。
海水の満ちる港の中にある小さな社の中に全員で身を潜めていたが、この灼熱に耐えうる装備などありはしなかった。
「メイリン、この音と熱ってまさか……」
「陛下です。水を干上がらせるおつもりなんでしょう」
「そんなことしたら私達まで燃えるじゃない!結衣ちゃんはアイリスなのにどうして!?」
「ヴァーレンハイト皇国の人間、特に皇族の者は火炎耐性があります。アイリス様や私は魔法の熱で死ぬことは無いのです」
「待ってよ……じゃあ私達、しぬ、んじゃないの…?」
メイリン以外はこの世界の人間ではない。
既に熱を感じ始めているのに、これ以上サウナ状態にされたら体内の水分が干上がってしまう。結衣と雛は恐怖のあまり背が震えた。
ここは社といっても四人入るのが精いっぱいな小さい部屋だ。蒸し上がるのはあっという間だろう。
流司は顔が蒼白になっている結衣の頭をぎゅっと抱きしめて、腰に下げていた剣をがちゃりと握った。
「大丈夫だ。その前に俺があいつ殺す。この狭い一本道なんだからこっちから刺せばいい」
「こ、ころす、って、本気なの、りゅーちゃん……」
「剣ってのは殺すためにあるんだよ」
頼もしいと言っていいのだろうか。
地球ではとても口にすることのないであろうその宣言をさらりと笑顔で言ってのける流司にも少しだけ恐怖を覚え、なんとなく流司から手を放してしまう。
しかしその時、ゴオオン、と何かが崩れ落ちる音がした。
「きゃああ!」
「しっ!声出すな」
「で、でも…」
「メイリン。俺以外を眠らせるってのは可能なのか?」
「無理です。私の魔法は人体に影響を与えるのではなく、空中の分子を操作するものです。呼吸だけでなく皮膚からも浸透するので防げません。こんな密室では私も眠ってしまうでしょう。目が覚める時間は個人の耐性次第なので分かりません」
「じゃあ奴を招き入れる。入って来た瞬間に眠らせて、体当たりして向こう側に押し出す」
「分かりました」
「全員声出すなよ。叫びそうなら口に何か詰めとけ」
シン、と全員息を殺した。
バシャン、バシャン、と、水をはじく足音が聞こえる。
バシャバシャと水中に潜るような音が響く。
そしてついに、ガンッ、と扉を殴る音がした。
ガンガンと繰り返し叩きつけてくる音が響く。
「っ……」
結衣はぎゅうっと流司の背にしがみついた。
流司は小さく震えるその肩をしっかりと抱きしめ、右手に小回りの利く小さなナイフを構えた。
そしてついに、ガアン、とひと際大きな音がして水が入って来た。
それに続いてぬうっと男が踏み込んできたのを確認すると――
「メイリン!」
「はい!」
わずかにラベンダーの香りが漂うと、声を上げることなく男はぐらりと倒れてきた。
流司は即座にそれを蹴飛ばすと、それはばしゃんと音を立てて水に沈んでいった。
「全員出ろ!港を出て海中にもう一つ通路がある!」
「私泳げない!」
「背負ってやるから来い!」
全員狭い通路をうごうごしながら這い出る。
そこにヴァーレンハイトが転がっているのかと思うと結衣はぞわりとして足を止めてしまいそうになるけれど、急に先頭が歩みを止めた。
「どうしたの?」
「いや……ええと、とりあえず出て」
特に言い争ったり戦ったりしている様子はなく、困惑しているようだ。
流司が大丈夫というのだから問題はないのだろうけれど、何がどうなってるのか分からず恐る恐る顔を覗かせた。流司が抱き上げるようにして降ろしてくれたが、その足元には人が転がっているのが見えた。
結衣はびくりと震えて流司にぎゅうっと抱き着いた。
「結衣、大丈夫だからちょっと下りて」
いやだ、と結衣は首を振って流司にしっかりと抱き着いて離れない。もちろんいつもの流司ならそのまま抱きかかえていくのが当たり前なのだが、今回は下りて、と結衣をメイリンに預けた。
「流司さん、早く行きましょう」
「いや、えーっと……」
結衣も流司の袖を引いて急かしたけれど、うーん、と流司は足元に転がっている男をひっくり返した。
それを覗き込むと、結衣もメイリンも首を傾げた。
「これ誰?」
「陛下ではないですね」
そこにいたのは皇王ではなく、見たこともない黒髪の男だった。
「城の人じゃないの?」
「いえ、城に黒髪は流司さんしかいないですよ。それに、陛下の差し向けた追手なら城の制服のはずです」
「確かに。こんな汚い格好してるわけないね」
まだシェルターの扉は開いておらず、誰かが入った形跡はない。それどころか熱気も収まり、そこに皇王がいる気配は無かった。
だがこの男が追手ではないとは言い切れない。とりあえず縛って置いていくか、と流司は腰のバッグから縄を取り出して縛り上げると扉の取っ手に結び付けようとした。
けれどそれはできなかった。
「ちょっと、止めてくれる。解くの面倒でしょ」
「!!」
流司たちが出てきた社の隠し通路に、少年が座っていた。
「え!?」
「何で!?中誰もいなかったよ!!」
「今来たんだから当たり前でしょ」
「い、いま、って……?」
少年は肩までは届かないけれど、長い亜麻色の髪をふわりと揺らした。少女にも見えそうなほどに美しい顔は一切何の表情もなく、まるで人形のようだ。
少年はかなり小柄だが、それでも4人入るのが精いっぱいのこの部屋から出てこれるわけがない。
流司はナイフを握り返しめ、メイリンは眠らせてしまえばいいと魔法を使おうとしたけれど、パチンと音を立ててはじけ飛んだ。
「魔法が……!」
「僕は効かないからいいけど、全員寝たら面倒だから止めてよね」
いつもならメイリンが寝かせて一発、即逃走だ。しかしメイリンの魔法は発動せず、海水のにおいだけが漂っている。
それならばと流司は剣を構えて、少年に向けて切りかかった。けれど少年は動揺するどころか面倒くさそうにため息を吐いて、瞬きする間もなく忽然と姿を消した。そして流司の剣は虚しくも空を切ったのだった。
「消えた!?」
「いい加減起きて。沈めるよ」
「え!?」
少年は後ろで縛られている男の横にしゃがみこんでいた。
「ど、どういう、ことだ…?」
「瞬間移動、とか、そういうのじゃないの?」
「そんな魔法は存在しません。ありえません」
「ヴァーレンハイト皇国のは魔法じゃないからね」
「え?」
地球の科学でもこの世界でも解明できない奇跡にただ呆然としたけれど、少年は結衣達の事など気にも留めず、縛られた青年の頬をぺしぺしと軽く叩いた。
「ちょっと。いつまで寝てるの。起きて」
ガクガクと身体を揺するけれど青年は一向に起きる気配がない。少年は大きくため息を吐くと、ゴンッと青年の頭を拳で殴った。
「う……」
「ほら、起きて」
「ん~……」
特別な何かをして起こしたわけではない。殴っただけだ。
殴っただけだけれど、その瞬間に青年はぱちりと目を覚ました。メイリンの魔法による睡眠からだ。
「嘘!メイリンの睡眠魔法から起きるなんて!」
メイリンの睡眠魔法に何度も掛かっている結衣は、それがどれだけ深い眠りか身をもって知っている。
物音や話声で目が覚めるようなことは絶対になく、メイリンが解かなければ数日は目を覚まさないのだ。こんな数分で起きることなどありえない。メイリン自身も驚いたようで、口をポカンと開けている。
しかし、そんなことは少年は関係ないとばかりにゴスッと青年の頬を殴った。
「寝ぼけないで。起きて」
「……お前、殴って起こすのやめろって言ってるだろ!」
「いい加減一人で起きられるようになってよ」
「もーちょい優しくできないわけ!?主人に対して愛情がないぞ!」
「僕の主人、君じゃないんだけど」
「いや、顔は止めろよ。明日朝からデートなんだけど!格好悪いだろ、こんな痣!」
「は?明日は朝から軍議あるんだけど?」
「あ」
「で?誰とデート?」
「いや、えっと……」
完全に結衣たちを無視して、青年達はぎゃいぎゃいと言い争いをし始めた。
全員が呆然と立ち尽くしていると、結衣がちょいちょいと流司の袖を引いた。
「今のうちに逃げる?」
「えーっと……どうかな……」
無視して行ったとて後ろから襲われたら水中じゃどうしようもない。ましてやあんな魔法を使うのだから捕まるのは明白だ。
それでもここに居て良いかどうか分からずじりじりと後ずさると、はたと気付いた青年が声を上げた。
「その鳥居から出るな!ミンチになるぞ!」
「え?と、鳥居?」
「そう。それは結界だ」
「……まさか、これが裕貴の言ってた領海証明か?」
「そのとーり」
流司は腰に下げたバッグから一枚のセキュリティカードを取り出した。それはこの港へ入り鳥居をくぐる時に差し込むカードだった。
裕貴が行き止まりであるこの場所を逃げ場に選んだのには理由があった。
それは今ここに皇王がいない理由でもある。
――遡る事数分前
「あそこだな」
裕貴があれこれと考えている隙に皇王はどんどん中に入って行く。
熱気を纏い水分を蒸発させる人間相手に裕貴がどうこうできるわけもなく、皇王はあっという間に結衣達が隠れる鳥居を見つけてしまった。
けれど皇王はそれ以上足を踏み入れなかったのだ。
「これは……」
見た事の無い物に驚いたのか、皇王は鳥居をじろじろと見ていた。
このシェルターで隠れる場所はもう奥の社しかないがそこには行かず、皇王は思い切り壁を殴りつけた。
「どうなさいました、陛下」
「……そういう事か……!」
皇王はぶるぶると震えながら海水に脚を踏み込むと、周辺の海水がじゅうっと音を立てて蒸発した。急に湧き上がった熱気はまるでサウナのようで、その場にいた兵も騎士も、全員が恐怖で腰を抜かした。
「陛下!お止め下さい!兵が死んでしまいます!」
裕貴も近付く事は出来ず、離れた場所から叫んだ。しかし熱気を吸い込んでしまい、それはまさしく焼けるようだった。
それでも皇王は熱気を沈めず、結局裕貴を含めて他の人間はただ皇王の怒りが静まるのを待つしかなかった。
そしてそのまま数分ほどそうしていると、ようやく皇王は熱気を治めて海水が戻って来た。
けれどその顔はまだ怒りに満ちていて、下手な事を言えば殺されそうな形相をしている。
裕貴は思わず一歩下がったけれど、今この場で確認しなければならない事があり震える脚に力を入れた。
「陛下。船を拝借できましたら海の方へ捜索を広げますが」
「いい。城へ戻る」
「しかしまだ海の捜索は」
「駄目だ」
皇王は水を吸って重くなったマントを脱ぎ、魔法で火を点け鳥居の向こう側へ向けて放り投げた。
すると突如激しい風が吹き、マントは一瞬にしてぼろぼろになった。
「こ、これは!?」
「ここから先は蛍宮の領海だ。死にたく無ければ手を出すな」
よし、と裕貴は拳を握りしめた。
(そうだ。この鳥居はオブジェじゃない。蛍宮を絶対不可侵にしている結界だ)
あの鳥居の先に行けるのは蛍宮から与えられた通行許可証であるセキュリティカードを持っている人間だけで、それは既に流司に託した物だった。
この鳥居の結界を解除して通過するにはそのカードが必要なのだ。
裕貴はちらりと鳥居の向こうにある社に目をやった。目の前に幼馴染達がいるのは分かっていた。けれどセキュリティカードを手放した裕貴もここをくぐることはできない。
「早乙女!何をしている!さっさと戻るぞ!」
「はっ!ただいま!」
欲を言えば踏み込んで全員死んでくれれば楽だったんだけどな、と心の中で愚痴りながら裕貴はシェルターを後にした。
そうして守られたのがこの港だった。
そしてこの男はそれを知っている。
「あんたまさか」
まさか、と気付いたような流司を見て、青年はニヤリと笑った。
「俺はルイ。蛍宮第一皇太子だ」
裕貴の手配した蛍宮からの迎えだった。
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