第二十七話 到来

 徐栄の矛が魏越の右肩を刺し貫く。

「もうその斬馬剣は振るえまい」

 顔を歪める魏越に徐栄は勝ち誇り、二人を囲む徐栄兵が歓声を上げる。

 だがその歓声の向こうで更に大きな悲鳴が起こった。

 徐栄は目を細め、悲鳴の先を見る。

 燃え上がる炎のような血飛沫が舞い迫る。

「来たか」

 徐栄の頬を一筋の汗が伝う。

 当初の計画では董卓を討ったそのままに、郿塢へ差し向ける予定だった。

 成廉を取り逃がし、ここに呂布軍が来たという事は、王允は逆上した呂布に殺されたかもしれない。

 もしそうならば、互いに後ろ楯はない。

 漢の都長安の覇権を賭け、そして一人の女を巡って争う二人の男でしかない。

 夜叉や飛将と畏怖される呂布だが、徐栄自身も鮮卑や烏丸と戦い続け、孫堅や曹操らを打ち破ってきた。

 天下に名を知られるに足る自負はある。

「魏越、大事の前の小事だ。

 下がって大人しく降伏するか呂布に殉ずるか考えておけ」

 引き抜いた矛の柄で魏越を馬から叩き落とし、迫る夜叉を待ち構える。

「徐栄」

 空気を震わす咆哮と共に真紅の騎馬が飛翔した。

 全身に浴びた返り血が糸引く様は赤く焼けた流星の如く。

 右手に戟、左手に柳葉刀を広げる姿は嵐の中でも、悠然と大空を羽ばたく鵬の如く。

 そしてその憤怒の表情は、まさに人喰らう夜叉。

「見よ、呂布。

 既に門は破られた。

 家族の命が惜しくば、大人しく我が軍門に降り勅に従え」

 握る矛に力を込めて徐栄が叫び勧告する。

「この下衆が」

 繰り出した矛は柳葉刀にいなされ、徐栄の鳩尾に激しく鋭い衝撃が走った。

 徐栄はこみ上げてくる生温かいものを吐き出し、呂布を見下ろす。

 儚き思いだった。

 何が足りなかった。

 若き頃から矛を振い、馬を駆り、戦ってきた。

 寒く身を裂く様な風が吹き、痩せた大地。

 ろくな農作物は育たず、ひもじい思いをするのは平民だけではなく、軍に身を置く徐栄も同様であった。

 何進に召集された後の政変の折、董卓に取り立てられた。

 董卓軍の将として、生活は一変した。

 都の美味を食し、家僮を召抱えての生活。

 跨る馬は逞しい西域の名馬に、鎧には煌びやかな装飾が施され、矛は鉄も貫くような業物に変わった。

 地位も金も得られた時、更なる欲に出会った。

 王允の指示に従い、事が成せれば手に入る筈だった。

 約束された大将軍の地位は二の次だった。

 霞む目を必死に屋敷に向け、息も絶え絶えに呟く。

「貂蝉……」

 呂布は高々と掲げた戟を少し下ろし、柳葉刀を一閃する。

 徐栄の頭と矛が力無く地に落ちる。

「と、殿。

 門は破られましたが、ご家族が捕らえられたとの報せはまだです。

 中で高と文遠が守っている筈です」

 呂布は転がる徐栄の首を戟で刺し、下馬する。

「魏越、成廉と共に夜叉の爪牙を取りまとめろ。

 俺は屋敷の中の片をつける。

 この首を掲げて屋敷を取り囲む徐栄兵に降伏を勧告し、半刻経っても従わなければ殲滅しろ」

 そう言うと呂布は追ってきた成廉に戟を渡し、足早に門をくぐっていった。

 成廉が受け取った戟を高々と掲げ、魏越が叫ぶ。

「騎都尉・奮武将軍呂奉先、この騒乱の主徐栄を討ち取ったぞ」

 その声は屋敷の中、高順や貂蝉、雪葉達の耳にも届いた。


 屋敷の二階にいた家僮達が歓喜の声を上げる。

 残すめぼしい将と言えるのは胡軫だけと見ていいだろう。

 幾合と打ち合ったかもわからない張遼と胡軫。

 二人の耳には魏越の声も表の喧騒も入らない。

 将として人を率いる資質無く、地位を剥奪されたとは言え、個人の武としてはやはり侮れない。

「文遠、頑張れ。

 殿が徐栄を討ち取ったぞ」

 高順が檄を飛ばす。

「いたぞ、この部屋だ」

 部屋に乱入し、振り返る高順達に襲いかかる徐栄兵。

 夜叉の爪牙が身を挺して応戦する。

 階下を守っていた夜叉の爪牙もやられたか。

「貴様らの主は我らが主、呂布に討ち取られた。

 大人しく降伏せよ」

 夜叉の爪牙と共に徐栄兵を斬り伏せながら高順は勧告する。

「黙れ、ならばせめて貴様らの首を手土産に殉ずるまでだ。

 もう構わん、皆殺しだ」

 徐栄が討たれても戦う兵。

 忠誠心厚い兵だったのであろう。

 だが主を失い、主に殉ずる手土産を求める様は無法の暴徒や賊と変わらない。

 むしろ命を捨てて襲ってくる分、余計に質が悪い。

 押し寄せる徐栄兵と懸命に戦う高順や夜叉の爪牙だが、一人また一人と倒れていく。

 いつの間にか雪葉の持つ柳葉刀も血に濡れている。

 そんな中、貂蝉はある臭いに気付いた。

 何かが焦げ焼ける臭い。

 部屋の入口の先に漂う煙が見える。

「徐栄が死んだならむしろ丁度いい。

 ここで俺が呂布を殺して頂きに立つ。

 燃やせ、呂布の縁者は全て殺し、燃やし、絶やせ」

 中庭からの胡軫の声。

 その直後だった。

「胡軫」

 名を呼ぶ咆哮と共に胡軫の断末魔が響く。

 貂蝉は中庭を覗く窓から身を乗り出して声の主を探す。

「奉先様」

 横たわる胡軫の傍で張遼を助け起こし、屋敷を見上げた呂布と目が合った。

「貂蝉、そこにいたか。

 雪葉や娘は無事か。

 火が回っている。

 早く降りてくるんだ」

 屋敷の中からではわからないが、呂布の口振りでは火の手はかなり回っているのであろう。

「ですが、敵兵が……」

 助けを求める貂蝉に呂布は力強く答える。

「わかった、今すぐ助けに行く」

 躊躇なく火をつけられた屋敷に入る呂布を見て、貂蝉は安堵と共に小さな心の痛みを感じた。

 妻や娘を案じる声を聞いた瞬間、胸に微かな嫉妬が去来する。

 娘の顔を服の袖で覆って煙から守り、自らも柳葉刀を振るう雪葉。

 人でありながら強く、そして美しい。

 助け合い、支える。

 私にそれができるのだろうか。

 この人達が私を家族として受け入れてくれたとして、私はこの人達を家族として接する事ができるのだろうか。

 心に走った痛み、それは愛情への独占欲。

 自分だけを見てほしい。

 偽らざる本音だった。

「ほら、あんまり顔出してると危ないよ」

 雪葉がそう言って貂蝉の手を引く。

 振り替えって雪葉の顔を見た貂蝉は、反射的にその手を振り払った。

 雪葉は貂蝉の行動に驚きと戸惑いの表情をする。

 貂蝉自身もまた自身の咄嗟の行動に困惑の顔をした。

 二人の間を気まずい雰囲気が包む。

「ほ、ほら、連中矢まで射ってきてるから……

 何か気に障ったら謝るから」

 雪葉が少し慌てた様子でしどろに弁明するが、その陳謝がかえって貂蝉の胸を刺す。

 なぜ謝る。

 なぜ私に気を使う。

 雪葉の言う通り、徐栄が討たれてからは矢も放たれ、流れ矢に当たる危険もあった。

 謝らなければならないのは、雪葉の好意を邪険にした私。

 私は……なぜ手を払い退けた……

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