スリープディスオーダーにおかえり

泉花凜 IZUMI KARIN

第一章 *冬*

 *冬*


 五月女凪さおとめ なぎが毎日の日課に夜中の散歩を続けているのは、昔、家族が寝静まっている時に一人だけ眠れなくて、思いがけず飛び出した真夜中の外の空気が気持ちよかったからとか、そういう詩人めいたきっかけではなく、単に物心ついた頃からうまく眠れた試しがないからである。


 正確には寝ているのだろうが、凪の中では寝るというより、いつの間にか意識を失っている感覚に近い。そしていつの間にか目覚め、いつの間にか、体内のリズムが整っている。


 寝る時間が少なくて済むから、一日が長く感じて得かもしれないと、自分で思ってみようとしても、実際、起きている時間が長いとヒマでヒマでしょうがない。あまりにヒマだから、むしろ苦しい。贅沢な悩みだ。凪もそれは自覚しているから、夜中に散歩しているんですなんて、わざわざ人に話さない。誰も知る必要のない、個人の趣味の時間だ。


 ふう、と息を吐き出せば、冷え切った深夜の大気と一緒に、自分の二酸化炭素が上空に消えていく。アパートの古ぼけたエントランスから出てすぐにこの寒さは、さすがに冬の訪れを意識せざるをえなかった。


 今日は自転車を使わずに、歩きで一人の時間を楽しむ。合わせて音楽も静かなメロディー重視のプレイリストを選択した。イヤホンも少々高額の、防音性が優れた日本製。コードレスは一回購入してみて、駅のホームに落としたという典型的な日本人の失態をやらかしたため、有線イヤホンの支持者である。


 凪のアパートの近くには、遊歩道を挟んで、それなりに大きな道路がある。

 車の通りはさほど激しくない。運送業者のルートに入っていないためか、トラックなどの大型車も都心ほどは見かけない。行き交うのは一般乗用車が大半で、だから凪は、その道路を進んだ先にある、幅が広めの歩道橋をわざわざ渡り歩く。それから向こう側の道に着いたY公園へ行くのが、毎日のルーティーンとなっている。


 凪は歩道橋を渡るのが好きだ。

 そう発言をしたら、変わった趣味をお持ちですねと返答されるのがわかっているため、何も感じていないようにクールな顔で通り過ぎるけれど、少しだけ少年心が弾む。


 凪はわくわくしている。

 ここを渡る時。段差の広い階段に足をかける時。まばらに通る夜の自動車のヘッドライトを上から見下ろし、反対側の階段に行き着いて、最後の一段を下りる時。


 凪はお目当ての対象人物を見つける。

 その人は、真夜中の公園にいつも現れるのだ。



(今日も俺より先に着いてる)


 間隔のおかれた常夜灯に照らされて、Y公園の広場は、まるで見知らぬステージのように妖しく不思議な空間と化している。


 昼間にも時々、ここに吸い寄せられる者を見かけるけれど、明け方にも近い時間帯にまで出没する輩は、凪の知る限り彼女一人しかいない。


(女の人が真っ暗な公園で一人きり……。日本じゃなかったら殺されてるな。まあ、俺には関係ねえけど)


 凪はおもしろ半分で、一心不乱に身体を動かす彼女の、真剣な表情を盗み見る。


 年齢は自分と近いか、あるいは年下かもしれない。暗くてよくわからないが、上体のキレと全身からあふれるフレッシュなエネルギーが、彼女を二十歳そこそこの若者だと語っているように取られた。


 凪はそそくさと、彼女の姿を一望できる特等席に向かった。自販機が数台設置されてある、常夜灯の近くの長ベンチだ。


 これ見よがしに音を立てて飲み物を購入し、ベンチのそばに立って、半分ほど中身を飲み干す。


 相手もこちらの存在に気づいているのだろう。あからさまに不審者を見るような視線を感じる時があった。


 彼女の踊っているダンスのジャンルは、凪にはよくわからなかった。

 ただ、動きは軽やかだなと思った。

 月並みな言葉で表すなら、重力を感じさせないとか、そういう「ダンスのうまい人」に当てはめられるのではないかと、凪は考えていた。


 しょせん自分は無知だが。

 気が済むまで品定めをして、凪は、飲み干した缶をゴミ箱に捨てた。



   *



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