幼いころの約束

 幼稚園のとき、おばあさまに連れられて、あの茶会に参加した。もう、薄茶も濃茶も点てかたはマスターしていた。

「特別なお茶会よ。縁があってご招待されたものですから、静かになさいね」

「はい」

 そのときは、おばあさまに茶道を習っていた。茶道が楽しくてしかたなくて、だから、その日のお茶会はとっても楽しみにしていた。

 そのときから、お点前は中井さんで、半東は先生だった。

 くもりひとつないガラスごしに見える、中庭のモミジがとてもきれいだった。

でてくるお菓子も秋の季節にあわせたもので、数茶碗ひとつとっても、十分高価なものだと分かった。

「どうだった?」

 廊下で、話しかけられた。中井さんだった。わたしと目を合わせてくれるために、しゃがんでくださった。おばあさまは、茶室のなかでお話し中だった。

「とっても、ステキでした。リンとしていて、秋いっぱいで」

「まあ、しっかりしていらしゃるのね」

「あの、わたしも、あそこでお点前したいです」

 そうだ、あのときのわたしはこわいもの知らずで。やっちゃんと同じようにお点前をしたいと望んだのだ。

 わたしの言葉をきいた中井さんは、丸い目をして、そのあとにほほえんでみせた。

「山本先生、寒河江(さがえ)先生」

 中井さんはわたしの手を引いて、茶室へもどった。

「片づけがあるから早く出てけって言うんでしょう。さっさとおいとまするわ」

「それもそうなのですけど。ほら、さっきの言葉、もういちど言っておやり」

 中井さんにうながされて、わたしは言葉をくり返した。

「わたし、ここでお点前したい」

 タエ子先生はうれしそうに頭をなでてくれて、おばあさまはすこし怒った顔をしていた。

「じゃあ、おばあちゃんと一緒に茶道ができなくなるわね。山本先生のもとに弟子入りすることになるわ」

「それでもいい」

 このときのおばあさまは、さぞショックだったことだろう。

「山本社中でがんばりなさい。そうすれば、一華庵でお点前させてあげる」

「やくそく!」

 そしてタエ子先生は、今年、その約束を守ってくれた。

 望みどおり、わたしは夢をかなえた。

 はずだった。


 やっちゃんは、またひとつ、砂糖菓子を口に入れた。最後のひとつだった。

「今年はじめてお点前して、どうでした?」

 お稽古がもうすぐはじまる。

「最高だった。お客さんも、場所も、お道具も」

「お道具……。釜も?」

 やっちゃんは、しきりにお釜を気にする。

「そうね、お釜もよかったわ。いちばん間近で見られるのは、お点前さんだから」

 ぐっと、やっちゃんの表情が変わった。

「じゃあ、やっぱり、あそこでお点前しなくっちゃです」

「だから、どうして?」

「それは……」

「あら、おふたりさん、こんなところにいたの。どこかで道にでも迷っているんじゃないかと思って心配したわ。サチさんは着物なのね」

 ちょうどよく、先生が公園にきた。わたしたちは、そろっておじぎをした。

「これから、お稽古のときは帯をしめてくることにしました」

「気合十分ってわけね。やっちゃんはどう? お道具買えた?」

「はい!」

 やっちゃんは、田中茶舗の紙袋を自慢げにかかげた。

「どんなものを買ったの? お茶室で見せてくれる?」

「はい!」

 一段と寒くなったと思えば、思ったとおり、雪がチラチラとしていた。

「サチさん、……さっちゃん、はやく参りましょう。風邪ひきますよ」

 冬を越え、春が過ぎ、夏が来れば、次は秋。

 あと一年弱しかないのに、やっちゃんはしきりにお点前をやりたがる。

 どうして……。

「紅炉一点の雪……。人生は一瞬だから?」

 外の雪たちは、冷たいアスファルトに落ちて、溶けていく。

 炉ではじける生き方と、どちらがいいのか。

 わたしは思いをめぐらせながら、お稽古場へ行った。

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