書き下ろしSS

小説続刊決定記念SS「皇帝夫妻の裁縫教室」


「フェルリナ、頼む」

「へ、へい、頭を上げてください」


 冷酷れいこく皇帝と恐れられるガルアド帝国皇帝ヴァルトが、目の前で頭を下げている。

 それも、人質王女としてとついだ自分に。

 フェルリナはあわてて頭を上げるように伝えたが、ヴァルトの意志は固く、がんとして低姿勢をくずさない。


「元はと言えば私が不甲斐ふがいなかったせいだ」


 眉間みけんのしわを深くして、後悔こうかいの念をにじませる。


「陛下のせいではありませんし、わたしはこのままで十分素敵だと思いますよ?」

「いや、やはりこんな不格好な見た目ではルーが可哀想かわいそうだ!」


 ヴァルトが大事そうに抱えているのは、白銀の体にダークブルーの瞳を持つクマのぬいぐるみ。

 フェルリナが手作りしたこのぬいぐるみには、どういうわけか数日前までフェルリナのたましいが入っていた。

 今は無事、ぬいぐるみから元の体に戻ることができたのだけれど、ヴァルトにはかんできない大きな問題が残っていた。

 それは、反和平派の企みに巻き込まれてボロボロになってしまったぬいぐるみの見た目だ。

 針仕事などしたことがないヴァルトが一生懸命つくろってくれたのだが、そのい目はお世辞にもきれいとは言えない。


(たしかに縫い目がしっかりしていないと中の綿わたが出てきてしまうし、糸がほつれやすくなるから、縫い直した方がいいのは分かっているのだけれど……)


 ぬいぐるみに憑依ひょういしたフェルリナを助けに来てくれて、誰にも触れさせたくないからと自ら針と糸を持って直してくれた。

 フェルリナにとっては、忘れられない大切な思い出で、ガタガタの縫い目もいとおしい。

 だから、修復してほしいというヴァルトの頼みにすぐにうなずけなかった。

 しかし、次のヴァルトの一言でその迷いは一瞬で消えた。


「このままだとルーを思いきり抱きしめられないんだ」

「分かりました。すぐに縫い直します!」


 自分がぬいぐるみに憑依していたから分かる。

 ヴァルトに抱きしめられることがどれだけ幸せか。

 たとえ今は魂が憑依していなくても、ルーを他人事とは思えない。

 それに、日々公務で忙しく、疲れているヴァルトをいやしたくて手作りしたのだ。

 彼を癒せないのなら、本末転倒である。


「ありがとう。手間をかけてしまうが、よろしく頼む」

「いいえ! こちらこそ、大切に想ってくださって嬉しいです」


 フェルリナが元の体に戻っても、ヴァルトはぬいぐるみを大切にしてくれている。

 それに、フェルリナのことも。


(陛下のためにも、わたしにできることを頑張らなくちゃ!)

「では一度、ルーは預かりますね」


 ヴァルトのうでの中から、ぬいぐるみを受け取る。

 心なしか、ルーもヴァルトも寂しそうな表情をしているように見えた。


「ルーのりょうは君に任せたいのだが、その、私に裁縫さいほうを教えてくれないか?」

「え?」

「もしまた何かあった時に、君のように綺麗に直せるようになりたいんだ」


 皇帝である彼が裁縫の腕を磨く必要はない。

 しかし、ヴァルトはいたって真剣な表情で言った。

 本気でぬいぐるみのために裁縫を習得しようとしているのだ。


「はい! わたしでよければお教えします!」


 そうして後日、フェルリナによる裁縫教室が開かれることになった。


「それではまず、針に糸を通してみましょう」


 こんな風に、とフェルリナは縫い針の小さな穴に白い糸を通して見せる。

 フェルリナのお手本を見て、ヴァルトも早速同じように手を動かす。

 しかし、ヴァルトの大きな手に針と糸はあまりにも小さく見えた。

 その上、何度も失敗しているうちに、糸がほつれてくる。


「糸の先端がほつれていると穴に入りにくいので、こういう時は糸切りバサミで切って整えるといいですよ」

「なるほど」


 ゆっくりと、慎重に小さな針の穴に糸を通していく。

 フェルリナも息を呑んでヴァルトの糸通しを見守る。


「……は、入った!」

「陛下、すごいです!」


 思わずパチパチと拍手をすると、ヴァルトがハッと我に返った。


「糸を通せただけで大袈裟おおげさだ」

「でも、針に糸が通らなければ裁縫は始まりませんから!」

「それもそうだな。次は何をすればいい?」

「縫った時に糸が通り抜けないように、玉止めをする必要があります」


 必要な長さで糸を切った後、針にくるくると軽く糸を巻き付け、引っ張る。

 きれいにできた玉止めを見て、ヴァルトは目を見開いた。


「そんな風に針を使って結び目を作ることができるのか!」


 ヴァルトがルーを縫っていた時は糸を二重にして、何度も固結びをしていたから、はみ出した糸が目立っていた。

 玉止めに苦戦していたのは知っていたが、ぬいぐるみ姿では実演もできないし、うまく説明できなかったのだ。

 それに、まさかヴァルトに裁縫を教えてほしいと言われるなんて思ってもみなかったから。


(わたし、うまく教えられているのかしら……?)


 フェルリナ自身、こうして誰かに何かを教えるのは初めてだ。

 母が作業している様子をいつも側で見ていたから、何となく分かっているだけで、裁縫を習ったことはない。


「何度やっても君のようにうまくできないな」

「えっと、力みすぎているのかもしれません。少し力を抜いてみてください」

「力を抜く……これでどうだ?」

「陛下、できていますよ! お上手です!」


 悪戦苦闘しつつも、ようやくヴァルトもきれいな玉止めを作ることができた。


「教えてくれる先生がいいからかもしれないな」

「あ、ありがとうございます……!」


 ヴァルトに柔らかな眼差しを向けられて、フェルリナはドキッとしてしまう。


(教えることに夢中になっていたけれど、なんだか距離が近い……?)


 いつの間にか、ひざと膝が触れ合うほどヴァルトに近づいていた。

 意識すればするほどヴァルトのぬくもりを感じてしまって、フェルリナは裁縫どころではなくなる。

 しかし、ヴァルトは全く気にした様子はなく、もう一度玉止めの練習をしていた。

 それだけ真剣に取り組んでいるのだ。

 ドキドキしている自分が情けない。


「私にもいつか、ルーのようなぬいぐるみが作れるようになるだろうか」


 成功した玉止めを見つめながら、ヴァルトが言った。


「きっとできますよ! わたしも、最初からうまくできたわけではありませんから!」


 何度も失敗して、ようやく様になってきたのだ。

 玉止めができるようになったように、ヴァルトもすぐ裁縫を習得するだろう。


「今度は君によく似たぬいぐるみを作ろう」

「とっても楽しみです!」


 いつか、ローズピンクの体にあかむらさきの瞳を持つぬいぐるみに出会える日がくるかもしれない。

 それも、大好きなヴァルトの手作りだなんて、幸せすぎる。


(わたしも、陛下からぬいぐるみをいただいたら、片時も離さず抱いているかも)


 皇帝とこうが二人ともぬいぐるみを抱いている姿を想像して、フェルリナは思わず笑みをこぼした。




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