第31話

 そろそろ戻らないと、セラフが帰っているかもしれない。

 私はシズクを優しく起こし、椿の花を脇に置く。帽子をかぶり直すと、シズクを呼んで一人で先に参道に出た。東の空から紺へと染まり、紫を経てから深紅に変わる。点々とした空に書かれた線が東に行くほど明るく光り、西へ向かえば赤紫の空に霞む。

 長い階段を下って行く。一つ降りる度、外の雑踏が大きくなる。眼下に広がる街並みは揃って赤の光に沈み込み、私とそしてシズクの影が明瞭な黒で落ちていた。

「おかえりなさい。遅かったですね」

 家でセラフが出迎える。ただいまと、小さく言って少し笑う。怒るシズクを気にしながらも、セラフの隣に座った。

「夕飯は何にしましょう。昼食は何を食べました?」

 そう言って、彼はテレビを点ける。チャンネルを次から次へと変えるも、面白そうな番組は無い。優に三周もすると、ニュースでようやく手を止めた。

 共和党対民主党の演説が丁度終わった所だった。画面が変わり、アナウンサーが映し出される。少しばかりの笑顔に留め、直近のニュースが始まった。

 まずはアメリカ国内の、政治、経済、事件に事故と、次から次へと話題が昇る。

 政治なら、労働者の代替となるロボットの開発を許可する法案が可決したとか。

 経済ならば著名などこかの専門家が、ロボットの台頭と、主たる産業拠点が軒並み宇宙に移籍すると予測し、国内産業の空洞化と失業率の増加が見込まれるとか。

 事件においては、大勢の失業者達が仕事を求めてデモを行い、ロボットに仕事をさせるなと書いたボードを掲げている等だ。

 画面が変わり海外ニュースへと移る。いくつもの話題が一覧となり、その内の一つにフォーカスされる。端末により翻訳された文を見て、私は思わず目を見開いた。

 つい先ほどから日本のシステムがダウンしており、現在連絡が取れないとアナウンサーは軽く伝える。それ以上の事は言及せず、かつての中国勢力下にあった、アンゴラとコンゴによる戦争の話題へと変わった。

 ブラウザは正常に機能している。次に図書館へとアクセスするも、こちらは接続に失敗したらしい。普段ではあり得ないほどの時間を待って、表示されたのはエラー画面だけだった。ならばと思い、今度は大学へと繋げるも、同じくエラーが表示された。

 ダメだった二つのシステムに共通するのは、セントラルを介しているかどうかであった。もしも予想が当たっていれば、食事の注文システムも、自動車の操作も不便極まりない状況にあるはずだ。

  センのメッセージを開く。そしてメッセージを送ろうと、入力画面で手を止める。

 今更なんと言って連絡しよう。先に見捨てたのは私だった。拒絶されるまで行かなくとも、軽蔑されるのは確かだろう。

 点滅を繰り返すカーソルを眺めていると、シズクが大きな声で鳴いた。

 そうは言ってもね、シズク。私にできることはないよ。

 じゃあ、センが嫌いだったのと、今度は尋ねるように小さな声で鳴く。

 別に嫌いじゃないけれど。でも。

 スズネちゃんなら大丈夫。それに一人じゃない。絶対に見捨てないってセンなら言うよ。

 私がセンを見捨てちゃった。それでもセンは許してくれるかな。

 もちろんだよ。それがスズネちゃんの幸福になるのなら。

「スズネさん、大丈夫ですか」

 思いのままに文字を綴る。送信ボタンに視線を移し、視線操作でボタンを押す。

 結果はエラー。原因不明の不具合によりシステム障害が発生していますと、無機質な文が表示される。私はゆっくり目を瞬きをすると、全ての画面を消した。

「ごめん、セラフ。私、行かなきゃ」

「スズネさん?」

 立ち上がる。そして目だけでシズクを誘う。灰色の小さな生き物は嬉しそうに立ち上がり、一人で先に歩き出す。そして後ろ姿を追いかけようとした時、セラフが私の手を掴んだ。

「どこへ行くつもりですか」

 前を行くシズクは気づかずに、一人で遠く離れて行く。待ってと、呼びかける事も出来ず、セラフを見る事もなく黙り込む。

「答えなくても分っています。コンピューターの所ですね」

 握られた手に力が入る。痛みを伴う程ではないが、決して弱い訳では無い。

「アナタが何を考えているのか、気づけない僕じゃありません。この国に来たアナタにとって、日本はもう関係無い。あの国での出来事はすべて忘れて、スズネさんはこの国で、アナタ自身の幸福を求めればいい。アナタ自身が幸福ならば、それで良いじゃ無いですか。

 スズネさんはコンピュータが嫌だった。だからこの国へ逃げてきた。なのにまた、アナタを不幸にするかもしれないコンピュータの所へ戻ると言うのですか?

 この国で、アナタを絶対幸福にする。そう決めて誘ったんです。アナタには笑顔になって欲しいと思って、心から幸福だって笑って欲しくて。だけど時間が必要だった。だから、ずっと暮らそう、そう言ったんです。なのに。アナタは」

 シズクがやっと戻ってきた。心配そうに見上げるシズクに大丈夫だよと、微笑みかける。私はそっとふり返ると、シズクと同じく笑いかけた。

「ごめんね」

 握ったセラフの手が緩む。

「私がお願いしたのに。こんな事、我儘だって理解している。アナタが私にしてくれた事、一生かけても感謝しきれない。アナタのお陰で私は、この国で幸福になれた。本当にそう思っている。

 でもセンは。いつも誰かの傍に居て、誰一人として見捨てなかった。誰か一人の幸福でなく、不幸なみんなの幸福を。心の底から願っていた。そんなセンが一人で助けを求めているなら、私は傍に居てあげたい」

 力無く私の手を離す。そしてため息をついて、目を閉じる。そしてゆっくりと目を開くと、静かに口を開いた。

「本当に。我儘ですよ」

「ごめんね。不幸にしちゃって」

「えぇ不幸です。でも、幸福です」

 寂しそうに笑う。そんな彼に笑いかける。

 セラフはポケットに手を入れると、見覚えのある物を出した。

「持って行ってください。せめてものプレゼントです」

 私の盗られたゴーグルだった。少々傷が増えているが、動作に問題無いだろう。私はゴーグルを取ると、セラフに礼を言った。

「持ち主に返してほしいと届けられていたそうです。泥棒は結局分からず終いですが、この国もそう悪くない。でしょう?」

 ゴーグルを首から下げる。そしてセラフに笑いかける。最後に彼へ両腕を回すと、セラフは優しく抱きとめた。

「幸福を」

 エレベーターの扉が閉じる。シズクと私の二人きり。一階へと降りていく。小さく鳴いたシズクを見る。

 大丈夫。やるべきことはわかっている。だから私を信じなさい。

 コンソールを可能な限り立ち上げる。

 コマンドを思考操作で入力し、世界全てのサーバーに片っ端からアクセスしていく。

 センと言えどもシステムだから、必ずどこかのハード上で動いていたはずだ。ここ二十四時間以内で大幅にパフォーマンスが変化したハードの内、最も巨大な物がセンだろう。

 三桁をも超すコンソールを思考操作で全て纏めて相手取る。

 現在の階を示す数字が一秒毎に、一つ減る。二桁あった数値は瞬く間に一桁となり、やがて零と一の表示となった。

 すべてのコンソールを閉じる。そしてビルの外に出る。歩きながら地図を開くと、座標を打ち込み印をつけた。

 アイコンが示すその場所は、赤道直下の海だった。衛星画像に切り替えて海の画像をズームする。島も、人工物も、何かある気配は微塵もない。通常の地図に戻した時、もしやと思い地図を一気に遠ざけた。

 やっぱりだ。ここで間違いない。

 縮小された地球の周囲に、細くて小さな環が浮かぶ。赤道直下では無くて、遥か上空、スターリンク衛星群だ。

 環太鉄道駅までのルートを地図に映し出すと、こっちだよと、シズクが鳴いた。

 平和門の通りを抜けて、自動車ばかりの通りを歩く。空は紺へと移り変わり、星が輝き始める。加えて空に浮かぶ衛星も、強く光を放っていた。

 相も変わらず混雑している車の渦を尻目に、駅の中へと入っていく。シズクを追って出発ロビーに到着すると、多くの人が待っていた。

 間もなく列車が到着するとの案内に、私はホームへと降りる。大勢の旅行者やスーツ姿のビジネスマンに流されながら、共に列車に乗り込む。指定された席に腰を下ろすと、隣に幼い女の子と、その母親が座った。

 母親が手荷物をしまう中、女の子の手から、小さなぬいぐるみが転がり落ちる。私の靴に当たったぬいぐるみを拾い上げると、女の子に差し出して言った。

「かわいい猫さんだね」

 きっと伝わらなかっただろう。女の子は目を丸くするばかりで、中々受け取ろうとはしない。灰色に、青い目をした猫のぬいぐるみは心なしか、寂しそうだった。

「ありがとうございます。エリー、ありがとうは?」

 母親が受け取って、女の子に握らせる。なんとか礼を言わせようとする母親に、気にしないでと手を振った。伝わったのかは不明だが気にもせず、窓の外に目を向けた。

 扉が閉まる。そして列車が走り出す。

 来た時と同じく太平洋を右回りの列車で、今は南へ走っている。臆病だったシズクも、二度目となれば慣れたのか。私の膝に座りながら、女の子の一人遊びを眺めている。時折、鼻やら前足やらを、出しかけるのを好きにさせて、ただひたすらに、何も無い窓を眺めていた。

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