第20話

 暴力的な重低音が轟く部屋で赤色の敵がすぐ面前に現れる。手にした刀で両断し、倒れる身体を蹴り倒す。

 散弾銃を持った敵が影から飛び出し引き金を引く。扇状に広がる弾へ、飛び込みながらバレットタイムを発動させる。自身に当たる弾丸だけを見極めて一発一発刀で弾く。弾き返した弾丸は、狙った通りに敵の身体を貫いた。

 足音に気づきふり返る。目の前には赤色の敵。バットを持って振り下ろす。刀で腕を切り落とすと、首胴腰と斬って捨てる。

 間髪入れずに乱射しながらアサルトライフル持ちが三人揃って現れる。次々迫る弾丸を、右へ左へ回避する。頬や、耳を掠めるほどに最低限の動きで躱し、勢いのまま飛び掛かり、顎下めがけて跳び膝蹴りを叩きこむ。

 敵の身体を踏みつけ速度を殺しながら刀を投げる。一直線に飛ぶ刀は、敵の身体を貫いて飛ぶ。最後の一人が振り向くと、銃口を向け引き金に指を掛けた。

 落ちていく刀に手をかざす。

 突きつけられた銃口は黒くて暗い。溢れる炎の勢いに押し出されつつ、施条によって弾丸に強い回転が付与される。正確無比に飛翔する銃弾が私の額に触れた時、最後の敵を斬り裂きながら、刀が手元に戻ってきた。

 目を固く閉じ、二本の指で目頭を押さえる。休憩無しでやっていたからか、やたらと熱く感じられる。まぶたの裏に浮かび上がった複雑奇怪な波間模様を眺めていると、鼻先を毛まみれの何かがくすぐった。

 指先で軽く摘む。そして目を開ける。案の定とでも言うべきか。シズクであった。

 いつもの灰色の毛並みに、しっとりとした暗黒色の肌が混ざり込む。自分から仕掛けてきておきながら、無理に前足を引っ込める。

 触るのは良くても、触られるのは嫌らしい。

 何度か前足を舐めると、再び私に触れようとした。

「やめて」

 前足を退ける。

 シズクは遊びたくても私は違う。一緒に居たい気分じゃない。

 高く上げた前足をゆっくり下す。気まずそうに目をそらし、立ち上がって背を向ける。物音一つも立てる事無く、ソファの上から飛び降りると、床に擦るほど尾を下げたまま部屋の影へと去って行く。

 ため息をつきゲームを止める。

 気分じゃない。対戦するだけの気力も無い。かと言って、対エネミーはもう飽きた。勝利が約束されたゲームなんて長続きするはずもない。散々プレイしたのだから、どのみち当面見たいとも思わないが。

 目を擦り、ソファの上で横になる。背もたれに肘を置き、読み途中の本を出す。一九八四年は間もなく終わる。難解で、決して明るい世界でないが、心惹かれるのは確かだ。

 手を離し、本を宙に固定する。視界に入る照明ランプを消し去りながらも、部屋の明るさを少し強める。

 これも仮想空間だから成せる技だ。

 片腕を枕代わりに、もう一方は腹に乗せる。足は組んで肘掛けに乗せ、視線操作で本を開く。

 いったいどこまで読んでいたのか。少し戻って文字を拾う。

 尋問、二重思考、矛盾しながらも成り立つ事実。

 そんな内容だっただろうか。記憶と考えの海に潜れず、ぼんやりと文を辿る。ページを一枚、また一枚と過去に戻すも、文字を見るばかりで読めはしない。

 しばらく努力していたが、結局諦め本を消す。どうしても思い出せそうにない。目を閉じ、胸いっぱいに息を吸い込むと、ゆっくりと長く吐き出した。

 目を開き、ソファを立つ。ゲームも画面も点けたままにして、扉に手をかける。視線を感じて見てみれば、シズクが隅に伏せていた。

「おいでシズク。出掛けるよ」

 優しく明るい調子を装う。

 出てこないのも無理はない。感情のまま、シズクに当たりかけたのだから当然だ。怒ってないよと、伝える為の声掛けだったが驚く事に、シズクは傍に寄って来た。

 部屋を出ると既に目的地だった。

 五階分まで吹き抜けのホールに書架が並ぶ。木を組んで作られた格子状の天井からは陽の光が注ぎ込み、和風なシャンデリアが下がる。人の影も、気配もない。私だけの空間は、電子化された古今東西全ての書物が集まる最大級の図書館だ。

 アクセス数を確認してみる。

 数十、数百人にも届く、混雑したチャンネルもいくらかあるが、私の入ったチャンネルは私だけしかいないらしい。チャンネル設定を開くと、パスワードを付けてパブリックからプライベートに変更させる。

 直接訪れたのは久々だ。ブラウザからの利用が主で、わざわざ足を運ぶのも煩わしいと思っていたからだ。今回は、たまたま訪ねた方が楽だっただけだ。

 体内端末を始め、情報機器が発達した現代にでも、書架を求める人は多いらしい。私には理解できないが、そうした人々のために用意されたのが、この仮想の図書館だった。

 書架の間を割って行く。

 頭より一段高いくらいで揃えられた本棚には、数字の九が書かれている。日本十進分類法の最も頭の数字であり、小説、もとい文学の棚だと表していた。

 納められた本を無視して椅子を見つける。誰も居ない空間だから、他人を気にせず腰を下ろす。適度に固く、背もたれ肘置き、更にはサイドテーブルまで付いた、本を読む為に特化された席だった。

 足元でシズクが座る。

 図書館内の利用に向いたユーザーインターフェースを経由し、思考操作でアプリを開く。忙しい人のためのブックインポーター、と名付けられたソフトだ。

 直接頭に入れることもデフォルト機能で可能だが、このアプリは書籍に特化されている。数百冊もの本を、目で文章を辿ることなく直接頭にインプットする。一冊ならば一秒未満で、百冊超えでも数十秒だ。漫画ならば画像になるため、更に数倍時間が掛かるが、手で捲って目で見て読むより圧倒的に早くなる。

 過去に数回利用したに留まるが、読むのが億劫になった時。すなわち話が退屈だった時、このツールを利用した。使い勝手も良くて、読後感も味わえる。高速、大量の本を効率的に読むのなら、きっと重宝されるだろう。過去の多量の文献を漁る必要のある人々、主に大学等の研究者には手放しがたいアプリのはずだ。

 ただ、私は研究者ではない。急いで沢山読む必要もない。時間だって余りある。

 せっかく本を読むのだから、能う限り目で追いたい。だから利用は最小限に留めて来た。

 今回は例外中の例外だ。話が退屈だった訳でも、時間が足り無い訳でもない。単純に、私の気分の問題だ。本を読む気になれず、また、今処理せねば、二度と開く気になれないような。そんな予感がしただけだ。

 例の本を取り出して、インポーターにセットする。

 実行はすぐに終わった。

 なんとも言い得ない結末だった。これはこれでハッピーエンドかもしれない。

 直近読んだ本を元に、おすすめの本が表示される。思考操作で表示を消すと、控えめに遊ぶシズクの姿が目についた。

 見れば本が一冊落ちていた。

 中が開いた状態で風か何かに揺れ動く。捲れるページが気になるようで、灰色をした前足で挟み込んでは噛み付いている。

 名前を呼ぶ。そしておもちゃを出す。

 自走式のねずみのおもちゃは挑戦的な鳴き声を上げてシズクの前で立ち止まる。おもちゃをロックオンしたシズクは両耳を立てて前に向け、姿勢も低く、長い尾を左右にせわしく振る。束の間の何とも言えない空気の中で、前触れもなく、ねずみのおもちゃが駆けだした。

 シズクと言う名のハンターを右へ左へ、緩急つけて巧みに躱す。繰り返して一生懸命飛びつくも、猫らしからぬ結果となった。

 本棚の影に消える二匹を見送り、本を拾う。シズクが噛んでいたと思ったが、仮想の本にはページの欠けも、汚れも、ひっかき傷の一つもない。音を立てて本を閉じた時、意図せず書名が目についた。

 すばらしい新世界、著者の名前はハクスリー。もちろん日本語訳版だ。

 本があったと思われる棚に目を向ける。文学、それも古典が多い。海外作家が集まってエリアを一つ構成しているらしい。エリアとしては広いが、ほんの数分程度の内に本を持って来たのだから、きっと近くのはずだ。

 一歩下がって、隅から順に背表紙を追う。タイトルを繰り返し口の中で呟きながら探していく。視界の端でシズクが駆ける。隣の棚に移った時メッセージが届いた。

 セラフからだ。用事があって遅れるらしい。一、二時間ほど遅らせるか、待ち合わせ場所を変更したい、と言っている。

 迷わず返事を送り返す。できれば今から会いたいと。

 返事は直ぐに戻ってきた。わかりました、の文面を見てゴーグルを外す。

 海の向こうの水平線の遥か先、沈みかけた太陽が見える。大きな窓は深紅の光を適度に遮光し、部屋の内を少々暗い程度に抑える。眼下より工業用の大型ドローンが上昇していく。階層単位でモジュール化されたビルの一部を下げ持って、赤の日差しを遮った。

 帽子を拾い、頭に載せる。

 今日も今日とて、原因不明の跳ねた髪は普段よりも控えめだ。黒のスニーカーに足を入れると、手早く紐を結び上げる。

 地下の自動車に乗り込む。向かう先は現実世界の大学だ。セラフがそこでと指定したからで、それ以上の理由は無い。

 自動車のフロントモニターに大学内の様子を映す。

 現実世界の講義はネット大学にて、リアルタイムで受講が可能だ。そして講義の内容はライブラリーに保存され、いつでも誰でも閲覧できる。

 なんの講義を受けているかと尋ねてみれば、コンピューターと繋がる情報社会の進化の軌跡、だそうだ。私の中の端末が、自動車、そして大学内のシステムと全て自動で連携し、目的の講義を表示させた。

「以上のとおり、現在日本の情報通信産業に限って言えば、米国を遥かに凌駕しています。世界中に目を向けて見てみても、ここまで飛躍した国は他に無いでしょう。しかしだからと言って、日本は米国よりも勝っていると決めつけるのは尚早です。

 先ほどお伝えしたようにビッグテックを筆頭として、かつての米国は世界一位の情報産業力を有していました。それは当時、情報通信産業そのものが政治、軍事、そして経済全ての面で最重要視されていたからに他なりません。

 米中戦争において陸海空に情報世界、この四つの世界で二国は激しい競争を行いましたが、もう一つ人類未到のフロンティアを新たな戦争の場へと引きずり込みました。それは今皆さんの頭上にある宇宙空間です。

 若い方には信じられないかもしれませんが、戦争前の宇宙空間は偵察衛星が飛ぶだけの、比較的平和な場所でした。しかしかの戦争で、戦略的に重要な空間であると見直され、防衛力強化の為にも宇宙開発が加速したのです。その構造物こそ今も頭上に見えるでしょう、スターリンク衛星群です。

 この戦争を発端に米国は情報通信産業に取って代わり、航空宇宙産業を最重要視するようになりました。かつてはロシアや中国も同様、宇宙開発を積極的に行っていました。ですが、戦争が終結した現在は米国以上の技術力を持つ国は存在しないでしょう。宇宙開発という面で、米国は世界で最も発達した国となったのです」

 若い女性がひと息入れる。二十にも満たないくらいの若さながら、その口調は力強く自信に満ちている。

 本当にこれをセラフが聞いているのだろうか。なにも面白いことはない。

「では話を日本に戻しましょう。今この国に住む我々は、かつてないほど自動化された社会の中に生きています。皆さんの部屋には必ずルームサービスが付いていますね。以前は人の手で行っていた家事全般を担っています。

 この大学に皆さんは自動車に乗って来たでしょう。自動車も、昔は人が操縦していました。街を歩けばロボットやドローンが私達の為に奉仕しています。学校も中学までは義務でしたが今は違います。体内端末の普及によって、知識を詰め込むだけの学びは完全に不要な物となり、考え方を学ぶ場となりました。これも偏に、情報化社会がもたらした功績と言えるでしょう。

 コンピューターと共存し、もたらされた究極の情報社会は、人々の進化のひとつの形態として予言されてきました。ではその進化が達成された今、私達はいったい何を目指すのでしょうか」

 自動車が止まり、開いたドアから駅に出る。講義の様子はフロントモニターから飛び出して、視界の端に小さく収まる。

 数人とすれ違う。

 彼らは少し興奮気味に、議論しながら駅へと向かう。空っぽのまま扉を開けて待っていたエレベーターに乗り込むと、扉が自動で閉まった。

「それは幸福です。それも物質的な豊かさではなく、精神的な幸せをこれからの私達は求める事となるでしょう。具体的にはどういうことか。それは芸術、学問、文化、スポーツ、ゲームを通じて、人と人との精神的なつながりを尊重していく。生命よりも精神優位の、そんな社会を迎えるようになるでしょう。いえ、迎えます。既にその時代は到来しつつあるのですから」

 エレベーターが静止する。誰も居ない廊下を抜けて真正面の扉に入る。音もなく開いた四重扉の内側は、最低限の照明のみに絞られており、やけに暗い。

 すり鉢状の講義室を、気を付けながら降りていく。セラフの席はコンピューターが自動で調査し、暗い中でも見て分かるようマークしてある。隣の席が私の為に予約されているのを見ると、滑り込むようにして席に着いた。

「精神的に昇華しきった人々は物的な欲から解放され、肉体をも捨て去ることになるかもしれません。かの小説に出てくる宇宙飛行士のように、意識ある精神体として宇宙空間を飛び回るのか。それとも全身義体の女性サイボーグのように、ネットの海を漂うか。私には全く予想がつきません。ですが人類が真の意味で滅亡しない限りは、やがてその時は来るでしょう。その時までに人類は、精神的に満ち足りた豊かな種族になっていたいものですね」

 お辞儀をする。そして照明が明るくなる。疎らだった拍手は大きくなり、一つの楽器のように鳴っている。隣のセラフも例にも漏れず、ゆっくりとした拍手を贈っていた。

「お呼び立てしてしまい申し訳ない。つい夢中になってしまいました。ここは世界で初めて巨大人形ロボットを動かした教授が在籍していた大学なんですよ。初めは見学だけのつもりでしたが、誰でも受講できると聞いて思わず。しかし国の、人の未来をコンピューターなんかに委ねるなんて僕の感覚では正気とは思えませんがね。あれ、スズネさん。どうしたんですか?」

「別に。なんでも無い、けど」

 長く伸びた前髪に触れる。指先で縒り合せながら言葉を探す。過ぎていく時間に焦りを感じ、考えも碌に纏まらないまま口を開く。

「もし。もしもの話なんだけど。誰かの幸福のために、誰かが死ななきゃいけないとしたら。セラフはどうする?」

 私の声が聞こえたかどうか、わからない。拍手の音は収まるような素振りも見せず、会場全てを包み込む。

「急にどうしたんですか」

「いいから、聞かせて。違う世界から来たセラフならどう思う」

 講演者が頭を下げる。一層大きくなった拍手の渦に包まれながら、スポットライトの光の中で破裂しそうな笑顔をたたえる。

 セラフは彼女から目を離すと、喜怒哀楽の無い表情で穏やかに言った。

「とりあえず。違う場所で話しましょう」

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