9月16日(木曜) 黄昏⑤

 その日は下校時間が近付くまで部室で打ち合わせを続けた。

 〈モヤゾンビ〉の性質が明らかになった分だけ無駄な可能性に思いを巡らす必要がなくなり、以前よりも計画の最適化が進んだが、結局校内に何匹ぐらいいて、どこに集中しているかという予測がしづらいため、大まかな方針でしか決められなかった。

 〈モヤゾンビ〉が発生する場所や時間がズレる事態も想定し、その場合は全員が柔軟に一階の放送室か三階の視聴覚室の、どちらか近い方に退避することを確認し合った。

 想定どおりにせよ、予定外の場所と時間にせよ、〈モヤゾンビ〉が現れたらまず兎にも角にも防音された部屋に入り、状況の整理と気持ちを落ち着かせることに努める。

 放送室にたどり着いた者は、すぐに校内放送で、〈モヤゾンビ〉が音に反応するという特性を全校生徒に伝達し、ドアや窓を閉め切って教室に立てこもることを指示する。

 校内の騒ぎが落ち着いたら視聴覚室や放送室を出て、近くにいる〈モヤゾンビ〉から順に教室や部室に閉じ込めいく。

 それである程度安全に移動できるゾーンを確保したら、最後に白峰発案の方法で残りを体育館に集めて一網打尽だ。


 下校する時刻になっても、校内にはまだかなりの生徒が残っていた。

 文化祭の準備期間に入ったためだ。

 初日と最終日は皆、無駄に気合が入るというのが毎年のお約束である。


「そう言えば会報の件はどうなったんだ?」


 広瀬が下駄箱から取り出した革靴を地面に放り投げた。

 その靴底がコンクリートを叩く高い音が周囲に反響する。


「ああ、大丈夫。美尋がちゃんと書いてるから」


 吉岡と白峰は靴をそっと揃えて履き替えている。

 こういう所作の違いはさすがに女子だなと感じる。


「内容は?」

「無難に。『明晰夢4K』に関する考察とか噂が、ネット上でどういう変遷をたどったかって感じにしたよ。書くネタには困らないしね」


 まるで吉岡が自分で書いたような口ぶりだが、実際はほとんど白峰一人でやったのだろう。

 春先の渡り廊下で、白峰は俺に対し、夢の話を吉岡に説明をするように求めたが、実際に興味を持っていたのはやはり白峰の方だった。仮にそのことを広瀬から教えられていなくても、傍から見ていればすぐに分かるくらいそれは明白なことだった。

 吉岡はオカルト研究会に所属しているにしては、その辺りの知識をほとんど持ち合わせていない。こういう言い方が正しいか分からないが、言ってみれば普通の一般人だ。

 一方で白峰は、自分から多くは話さないものの、オカルト方面の造詣はかなり深いようで、典型的なオタク気質である磯辺ですら、白峰の知識や意見を頼っている場面が度々見られた。

 人任せな吉岡をしっかり者の白峰がフォローをしている関係性に見えて、本当は白峰のやりたいことを好きにやらせるための理由を、吉岡が作ってあげているのだと分かる。


「読みたい」

「いいけど、綴じるの手伝ってよ」


「オッケー」


 靴を履き替えた二人は自分たちだけでさっさと玄関を出て行ってしまった。

 白峰もいつの間にか姿を消していた。

 広瀬たちがいた場所が空くのを待っていた俺は一人残って靴を履き替える。

 静かだな、と思いながら履いていた内履きを下駄箱に戻す。

 最近は自分や他人が立てる音が妙に気になるようになっていた。

 授業中の先生の板書の音や、誰かが椅子を引きずる音などが気になる度、それに〈モヤゾンビ〉が反応するだろうかと、つい無為な思索を巡らせてしまうのだ。

 革靴に足を通して踏み出すと靴底が砂を踏んでジャリッと鳴った。


  *


 外に出ると、そこに広瀬や白峰の姿はなく、吉岡だけが一人ぽつんと夕日に照らされているのが見えた。

 玄関から出たすぐ先で、暇を持て余したように自分の足元を見ながら革靴の踵やつま先を上げたり下げたりしている。

 確かに俺も、多少ゆっくりしていたという自覚はあるが、靴を履き替える時間ぐらい待っていてくれれば良いものを……。

 俺は周囲を見回し、広瀬の姿を探しながら吉岡に近付いた。

 吉岡と二人きりになるなど初めてのことなので少し緊張しながら話し掛ける。


「広瀬は?」

「あっち」


 そう言って吉岡は自転車置き場がある方向を指差した。


「あいつ、チャリだったか?」

「違う。……イソッチに呼ばれたの」


 どうも、先ほどまでとは様子が違う。

 俺はその不機嫌そうな雰囲気に気付かない振りをして話を続ける。


「磯辺と? どうして?」


 俺がそう訊くと、吉岡は芝居掛ったような深く大きい溜息を吐いた。


「佐野、あんたやっぱ朴念仁よね。普通分かるじゃん」


 普通に分からなかったのだが、朴念仁という単語から連想すると……、色恋沙汰ということか?


「磯辺と、広瀬がか?」

「後悔したくないからでしょ? もしかしたら明日にでも、その……、万が一ってことが、あるかも知れないんだし」

「いや、そういうことじゃなくて。磯辺が、広瀬にか?」


 文脈的には間違いなく、駐輪場の方で今まさに、磯辺が広瀬に告白をしているということなのだろうが……。


「そんなに驚く? まあそっか、って感じじゃない?」


 まあ……、そうか……。

 咀嚼するのに時間は掛かったが、確かに磯辺は広瀬によく懐いているようだった。普段、磯辺の繰り出す話題に一番理解を示していたのは広瀬だったし、好意を寄せることがあってもおかしくはないのか。


「白峰は?」


 そう聞いたのは話題を変えるためだ。

 吉岡相手に恋愛に関する所見を述べるなど俺には荷が重い。


「……先に帰ったよ」


 少しこちらの顔色を窺う仕草があった。

 微妙な間のあとでその答えが返ってきた。

 そうすると、吉岡は白峰を待ってここにいたわけではないのか。

 校門付近に目をやるが、すでに白峰の姿はどこにもなかった。

 周囲には俺と吉岡以外の人影はない。



「あんたも根性見せなさいよね」


 静かだが、鋭さのこもった口調にハッとさせられる。

 言葉の意図を表情から読み取ろうとして振り向いたが、吉岡はあらぬ方向を見ていた。いや、あらぬ方向ではない、か……。駐輪場の方を見ながらそう言ったのだ。

 理詰めで考えれば、朴念仁と呼ばれた俺にも、吉岡が何を言わんとしているのか、その答えはすぐに出せそうな気がする。

 だが、理屈ではない何かが思考することを拒んでいた。


「言っとくけど、美尋から告白することなんてないからね?」


 吉岡は業を煮やしたように振り返り、俺を睨みつけてきた。

 ここまではっきりと言われれば、いくら俺でも理解せざるを得ない。

 ただ、理解はできるが、返事を返すことは簡単ではなかった。


「私もこんな野暮なこと言いたくないし、言う気もなかったけど、場合が場合でしょ?

 ……待って、とぼけるのは無しね。佐野が美尋を好きなことなんて、クラスの女子は皆気付いてるから。自分では隠せてるつもりだろうけど、目線でバレバレだし」


 驚いた。広瀬には以前から勘付かれている節があったが、俺本人が知らないところで、まさか公然の秘密のようになっていたとは。

 恥ずかしさのあまり、顔から火が出そうだった。


「……ごめん。大丈夫だから。別に陰で笑ってたとかじゃないからね」


 よほど俺が狼狽えているように見えたのだろうか(いや実際そのとおりなのだが)、攻撃的だった吉岡の口調が一転して気遣わしげなものへと変わる。


「癪だけど、あんた割と女子に人気あるのよ。知ってた? まぁ、教室だと寡黙だし、顔もシュッとしてる方じゃん。頭もいいし。女子的にはそういうの良く見えがちってだけだから、あんま調子乗んないで欲しいんだけど。

 ……で、佐野のこといいなって思ってる女子は当然佐野のことよく見るわけじゃん。そしたら、佐野はどうやら美尋に気があるぞってことが分かって、皆で相談して自分たちは大人しく身を引こうってなったってたわけ。

 あっ、相談って言ってもあれよ? たまたまよ? 会話の流れで一回だけそういう話題が出ただけだから」



 驚きの連続だった。

 吉岡は俺へのフォローのつもりで言ったのかもしれないが、突然そんな事実を突き付けられて平静でいられるはずがない。

 俺は身体の中で暴れ狂う感情の波に耐え切れず、その場にうずくまって顔を伏せる。


「ちょっとー! どうしたの? 何でそうなんのよ!?」

「ごめん。恥ずかし過ぎて死にそうだから、もうやめてくれ」


 大袈裟に騒ぐ吉岡を黙らせるために、俺は何とか言葉を絞り出した。

 頭上で吉岡が鼻を鳴らす音が聞こえた。

 これ以上の辱めを俺は知らない。


「もう。こんな話をしたかった訳じゃないんですけど? まあ、あれよ。相手があの白峰美尋だから怖気づくのも分かるけど、ちょっとは自信持ってぶつかってみたらって話」


 すでにこちらの返事を期待するようなテンションではなくなっていたが、俺はうずくまりながら何か返事をするべきか、どういう答えなら返せるかを懸命に考えた。

 だが、駄目だった。

 色々な情報が溢れ過ぎていて上手く物が考えられない。



「どうしたー? サノヤスー? 吉岡に腹パンでもされたかあ?」


 顔を上げると広瀬が遠くからこちらに歩いてくる姿が見えた。


「私、もうあんたの小ボケに突っ込むのも面倒になってるんですけど?」

「ボケっつーか、絵的にそのまんまじゃん」


「ちょっと佐野の根性叩き直してやってたの」

「こえー。やっぱ腹パンかよ」


 二人が掛け合いをしている間に、俺はなんとか気を取り直して立ち上がった。


「早かったじゃない」

「まあ、な」


「私行っても大丈夫そう?」

「どうだろ? 分からんけど多分……」


 それだけ言葉を交わすと、吉岡は広瀬と入れ替わるように駐輪場の方に歩いて行った。

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