(3)エッカーン・フェルデ伯爵の来訪
【佳雨音の秘密】
民宿「満月荘」に現れた偽物の座敷童子・佳雨音。彼女は先生という人物を恐れて自身の素性をこれまで一切語ろうとはしなかった。
何事にも臆病な民宿従業員である僕と好奇心旺盛な漫画家ミルキー・ウェイ・キャンディの2名による懸命な調査の末、彼女の正体が幻燈魚であることが判明した。
幻燈魚とはいったい何か。それは寛木図書館で手に入れた2冊の本を持ってしてでも全ての解決には至らなかった。
『夢見の魚』という絵本。
『幻燈魚保存会会誌』という冊子。
夢見の魚というタイトルから何を読み取るべきか頭を悩ませた。作中に出てくる魚は人に擬態できるらしく、そしてその姿を思うがままに変化することが可能であるという。
これまでの話から短期間で幼子から娘に変貌した佳雨音の姿は先生なる人物の意向に沿うものようだが、何のために姿を変えさせたのだろうかという疑問点が浮かんでくる。その者が思う理想の人物にもなれるという一文が絵本には記されていたが……。
ピンポンパンポーン。
『どうして佳雨音ちゃんは満月の夜にしか現れないんだい?』とミルキーさんの言葉。
絵本には山奥の沢に到達した柳井仁左衛門と岩石の上に立ち尽くす魚女達の挿絵が描かれているのだが、その絵の背景が夜ではなく昼の描写で描かれているのである。
佳雨音は──もしかしたら昼にも出現出来るのかもしれないが、何かしらの制約により満月の夜にしか出現出来ない?
これまで彼女の口から咄嗟に漏れた言葉を挙げていく。
両親がいない。
民宿「満月荘」にずっと居座りたい。
先生が恐ろしく焼かれて食べられてしまう。
彼女は七姉妹である。
先生が恐ろしいのであればその者の元から逃げ出せばいいのに彼女は出来ないでいるのだ。
「こうやって満月荘にとことこと自由に動き回っているのに、なんだか脅迫、監禁されているみたいな口ぶりだな」と頭の中で考えた。
そして……この『幻燈魚保存会会誌』についてなのだが、冊子ページの所々に「エッカーン・フェルデ」なる人物の名が書かれているのに気付く。絵本『夢見の魚』の著者もこの人物だった。
……まいったな。
実を言うと僕は、この人物を既に知っている。僕だけじゃない。両親や弟、祖父母もこの人物に実際に会ったことがあるんだ。
「──今年も来てくれるだろうか、伯爵」
○
『急転する世界』
○
「大吉、あれ見て!」
佳雨音が居間のコタツから立ち上がってテレビ画面を指差した。
「……なんだよ」
「いいから!」
ついさっきまで寝転がっていた僕は気怠そうにコタツから起き上がって点けっぱなしのテレビ画面に目を向けた。
雪が舞い落ちて真っ白に染め上げた夜の英国式庭園が映っていた。木々に吊るされた仄かに灯るランタンと六万個をほこる電飾で彩られたイルミネーションが輝き、幻想的な雰囲気を醸し出している。異国情緒溢れるこの庭園はまるで物語の世界そのもののように思えた。光の庭園という名がふさわしいだろう。
その庭園の奥には城を思わせるライトアップされた
「フレー、フレー、ホテルだって」
「なんだよ、フレーフレーって」
「ハハハ、違うよ」
コタツに足を入れているのは僕と佳雨音だけではない。ミルキーとメロンちゃんまでいるんだ。
「佳雨音ちゃん、あれはフレグラント・オリーブス・ホテルっていうのさ。もしかして興味おありで?」とミルキーさんが面白そうに言った。
「ううん、満月荘もあれくらい大きかったらいいのにーって」
「はあ、全く……」と僕は額に手を当ててため息をついた。
「佳雨音。満月荘には満月荘の、あのホテルにはあのホテルしかない魅力っていうものがあるのさ。こういうこじんまりとした古めかしい建物だからこそわざわざここに泊まりたいっていうお客さんがいるんだよ」
「満月荘もピカピカピカーってする? 私できるよ」と佳雨音が両手を大きく広げて言った。
「せんでいい!」
「ハハハ」とまたミルキーさんが面白おかしく笑い、その隣でメロンちゃんが口元に手を当ててクスクスと笑みを溢していた。
──電話の音がする。満月荘の受付からだ。
祖父母は寝室で寝てしまっている。この状況で電話に出られるのは民宿従業員である僕しかいないので、重い腰を上げて居間を出ていった。
「はい、民宿『満月荘』です」
「もしもし、宿泊の予約をお願いしたいんですけどー」
「はい、いつ頃になりそうですか?」
「あの……」
「……はい?」
少しばかり無音になり、僕は首を傾げた
「そこって座敷童子が出るって最近有名になってきてる民宿ですよね?」
「うぐっ!」
またか! 僕はその場でずっこけそうになった。
○
驚くながれ、佳雨音の正体が幻燈魚と判明した日から半年も経っているのだ。季節は冬を通り越して春へ。当初は一週間で満月荘を出て行く予定だったミルキーさんは数ヶ月もここに居座っている。
「メロンちゃんがここを気に入ってしまったらしくてね。あと佳雨音ちゃんのことが大好きになってしまったみたいなんだ」というのがミルキーさんの言い分。
電話を終えて居間に戻ると先程の三人がコタツでゴロゴロと寛いでいた。ほんと、短期間で家族が急に増えた気分だ。
寝転がる佳雨音の脇腹にメロンちゃんが寄り添っていてなんだか微笑ましい光景だ。
祖父が以前に佳雨音に言葉を教えたように、佳雨音はメロンちゃんに言葉を教えているのである。流暢に言葉が話せるようになる日もそう遠くないのかもしれない。
「かうねーちゃん」とメロンちゃんが呟くと、佳雨音は頬を指で掻いて照れ臭そうにしていた。
○
「わ〜〜、いい宿!」
日中、数名のご婦人が民宿「満月荘」に訪れて、携帯端末で写真をパシャパシャと撮影しながら館内へと入っていった。
最近の傾向として客足が一気に増えた。これは座敷童子効果によってもたらされたものである。
佳雨音がいない間に昼夜関係無しに館内を駆け回るメロンちゃんを宿泊客が目撃してしまうケースが何度かあったのだ。イタズラのつもりなのか扉を叩いてすぐ去ったり、宿泊客の背を指でつつくなんてこともしていた。
関連性があるのかないのか定かではないが、座敷童子らしきものを目撃してしまった人が後日、宝くじを購入・当選し、目が飛び出る程の額のお金を手にしたというのが話題になった(羨ましい)。
他にも座敷童子を目撃した人達の吉報が多数寄せられ、現在、民宿「満月荘」の名簿には半年分の宿泊客の予約で埋まっている。
満月の夜、宿泊客でひしめき合う館内を見て佳雨音が驚きのあまり膝から崩れ落ちてしまった。
「私だけの満月荘が……」
「お前だけのものじゃないって」
「あっ、何かいたぞ!」と宿泊客が声を上げた。
「ヒッ」
カメラ機能付き携帯端末を持った集団から逃れようとする佳雨音を何度も見かけるようになってしまった。
「もう、メロンちゃんってば!!」
○
そんなある日のこと。民宿受付でパラパラと予約名簿をめくっていた僕に緑色の棒飴を咥えたミルキーさんが話しかけてきた。
「なんだい大吉君。いつになくソワソワしているように見えるぞ」
「そうですか? そう見えますか……」
玄関口で革靴の
「おや、来客じゃないか。大吉君」
扉が開かれると現代日本に相応しくない異様な光景が飛び込んできて、目を見開いたミルキーさんの口元から棒飴が落ちていくのを見てしまった。
「お待ちしていましたよ。エッカーン・フェルデ伯爵。それに
目の前の紳士服を着飾った男がニヤリと笑みを浮かべた。
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