9―決闘VS 5号棟505号室

 ゴッちゃんの憎しみが何処から来るのか――ミヤは考えたことがない。

「タイマンだってのに、バイクから降りないのはアリなのか?」

「ええ、有効です」

 しれっと返されると、そうかよ、としか竹誓に返答するほかない。その竹誓は運動場を囲むフェンスの外に避難しているので、ミヤの返事は聞こえなかったかもしれないが。

 ゴッちゃんは今、憎きミヤ轢き殺さん、との勢いで一直線に迫って来ていた。

 まるで迷いがない運転。ヘルメットが目にもとまらぬ速さで変化する景色を反射させ、それがゴッちゃんの表情を隠す。

 いくら丈夫でも、バイクに何度も引き倒されれば打撲や内出血もするし、骨折もするだろう。タイマンでヤバいのは自分の身動きが取れなくなることだ。ミヤは見極めながらすんでのところでゴッちゃんの突進を何度も避け続けた。

「オラオラァッ潰れッちまえクソがぁぁぁぁぁぁッ!!!!!」

 猪突猛進かと思えば、横に飛んだ瞬間のミヤに蹴りをくれる。

「ぐっ……」

「ハッハハァッ! 手も足も出てねえじゃねえかミヤぁッ!!?」

 リーチの長い蹴りが人間の力以上の速さで飛んでくる。しかも顔面を潰そうとあの固い膝の皿で狙ってくるのは厄介だ。ミヤは後手に回らざるを得なかった。

「チッ、イラつくな……!」

 だが、いつまでもこうしてはいられない。ゴッちゃんの靴底がかすって擦り切れてしまった目の下をぐし、と学ランの袖で拭きあげた。

「お、あそこにちょうどいい長物ながものが転がってんじゃねえか」

 突如どこかに向かって走り出したミヤ。

「フン、何処に行くつもりだ……逃がさねえぞ!!!」

 それを見てもゴッちゃんの余裕は変わらなかった。一つ目のライトが唸りを上げてミヤを追いかける。

「待てやゴラァッ!!!」

「……っはは! 律義に追ってきやがった。でもま、関係ねえ」

 運動場の真ん中を渡るように、大型バイクを駆るゴッちゃん。その先へ全力疾走のミヤ。そして更にその先にあるのは――、最初にゴッちゃんが吹き飛ばした運動場の出入り口に取り付けてあったフェンス製の扉だ。

 ミヤはスライディング気味に低くした姿勢で、フェンスを支える支柱を掴みとった。

「なんだあ? そんなもん、バリケードにもならねえぜ!!」

 フェンスの扉を拾ってる間にも、超スピードでゴッちゃんは追いかけてくる。ミヤがしゃがんでいる無防備な背中に狙いを定めていた。

「ブチブッチに轢き裂いてやるッ!!!!!」

 ほとんど殺意に近い。騎乗の人間は気が大きくなる、攻撃的になる、というがゴッちゃんははたしてそのような精神状態なのか。

 ミヤは一瞬脳裏にそんなことが過ったが、この瞬間に限って言うとどうでもいいことだ。

「あっぶねー!」

 マタドールのような身のこなしで、ミヤは猛追のバイクを躱した。

 一畳分くらいの大きさの扉をゴッちゃん本体へ押し付け、上体が反れた運転手のハンドルさばきが危うくなる。そうしてギリギリで攻撃を逸らしたところだが、ゴッちゃん自体にダメージは無い。

「ああっ!? チッ……うっとおしいなそいつぁ。諸共俺のバイクでブッ飛ばしてやるッ!!!!」

 再び文字通りにエンジンを掛け直すゴッちゃん。ヘルメットを被ったままなので相変わらず表情は読めないが、前のめりの姿勢は攻撃性を顕現した猛牛のようだ。

 バイクが進行方向を定めている間に、ミヤは体勢を建て直していた。

「よっ、と……ふんっぃぎぎぎぎぎぎぎ……ッ!」

 持っていたフェンス製の扉を腕力だけで畳む。

 この扉は運動場をぐるっと廻るフェンスと同じく、金網が主な作りだ。支柱としているアルミ製の板は長方形にその扉の輪郭をかたどっている。それからドアノブが取り付けてある位置は、やはりアルミの板で短い真ん中あたりの辺を支えており、補強するような形を取っている。ゴッちゃんの大型バイクが衝突するような想定外の衝撃がない限りは、少しばかり形をへっこませる程度だろう。

「……ふんっ! よし、ちょっときれいに折れなかったけど」

 そのようなものを、ミヤは二つ折りにしてしまった。

 それはまるで折り紙の頂点と頂点を重ねるように、金網は二重。長い辺はミヤの身長よりも長さがあるはずだが、チラシをチャンバラ用に作り直したかのような気軽さで、ぶんぶんと野球バット状に構えた。

「団地の運動場でやることっつったら、これだろ」

 大型バイクが、今また突進を仕掛ける。

 心の臓まで震わす轟きがフェンスの支柱を握ったミヤの目の前に迫った。

「……ッフ!」

 ミヤの視界を一つ目の発光が遮らんとするその刹那――

 ゴキャッ……!!!!!!!!!!

 振り抜かれたアルミ扉がゴッちゃんのヘルメットを直撃した。



 

「どうしてアイツを放っておくんだよ!? あんなヤツ……絶対また危険なことをするに決まってるだろ!!」

 俺は同じ光景を見て同じ思いをしたはずの仲間に呼びかけた。

「ゴッちゃん、まだ言ってんのかよ」

「ゴッちゃん、あいつにこだわり過ぎだって」

「そんなことねえよ! アイツは本物の、鬼だ!!」

 俺は必死だった。

 だって、大人は子供がみんな無邪気な天使だと思い込んでいるから。だからあのミヤという鬼子を疑いもせずに野放しにする。それは俺にとって到底在り得てはいけない事柄だ。なぜならあんなこと、人にも子供にもやろうと思っても出来ない悪事だからだ。

「そんなこと言ったって……母ちゃんも子供のケンカなんかちいさなことだって、誰でもあることだって言うし」

「そうだよ、ゴッちゃんはおおげさなんだよ」

 仲間の腰抜け具合に、とうとう俺は堪忍袋の緒が切れる。

「おおげさだと!? お前もあの場にいたんだろうが! それとも、自分は無傷で済んだから逃げ遅れた俺たちがマヌケだとでも言いたいのか!?」

「ちがうよ! そうじゃなくて、ミヤだって子供だってことだよ。しかも俺達より一学年下だ、一年生だ。そんな小さい子が……」

「じゃあ、あの日お前が見たアイツは何だって言うんだよ!?」

「そ、それは……」

 残念なことに、俺が問い質そうとすればするほど仲間の心は遠くへ行ってしまった。

 あの公園で起きた酷い出来事は、俺にとっては衝撃的な悪との初顔合わせだった。宇和島吾太朗うわじま ごたろうという人生が始まって以来の最悪な登場人物が、調 仁人つきのみや じんと――年下のただの少年。

 貧乏でいつもボロボロの服を身にまとい、穴あき寸前の靴で砂場にぼーっと突っ立ってアホ面を晒している鼻垂れ小僧。

 そいつが――俺の平和だった世界を変えたのだ。

「悔しくないのかよ! あんなガリガリのひょろひょろの鼻水垂らしたガキだぞ!」

「悔しくはないよ」

「なんだとっ!?」

「それよりも……アイツ、ミヤは変だよ。怖いんだ、これ以上関わりたくない」

 もう一人の仲間も頷く。

「そうだよ、ゴッちゃんもアイツには近づかない方がいいよ。何しでかすかわからない、危ないよ」

「……クソが!」

 大人にはわからないミヤの奇妙さを、コイツ等はわかって手を引けと、俺に言っていたのだ。

 要するに仲間たちは、この俺にミヤに対して敗北宣言をしろと言っているのだった。

「絶対に、俺はミヤに勝つぞ……! お前らがいなくても、俺は一人でも……いや、みんながいるところでミヤが悪だと、堂々とわからせてやる!!」

 ……あの時そう誓った俺は、とにかくミヤを超えるために――というより、あの時感じた恐怖に打ち勝つために、強い仲間を集めて、俺自身にも強くあれと律して生きてきたんだ。

 とは言っても、結局ミヤには勝てずじまいでこの年齢さ。

 もう高校三年だ。

 時が経って、ミヤからはあの頃の邪悪さは……正直感じられない。ぱっと見は。

 しかしひとたびケンカとなれば、俺にトラウマを植え付けたあのミヤが姿を現す。それだけが、あの時の俺の誓いを証明する唯一の、ある意味での『勝機』だった。だから俺はそいつに会いに度々勝負を仕掛けた。これがミヤの本性だと、そいつを倒せばこの俺が正義だと証明されると――。

その為だけに俺はこれまでミヤの動向を見張り、取り囲むようにミヤの悪行を周囲に知らせ、仲間を集い、己を鍛え、そして――――




 春を過ぎて夏を迎える、初夏。

 暑い日中は過ぎて、育った緑は夕闇に黒々と影を作る。

 運動場は煌々とこの時間から点き始める街灯の明かりだけ。それだけが、砂埃を上げて倒れた大型バイクが空回るのを照らし、吹っ飛んだヘルメットの影を形作った。それから地面に落ちる、一人の青年の姿。

「ひゅぅーっ、野球なんてひさびさにやったな。肩の動きがちょっとぎこちねえか」

 ミヤは野球のバットよりも長く重たいフェンスの扉……だったものを、背後に放り投げた。

 目的の獲物をしとめたのならば、長物ちょうぶつは無用だ。

「ぅ……うぅ」

「起きなよゴッちゃん。もうおねむか?」

 愛車からミヤのフルスイングによって落とされたゴッちゃんは、脳震盪に近い状態で運動場の真ん中に寝そべっていた。その横に愛車であるバイクはあるが、そんなことが頭の中に在るほどゴッちゃんのコンディションは良好ではない。気を失う寸前だった。

「アンタ、初めから俺に勝つ気無かったろ? いっつもさ、ゲッツが泣き付いて俺が身代わり出る時もさ、俺に勝てないと思って拳振ってたろ? お?」

 ぐらぐらと揺れる首。さっき整えた髪型は、もうくしゃくしゃに乱れている。

「そういうの、マジでムカつくんだよ。そんな雑魚の相手してるほど俺の人生は暇じゃあない。毎日毎日……時間を切り売りしてる俺に、ゴッちゃんなんかに割く時間なんて無かったんだよ。それなのに毎度やられにだけ来て……いい加減にしろよ。もうそれも、今日で終わりだからな」

 ガンッ!!!!!

 動くこともままならないゴッちゃんの顔面にミヤの右拳が猛烈にヒットした。

「それと、俺の本性だかなんだか知らねえけど……今ここにいる俺が! 俺自身だッ!!!」

 ガッンッ!!!!!

 ミヤの指の骨とゴッちゃんの頬骨がかち合う。音は鈍い。

「ぅ、く……み、ミヤ……」

「あ? 何、遺言?」

 もはや焦点も合ってないのだろう。ゴッちゃんは寝そべった体勢からなんとか上体を起こそうと腕を動かすが、その真似だけで頭はぐらぐらとミヤの方はついぞ向かなかった。

「お、ぉー……おぉれ、と、たたかえ……たたかえよ……ぶぅっつ、ぶして、や」

 ガヅンッ!!!!!

 起き上がりかけたゴッちゃんの首を真横から蹴飛ばす。

 ゴッちゃんはその慣性に従って、砂埃をまといながら運動場を横滑りしていった。

「ごフっ、かはっ……」

 話しながら蹴られたので舌を噛んだようだ。ゴッちゃんはおびただしい量の血を吐き出した。運動場に染みが出来た。

「その状態で俺とやり合えるわけねえだろ。早く負けを認めろよ。それから、今後一切俺に関わるなよ。……古い仲だから言いたかねえけど、見てられねえんだよ。悲壮感を伴った戦士、みたいな。そういうのさ、いいから」

 どすっ、とゴッちゃんの腹を蹴って、空に向かって仰向けにさせた。そうしてミヤが顔を覗き込むが、やはりどこにもゴッちゃんの焦点は合ってない。

 ミヤの胸の内にドス黒い靄がかかった。

「た、た……か……ミヤ……」

「ダメだこりゃ。……おい」

 何かを言っているが、うわごとのように吐いた傍から消えていく。吐息のようなものだ。

「何でそこまでして俺を倒そうとか思うのかね? ただの一学年下の、団地の幼馴染じゃねえか……」

 ゴッちゃんの憎しみが何処から来るのか――結局ミヤは考えてもわからない。

「もういいだろ。おい! これでマツリの決闘とやらは終わりでいいよな!?」

 フェンスの向こう側にミヤが叫ぶと、今までずっと戦いを見つめていた竹誓が答えた。

「いえ、不十分です。とどめを刺しましょう、仁人さん」

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