戦いが始まる

 先生の茶道は、カンペキだった。一分のすきもなく、文句のつけようもない。きびきびしているのに、ゆるやかな場面もある、緩急がついたお点前。

お茶碗に口をつけるとき以外、やっちゃんもわたしも口を開かなかった。言葉は、いっさい出なかった。

 最後に、先生は静かに礼をした。

それでやっと、わたしたちは静けさから解放された。ふすまがしまった瞬間、大きく息をはいた。知らず知らずのうちに、息をひそめていた。

それはやっちゃんも同じで、先生のすがたが見えなくなってすぐ、ぐったりと畳につっぷした。足がしびれたのか、ふくらはぎをもんでいる。

 すっと、ふすまが再び開く。あわてて、居ずまいを直した。やっちゃんもバタバタと正座をしなおす。

「疲れたでしょう。楽な姿勢でいいわよ」

 先生のおゆるしを言葉どおりに受けとめて、やっちゃんは足をくずそうとする。そういうわけじゃないのよ。やっちゃんの足をたたく。やっちゃんは、しぶしぶ正座をつくり直した。

「すてきなお点前を見せていただき、ありがとうございました」

「どうだった?」

「すてきでした。メリハリがあって、凛としていて、しなやかで……」

「すごかったです! 寒い冬に、パチン! みたいな」

「そのパチンってなに?」

「なんでしょう……。お炭と、雪?」

「寒い冬ですからね」

 先生は、やっちゃんの答えに満足そうだ。床の間にかけてある、お軸に目を向けている。そういえばまだ、お軸を見ていなかった。茶室に入ったら、一番に見なければならないもの。それが掛け軸だ。先生と同じように、お軸に目を向けて、はっとする。


 紅炉一点雪


 紅く灯る炉に、一点の雪が落ちて消えていく。

 しまった。

「このかけじくみたいに、冬って感じのお点前でした」

「じゃあ一華庵のサチさんは?」

「大勢の人に秋を感じてもらうためのお点前でした」

「へえ……」

先生はお団子でまとめている髪をかき上げた。なにか考えついたときのしぐさだ。

「これはね、短い人生を精一杯生きましょう、って言葉なのよ。雪を人生に例えているのね」

「そういう意味なんですか?」

「禅語はね、むずかしいの。人によって、色んなとらえ方があるわ。やっちゃんもサチさんも、ちがうように感じたら、また教えてね」

「はい……」

「それじゃ、サチさん。あなたにおねがい。やっちゃんをお道具屋さんに連れて行ってあげて。必要なものを一通りみつくろってね」

「え、なんでわたしが」

「やったー! さっちゃん先輩、よろしくおねがいします」

 やっちゃんは、両手を上げて騒ぎたてる。

「よろしく頼むわね」

「……」

「頼むわね」

「……はい」

 強く言われては仕方がない。わたしはしぶしぶ了承した。

「ふたりのどちらかには、来年の秋に一華庵で、お点前をやってもらうわ。目標は、さっきの私のお点前を越えること」

「え、無理ですよそんなの」

 先生は茶道歴五十年をこえるベテラン。そんなの、できっこない。何をおっしゃるか。

「やります」

 やっちゃんは、さっきの騒がしさがウソのように静かに答えた。

「やっちゃんは、できるそうよ。サチさんは降りる?」

 冗談じゃない。ド素人に、大事なお茶会を任せるわけにはいかない。

「やります。こんな子に、負けるはずがありません」

「オーケー。楽しみにしているわ。遅くなっちゃったから、気を付けて帰ってね」

 ここから、やっちゃんとわたしの、お点前の座をかけた戦いがはじまったのだった。

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