かなしい蝶と煌炎の獅子2 〜魔導帝国の陰謀〜

倉橋玲

プロローグ

 リアンジュナイル大陸より大海を隔て南東にある、ロイツェンシュテッド帝国。魔導を基盤として栄えるその大国の領土面積は、円卓の連合国のそれを凌いでおり、世界最強と名高い連合国に次ぐ強国であった。

 領土、人口共に世界最高を誇る帝国が、何故第二位の地位に甘んじているかというと、それは偏に国内の魔法適性者が少ないことが原因である。連合国のあるリアンジュナイル大陸と比べると、帝国が全域を統治するゲルアディオ大陸は神による奇跡の恩恵が少なく、それ故に魔法の才を持って産まれてくる者がほとんどいないのだ。

 だからこそ、帝国は魔導を極める道を選んだ。魔導ならば、魔術と違い、魔法の域にも到達し得る。魔導ならば、生まれ持っての才に囚われず、野心のままに磨き上げることができる。そうしてその勢力を膨らましてきたのが、魔導帝国ロイツェンシュテッドだった。

 その帝国の軍部に属しているデイガーは、皇帝より直々に呼び出され、王宮にある謁見室へと足を踏み入れた。

 赤の王に敗れて国に逃げ帰った彼は、一命こそが取り留めたものの、全身に酷い火傷を負い、ここひと月ほど満足に動けぬ状況にあった。そのせいで、本来であれば真っ先にすべき皇帝への謁見ができず、今日ようやくそれを果たすのである。

 静かに入室した彼は床に膝をつき、高い位置にある玉座に向かって深く叩頭した。暫しの静寂の後、衣擦れの音が近づき、玉座の前で止まる。

「面を上げよ」

 重圧を感じさせる低い声に、デイガーが短く返事をして顔を上げる。玉座を仰げばそこには、四十代半ばほどに見える、苛烈さを感じさせる顔つきの男が座っていた。そう、彼こそが、ロイツェンシュテッド帝国皇帝、ルーディック・グリディア・ロイツァーバイトである。そしてその隣では、面を被った青年が、豪奢な造りの玉座の肘掛けに腰かけていた。

 皇帝が座す玉座の肘掛けに座るというこの上ない不敬に、しかし皇帝が気にした様子はない。デイガーの方は気にしていない訳ではなかったが、目に慣れた光景なので、敢えて咎めることはしなかった。

「ご報告に伺うのが遅くなり、大変申し訳ございません。本来ならばこの身を引き摺ってでもこの場に向かうべきところ、まずは治療に専念せよとの寛大なお言葉を賜りましたこと、深く御礼申し上げます」

「良い。お前は貴重な戦力だ。このようなところで死なれては困る。……それよりも、報告書を見たぞ。エインストラを見つけたそうだな。間違いないのか?」

「はっ。私が見たあの金の瞳は、エインストラのものに間違いございません」

 はっきりと言い切ったデイガーを見下ろしてから、皇帝は自身の顎髭を撫でた。

「……ふむ。お前はどう思う」

 そう言った皇帝が視線を向けたのは、隣で肘掛けに座って退屈そうに足をぶらつかせていた面の青年だ。

「ええ~、僕に訊いちゃうの? 前にも言ったと思うけど、僕はそういう質問には答えられないんだってば」

 表情は判らないが、恐らく面の下では困った顔をしているのだろうことは察せられた。

 相変わらず、皇帝陛下に対しての口の利き方がなっていない男だ。だが、この男にはそれが許される。何故ならこの男こそ、ロイツェンシュテッド帝国の魔導を著しく発展させた張本人なのだから。

 ウロ、と名乗ったこの青年は、十年ほど前に突然帝国に現れた。そして、帝国軍の手練れたちに圧勝することで皇帝の信用を得て、以降は主に軍部の魔導に深く関わるようになったのだ。得体の知れない男ではあったが、ウロは魔法でも魔術でも魔導でもない、不思議な力を持っていた。それにより帝国兵たちの魔導の力を増幅させることで、帝国の魔導は一気に発展したのだ。

 面を被っていて顔が見えないことも相まってか、軍部下層に属する者たちは今でもウロを不気味がっているが、別に面の下の素顔が化け物だとか、そういうことはない。そもそも、この国に来たばかりの頃のウロは、面などしていなかった。ならば何故今はこうして面を被っているのかというと、皇帝命令によるものである。ウロの素顔はこの世のものとは思えぬほどに美しく、それだけで人を惑わせてしまう力があるとして、皇帝が常に面をつけていろと命じたのだ。だからといって、ウロがいつも面をつけている訳ではない。彼は困ったことに大変気まぐれなので、気分によって面をつけないときもあった。実際、デイガーもウロの面の下を見たことがあったが、確かに彼は、神々しさすら感じるほどに美しい顔をしていた。

「デイガーが見た子供がエインストラかどうかも答えられぬか」

 顔を顰めた皇帝に、ウロがため息をつく。

「だからね、いつも言ってるけど、僕が君たちにできることって、とっても少ないの。そりゃ僕は君たちのお手伝いをするって約束したしそのつもりだけど、だからってあんまり君たちに力を貸し過ぎると、向こうが介入できるだけの理由を与えちゃうんだって」

「その“向こう”というのが何を指すのかも、お前は教えてくれんではないか」

「だってそれは禁忌だもん。言える訳ないじゃない」

 ウロはそう言って、呆れたように肩を竦めた。

「これもいつも言ってることだけど、ようはバランスの問題なんだ。本来だったら僕がここに居るって時点で禁忌で、向こうが介入する理由になっちゃうんだけど、たまたま今回は向こうも禁忌を犯してるからね。向こうの禁忌を越えない程度の禁忌にとどめておけば、介入されることはないんだ」

 ウロはこうやってよく禁忌という単語を出すが、それが何を意味しているのかは、デイガーはおろか皇帝も判っていなかった。

「エインストラかどうか、という質問に答えることも禁忌だと抜かすか」

「エインストラどうこう関係なく、君たちの質問に答えること自体が小さな禁忌だよ。ちょっとだけならいいけど、あんまり積み重なると向こうの禁忌を越えちゃうの。だから、僕はしょーもない質問には答えません!」

 その言葉に皇帝が眉間の皺を深くしたが、ウロはその皺を指先でつついて笑った。

「そんな顔しないでよ、皇帝陛下。僕、ちゃんと貴方に力を貸すって。貴方たちの目的は、神の塔を奪い、その最上階に至ることで神の地位を得ること。僕の目的は、リアンジュナイル大陸を滅ぼすこと。ほら、利害が一致しているんだから、ね」

 機嫌が良さそうな声に、皇帝が小さく息を吐き出した。

「もう良い。……それで、デイガーよ。お前、ただおめおめと逃げ帰った訳ではないのだろう?」

「はっ」

 皇帝に言われ、デイガーがすっと右手を上げる。すると、デイガーの影からドラゴンのもののような手が現れる。その手にある小さなガラス瓶を受け取ったデイガーは、それを皇帝に向かって掲げ持った。

「不甲斐なくも少量しか確保できませんでしたが、エインストラの血です」

「おおー! デイガーくんやるじゃん!」

 ウロが、ぱちぱちと拍手をする。

「……いえ、私は負けて逃げ帰った身。罰せられることこそあれど、お褒め頂けるようなことは、何も」

「まあ、確かに赤の王様に勝とうってのはちょーっと無謀だったよねぇ」

 その言葉に、デイガーがぎりりと唇を噛む。判ってはいても、あの王には敵わぬとはっきり言われるのは癪に障った。

「あ、怒らないでね。ほら、赤の王様は特別だからさ。あれは君じゃなくったって、誰も勝てないよ」

「……お前はそう、いつもあの小僧を特別扱いする。確かに武勇に優れていることは認めるが、他の円卓の王よりも遥かに高い評価をする理由が判らん」

「うーん。……そうだなぁ、まあ、これくらいなら構わないと思うから言っちゃうけど、……あの王様が、禁忌そのものだからねぇ。そりゃ、敵う筈もないんだよ。逆に言えばあの王様さえいなければもうちょい話は簡単だったんだけど、そうしたらそもそも僕がここに居られないし、まあしょうがないね。という訳で、頑張るしかないから頑張ろうね! 取りあえず、デイガーくんがエインストラの血を持ってきてくれたみたいだし、それでドラゴンが召喚できるかどうか試してみようか。まあ多分それっぽっちじゃダメだろうけど、もしかすると面白いものが召喚できるかも知れないし。さあ! そうと決まったら早速実験だよ、デイガーくん! あ、皇帝陛下ももう話は良いでしょ? デイガーくん借りてくね」

 そう言うや否や、肘掛けからぴょんっと飛び降りたウロは、皇帝の返事を待たずにデイガーの手を取って走り出した。

「ウ、ウロ殿! 私はまだ皇帝陛下に、」

 慌ててデイガーが後ろを振り返れば、額に手を当てた皇帝が、もう片方の手で追い払うような仕草を返してきた。どうやら、退室の許可は貰えたらしい。

「ほらほら、皇帝陛下も良いって言ってるみたいだし、善は急げって言うでしょー」

 そのまま謁見室を飛び出て、王宮地下に構えてある魔導実験所に向かって駆けていく。途中、城仕えの者たちと何人もすれ違ったが、ウロのこういった行動はいつものことなので、誰も咎める者はいなかった。

 実験所の扉の前にたどり着いたところで、ようやくウロは走るのをやめた。ウロは全く息を乱していないが、まだ傷が完治はしていないのに走らされたデイガーの方は肩で息をしている。

「あらら、無理させちゃった? ごめんねぇ」

「いいえ、大丈夫、です」

 デイガーが乱れた呼吸を整えるのを待ちながら、ウロは実験室の扉を開けた。

「しかし、皇帝陛下も頑張るよねぇ。そうまでして神様になりたいものなのかな」

「…………皇帝陛下は、生まれ持った才ですべてが決まるこの世界を憂いていらっしゃるのです。だからこそ、自身が神になってこの世を平等に正そうとお考えなのです。それに、リアンジュナイルの連中は、才があるからと現状に満足し、自らの領地にあるあの塔を利用しようとは考えない。神の地に繋がるあの塔の頂へと登れば、きっと神に至ることができように、奴らはそれをしようとはしない。そうすればきっとこの世を正すことができるというのに、自分たちが良いからと、奴らはそれをしないのです。ならば、我らが代わりにあの塔を有効活用しましょう。……そして、そもそもこんな世界を作ったのがあの塔の上の世界にいる神だというならば、その神をも滅ぼし、我らが次なる神となって、この地に平等をもたらしてみせる」

「……ふぅん」

「……ウロ殿こそ、どうしてそうもリアンジュナイルの滅亡にこだわるのですか」

 デイガーの問いに、ウロは首を傾げた。

「あれ? デイガーくんには言ってなかったっけ? 僕ね、とっても好きな人がいるの」

「……はぁ」

 なんだっていきなりそんな話になったんだ、と思ったデイガーは間の抜けた返事をしてしまったが、ウロが気にした様子はなかった。

「あの人さぁ、いつも冷静で取り乱すことなんて全然ないんだけど、僕にだけは特別でね。僕がちょーっと悪戯するとね、本気で怒るの。あの、いつも穏やかな表情してる人がさ、そりゃもう、本気で怒るの。僕をさぁ、殺してやるって目で見てくるの。……はあ、思い出しただけでゾクゾクしてきちゃったなぁ。あの人の心を乱せるのは僕だけなんだよ。あの人にあんな表情をさせられるのは僕だけなの。だから、リアンジュナイル大陸を滅ぼしたいんだ。そしたら、あの人絶対に怒ってくれるもの。もしかすると、本気の本気で殺し合いができるかもしれない。それってとっても最高で気持ち良いと思わない? ね? 思うでしょ?」

「っ、」

 ウロの全身からぶわりと膨れ上がった何かに、デイガーはどっと冷や汗が噴き出すのを感じた。同時に、その身体に震えが走る。それは、得体の知れない何かに対する本能的な恐怖だった。

 身動きひとつ取れないデイガーに、ウロは小さく首を傾げた後、ああ、と呟いた。

「ごめんね。苦しかったね」

 途端、ウロが纏っていた気味の悪い雰囲気が霧散する。

「いやー、あの人のこと考えると興奮しちゃって」

 えへへ、と笑うウロは、いつもの彼だ。だがデイガーは、とてもではないがいつも通りに彼に接する気にはなれなかった。

「さ、先に、実験の準備をしておきます」

 そう言ってデイガーは逃げるように実験所に入っていったが、ウロはすぐにはそれを追おうとはしなかった。ただ、その背中を見つめて、面の内側で口角を上げる。

「神になって神をも滅ぼす、ねぇ。本当、面白いことを言うなぁ」

 嘲るような言葉はしかし、誰の耳にも届くことはなかった。

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