やっちゃんとさっちゃんは茶室で

53の3(ゴミノミ)

茶会と秋

夢をかなえた日

 ふすまの向こう側から、ざわざわとたくさんの息づかいを感じた。客入りは盛況のようだ。

 頭にさしているかんざしにそっと手をふれた。先っぽについているビーズがゆれる。


 ぴるぴるぴる……ぴるぴるぴる……。


 鳥の声。どこからかしら?

 ふすまの前でじっと待っていたわたしは、立ち上がってうしろを向いた。

 ガラス張りの廊下から、赤く染まっているモミジが見えた。しずくが、ぽたりぽたりと落ちていた。

 空はぶあつい灰色の雲におおわれていた。さめざめと雨が降っていた。

 鳥のすがたは、ない。

 外を見上げていると、となりにならぶ人。今日、半東(はんとう)をつとめる中井さんだ。もう何十年も茶道を続けているベテランさん。茶席の舞台裏である、水屋の取りしきりもやってくださっていた。先生につぐ二番手だ。

「お天気、わるいわねえ。こればっかりはしょうがないけど」

「そうですね」

 雨になると、茶会に来るお客さんがぐっと減る。お抹茶(まっちゃ)やお菓子を用意しているから、来ないより来るほうがいい。

 でも、天気なんてどっちでもいい。わたしは右に左に視線をめぐらせた。

「緊張してる?」

「いいえ」

「あらそう。見てよ。私なんていい歳こいて、手がふるえているの」

 中井さんの手を見たが、そんなふうには見えなかった。冗談でも言って、気でもまぎらわせているのかもしれない。

「今日の着物もすごく似合っているよ」

「ありがとうございます」

「さっちゃんが選んだの?」

「そうです」

「さすがね。お点前だけじゃなくて、着物のこともよく分かってらっしゃる」

 うぐいす色の色無地。おばあさまが仕立ててくださったお気に入りの一枚。

 ママは、地味じゃないと不満げだったが、これを勝負着にしたかった。帯は薄ピンクで、金色の松の刺しゅう。ちょっと派手めで、地味な着物によく合っているはず。

「準備はいい? 私も席入りしているからね。さっちゃんも中井さんもしっかりね」

 われらが師匠、タエ子先生が様子を見に来てくださった。わたしと中井さんはそろって頭をさげた。

「先に言われると、ちょっと緊張しちゃいますわ」

「あら、ふすまを開けてびっくりするよりいいと思ったのだけど」

 先生はおほほ、と笑う。本番の直前に、とんだプレッシャーだ。

「この大舞台でも堂々としているなんて、さすがやっちゃんね」

 年に一回。十一月のみ、この東京園花美術館の茶室が一般公開される。

 その名も一華庵(いっけあん)。

 その一か月で、一度だけの茶会。名誉あることに、わたしはお点前に指名された。それが、今日、この日というわけだ。

 ずっとあこがれていたお茶会でのお点前。気合がはいる。

「やるからには、カンペキにつとめあげてみせます」

「あら、かたいわね。もっと楽しみなさい。

 これから楽しい茶道の時間なのだから」

 先生は去っていく。わたしたちは無言のまま見送った。

「いきましょうか」

 わたしたちはふすまの前に座りなおす。


 ぴるぴるぴる……。


 また聞こえた。結局、なんの鳥なのか分からずじまい。こんな雨に、どんな鳥が鳴いているのか。

 すっと、息を吸う。左手をふすまにかける。ざわめきが大きくなる。右手で開けきる。

 礼をして、頭を上げる。

 色とりどりの着物の群れ。

 紫、茶色、薄い黄色……。

 参加者は年配のかたが多い。着物の色もひかえめだ。

 順番に目を向けていく。分かってはいたけれど、おばあさまの姿はない。お床の前に正客、次客、ぐるっと回りこんで、点前座(てまえざ)の近くに、末席のお詰め。そこには、先生と見慣れない女の子が座っている。この子だけ、洋服だ。


 騒がしい。


 黄色のトレーナーに、青、ピンク、緑と色とりどりのパッチワークのスカート。茶会は、はじめてなのか、落ち着きなく茶室を見まわしている。

 目ざわりだ。なんであんな子がここにいるのかしら。

 いや、今はお客さんのことを考えているひまはない。集中しなくては。

 だけど、女の子が気になる。まんまるな目を大きく開けて、キラキラとかがやかせていた。やりづらい。

 お茶碗とお棗(なつめ)を手に取り、立ち上がる。まっすぐ左足をだして、右足はかける。方向転換。きびきびと点前座(てまえざ)へ進む。ちょうど、お詰めには背中をむけるかたちだ。

 うしろから、先生と女の子の視線を感じた。気にしない、気にしない。

 長板の前に座る。お茶碗とお棗(なつめ)を置き合わせて、柄杓(ひしゃく)立(たて)に手をのばす。

 座り火箸(ひばし)に、立ち火箸。

 長板のお点前の魔法の呪文だ。

 火箸を手に取って、左手に持たせる。そのまま左はしに置く。建水(けんすい)を両手で取って、左側に。まだ、下げた位置。右手で蓋置(ふたおき)を手に取って、左手に持たせる。ななめを向く。からだの向きは外角。右手で、お釜の右側に置こう……と、して、手が止まった。


 ぴるぴるぴる……。


 また、鳥が鳴いている。

 ちがう。鳥じゃない。これは、この音は。

「お釜の音……」


 ぴるぴるぴるるるる……。


 お釜の下で、赤々と炭が灯っている。わずかにきった蓋のすき間から、湯気とともに音がでている。鳥の音だと思っていた正体は、お釜の音。

「お釜の音は、お客様へのなによりのごちそうよ」

 先生はよくそうおっしゃっていた。ごちそう。これがお茶席のごちそう。

 蓋置をにぎったまま動かないわたし。客席がざわめく。でもまだ、蓋置をおけないでいた。

 聞いて、聞くのよ。お釜の音を。

 茶道がはじまって、数百年。時代とともにお道具、お点前やお茶室が変わっても、この音だけは変わらないはず。

 横をうかがえば、中井さんが心配そうにこちらを見ている。そのうしろでは、厳しい顔をした先生。

そして、例の女の子。じっと、お釜を見つめている。この子も、お釜の音が聞こえているのだろうか。いや、気のせいか。

 蓋置をおいて、礼。みんな一斉に礼をする。

 総礼


 ぴるるるるる……。


 顔をあげ、居ずまいを直す。一息つくかわりに、わたしは目を閉じた。お釜の音を感じた。

 次に目を開けたとき。そこから記憶がぷっつり、とだえている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る