第4話

「それからの私は同僚からも上司からも、人が変わったと言われました。私は気づきませんでしたが、きっと彼女の前で良い格好をしたかったのでしょう。甲斐あって数年後、私達はお付き合いを経て、結婚するに至りました。そして翌年、元気な息子を授かりました。

 家族の為にと、一層気合いを入れて私は仕事に打ち込みました。ですが今思い返せば、それが間違いだったのかもしれません。家庭の事は全て妻に任せきり、稼ぎは私が担いました。息子は順調に大きくなって、妻も特別何も言いません。私も気づけば偉くなって、取締役にまでなっていました。

 息子が独り立ちした頃、世の中の風潮は大きく変化していました。経済よりも幸福を追求する世の中です。これについてはセンさん、アナタの方が詳しいでしょう。もちろん私の会社も変化が訪れました。国民は好きな物を好きなだけ与えられる、完全支給制度が始まった事により、会社は労働に従事する場から、労働させて貰う場へと変化しました。同時に変革も求められ、労働者である私自身も例外では無かったのです。

 一週間の仕事を終えた夕暮れ時。私は普段通り定時で仕事を終え、約束の場所へ向かってました。久々に会わないかと言ってきた、かつての同期達に会うためです。

 百人近くも居た同期はその大半が転職し、いったい何処で何をしているのか、分からない者がほとんどです。ですがわずか一握りだけ、転職しても時々連絡を取り合う者が居ました。

 約束の店に到着し、案内されて着いた席には既に二人、彼らは酒を飲んで待ってました。一人はビール、一人は梅酒だったと今でもハッキリ覚えています。

 私は焼酎を注文し、お疲れ様と乾杯しました。かつての同期が集まった、そんな場で話す内容と言えば決まっています。近況の報告と思い出話、そしてちょっとした愚痴って所ですかね。例に漏れず、今何してると、お互いに尋ね合いました。

 一人はこう言いました。喫茶店を始めるために準備していると。もう一人はこうでした。憧れだったゲーム作りに勤しんでいると。

 羨ましいと思いました。私達が仲良くなったのも、ゲーム好きだったから。でもそれだけではありません。彼らは彼らなりに自分の夢を追い求め、そして実現の為に努力している。まさに時代に適応し、変化していたのですから。

 彼らは私の近況を尋ねました。私は役職を答えるだけで、それ以上は言いませんでした。いえ、正確には言えなかったのでしょう。彼らはすごいと言ってくれました。そして私を褒めてくれました。でも私は素直に喜べませんでした。

 いずれ会社と呼ばれる存在は消えてしまう。そうなれば私の立場も会社と共に消えてなくなる。ハッキリと信じていた訳ではありませんが、漫然と当時の社会を見ていてそう感じていたのです。

 それからの話は何のこともありません。どこそこ産のこだわり抜いたコーヒー豆を使うのだとか。リアルスティックなアセットを使って江戸の街並みを再現するだとか。彼らは生き生きと語って見せてくれました。

 当然、私は着いて行けません。それでも空気を壊さぬように、愛想笑いを絶えず浮かべ、ひたすら首を縦に振り続けました。

 最終的に私達は店が閉まるまで飲みました。日も跨いだ頃に家に着くと、妻は料理を用意して待っていました。よくよく思い返してみれば、私は妻に夕飯の用意は必要ないと言いそびれていたのです。

 当然、詫びました。妻も一言だけ、そう、と言ってそれっきりでした。

 あくる日、私は考えました。このままで良いのだろうか、と。考えに考え考え抜いて、ついに人生で最も大きな決断を、会社を辞める決断をしたのです。

 その日の内に辞表を出し、溜まっていた有給、いえ休暇の申請を行いました。部下や社長は驚いたようです。ですが止める者は居りませんでした。引き継ぎの資料を纏め始め、業務を終えました。

 浮き足立つ、なんて慣用表現がありますね。まさに私はそれでした。これからは妻と一緒に各地へ旅行に出かけよう。今まで何もできなかった分、これからは妻の為に過ごそうと決めたのです。だから私は妻の喜ぶ顔を見たくて、仕方が無かったのでしょう。

 帰宅してから私は妻に言いました。今月末で、会社を止めると。これからはお互いやりたいことをしようと。

 予想に反し妻の反応は、非常に素気ない物でした。普段から会話らしい会話も乏しいですがこの日は特に少なく、妻は私を待たずにさっさと寝てしまいました。人の気持ちに鈍い私も、さすがに変だと気が付きます。何が悪かったのかと、聞いてみましたが妻は何も答えず、そしてまた朝がやってきました。

 漫然とした不安な気持ちに苛まれ、一日の仕事を終えました。人の予感と言う物は非常に良く当たる物です。おそらく、言葉にできない些細な非日常を感じ取り、全てひっくるめて予感と言う言葉に押し込めているのでしょう。

 とにもかくにも予感が不安を大きくし、不安に急き立てられるようにして、私は家路を急ぎました。そして家の扉を開けた時、予感は的中していたと悟ったのです。

 家の電気は消え、鍵はかかっていたようです。家の記録に有ったのですから間違いようがありません。本当に情報融合化社会に生きていて良かったと思いましたよ。全てが記録されてますからね。

 歓迎してくれたのは家だけでした。妻の姿は家のどこにもありません。キッチンもリビングも寝室も、私は隅々探しました。そして見つけたのが電子メモによる書き置きです。

 昔から言われていた事ではありますが、技術の発展は目覚ましいですね。質感、重量、光加減、風を受けて揺れる感覚。拡張現実とは思えません。折り紙だってできますもの。私が子どもの頃には考えられない技術です。

 その書き置きには妻の名と、そして私にとっては衝撃的な内容が書かれていました。アナタが好きなように生きるなら、ワタシも好きなように生きていく。

 本当は、もう少し長くありましたが要約するとこんな感じです。私は血の気が引きました。そしてすぐに連絡を入れようとしました。ですが妻は私をブロックしているらしい。連絡先は残っていてもメッセージを送ることは出来なかったのです。今もできません。

 こういう事態の時はどうすればいい。必死になって考えました。私は会社を、仕事を捨てて家族を、妻を選んだのに。その妻に見捨てられたのです。

 警察に相談するべきだろうか。それは一昔前の考え方です。しかも自らの判断で家を出ている。警察が今も残っていても、相手にしてくれないでしょう。

 ならば自力で探すべきか。そうしたかったのも山々ですが、心当たりなんてありません。妻の両親は既に死別しています。息子に行方を尋ねて無用な心配を掛けさせる訳にも行きません。

 完全に詰み状態でした。チェスで言えばチェックメイトです。投了以外に道はありません。私は私の棋譜を汚さぬように手を置きました。それが妻との長い対局の敬意になると感じたからです。

 さて。私の話は、もう終わったも同然です。

 今更辞表を撤回するとは言い出せず。やるせない気持ちで業務を終えました。私の人生の業務です。そして一生分の仕事を終えて休暇に入ったしばらく後、センさん。アナタにこうして呼んで頂いたのです」

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