第二話 手駒

「所詮は幽州の僻地に生まれ育った田舎者よ。

 あんなつまらぬ世辞で浮かれおる。

 山脈に阻まれる并と幽を同列に思う訳がなかろうが」

 寝台に仰向けになり、王允は笑う。

 それは酒宴で見せた穏やかな微笑ではなく、徐栄を見下した嘲笑。

「その様に言われるのに、なぜ中郎将様をあんなにおもてなしになったのですか」

 内衣に袍を羽織っただけの貂蝉がゆっくりと歩み寄り、寝台に腰掛けた。

「布石よ」

 そう答えて王允はゆっくりと身を起こす。

「徐栄は董卓に仕えて中郎将に取り立てられたが、どこまでいっても幽州の出身。

 同郷の者で身の回りを固める董卓の配下に対して、徐栄はこれからも余程の武功を上げ続けなければ埋もれる一方。

 いずれ郷里の壁を感じれば我が手駒にもしやすくなろう」

 資格や試験などのなかった当時、官位を得るには有力者や名士からの推挙を受ける事が一般的であった。

 だが当然役職の数には限りがある。

 推挙を望む者は限りなくいる。

 となれば、同郷の者と異郷の者とでは優先順位にも差がでてくる。

 事実董卓は権力握った後、自身の基盤を固めるべく、まず親族、そして同郷で子飼いの配下に官や軍の要職を与えている。

 そして并州出身として幽州を見下す王允自身の意識が、逆説的に郷里の繋がりが持つ重要性を如実に物語っている。

「儂はこのまま董卓の専横を許すつもりはない。

 董卓の配下を手駒にできれば、いざとなった時に役に立つ」

 王允は貂蝉の隣に並ぶように座る。

『黄河に阻まれた涼州とは違い并州と幽州は地続き』

『同郷にも近い間柄と思っております』

 酒宴の中、王允は徐栄の意識に一石を投じていた。

 あの様子では思いの外、波紋は広がるだろうと王允はほくそ笑む。

「それに、お前もよき仕事であったぞ。

 恐らく徐栄は適当な理由をこじつけてまた来る。

 お前に会いに、な」

「まぁ、私に……で、ございますか」

 不思議そうな表情をする貂蝉の袍に手をかける。

「そうだ」

 徐栄のあの目は既に貂蝉に堕ちていた。

 何度か訪れ、折を見計らって妻にと、せがんでくるだろう。

 それを諦めがつかぬ様、あと一押しと感じさせるように渋り、それを何度となく繰り返せば奴は我が傀儡と化すだろう。

 袍を脱がせ、肩から腕へと手を這わせる。

 絹のように細やかで吸い付くような柔肌。

 いっその事、一度徐栄に抱かせてみるか。

 一度でもこの肌に触れ、感触を味わえば、眼だけでなく体が虜に堕ちる。

 いや、流石にそれは惜しい。

 そこまでいい思いをさせてやる必要も義理もない。

 そんな事を思案しながら王允は、黙って背を向ける貂蝉の内衣の結び目をほどいていく。

 だが、ふとした様に漏らした貂蝉の言葉に、内衣の結び目をほどく王允の手が止まった。

「そう言えば、相国様の養子になられた呂騎都尉様も司徒様と同じ并州の出身だとか」

「奴は駄目だ」

 王允は苛立ち混じりに吐き捨てる。

「同じ并州とはいえ、奴は魑魅魍魎が巣食うとすら言われる北の果て、塞外(万里の長城の外)の五原郡。

 州府晋陽生まれの儂と一緒にするな。

 しかも奴はかつて主の丁原を斬って董卓についた、義も忠も無き野獣の如き男。

 そんな輩を手駒にしたとて、同時に内患を得る事にもなる」

 貂蝉は結び目をほどかれた内衣を落とさぬよう、胸に押さえる。

「でも人伝えに聞いた話では、眉目秀麗で漢人離れした堂々たる体躯、古今無双の武勇をお持ちの美丈夫だとか。

 一度お目見えしてみたいですわ」

 次の瞬間、貂蝉は強引に押し倒された。

 乱暴に太ももを鷲掴みにされ、足を広げられる。

「いちいち興を削ぐような事を言うな」

 声を荒げ、肢体を押さえつける。

「お前は儂だけを見ておればよい。

 司徒である儂の屋敷で家妓ができるのは誰のお陰だ。

 黄巾賊の波才とかいう渠師(指導者)の妾だったお前を引き取ってやったのは誰だ。

 またあの薄汚い幕舎で賊や野盗の性の慰みにされるだけの生活に戻りたいか」

 貂蝉は一言『分を弁えぬ事を申しました』とだけ言うと目を閉じ、激昂する王允の全てを受け入れた。

 太平道の渠師の一人である波才の愛妾だった貂蝉は、黄巾の乱の折に朱雋将軍の率いる討伐軍に参加していた王允に引き取られた。

 今や董卓からも信を置かれ、司徒として朝政を任されている王允。

 その精力が示すかのように、齢五十を越えてなお衰えぬ野心にも似た朝政への気概。

 家妓として仕え、受ける庇護。

 贅の限りとは言わないが、波才の元にいた頃と比べれば段違いに生活水準は高い。

 決して悪くは思っていない。

 感謝もしている。

 だが何度王允に抱かれても心が潤いに満ちる事はない。

 肌を重ね、王允の温もりを感じようとも心が暖まる事はない。

 それは正妻ではなく家妓や妾という身分、立場に起因するものではない。

 王允だけでなく波才も。

 その波才に自分を売り渡した更に前の主との生活も同様に渇いていた。

 しかし何の後ろ楯もなく力を持たない自分が生きていくには、強き者に寄り添い庇護を受けていくしかない。

 諦めにも近く、貂蝉は自分にそう言い聞かせる。

 果てて眠りについた王允に布団をかけ、貂蝉は袍を肩にかけて寝台を降りた。

 窓の戸を少し開けると、自分の心情とは裏腹に満ち足りた月が煌々と輝いている。

「懐かしいわ……」

 目を細めてその月を眺めながらそう呟くと、貂蝉は内腿を伝うものを指で拭った。

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