幸せの貯金通帳

@nkft-21527

第1話 お母さんの入院

うんざりするほど執拗に続いたこの夏の残暑が、ようやく勢力を弱め始めた。といってもすでに彼岸は過ぎていて、よく父方のお祖母ちゃんが言っていた「暑さ、寒さも彼岸まで」という言葉も、まんざら外れてはいないなと、つい最近までの猛烈な暑さに、「もう秋は永遠に来ないんじゃないか」と半ば真剣に思っていた僕は、窓から吹き込んで来る細やかな風の涼しさを感じながら、そっと胸を撫で下ろしていた。

 すでに部屋の壁掛け時計の針は九時を指していた。今日は水曜日で、祝日でもない。とっくに授業が始まっている時間だが、でも僕は部屋の中にいる。もうすぐ両親と一緒に出かけることになっている。お父さんの運転する車で病院に向かうのだ。

 助手席に僕が座り、後ろの席にお母さんが座る、いつものお出かけの席順で。でも違っているのは、今日は郊外のショッピングモールに買い物に行くのでもなく、お父さんの田舎に帰省するわけでもない。

 今日、お母さんが隣町の大学病院に入院することになっていて、そこに行くためだ。

 バスを乗り継いで1時間近くかかる、この病院までの道のりを、お母さんは異常な猛暑が続くこの夏中、何度も通った。そして、幾度も重ねた検査の結果を受けて、今日の入院が決まったのだ。

 あと三週間で二学期の中間試験が始まる僕のことを心配して、お母さんは一緒に来なくてもいいと言ったが、お父さんがお母さんの提案を聞き入れなかった。三人だけの家族なんだから、こんな時に一緒に行くのは当たり前のことだと、声は尖ってはいなかったけど、目は頑なまでに強い光を放っていて、有無を言わせなった。

「大袈裟ねぇ。もう二度と帰ってこないってわけじゃないのに」

 そう言ってお母さんは弱々しく笑ったが、お父さんはこれには何も答えなかった。

 僕はといえば、とても複雑な気持ちだった。実をいうとお母さんが入院すると聞かされたのがつい昨日のことだったからだ。昨日、部活を終えて腹ペコで帰ってきた夕飯の時、お母さんはいつもと何も変わらない様子で、品数の多い夕飯をテーブルに並べてくれて、「野菜もきちんと食べなさいよ」と言う時とまったく変わらない口調で、

「お母さん、明日大学病院に入院することになったの」と言ったのだ。

「えっ、入院?」

 お母さんの言葉が、意表をついていたので、部活で疲れた僕の脳みそがそれを正確にキャッチできるまでに、少し時間がかかってしまった。

「そう、入院。幹(みき)には少しの間不便をかけることになるけど」

「入院って、お母さんどこか悪いの?」

 この暑さの中でも、お母さんは家族の誰よりも元気に毎日を送っているように、僕の目には映っていた。たとえば、夏休みの昼食の冷麦は、比較的小柄なお母さんの背丈を、この春に追い抜いた僕に負けないくらいの量を食べていたし、炎天下の街を両手に重たい買い物袋を抱えて歩いている姿を、部活の帰りに何度も見かけた。そのたびに、

「買い物はもっと涼しくなってから行きなよ」とこちらが心配して言うと、

「涼しくなってからだとお目当ての“本日の特売品”はとっくに売れ切れてしまっているの。食べ盛りの息子を育てるのは大変なのよ」

 とお母さんは少し日に焼けて、白い歯がより目立つようになった口元をほころばせて笑うのだった。

「検査で悪いところが見つかっちゃったの。元気だけが取り柄だったお母さんとしては、まったく不本意なんだけどね」

 そんなに深刻なことではないのよというように、お母さんはてきぱきとご飯をよそい、味噌汁を注ぎながら言った。

「そういうのって、鬼のカクランって言うんでしょ。漢字は書けないけど」

 冗談めかしに言うと、お母さんは驚いた顔をして、

「幹、難しい言葉知っているのね! 国語の授業で習ったの?」

 と、本題から外れたところでしきりに感心をした。

「前に担任の新山先生が風邪で休んだ時に、クラスの誰かがそう言っていたから」

少し照れながら言ったけど、今になって考えれば、あれは心の動揺を誤魔化すために、お母さんがわざと話を逸らしたのだと理解できる。

でも、その時は気づかなかった。お母さんの悲しさを気づいてあげられなかったことが、今はとても悲しい。

「幹(みき)央(お)、そろそろ行くぞ」

リビングからお父さんが呼んでいる。

「わかった。すぐにおりるよ」

 と答えて部屋を出ようとした時に、逆に外からドアが開いてお母さんが入ってきた。

「今、行こうと思っていたんだよ」

 てっきり呼びにきたのだと思ってそう言う僕に、お母さんが「ちょっと座って」と言った。そして、仕方なくベッドに腰掛けた僕に、B5版サイズの赤いハードカバーのノートを差し出した。

「これ、幹にあげる」

「くれるって言っても、こんな派手な表紙のノートなんか学校に持っていけないよ」

 お母さんの様子に、いつもとは違うところ、うまくは言えないけど必死な部分を敏感に嗅ぎ取ってしまい、僕は、これを簡単には受け取ってはいけないと、直感していた。

「バカねぇ、ノートなんかじゃないの。これは貯金通帳なんだから」

「これが貯金通帳……。なの?」

「もちろん銀行や郵貯のではないわよ」

「じゃあ、どこの?」

「我が家の『幸せの貯金通帳』」

「幸せの貯金通帳って?」

「十五年前にお父さんとお母さんが結婚をして、我が家が誕生しました。この十五年間の我が家の幸せがばっちりこの中に入っています」

 言葉の軽さとは裏腹に、お母さんの目にはいっぱいの涙が溜まっていた。だから僕はお母さんの目を見ることができなかった。お母さんの涙を見るのが辛かったのではなくて、僕の涙を見せることが辛かったのだ。僕の涙を見て、お母さんがいただまれない気持ちになるのが悲しかったからだ。

 そして、お母さんの病気が決して軽いものではないことと、涙が言葉以上に沢山のことを語るということを、この時同時に知った。

「お母さんが退院をしてくるまで、僕が大切に預かっておくよ」

 涙がこぼれないように、声が震えないように注意しながら、やはりお母さんの顔を見ないまま僕は言った。

「うん、頼んだわよ。幹なら安心だ」

 お母さんは何度も何度も頷きながら、なかなか僕の部屋から出て行こうとはしなかった。

                

 病院からの帰り、お父さんは「学校に行くなら、一度家に帰ってから準備をして車で送ってやるぞ」と言ってくれたけど、僕は首を横に振った。

 お父さんと二人だけでお母さんの病気について話がしたかったし、これからの家事の役割分担も決めてしまいたかった。それに、このまま学校に行っても、頭の中であまりにも大きく成長してしまった不安という名の怪獣が、一人でいるとさらに異常に巨大になって、押しつぶされそうで怖かったのだ。

 今朝、病院まで車で移動している間、お母さんは後部座席でずっと横になっていた。この夏休み中、そしてつい昨日まで、ずっと元気で動き回っていた、僕の知っているお母さんの姿はそこにはなかった。

「さすがの私も、入院の前の日はなかなか寝つけなくて。……病院まで少し眠るわね」

 あくまでも強がりを通すお母さんの唇がひどく乾いているように見えて、心臓が激しく波打った。

「僕も運動会の前の日なんかにそうなることあるよ」

 とんちんかんなことをわざと言ってみたが、お父さんにはちゃんと伝わっていて、

「それとこれとは違いだろう」と、ちゃんと笑い話にしてくれた。助かった。

 帰宅してリビングのドアを開けると、いつもそこにあった灯りが急に無くなってしまったような薄暗さと、暗さゆえの淋しさ、薄寒さが僕の心に襲い掛かってきた。

 まだ正午を回ったばかりで、明り取りの窓からはまだまだ衰えていない太陽の光が十分に降り注いできているというのに。

 僕は、その薄暗さを太陽の光で追い払おうと、シャッターを上げて窓を開放した。そして、照明まで点けた。

「おいおい、こんな明るい昼間から電気なんか点けるなよ。エコに反しているぞ」

 帰りに寄ったスーパーでたっぷり買い込んできた食料品をテーブルに並べながら、お父さんは眩しそうに目を細めた。その仕草が少し大げさだなと思った。きっと、暗い雰囲気にならないように気を遣ってくれているのだろう。

 窓を開けても照明を点けても、この薄暗さは解消しなかった。今朝から抱き続けている不安と、この薄暗さが化学反応を起こして、僕の心の底に重たい澱(おり)となって沈んで行く。

「あっ、そうだ。洗濯物を取り込まないと。この天気だもん、もう十分乾いているよね」

 そう言って二階のベランダに行こうとした僕の背中に、お父さんが言った。

「洗濯は、昨日遅くにお母さんが済ませて、今朝早くに取り込んだよ。そんなことしなくて良いって言ったのに、これから当分、してあげたくてもできないからって……。相変わらず貧乏性だな、お母さん」

「幹央の分もそのクローゼットの中に入っているぞ」

 そう言われてクローゼットを開けると、昨日部活で汚れたウェアーも、昨日使ったハンカチも、そして昨日着ていた白い制服のシャツも、きちんとアイロンがかかり角を揃えて畳んであった。昨日休憩時間に友だちとふざけてシャツのボタンが取れてしまったことを言いそびれていたのに、これもちゃんと付けてくれていた。

「これじゃあ、もったいなくて着ることができないよ。……お母さん」

 そう小さな声で呟いたら、涙が溢れて止まらなくなってしまった。

 ずっとクローゼットの中を覗いたまま、動こうとしない僕の姿に気づいているはずなのに、お父さんは何も言わず黙々と買ってきた食料品を冷蔵庫に移していた。

 夕飯は、お父さんと僕の合作でカレーライスを作った。

「お母さんが幹央の好きなハンバーグや餃子を作って冷凍にしてくれているから、今夜はこれを食べるか?」

 とお父さんは言ってくれたけど、せっかく二人が揃っているんだから、一緒にカレーを作ろうと僕が提案をした。沢山作れば何日も食べることができるし。

 当然ルーは市販のものを使ったけど、いつもお母さんが作るのを見ていたおかげで、すりおろしたリンゴや冷蔵庫にあるチャツネを入れるとより美味しくなることを知っていたから、「うーん、予想以上の美味さだ!」とお父さんを唸らせるほどのカレーができ上がった。

 ちょうど夕飯を終えた時にお母さんから電話が入った。お父さんが出て、すぐに僕に代わってくれた。

「カレーを作ったんだって。すごく美味しかったってお父さん、めちゃくちゃ褒めていたよ。お母さんも食べたかったな」

 車の中の弱々しさが嘘のように、お母さんの声は明るくて力強かった。

「退院したらいつでも作ってあげるよ」

「わぁ、楽しみ! これで将来の進路は、料理人で決まりかな?」

「いやいや、有能な少年は、まだまだ色々な可能性を秘めていますよ」

「きゃあ、逞しい!」

 電話の向こうから拍手の音が聞こえてきた。まるで何かのショーを観ている時みたいに。

「周りがずい分にぎやかだね」

「入院している人たちが、スマホの使える場所に集まっているから、色々な声が聞こえるのよ」

「お母さんはもう夕飯を食べたの?」

「とっくよ。病院は夕食が早いの。6時には食器を片付けていたもの」

「味はどう?」

「幹は、不味そうと思っているでしょ? それが予想外に美味しいの。今日なんか熱々のシーフードグラタンが出たんだから。お母さんが作るより美味しいかも」

 残さずに全部食べたのだろうか? 今朝の車の中での弱々しい姿が脳裏から消えていなくて、つい言葉の裏側まで考えてしまう。

「良かったね。ホームシックは食べ物からって言うから、少しは淋しさも紛れるね」

「淋しいのはそっちの方でしょ」という言葉が返ってくると思って、それに返す言葉を探していたら、

「そうかも」

 素直に気持ちをぶつけられて、僕は言葉に詰まってしまった。不意打ちは勘弁してよ、お母さん。

「今朝渡したノート、もう開いた?」

 僕が返す言葉を探している間に話題がガラッと変わって、お母さんの声が急に弱々しくなった。

「まだ。だって、あれはお母さんが退院してくるまで大切に預かっておくっていう約束でしょ」

 怖くて開くことができなかったんだとは、口が裂けても言えない。もちろん読むつもりもないけど。

「おお、間に合ったか。まだ読んでないなら、読んじゃダメ。絶対に、絶対に読まないで」

さっき弱々しかった声が急に騒がしいほどに賑やかなものになった。

「訳わかんないよ。今朝はこれあげるって言っておきながら、今度は絶対に読むなって。大人の気まぐれで純粋な少年の心を弄ばないで欲しいな。まあ、言われなくても読むつもりもなかったけどさあ」

 お母さんの賑やかな声がうれしくて、つい愚痴(ぐち)めいたことも言ってしまった。

「ごめん、ごめん。初めての入院で今朝のお母さん、どうかしていたみたい。だから、あのノートのことは無かったということで、悪しからず」

「わかった。でも早く退院をしてこないと中開いて読んじゃうよ」

「きゃあー、それはまずい。とにかく一日も早く退院をしなくちゃ」

 電話を切ったあと、この調子だと退院は意外に早いかもと一瞬思った。だけど電話でのお母さんの声の余韻が消えてしまうと、病院から帰ってきた時に感じたあの薄暗さが再び僕の心を濃い色で染めて行った。

 夕食の後片付けを二人で分担をして済ませて、お父さんのあとにお風呂に入った。

 パジャマに着替えて、洗った髪の毛を丁寧にドライヤーで乾かしてから、台所のテーブルで、缶ビールを飲みながらテレビを観ているお父さんの正面に座った。

「おつまみ要らないの? ピーナツなら置いてある場所を知っているけど」

「サンキュ。でもいいや。おつまみがあるともう一本飲んでしまいそうだし。明日から早く起きないといけないからな」

「そうだね。家のこと僕もできるだけ手伝うよ。洗濯とか、お風呂の掃除ならやったことあるし」

「それに美味しいカレーも作ることができるし」

 いかにも軽くなっている缶に気づいて、僕が「もう一本持ってこようか」と言うと、

「ああ、頼むわ」と、空になったビールの缶をお父さんが軽く振った。

「お母さん、いつ頃退院できるの?」

 二本目のビールを飲み始めたお父さんに思い切って訊いてみた。答えやすい雰囲気を作るために二本目のビールを勧めたのだ。意外に知恵が働く方かも。

「さあ、いつ頃になるのかな?」

 お父さんの答えは頼りなかった。そして直視している僕と目を合わさず、テーブルに置きなおしたビールの缶ばかりを見ている。こんな頼りないお父さんを見るのは初めてだ。

 先生には確認しなかったの? と問い質したかったけど、それは我慢をして、次に出てくるお父さんからの言葉をじっと待つことにした。

「検査結果が出ないと、治療の方針とスケジュールが決められないから、退院がいつ頃になるか病院の先生にも判らないんだそうだ」

 お父さんは、もうビールを口に運ぼうとはしなかった。

「お母さんの病気、そんなに難しい病気なの?」

 口に出してしまったら、それが現実になってしまいそうで怖かったけど、我慢し切れなくて、つい訊いてしまった。

「簡単ではないな。これも検査結果を見ないとはっきりしたことは言えないけど、難しい病気なのは確かだ」

 お父さんは、表情を固くした。

「僕、気づかなかった。お母さんが辛い思いをしていたのに、全然、お母さんの病気に気づいてあげることができなかった……。ごめん」

 涙がぽたぽたと落ちてきた。頬を伝わって流れるのではなく、涙は粒になって音をたててこぼれ落ちてきた。

「幹央だけじゃない。お父さんもまったく気づかなかったんだ。家族の前では辛い顔は絶対に見せなかったし、病院に通っていたことも内緒にしていた。だから、お父さんと幹央が気づかなかったのではなくて、お母さんが気づかせないように、必死で元気を装っていたんだよ。お母さんは、自分の病気の辛さよりも、それを知って幹央やお父さんが悲しい思いをすることの方が辛かったんだ」

「……」

 涙が次から次へと溢れてきた。その涙が、言葉が出てくる出口を塞いで、なんにも言えなかった。

「でも、だから余計に辛いな。もっと甘えて欲しかった。辛い時くらいは我儘(わがまま)になって欲しかった。お母さんが、幹央やお父さんを思ってくれているのと同じくらい、二人がお母さんのことを思っていることを、もっと解っていて欲しかった」

 僕は、この時、生まれて初めてお父さんの涙を見た。入ることを厳重に禁じられていた、開かずの間の扉を開けてしまった時のような、そんな怯えが全身を走った。ひょっとしたら僕たちは今、とんでもない状況に置かれているのではないだろうか? 羅針盤もなく、星も見えない嵐の荒海の中で、難破しかけた船のように。でもそんな状況の中、水先案内をしてくれたのはお父さんだった。

「きっとお母さんは治る。お父さんが絶対に治してみせる」

 涙は乾いていなかったけど、強い眼差しで迷いのない言葉を発するお父さんは、突然の雨に降られて駆け込んだ、多くの葉を付けた枝を幾重にも広げた大木のように頼もしかった。

「思いは通じる。愛する人を救いたいという強い思いは、絶対に神様に通じる」

 お父さんはきっと信じている。お母さんの病気が治ることを。そして、ちゃんと判っている。願いを叶えるために、今、何をすべきなのかを。

「とにかくお父さんは笑顔で毎日を過ごそうと思っている。幹央もそうしろ」

「いきなり命令?」

「なあ考えてみろよ。神様だって愛想の良い奴の方が好きだろ。お母さんの病気を治すためには、まず神様に好かれる人間になることが、重要だということだ」

「なんだか問題を取り違えているような、気がしないでもないんだけどな」

 そう言ったけど、お父さんの言っていることは解る。僕たちは医者ではないから、お母さんの病気を直接治してあげることはできない。だからこそ、唯一できることは祈ることと願うことだ。笑顔で毎日を送ることは、お母さんの全快を祈ることと同時に、お母さんに生きる力を与えることなんだと、お父さんは言っている。

言葉足らずの父親の気持ちを、ここまで汲み取る息子も、そうざらにはいないけど。今は特別な状況に置かれているから、僕も敏感になっていて、お父さんの気持ちとリンクしているのだろう。

僕も明日から、ずっと笑顔で過ごして行こう。神様に好かれる中学生になるために、そして、また三人での楽しい日々が一日も早く戻ってくることを願いながら。


2004年 5月△日(○曜日)  晴れ

★幸せポイント  +10AI        ★累計ポイント+10AI

<コメント>

 明日の挙式を前にして、今日隆(たか)央(お)さんと二人で役所に婚姻届を出しに行った。

 これで二人は正式に夫婦となった。

 ここに新しい夫婦が生まれ、幸せな家庭が誕生をした。ずっと憧れていた隆央さんとの結婚。そして家庭を持つこと。私は今日から「相澤(あいざわ)」の姓を名乗る。

 いずれ隆央さんに良く似た可愛い子供を生んで、笑顔が絶えない明るい家庭を築いて行く。ううん、これは努力をすることではなく、結果として成し得ること。そのためにやらなければならないことはちゃんと判っている。それは、とても簡単なことだ。私が隆央さんを、そして生まれてくる子供を愛し続ければ良いのだ。そうすればすっと幸せでいられる。

 私、自信があります。だって、心から、心の底から隆央さんのことを愛しているから。もし、悪い人に捕まって、無理やり自白剤を注射されて、「本当に好きなのは誰だ?」と質問をされたとしても、私はきっと「相澤隆央」と何の迷いもなく答える自信がある。私の心にはほんの僅かな迷いもなく、一点の濁(にご)りもない。

 今、私は自分のことを幸せだと感じている。こんなに手放しで喜んでいいのだろうかと少し怖くなるくらい幸せだ。

 でも、今日の幸せが頂点ではない。これから夫婦として一緒に暮らし、やがて家族が増えていく中で、この幸せをどんどん大きく丈夫なものに育てて行く。小さな芽が茎を太くし蕾をつけて花を咲かせ、茎がやがて幹となって枝を広げて立派な木に成長をして行くように、私は愛情という名の光と、水と肥料を与え続けよう。

 そうだ。立派な幹を持つ大きな幸せの木が育つように、男の子が生まれたなら、隆央さんの一文字と合わせて「幹央」いう名前をつけよう。うーん、良い名前。今から可愛い笑顔の男の子の顔が浮かんでくるようだ。

 幸せを大きく育てるために、そして日々の生活のほんの小さな幸せを決して軽んじることなく、一つ一つをちゃんと感じ取るために、今日から「幸せの貯金通帳」を作ることにした。これは日記帳ではない。幸せの出し入れを出納する貯金通帳なのだ。

 自分の判断で、幸せのポイントを「円」ではなく、愛「AI」の単位で加算して行く。1から10AIのポイント。もちろん今日は満点の10AIが記帳される。通帳は小さな出納帳にして、このノートにはその時の気持ちを書こう。

 今まで私が経験してきたほんの小さな出来事や色々なやり取りの中で、私の心と体はちゃんと知っている。本当に辛いこと悲しいことに遭遇した時、これを乗り越えるために沢山の幸せを経験しておくことが、どんなに大切かということを。

 だから私は、どんな些細(ささい)な嬉しいことも見逃さない。夫婦が幸せであり続けるために。

 でも、これを書いているうちにちょっと肩に力が入りすぎて、ついストイックになってしまったかな。自然にさり気なく、水の流れのように隆央さんとの日々を紡いで行こう。そして流れの中でキラリと光る砂金を見つけるみたいに、幸せを見つけて行こう。


  次の日の結婚式当日にも、幸せのポイントが10AI加算されていた。

 僕は恐る恐る開いたこのノートの最初のページをドキドキしながら読み始めたのだ。まだ僕が生まれるずっと前の、お父さんとお母さんが他人から夫婦に変わる大切な日のことを、まるで別の世界で起こったことのように、冷静に、けれど、二人が若かった頃の顔を想像しながら読み進んで行った。

 この最初のページで、僕は、今までに両親に訪ねたことも無かった自分の名前の由来をいきなり知った。「幸せの木の、丈夫な幹になるように」、そんな思いを込めて僕の名前は付けられた。

 お母さんは僕を呼ぶ時に、必ず「幹央」ではなく、短く「幹」と呼ぶ。こう呼ぶたびに、お母さんは「幸せの木」を思い浮かべていたのだろうか? そして、幸せの幹はすくすくと育って、少しは太く丈夫に成長をしていただろうか? そう思ったら、急に胸が熱く痛くなってしまった。

 僕は、お母さんとの約束を破ってしまった。退院をするまでは大切に預かって、中は絶対読まないと言った約束を、僕は今日、破ってしまったのだ。いや、このノートの中身を確認しなければならなかったのだ。お母さんの命を救うために。僕は、必然性を持ってお母さんとの約束を破ったのだ。

 お母さんが大学病院に入院をしてから十日間が過ぎた。入院した日、やっと暑さが退いたと喜んでいたのに、今はもう、朝起きて部屋から台所に行く時にはパジャマの上にトレーナーを着込んでいる。

 お母さんが入院をしてから、それまでよりも一時間早く起きている。前の夜寝る前にタイマー予約をしていた洗濯が終わっているので、これを干すのが僕の役目だ。

「パジャマくらい着替えろよ」

 お父さんからは毎朝怒られるけど、どうせすぐに制服に着替えるのだから、着替えが一回で済む分効率がいいのだ。

 僕が洗濯物を干している間、お父さんは朝ごはんと僕の弁当を作ってくれる。最初の頃は頑張って手作りのおかずを入れてくれていたが、今は手作りだと言えるのはせいぜい炒めたウインナーくらいで、殆どが冷凍食品を「チン!」している。それでも育ち盛りの中学生には、学校の売店で売っているパンだけでは部活が終わるまではお腹が持たないので、お米が食べられる弁当はとにかく有難かった。

 朝食はこれまたほぼ毎日目玉焼とトーストだった。塩・コショウの加減が毎日変わるから、変化があると言えないこともないが。

 まあ、色々と大変なことも多いけど、なとかこの十日間お父さんと二人で頑張ってきた。さすがに几帳面なお母さんがいる時のように家の中はきちんと片付いてはいないし、ガスレンジの上も、流し台もかなり汚れてはいるけど、男二人暮らしの中では、「よくできました」の花丸合格がお母さんからもらえると思う。

「お前は部活を続ければいいからな」

 とお父さんはできるだけ残業をしないで、毎日会社の帰りにお母さんを見舞って、ついでに洗濯した下着やパジャマを渡して、汚れものを受け取ってから帰宅する。

 僕が作れるメニューは相変わらずカラーライスだけだったけど、この十日の間に二回も作った。そのたびにお父さんは、必ず「美味しい。美味しい」と言ってお代わりをしてくれた。

 これまで、どちらかといえばお母さん子だった僕だが、二人きりで十日間生活をしてみて、改めて、お父さんの優しさや強さや逞しさに気がついたような気がする。そして尊敬の気持ちも強くなった。

 今日は土曜日で、いつもなら午後から車でお母さんの見舞いに行くことになっていた。

 けれど、確かに大学病院には行ったけれど、すぐにはお母さんの病室には行けず、お父さんと僕は別の部屋に案内をされた。

「ここはどこなの?」

中央に六人掛けのシンプルなテーブルがあり、他にはホワイトボートしかなかった。壁に絵が飾ってあるわけでもなく、彩りを添える花が生けているわけでもない、ひどく無愛想で殺風景な部屋だった。

「もうすぐ先生がこられるから」

 お父さんの表情は固くてどこかに救いを求めているような弱々しさがあった。お母さんが入院をしてから二人切りで過ごしたこの十日の間には見せたことのない表情だった。

「先生と話があるなら、終わるまで僕一人でお母さんの病室に行っとこうか」

 この場にいることに耐えられそうになくて、僕は逃げ出したくて言ってみた。

「お母さんは、あの病室にはもういないんだ。今朝早くに病室を移ったんだ。お父さんも今朝病院から連絡をもらったばかりでまだ詳しいことは判らないけど、お母さんの様態が急に悪くなったらしい。その説明をこれから先生がしてくださる。だから、幹央も一緒に聞いて欲しい。二人で力を合わせて乗り越えて行かなければならないことだから。お前にまで気持ちの負担を負わせるのは申し訳ないけど、一緒にいて欲しいんだ」

 お父さんはじっと僕の目を見て言った。

「わかった」

 泣き出しようになる気持ちをぐっとこらえて、僕は強い声を作った。

 やがて、ノックのあとに二人の医師が部屋の中に入ってきた。

 一人はもう顔見知りと言って良いほど挨拶や言葉を交わしたことのある、主治医の溝口(みぞぐち)先生。そしてもう一人は溝口先生の上官にあたる片山准教授だった。

「突然お呼び出しをして申し訳ありません」

 と切り出して、溝口先生が話を続けた。

「相澤由美さんの病状が急変をして、現在集中治療室に移っていただいています」

 僕は、集中治療室と聞いた瞬間に、自分の体がすぅーと冷たくなって行くのが分かった。と同時に小刻みに体が震え始めた。

「家内は、大丈夫なんですよね?」

お父さんの声も震えていた。

「済みません、いきなり集中治療室に移られたことを最初にお話してしまったので、びっくりさせてしまいましたよね。ご安心ください、生命には別状はありませんから」

 どうして医者ってこんな時に、冷静に話をすることができるのだろうか。そして、家族の気持ちを考えてくれないのだろうか。話の最初に「生命には別状はない」とひと言、言ってくれていれば、こちらももっと冷静でいられたのに。

「相澤由美さんは、夜中に激しい頭痛に襲われまして。一時的に意識を失いました。これは本当に一時的なもので、おそらく五分間くらいの短いものでしょう。意識が戻ってナースコールをされたのもご本人ですから、意識障害もありません。もちろん、すぐに検査もしましたが、検査結果からも意識障害の所見は認められませんでした。

 ただ、頭痛は断続的に起きています。MIRなどの検査結果ですが、はやり外科的な処置を急ぐべき時期にきていると言えます」

「ゲカテキショチ」僕の頭の中でこの音だけが響いた。お母さんとゲカテキショチ、どう結びついていくのだろう。

「手術をするということですか?」

 お父さんが溝口先生と片山准教授を交互に見ながら訊いた。「ゲカテキショチ」=「外科的処置」=「手術」の方式が僕の頭の中で繋がった。

「そうです」

 溝口先生はきっぱりとした口調で言った。

「事前検査は十分なんでしょうか? 手術をすれば家内は確実に治るんでしょうか?」

 先生たちを見るお父さんの目は、責めるようにも、挑むようにも僕には見えた。

「正直に、はっきりと申し上げます」

 溝口先生は、お父さんの質問を、真正面から受け止めてくれた。

「検査はまだ十分とは言えません。患部の詳細な位置が完全に探しあてられたわけではないです。けれど、このまま検査を続けている間に手遅れになってしまう危険性が高くなっているのは事実です。これまでご主人には何度かご説明をしてきましたが、相澤由美さんの脳の左側には比較的大きな動脈瘤ができています。これが原因で夏の間にも何度も強い頭痛を訴えられ、現に夜中に起きた激しい頭痛により、一時的ですが意識を失っています」

 脳の中に動脈瘤ができている。初めて聞く話しだった。お母さんが入院して十日間、この間、僕はずっとお母さんの正確な病気の内容を知らなかった。それはお父さんも同じだと勝手に思い込んでいた。

 お母さんが入院した日の夜、僕が「お母さんはいつ頃退院できるの?」と訊いた時、お父さんは「いつ頃になるか判らない」「検査結果が出ないと治療方法が決められないので、退院がいつ頃になるのか判らない」と言った。

 でも、お父さんはこの時すでに本当の病名を知っていたのだ。それを僕には教えてくれなかった。それはなぜ? 病気があまりにも難しいものだから? それとも治る見込みが無いから。いや、僕がまだ子供だから……。

 お母さんの病気は頭の中にできた動脈瘤だった。この病気のためにお母さんは夏の間中、何度も激しい頭の痛みに苦しめられていたのだ。僕にはそんな辛そうな様子をちっとも見せなかったけど。

 さっきお母さんの病状について説明をしてくれた溝口先生は、お父さんにではなく僕に正確な病状を知らせたのだ。お母さんの病気が予断を許さないところまできていることを。絶壁の端っこの岩の上に置かれた足は、もう踵(かかと)が半分以上岩から外れていることを報せたかったのだ。

 だからお父さんは、僕に隠し通すことができないと判断をして、この場に同席をさせたのだ。嘘、偽りのない本当の話しを医師から直接聞かせるために。お母さんの病気が、もうそこまで追い詰められていることを。

「これまでの検査で、ある程度患部の場所は特定ができています。ただ、患部の周辺にはたくさんの神経や血管が集中し、複雑に絡み合っている箇所があります。この箇所をいかに回避して外科手術をするかを、専門チームで色々と検討しているうちに、現在の状況に陥ってしまったのです。

 医師として不適切ではないかという非難を、あえて覚悟して正直に申し上げます。今の時点で手術をすることは、半分賭けです。頭を開いてみて、絡み合っている神経や血管を傷つけないで、風船のように膨らんだ動脈瘤だけを切り取り、それを元の血管につないで、元通りの血液の流れを取り戻せるようになるかは、今の時点では正直、私にも判りません。

 しかし、ここで手術に踏み切らないと相澤由美さんは、永遠にお二人のもとには帰ることができなくなります。残念ですが、これだけは確実に言えることです」

 僕が今、受け止めなければならないことは、手術をしなければお母さんが死んでしまうという事実。そして、その手術が確実に成功するとは限らない事実。

 それは波のように僕に襲いかかってきた。波は津波のような激しく猛々しいものではなく、繰り返すごとにひたひたと足元の水嵩を増していくような、そんな嫌な感じの波だった。心が侵食をされて行く感じ。砂で作った山が、染みてきた海水で、ゆっくりと崩れて行く感じ。

 この殺風景な部屋に入った時には、すでに波は引いては、戻ってくることを繰り返していたのだ。ただ、僕がそれに気づかなかっただけ。そして、気づいた今、水嵩が増して僕の心にまで浸水してきていた。

「今、ここで決断をしなければならないということですね」

 お父さんが静かな声で訊いた。

「できれば、この場でご決断をいただきたいです」

 お父さんは、僕のほうに体を向けた。

「幹央はどう思う? お父さんの考えを押しつけるんじゃなく、二人で決断していくことだから、幹央の考えや気持ちを聞かせてくれないか」

 お父さんは優しかった。僕を見つめる目も問いかける声も。まるで上質なカシミヤの毛布で、僕を優しくくるんでくれているようだった。そのおかげで、僕の心に浸水してきていた不安という名の波は、跡形もなく引いて行った。だから、決断ができた。揺ぎない決断。

「僕は手術をして欲しいです。治る可能性が1パーセントでもあるなら、お母さんを助けて欲しいです。お母さんの笑顔を絶対に失いたくないです」

 最初にお父さんを見て、その後に二人の医師に向きなおして僕は言った。

(幹、いつの間にこんなに強くなったの)

 お母さんはそう言って驚いた顔をするだろうか?

「先生、私の気持ちも息子と同じです。手術をお願いします」

「判りました。手術の準備をすぐに進めます。手術の承諾書などに記入をしていただく書類が何点かありますので、お父さんはもう少しここに残っていただけますか」

 そう言うと、片山准教授が一礼をして部屋から出て行った。

「幹央君だっけ? お母さんはいつも幹って呼んでいるよね」

 溝口先生は書類を取りに行ってきますと席を立ったあと、ドアのノブに手をかけたまま振り返って言った。

「はい。相澤幹央です」

「幹央君は、お母さんのところに行ってあげてください」

「行っても良いんですか?」

「息子さんは特別です。でも血圧を下げるための薬を処方しているので、眠っているかもしれないね」

「わかりました。眠っていても顔を見るだけでもうれしいです」

 僕は溝口先生の気持ちがうれしかった。

「目を覚ましていても、くれぐれも興奮をさせないようにしてください。でも、幹央君の顔を見ると、それはちょっと無理な話かな」

 溝口先生は、この状況の中でも決して不謹慎とは感じないような、上品な笑顔を浮かべた。

「はい、気をつけます」

 部屋を出て行く溝口先生を、深く頭を下げて送った。

「大丈夫だからな!」

 お父さんはそう言った。僕にではなく、問わず語りのように自分自身に言い聞かせているように思えた。

「うん。僕たちそのためにずっと笑顔で過ごして来たんだからね」

 僕もお父さんにそう答えながら、半分以上は自分に言い聞かせていた。

「もう神様にはすっかり気に入られているよね」

「当たり前だろ。こんな気のいい親子はそうざらにはいないだろ」

「うん」

 これ以上喋っていると、涙を運ぶ心のポンプのスイッチがONになりそうなので、僕は部屋を出た。それからナースステーションに寄って、お母さんが入っている集中治療室の場所を訪ねた。

 溝口先生がすでに話を通してくれていて、この十日間ですっかり顔見知りになった看護師の秋元さんが、「幹央くん」と言ってすぐに出てきてくれた。

「関係者以外は勝手に入れないから、私が一緒に行くね」

 何も聞かないのに、秋元さんの一歩後ろを歩いている僕を振り返って言った。

「ありがとうございます」

 僕は、少しだけど笑顔を返した。もっときちんとした笑顔を返したほうがよかったかなとちょっと後悔をした。

「お母さんきっと大丈夫よ。片山先生も溝口先生もとっても優秀な先生だから」

 すでに手術実行の情報が入っているのだろう。秋元さんは、今後は前を向いたまま言った。

「……」

 これには言葉ではなく、秋元さんの背中に無言で頷いた。でもきっと空気の振動で秋元さんには伝わったと思う。

 お母さんは眠っていた。薬のせいで少し弛緩している分、先週見舞いにきた時よりもふっくらとしているように見えた。入院をしてから少しずつ頬がこけてきていて、お母さんもそれを気にしていたので、薬のせいであっても少しふっくらした顔を見るだけで、すごくうれしかった。

「幹央君、お母さんに話しかけてあげたら」

 秋元さんは促すように僕の肩を優しく叩いた。

「良いんですか?」

「少し話しをするくらいは大丈夫よ」

 そう言われても、僕はなかなか声をかけることができなかった。目を覚ますとお母さんがそのまま壊れしまいようで怖かった。つい今しがた「ふっくらとしている」と感じたお母さんの顔が、まるで脆い陶器人形のように見えてきていた。

「相澤さん、相澤さん。幹央君がお見舞いにきてくれましたよ」

 なかなか声をかけない僕に代わって、秋元さんがお母さんを起こしてくれた。

 ゆっくりとした動作で、お母さんが目を開いた。陶器人形は壊れなかった。でも、今自分が置かれている状況が理解できないのか、瞳をキョロキョロと忙しく動かしている。

「お母さん」

 彷徨っていた瞳が静止して、僕の視線と交差した。

「幹?」

 なぜ自分がここにいて、息子がそばにいるのかをお母さんは判っていないようだった。ひょっとしたら薬のせいで自分が入院していることも忘れているかもしれないと、そんなふうに思わせるほどの頼りなさだった。

「相澤さん、ここは集中治療室ですよ。眠っている間に病室を移ったからびっくりしますよね。部屋は違っても同じ病院の中ですから」

 秋元さんは笑顔を浮かべたままだったが、きちんとお母さんの耳に届くように、明確で歯切れの良い声で言った。きっと優秀な看護師さんなんだよね。

「ああ……」

 記憶を繋ぎ合せるのに時間がかかったのか、しばらく経ったあとに、お母さんが頼りない返事をしながら頷いた。

「血圧を下げるお薬が効いているから、少しぼんやりしているでしょ。でもこれ薬のせいですからね。心配は要りませからね」

 やっぱり秋元さんはかなり優秀な看護師さんだ。きちんとお母さんに説明をしながら、同時に血圧や脈拍を測ってファイルに記入している。

「大丈夫だったんですね……。わたし」

さっきよりははっきりとした声で、お母さんはそう呟くように言った。

「ええ、この通り大丈夫でしたよ。念のために集中治療室には移りましたけど」

「お母さん……」

 それだけ言うと胸がいっぱいになって、これに続く言葉が出てこなかった。

「幹。お母さん、もう幹に会えないかと思っていた」

 お母さんはそれだけ言うと、それが重労働だったかのように、緩慢な動作で再び目を閉じてしまった。上の瞼と下の瞼が重なった瞬間に涙がこぼれて、頬を伝って流れた。

「何をバカなこと言っているの、僕はここにちゃんといるよ」

「……」

 お母さんは、何も言わずにただ頷いた。

「ほら、目を開けてよ、お母さん。ちゃんと僕を見てよ。幹がここにいることを確かめてよ」

 お母さんは何度も頷き返したけど、今度も目を開けなかった。

「お母さん!」

 思わずお母さんの腕を掴もうとしたら、咄嗟に秋元さんに強い力で手首を掴まれて阻止された。

「興奮をさせるような行動は止めてください」

「だって……」

 秋元さんも解っているはずなのに、僕の気持ちを解ってくれているはずなのに。優秀な看護師さんだから、僕の手首を掴むしかなかったの? こんなに強い力で。でも、こんな時には少し無能な振りをして欲しかった。

「お母さんは今薬で半分眠っている状態だから、幹央君の問いかけに上手く答えられないのは仕方がないことなの」

 そう言うと、秋元さんは僕の手首を掴んでいた手を優しくほどいた。

「幹、お母さん、手術は受けないよ」

 目は閉じたままだったけれど、声ははっきりとしていて、決して半分眠っているような曖昧さはなかった。

「お母さん?」

「相澤さん?」

 すぐにお母さんの言っている言葉の意味が解らなかった。秋元さんも同じように首を傾げている。

「お母さん、もうこのままでいいからね。このままで十分だから。本当は、今日もこのまま意識が戻らないほうが良かったと、思っている」

 僕は、この耳を疑った。お母さんが本心で言っているとは到底思えなかった。誰か悪い人がお母さんの心を操って、心にもないことを言わせているとしか思えなかった。だから、秋元さんの顔を見た。秋元さんは、悲しそうな顔をしていた。この顔がお母さんの口から出た言葉が僕の聞き間違いでないことを、リトマス試験紙のように明確に判断をしてくれた。

「何を言っているの、お母さん。そんな悲しいこと言わないでよ!」

 興奮をさせてはいけないと頭の中では解っていても、お母さんへの強い思いが大きな声を出させてしまう。

「お母さん、ついさっきお父さんと決めてきたんだよ。お母さんに一日でも早く治って欲しいから、手術をすることを決めてきたんだよ」

 お母さんの体に取りすがろうとする僕の体を、秋元さんが後ろから抱え込んだ。どうしてこんな華奢な体にこんな強い力が備わっているのだろうか。

「そうですよ、相澤さん。そんなこと言ったら幹央君もご主人も悲しみますよ。元気になって退院するんでしょ。幹央君の作るカレーが食べたいって、そのために一生懸命頑張って早く退院するんだって、あれほど毎日のように言っていたじゃないですか」

 僕の体を背中から抱きかかえたまま、秋元さんがゆっくりと一つひとつの言葉が確実にお母さんの耳に届くように言ってくれた。

 閉じたままのお母さんの目から止めどなく涙が溢れていた。でも、お母さんはずっと首を横に振り続けた。拒絶の意思を体で示していた。

「僕、カレー作るの、もっともっと上手くなったんだよ。お母さんが退院をしたら食べてもらおうと思って、あれからもう二回も作ったんだ。ニンジンやジャガイモの皮をむくのも、玉ねぎを刻むのも上手になったのに、お母さんに食べさせてあげたいから、食べてもらいたいから一生懸命に練習をしたのに……。このままで良いなんてどうしてそんな悲しいことを言うの?」

 こんな時に、こんな大事な時に涙がこぼれて言葉が詰まってしまう自分が不甲斐なかった。もっと話さないと。お母さんの心に届く言葉を話さないと。

「幹央君、あなたの気持ちは痛いほど解る。けれど、まずは幹央君の気持ちを落ち着かせよう。そうしないとお母さんまで興奮してしまって血圧が上がってしまうから」

 秋元さんの声が耳に届きにくかった。気持ちを落ち着かせることなんかできないよ。だって、これが、今のこの気持ちが正真正銘の僕の気持ちなんだから。

 僕の声がお母さんの涙のポンプの回転数を上げてしまったみたいに、溢れる涙の量がどんどん増えていった。

「ごめんね。こんな弱虫なお母さんでごめんね、幹。でもお母さん無駄遣いをしたくないんだ。せっかくこつこつと貯めてきた幸せの貯金を、こんなことで無駄遣いしたくないの。だからいい、お母さんはこのままで良いの。自分の体のことだもの、自分が一番良く解っているよ」

 お母さんは、かすかに笑顔さえ浮かべた。

「何を訳の解らないこと言っているんだよ。お母さんが元気にならなきゃ、家族の誰も幸せにはなれないよ」

 制御装置が壊れてしまったロボットのように、お母さんはただ無言で首を横に振り続けるだけだった。もう、僕が何を言おうとも、その言葉も声もお母さんの耳には届いてはいないようだった。

「幹央君、今日はこれで引き上げよう。お母さんお薬のせいでいつものお母さんじゃなくなっているから。お母さん、今。現実と夢の間を彷徨(さまよ)っている状態だから。ごめんね、私の配慮が足りなくて。今度はいつものお母さんに完全に戻った時に会ってもらうから。本当にごめんなさい、幹央君にこんな辛い思いをさせてしまって。私、看護師失格ね」

 秋元さんに促されて、僕は重い足を引きずりながら集中治療室を出た。廊下を病院の玄関まで歩いていても、まるで他人の体のように脚に力が入らなかった。脱力感という包帯を全身にぐるぐる巻かれたミイラになってしまっていた。


 病院から自宅に帰る車の中で、お父さんはまったく口を利かず、怖い顔をして運転を続けていた。固まってしまったような車内の空気を溶かすほどの話題も思い浮かばなかったし、それをするだけの元気はもう僕の中に残っていなかった。実際僕はとても疲れていた。助手席に座ってシートベルトをすることさえも億劫に感じるほどにぐったりと心が萎(しお)れてしまっていた。

 家まではあと二十分くらいかなとぼんやりと思っていた時、突然お父さんがハンドルを切ってファミリーレストランの駐車場に車を入れた。

「お腹なんか空いてないよ」と言おうとしたら、サイドブレーキを引いてエンジンを切った直後に、突然お父さんがハンドルに顔を伏せて声を出して泣き出した。まるで小さな子供のように、大きな声を出して体を震わせながら泣き続けた。

 突然のことに僕はうろたえてしまった。お父さんの背中を優しく撫でてあげることも、心を開放して一緒に声を上げて泣くことも思いつかないまま、ただうろたえているしかなかった。

「お母さん……、このまま死なせて欲しいって。……お願いしますって」

 繰り返襲ってくる嗚咽を必死で我慢しながら、涙を混じりの声でお父さんが絞り出すように言った。

「もう十分に幸せだったから。あなたと結婚できたし、幹央を生むこともできて、三人家族の幸せを十分に味わうことができたから、もうこのまま手術なんかしないで静かに死なせてくださいって」

「……」

 僕は何も言えなかった。ただ止めどなく涙が溢れてきて、胸が強い力で引き裂かれるような痛みを感じていた。呼吸をすることさえも苦しいと感じていた。

「僕も幹央もお母さんが手術をすることを強く望んでいる。手術をして元気で退院して、もう一度楽しい毎日を三人で送ることを願っていると、何度も何度も言ったのに、お願いをしたのに、お母さんはずっと首を横に振り続けるだけなんだ」

 話しているうちに少しずつ気持ちが落ち着いてきたのか、もう嗚咽を繰り返すことはなくなっていた。

「お母さん、泣きながらこう言うんだ。『幸せの無駄使いをしたくないんだ』って。何を言っているのか訳わかんないよな。何が無駄使いだよ。幸せに無駄使いも節約もないだろ。……なあ、幹央」

 まだ完全には涙が乾いていない目を向けて、強い力でお父さんは僕を見た。

「お母さんが元気になることが一番の幸せだと僕は思う」

 声に涙が混じっていたし、小さく震えてもいたけど、自分の気持ちはきちんと言えた。

「その通りだよな。その通りだよ……」

 一度乾き始めていた涙が、お父さんの目から再び溢れ出してきた。もう僕も、流れでる涙を拭うことは止めて、心がストップをかけるまで泣き続けることにした。だって、辛くて、悲しくて、どうしようもないほどに心が痛がっていたから。

「神様は僕たちのことを気に入ってくれなかったのかな? やっぱり無理して笑顔で過ごしていることをすぐに見抜かれて、そのお仕置きをされてしまったんだろうか」

 何もかもマイナス方向に考えてしまう「負のスパイラル」が、お父さんを洗脳し始めているようだった。あの逞しかったお父さんが少しずつ、でも確実に壊れて行く。

「苦しかったり辛かったりしたら、やっぱり泣いたりわめいたりするのが自然だよな。辛い気持ちを誤魔化して、へらへら笑って過ごすなんて嘘っぽいよな。薄っぺらな企みなんて、すぐに神様に見破られてしまうよな」

 ほんの些細なことなんだけど、自分の思っていることが少しずつずれてしまい、何をやっても上手く行かない時がある。そんな時、僕も考えがどんどんマイナスの方向に行ってしまうことがある。「今のやり方がダメなんじゃないか?」とか。「やっぱり初めから自分にはやれる力がなかったんじゃないか?」。疑問符はいつも後ろ向きの顔しか見せない。

 こんな時、苛々した僕の気持ちを切り替えてくれたのは、いつもお母さんの明るさだった。尖った声や物にあたる行動で、それを敏感に感じ取ると、お母さんはいつもこう言ってくれた。

「幹、短期は損気って言うんだよ」

 不機嫌に暮らしても、楽しく笑って過ごしても、同じ一分、一時間なんだよ。過ぎて行く時間はどんなことをしても取り戻せないんだけどな。勿体ないなあ。

 お母さんにそう言ってもらえると、不思議と気持ちが落ち着いた。凍える冬の日に外から帰ってきて、温かい牛乳を飲んだ時のように、心がすみずみまで温まって、細胞が生き生きと前向きに活動を再開するような、そんな気持ちにもなった。

 だから、今日は僕が、その冬の日の温かい牛乳になる。

「お父さんの笑顔はいつも温かかった。仕事の帰りに毎日病院に寄って疲れているはずなのに、いつも『ただいま』と笑顔で帰ってくるお父さんを見ていたら、僕まで嬉しくなったよ。もう中学生なのに、男なのに情けないけど、お父さんが帰ってくるのがいつも待ち遠しかった。お父さんが家に入ると、なんだかもう一つ灯りがついたように部屋の中がパーっと明るくなるような気がした。へらへら笑ってなんかしていなかったし、嘘っぱちでも薄っぺらでもなかった。僕は神様ではないけど、お父さんの笑顔は、僕の一番のお気に入りだったし、今もそうだよ」

 気持ちを強く持って最後までしっかりしろと、自分を励ましながら頑張ったつもりだけど、堪えきれずに声に涙が混じってしまった。

 それでもお父さんは、「うん、うん」と何度も何度も頷いてくれた。


 その日家に帰って、二人ともかなり無理をして夕食を食べた。食欲が全くわかなかったけど、食べることで、弱くなってしまった心にエネルギーを補充できると信じて、胃の中に食べ物を流し込んだ。

「明日になれば何かが変わる。きっと明るい方向に道は開けて行く」と、まったく根拠のない希望に夢を託しながら、「おやすみ」と言って部屋に入って、僕は机の引き出しの奥にしまっておいたお母さんから預かった『幸せの貯金通帳』を取り出した。

 この中に何があるのか? 何が書いているのか? それよりも、そもそも幸せの貯金とはなんなのか? お母さんが自分の命を削ってまで守ろうとしたものはそんなことなのか?

 僕は机のスタンドを点して、赤いハードカバーのノートの表紙をゆっくり開いた。


新しく始まった両親の結婚生活のささやかな喜びや戸惑いが、そのまま小さな幸せとなって、「幸せの貯金通帳」に加算されていた。

 それは1AIであったり、2AIであったりと、いつもの日常の中では誰もが見過ごしてしまいそうな、ごくありふれた出来事であっても、新婚当時のお母さんの目を通せばかけがえのない幸せに受け取ることができたのだろう。


       2004年 5月25日(火曜日)  くもり

★幸せポイント  +5AI          ★累計ポイント+32AI


今日は朝から少し肌寒むかった。外は今にも泣きそうな曇り空で、せっかくの新緑の桜並木が少しくすんで見えるほどだ。6月に入れば雨の季節が始まってしまうので、その前の貴重な初夏の日々は、どうかきらめく太陽の光で溢れる毎日でありますように祈りたい。

さて、今日、結婚して初めての隆央さんのお給料日。隆央さんの手から給与明細を受け取る。お給料は振込みなので、実際に手渡してもらったのは一枚の給与明細だけだったけど、とてもうれしかった。

「一ヶ月間ご苦労さまでした。ありがとうございます」と、心からお礼を言って受け取った。隆央さんと夫婦になった実感、奥さんになった実感を噛みしめる。

 隆央さんが一生懸命に働いて頂いたお給料。大切に使おう。決して無駄使いはせずに、節約をして将来のために貯金もしよう。

 夕食の時に、特別に隆央さんの好きな茶碗蒸しをおかずに追加した。「わあ、今日はごちそうだね」と言って美味しそうに食べてくれた。食べている顔も幸せそうだった。きっとそれを見ている私の顔はもっと幸せそうだったと思う。


2004年 7月○日(土曜日)  晴れ

★幸せポイント  +5AI          ★累計ポイント+56AI


 再びこの幸せの貯金通帳のページを開くことができた。

 もうこのページを開いてペンを走らせることは、二度とないだろうと考えていた。

 私が愛し、私のことを愛してくれた両親が不慮の交通事故で亡くなってから、ひと月半の時間が経った。二人の事故のあと私は、生きる気力を完全に喪失し、ただ抜け殻のような生活を送っていた。

 そんな私を救ってくれたのは、隆央さんだった。隆央さんが提案してくれた方法で、私は再び隆央さんとの日常を取り戻すことができたのだ。

 今は、隆央さんへの感謝の気持ちで一杯だ。改めて、ありふれた平凡な日々の有難さを感じている。平凡な毎日の中で、細やかな幸せの糸を紡いで、細く長い日々を隆央さんと一緒に歩んで行こう。

 そろそろ梅雨明けが近そうだ。今年の梅雨はON、OFFがはっきりしていて、あまりししとしととは降り続かない。昨日あんなに激しく降っていたのに、今日は朝からきれいな青空が広がっていた。街は昨日降った激しい雨に洗われて、ベールを一枚はがしたようにくっきりと強い太陽の光に映えている。

 今日は晴れて本当に良かった、なぜなら、隆央さんと出かけることになっていたからだ。何日も前から今日が晴れますようにとお祈りをしていた。金曜日に隆央さんのボーナスが出た。思っていたよりも多かったようで、隆央さんも少し自慢気な顔で明細書を渡してくれた。

 最近は忙しくて帰宅も遅い日が続いている。これだけ頑張っているんだもの、少しボーナスが多かったのは隆央さんの頑張りに対する会社からのご褒美かな。

 今日二人でデパートに買い物に行った。ボーナスが出たら新しいサマースーツを買いたいと言っていたので、これを買いに二人で出かけた。隆央さんが選んだのは、オーソドックスな紺色のスーツと、薄い茶色のスーツ。試着したらどちらもとても似合っていた。スーツ姿の隆央さんはやっぱりカッコ良い。気に入ったのが見つかって良かったね。

 お昼ごはんをデパートの近くのイタリアンレストランで食べた、マルガリータのピザにペペロンチーノのスパゲティー。これにルッコラのサラダを追加して、二人で分けながら食べた。デザートにはこの店自慢の「ティラミス」を注文した。さすがに自慢の一品だけのことはあってすごく美味しい。とてもリッチなランチ。こうした外食は初めて(近所のうどん屋さんはあるけど)。ちょっと贅沢。でもうれしい。

 レストランを出たあと、隆央さんが「由美も夏物を何か買ったらいいよ」と言ってくれた。「もったいないよ」と断ったら、「ボーナスが出たんだから、特別と言うことで」と隆央さんに手を引っ張られて、再びデパートに入った。

 色々と迷って、シャーベットオレンジ色のワンピースを買ってもらった。上品な色合いで、麻と綿の混紡。「とても良く似合っているよ」と隆央の一推しだった。来月の隆央さんの実家への帰省の時に着て行こう。

 夕食はもちろん自宅で食べた。お昼に贅沢をしたので、夕食は少し質素にする。

 隆央さんが頑張ってくれたおかげで多めにいただいたボーナス。帰省の予算を差し引いて、残りは貯金をしよう。


        2004年 8月△日(□曜日) 晴れ

 ★幸せポイント -10AI             累計 48AI


 隆央さんが風邪を引いて今日は会社を休んだ。六月から重要な仕事に取り組んでいて、ここ二ヶ月間は帰宅するのが深夜になる日が続いていたし、時には土日も出勤することさえあった。

 二、三日前から少し咳をするようになっていたので、早めに薬は飲んでもらうようにしたけど、今朝、とうとう高い熱が出てしまい会社を休んだ。本人は薬を飲んで会社に行くと言って聞かなかったけど、私がお願いをして休んでもらった。夏風邪は治りにくいので、こじらせてしまったら大変なことになる。私がいつもになく強い口調で言ったので、隆央さんは驚いた顔をしていた。でも、大切な体のことだから、きちんと強い姿勢を持たないと妻としては失格だ。

 一日も早く隆央さんの風邪が治るように。幸せの貯金通帳から10AIポイントを引き出す。どうぞこれを使って一日も早く隆央さんの風邪を治してください。

<夕方から続きを書く>

 「大げさだ」と面倒がる隆央さんを説得して、午前中に近所のクリニックに診察に行った。のども赤く、咳も続いているせいで熱が高くなったのでかないかとの診断だった。処方してくれた薬を飲んだ後、ぐっすり眠った隆央さんの少し疲れた寝顔を見ていたら、なんだか胸が熱くなって涙が出てきた。「私のために頑張ってくれているんだ」と思ったら、切ない気持ちになってしまった。もちろん頑張ってくれていることへの感謝の気持ちは大きいが、それよりも「もうこれ以上頑張りすぎないで」という気持ちのほうがずっと大きい。

 隆央さん、私は今でも十分すぎるくらい幸せです。幸せすぎて怖いくらいです。でも私が一番怖いのは、隆央さんが私の前からいなくなってしまうことです。だから、大切な体を壊すほど頑張らないでください。お願いします。

 隆央さんは、眠っている間に大量の汗をかいて、下着とパジャマを二回着替えた。シーツも濡れてしまうほどの汗の量だったので、シーツも新しいのに替えた。

 きっとこれが良かったのだ。夕方には熱も平熱に下がり、昼食の時には、「薬を飲むために」と無理矢理胃に流し込んだ食事も、夕食の時には。発汗でミネラル分が流れ出ているからと、補給のために少し濃い味付けをした、卵雑炊を三杯も食べてくれた。

 うれしい!隆央さんが美味しそうに食べる姿を、にっこりと笑う口元を、夕食の時に見ることができてこの上なくうれしい。

「明日、もう一日休んで欲しい」と私がお願いをして、隆央さんも「そうする」と言ってくれた。幸せのポイントが効いたのかどうかは分からないけど、私は、きっと助けてくれたと信じている。


 その後も生活の中での些細な幸せが、1AIポイントや、せいぜい2AIポイントで加算されていた。それは、例えば「初めて作ったブリ大根を隆央さんが美味しいと褒めてくれた。+1AI」だったり、「近くのスーパーの年末の福引で三等賞(三千円分の買い物券)が当たった。+1AI」だったり、逆に、「料理中に包丁で指を切ってしまった。-2AI」だったり。

 幸せの貯金通帳をずっと読み進んでいるうちに、まだ僕が生まれる前の、お母さんの日常の出来事が、まるで自分の記憶を辿っているように、くっきりとスクリーンに映る動画のように鮮明に頭の中に浮かび上がってきた。

 お母さんがどんなにお父さんのことが好きで、そんなお母さんのことを、お父さんがどれほど愛おしく思い大切に思っているかを、書かれた言葉のひと文字ひと文字が、そのまま声になって僕の耳に訴えかけてくるようだった。

 誰もが気軽に口にし、文字にする「幸せ」は、僕の持論から言えば、実はとても漠然(ばくぜん)としていて、時にはとてつもなく大きく、また時には限定的で極端に狭くて小さかったりもする。そして、誰も断定的な「定義」を知らない。もちろん僕もそうだ。けれど、お母さんが書いたこのコメントを読んでいると、「幸せ」の何億分の一の形が、確かにここに息づいていると感じる。

 すでに時計の針は「0時」を過ぎていた。

 それでも僕は、まったく眠気を感じていなかった。とにかく朝がくるまでに、この「幸せの貯金通帳」を読み終えなければならない。これを読み終えた後に、一度失ってしまったこの家の大切な照明を、再び灯すためのスイッチを見つけることができるはずだと、誰が約束をしてくれたわけでもないのに、僕は確信のようなものを胸に感じて、次のページをめくって行った。

 読み進んでいるうちに、僕に関わるページに到達した。


      2004年 9月△日(○曜日)  晴れ

★幸せポイント  +30AI          ★累計ポイント+145AI


 体の細胞の一つひとつに幸せが染みわたってくる。ひとつ息をするたびに、一回まばたきをするごとに、幸せが小さな風になって私の頬を撫でてくれる。

 今日、病院で妊娠が確定された。だいぶ前から兆候は感じていたのだが、間違っていた時にショックが大きそうだったので、なかなか病院に行く勇気が出なかった。でも、今日、自分でも「もう間違いない」と自信が持てたので、一人で病院に行ってきた。

 検査を終えて、再び診察室に入ったら、女医の安原先生から「おめでとうございます。妊娠三か月ですよ」と言われた。安原先生の声が、まるで幸運を告げる神様の声のように私の耳には響いた。一人の新しい命を宿す。来年の五月には私は母親になる。愛する隆央さんと私の子供。神様が授けてくださった私たちのかけがえのない天使。

 季節が巡って、桜の花が咲き若葉が芽生えて、街中が生き生きと新鮮な緑に染まる頃、私たちの子供が生まれてくる。「男の子だろうか、女の子だろうか?」なんて、もうそんなことなんてどうでもいい。ただ元気で生まれてきてくれたら。あとはもう何も望まない。

 帰宅した隆央さんに玄関口で子供が授かったことを告げたら、いつもは冷静な彼が、ガッツポーズを作って「やったー!」と大声を上げて喜んでくれた。

「一番大切な時だから、大事に一日一日を送っていこうな」と、夕食の後片付けを手伝ってくれながら、隆央さんがそう言ってくれた。今だって十分に優しいのに、さらに優しさが増したようだ。これじゃあまるで優しさのかたまりだよ、隆央さん。


 妊娠が判ったあと、お母さんは「つわり」に苦しんだらしい。自分の中に子供を宿したことの確かな証しだと、この「つわり」の苦しさをなんとか乗り切ろうと頑張っている様子が、この間のコメントの中のそこかしこに散らばっている。

 コメントの中の言葉を借りれば、「乗り物酔いをした時の気持ちの悪さが一日中続いている」とか、「体調の悪さを紛らわすために、楽しいこと、嬉しいこと、大好きなことを思い浮かべようとしても、うまく思い浮かばない。大好きな隆央さんの顔さえも思い浮かべることができないほどだ」

 そして、辛い「つわり」がようやく終わった頃、これを待ち受けていたようにさらなる試練がお母さんに襲いかかってくる。


      2004年 10月□日(△曜日)  晴れのちくもり

★幸せポイント -100AI          ★累計ポイント+51AI


 このコメントは、実際には一週間後に書いたものだ。

 一週間前の10月□日。私は、この日朝から下腹部に嫌な重さを感じていた。それでも隆央さんを会社に送り出した後に少し横になっていたら、多少楽になったので洗濯を始めた。そうしたら、すぐに再び鈍い重さを下腹部に感じたのでトイレに行ってみたら、出血をしていた。これを見たとたんに全身から血の気が引いていくのが分かった。目の前の景色が消えて行く感じ。

 何も考えられないまま、とにかく隆央さんの会社に電話をした。幸いオフィスにいてくれて事情を話すと、すぐに帰るからとにかく横になって安静にしているようにと言ってくれた。隆央さんが帰ってくるまでの間、一人でベッドに横になっていると、赤ちゃんが「助けて!」と言っているような気がして、涙が溢れて止まらない。こうして安静にしている他には何にもしてあげることができない自分が情けない。あなたのお母さんなのに、守ってあげなくてはいけないのに……。ごめんね。何もできなくてごめんなさい。

 帰宅後、隆央さんがすぐに病院に連絡をしてくれて、車で病院に連れて行ってくれた。

 出血はあるが、胎児の心音ははっきりとしているので大丈夫でしょうと安原先生は言ってくださった。少し安心をする。ただ「切迫流産」の恐れがあるので、そのまま入院することになった。

 入院に必要なものは、隆央さんがすべて整えてくれた。午後七時までの面会時間以降は誰も付き添いができないので、隆央さんが帰った後は、一人の長い夜が始まる。入院してすぐに処方された点滴が効いたのか、それ以降出血は止まっている。

 神様お願いです。どうかお腹の子供が無事に育ち、五月には元気な産声を上げて生まれてきますように。どうか、私たちの子供を助けてください。子供の命を絶対に奪ったりしないでください。幸せのポイントを100AI下ろします。どうか私の願いを聞いてください。

 入院をして一週間が過ぎた。出血は止まったが、下腹部の張りがまだ取れていない。ただ、胎児の心音は力強く、「お腹の中のお子さんは元気ですよ」と、安原先生が励ましてくださる。この子が頑張っているのだから、母親の私も頑張らなければ。



      2004年11月□日(○曜日)  晴れ

★幸せポイント 10AI          ★累計ポイント+61AI


 三週間ぶりの我が家。お腹の子供と一緒にこの家に帰ってくることができた。とてもうれしい。やっぱり我が家が一番。玄関に入ったら。鉢植えのアジアンタムが元気いっぱいに、小さな緑の葉を揺らしていた。私が入院している間、隆央さんが毎日水をあげて、夜には居間の中に入れてくれていたのだ。寒さに弱い植物だから、この季節はもう夜間は玄関に置きっぱなしにはできない。だから、帰ったら枯れているんだろうなと半分諦めていた。

「由美が大切に育てていたアジアンタムだから。絶対に枯らすわけには行かない」と思って手入れをしたんだよと、隆央さんは言った。でも、本心は、このアジアンタムが元気なうちは、きっとお腹の子供も元気で育ち続けていると、何もしてあげることができない僕が、精一杯やれることはこれしかなかったんだと、その日の夕飯の時に告白をした。隆央さん、いっぱいしてくれたよ。見舞いにきてくれるたびにいっぱいの元気もくれたし、優しさもくれた。もうこれ以上何をもらえばいいの?

 家族全員で乗り切った。家族全員で頑張った。隆央さんとお腹の赤ちゃんと私の三人。

 もう大丈夫。きっと元気な赤ちゃんが生まれてきてくれる。


      2005年 5月8日(日曜日)  晴れ

★幸せポイント 100AI          ★累計ポイント+202AI


 実際には、このコメントは六月八日に書いている。

 五月八日の午前六時、朝の訪れと共に、私たちの子供が無事に誕生してくれた。牡牛座生まれの男の子。三千グラムに少し足らなかったけど、とても大きな産声を上げて生まれてきてくれた。

 前日から隆央さんが付き添ってくれて、心強い中での安産だった。自分の子供の顔を見て、しっかりと握りしめた小さなこぶしを見たら、あとはもう涙が止まらなくなってしまった。

「生まれてきてくれて、本当にありがとう」

 この気持ちだけが私の心を占領していた。この感動は一生忘れないと思う。

 名前は、幹央(みきお)と付けた。隆央さんと結婚をした時に、男の子が生まれたら幹央と付けたいと決めていた。この名前の意味と私の気持ちを隆央さんに説明をしたら、隆央さんも「大賛成だよ」と喜んでくれた。

 幹央、あなたの人生がこれから始まります。どんな未来が待っているか想像もつかないけど、私たち親ができることは、あなたが一人で歩いて行ける心と体の強さをつけてあげることだけです。

 これからの人生の中で、どんなに辛くて苦しいことがあったとしても、それに負けないで、たとえ一度後退しても、また前に向かって歩み出せる心の持ち方と、健康な体を身につけられるように、お父さんもお母さんも、愛情いっぱいに幹央を育てて行きます。

 今は、「生まれてきてくれてありがとう」だけど、遠い未来のある日、「僕を生んでくれてありがとう」とあなたが言ってくれたら、お母さんにはこれ以上の喜びはありません。

 出産をして一ヶ月間は目を酷使してはいけないという、隆央さんのお母さんの言いつけを守って、テレビも観なかったし、新聞や雑誌も読まなかった。だから、この幸せの貯金通帳のコメントも一ヵ月遅れの今日(六月八日)に書いている。

 もう目が見えるようになったので、幹央が目で私を探している。本当に可愛くて、愛おしくて仕方がない。



      2005年 6月□日(日曜日)  晴れ

★幸せポイント 10AI          ★累計ポイント+215AI


 今日は幹央の宮参りの日。いつもより早く起床をしてお赤飯の用意をする。

 近くの友呂岐神社には十時にお願いしているので、準備を急ぐ。九時には隆央さんのご両親が我が家に到着。九時半には隆央さんの運転する車で神社に向かった。

 今日は初夏の日差しがきつく、朝から気温も高くなっているので、せっかくお義母さんが作ってくださったお召しも、鳥居の前で写真を撮った後はすぐに薄いケープに替えた。

 お義母さんが抱いてくれている間中、幹央はずっと大人しく機嫌よくしていた。

 神殿に入り、神主様からご祈祷を受けて、無事に宮参りを済ますことができた。天気にも恵まれ、何より主役の幹央がずっと機嫌良くいてくれたので、素晴らしい宮参りになった。

 自宅に帰ってから心ばかりのお祝いの食卓を囲んだ。昨日のうちにお義母さんが立派な鯛を届けてくださっていたので、これを焼いて、お赤飯とお吸い物、あとは野菜の煮物と、少し大きめの車えびを天ぷらにして、お義父さんとお義母さんは少しビールも飲んだ。隆央さんも飲みたそうだったけど、両親を車で送って行かなければならないので、ぐっと我慢。

「やっぱり、お祝い事は何度やってもいいもんね」

 とお義母がお赤飯を口に運びながら嬉しそうに言ってくれた。

「何につけても、家族が増えることは喜ばしいことだよ」

 と、ビールを飲んで少し赤くなった顔をほころばせてお義父さんが言った。この言葉が心に染みた・

 いつもよりも長い外出に疲れたのか、幹央はお乳を飲んだあとにぐっすり眠り、大人たちがゆっくりと食事できる時間を提供してくれた。親孝行な息子だ。



      2006年 5月8日(月曜日)  くもりのち晴れ

★幸せポイント 30AI          ★累計ポイント+297AI


 幹央の一歳の誕生日。幹央、お誕生日おめでとう。元気な笑顔を浮かべたあなたと、この日を迎えられたことが、お母さんはとてもうれしいよ。

 この一年間、大きな病気をすることもなく、すくすくと育ってくれた。首の座りが遅いと言われては夜も眠れないほどに心配をし、夜泣きがひどくてなかなか泣き止まない時は、私も一緒に泣いてすごした夜もあつた。

 けれど、寝返りが打てるようになり、やがてハイハイが始まると、目を離すとすぐにどこかに行ってしまうので、毎日気が抜けない状況が続いて、小さなことではまったく悩まなくなった。こんな育児漬けの毎日に最初のうちはとても疲れていたけど。やっと歯が生え始めた口元を大きく開いて返してくれる笑顔を見たら、どんな疲れだってすぐに吹き飛んでしまった。

 一歳の誕生日のお祝いに、幹央の大好きなイチゴを使ってババロアを作った。これに一本のローソクを立てて「ハッピーバースデー」と隆央さんと一緒に唄った。二人の歌声を聴いて、幹央は声を上げて笑っていた。

「幸せの風景」という言葉があるなら、きっと今日のこの風景がそのまま当てはまるだろう。

 この幸せがいつまでも続きますように。幹央が元気に育っていきますように。



      2007年 10月□日(△曜日)  雨

★幸せポイント -30AI          ★累計ポイント+285AI


昨日の夕方頃から幹央が咳をし始めていたが、夜中にあまりに苦しそうな息使いをするので胸に耳を当ててみたら、「ぴゅうぴゅう」と木枯らしのような音が聞こえてきた。ひょっとして小児喘息? 嫌な胸騒ぎが走る。

呼吸すること自体がとても苦しそうで泣くこともできないでいる。肩を大きく上下させて全身で酸素を取り込もうとしている、そんな幹央の小さな体を見ていたら、どうしてやることもできない情けなさが、私の胸を締め付けてくる。

どうすることもできなくて、でも何かしてやりたくて幹央を抱きしめる。

座った姿勢のまま抱いてやると、幹央の呼吸が少しずつ楽になってきた。胸の音はまだ続いているけど、幹央は目を閉じて寝息を立て始めた。

「ああ良かった」

 熱は出ていないようなので、私の腕の中でぐっすりと眠っている幹央を毛布で包んで、朝までずっとこのままの姿勢で幹央を抱き続けた。

 朝になり布団に寝かしてやると、昨夜の苦しさが嘘のように、規則正しいリズムを刻みながら、いつもの呼吸を繰り返していた。

 すぐに育児書を開くと、やはり喘息の症状に似ていた。今は一時的に症状が治まっているだけかもしれない。あんな辛い思いを二度と幹央にはさせたくない。

 開院時間を待って、少し遠いけれどタクシーで総合病院の小児科に連れて行く。待合室で待っている間も幹央は上機嫌で、持ってきた絵本を読んでやると、嬉しそうに何度も笑い声を上げた。

 診察を受ける。昨夜の症状を詳細に説明する。聴診器を幹央の胸に当てて、先生は「まだ少し雑音がありますね」と言った。そしてそのあと、血中の酸素量を測るために指の先に指サックのようなキャップをはめた。

「少し低いようだけど、問題のあるレベルではないですね」と説明をしてくれた。「呼吸によって体の中に酸素がきちんと取り込まれているということです」と、さらに詳細な説明も加えてくれた。

 検査結果からいうと、理由は分からないが、一時的に喘息に似た症状が出たのだろうということだった。今は、少し風邪の兆候はあるけど喘息の症状は出ていないので小児喘息ではありません。けれど大切なのはこれからの観察と対応が重要なのだと先生は言った。

 こうした症状を発症したということは、生まれつき気管支が弱い可能性があるので、軽い風邪でもこのような重い呼吸障害を引き起こす危険性はあるとのこと。また、昨夜の症状は、小児喘息の前兆と言う可能性も全くゼロではないので、お子さんの様子には今後より気を配って欲しい。特に喘息の症状は、大きな低気圧が接近した時に発症しやすい。子供の変化としては、呼吸が苦しくなってくるので、酸素を取り込もうとして口数が多くなる。これを見逃さないようにして欲しい。

 そして、小児喘息の大きな原因の一つにハウスダストがあるので、家の中の掃除をこまめにするようにアドバイスをしてくれた。

 先生からの注意のポイントを、もう一度頭の中に刻み込むためにも、こうしてここに書き記しておくことにする。

 どうか、このまま慢性的な小児喘息に移行しませんように。家の中の掃除は徹底してやります。あんな苦しそうな幹央の顔はもう二度と見たくないし、辛い思いはさせたくはないです。あの子の名前の通り、丈夫な幸せな木の幹に育つように見守ってください。


 幼い頃から僕はいつも不思議に思っていた。お母さんの掃除の仕方が、まるで何かに取り憑かれているかのように、あまりにも徹底しているからだ。

 まず、掃除機で家中のごみを吸い取り、そのあと濡れた雑巾で全ての床や柱を拭いていく。続いて同じ場所を、今度は乾いた布で拭き直して行く。そして、最後に化学雑巾とモップで三度(みたび)床と柱を拭いて行くのだ。おかげで我が家の床も廊下も、ドアも柱もいつもぴかぴかの状態を保っていた。

 そういえば、今でもそうだが天気の良い日は必ず布団を干している。

 こうしたお母さんの異常なまでの掃除の徹底ぶりは、僕を小児喘息にさせないためのお母さんの懸命な努力だったのだと、初めて理解できた。その甲斐あって、僕には物心ついてから喘息の発作に苦しんだ記憶はまったくなかった。

 自分が一歳の時にこんなことがあったことなんてまったく知らなかったので、僕は生まれつき丈夫な体を持っていたんだと勝手に思い込んでいた。でもこれはお母さんがきちんと守ってくれていたからなんだよね。すごく遅くなってしまったけど、ありがとう、お母さん。

 この「幸せの貯金通帳」をつけるため、お母さんは毎日幸せレーダーのアンテナを高くしながら一日を過ごしてきたのだろうか。普段無意識の中で行われている呼吸や瞬きは、これを意識してしまうと、妙にぎこちなくなってしまうものだ。「吸って、吐いて」「開いて、閉じて」と、一つ一つの行動を意識してしまうと、常に緊張から解放されることがないので、殆どすべての人間がノイローゼ状態になってしまうだろう。こんな半ノイローゼ状態の中で、お母さんも毎日を送ってきたのだろうか? もしそうなら、どこに、何に逃げ場を見出していたのだろうか?

 この幸せの貯金通帳の始まりは、日常生活の中で起こったほんの些細な喜びや幸せを忘れないために、そして感謝するためだったはずだ。

 けれど、それが少しずつ姿を変えて行って、もうこの頃になると、病気などのアクシデントが起きた時の保険として、いや、もっと端的な言い方をすると、薬代として幸せのポイントを貯めるようになっている。

 確かに、僕も思う。まだ、たった十四年しか生きて生活は送っていないけれど、日々の生活の中では大半が嫌なことで満ちている。嫌なことだらけだと言ってもいい。こんな嫌なことで満ち溢れた毎日だからこそ、ほんの些細な喜びが福引の赤い玉を当てるように際立って見えるのだ。

 冬の空にきらめく星だって、黒い空があるから輝くのであって、星だらけの明るい空には、どんな一等星だって決してきらめいたりはしない。

 お母さんのつけている「幸せの貯金通帳」は、きらめく星ばかりを集めているので、一つ一つの幸せの星がきらめいてはいない。幸せを貯めるための目的や目標がはっきりしていない。

 お父さんの風邪が早く治ったのも、僕の喘息が予防できたのも、貯めた幸せを引き出して、神様に支払ったからではないと思う。お母さんが一生懸命に看病をしてくれたからであり、お母さんが僕の体調のほんの僅かな変化にも気を配ってくれて、家中を隅々まで掃除をしてくれたからだ。もし、この世の中に神様が存在していとしたら、僕たち家族にとっての神様は、お母さん、あなたです。

 すでに午前二時がこようとしていた。明日は日曜日だけど、病院に行ってお母さんを必ず説得しなければならない。そのヒントになればと、この「幸せの貯金通帳」を読み始めたのだ。

 けれど読み進んで行くうちに、書かれているコメントの一つ一つに自分の心がリンクしてしまい、客観的であろうとする自分と、コメントの中の登場人物に同化した自分が頭の中でごっちゃ混ぜになってしまっていた。

実際に「幸せの貯金通帳」を読み進むのと同時進行で、現実の世界でも刻々と時間は進んでいるのに、一気に過去に戻ってしまったせいなのか、全く時間の流れの実感がなかった。だから、さっき時計を見て、時間の経過の速さにビックリしたくらいだ。

けれど、僕はさらにノートのページを進めて行った。

もう今夜は眠ることができないかもしれない。僕はそう覚悟を決めていた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る