第6話 サラカツギの儀

 金鉱脈室を抜けた最奥は意外なほどこじんまりとした空間だった。


「これ見て、鳥居の印はこれのことみたい」


 江洲楓が蛍光灯を当てたところに、高さ1メートルほどで大人が抱きかかえられるくらいの幅の大きさの丸みを帯びた石碑が立っていた。

 注連縄が張られていてお手を触れないでくださいとの立札はあるが、仰々しく祀られているわけでもなく祠があるわけでもなく、一見ただの岩のように見える石碑だった。

 ただしよく見ると資料館でみた金と石英が縞状になっている自然金の岩石が石碑として建てられているのだった。


「ここから金を採掘したらけっこうなお宝になりそう」

「削り取っていこうという不届きものはいないようだね」

「監視カメラあるもの。ほら、ここ、カナリア色、ライト当ててみて」


 江洲楓に言われて竹園灰はブラックライトを当てた。

 予想通りにカナリアの羽根は神秘的な蛍光グリーンを発色した。

 

「これ、練り石みたいに金鉱脈とウラン鉱脈を組み合わせて作ってあるのかも」


 江洲楓は注連縄の中に入らないように注意しながら石碑の周りを歩きながら見ていく。


「文字が彫られてる」


 江洲楓は顔を近づけて文字を読み上げた。


「贈 久繰里家 信川家 1854年 安政元年」


「これって、幕末よね」


 江洲楓が言った。


「御露西亜船が来港する直前」


 竹園灰がすぐに答えた。


「その年に寄贈したってことは」

「外からのものに対抗しようとしたか、呪詛か、封印か」

「つまり、外からのものに、金山を荒らされないようにしたってこと」

「多分」

「表向きは、採掘業者が欲にとらわれてしまうのを戒めるための石碑だと言っていたよね」

「それもある」

「灰、ここ、よく見て、何か絵が描いてある」


 江洲楓は文字が刻まれている側の裏の下方に懐中電灯を当てて言った。

 竹園灰は懐中電灯で照らされた箇所を目をこらして見た。

 錐でひっかいたような拙い線画が描かれていた。

 そこには3体の人型が描かれていた。

 ざんばら長髪の頭頂に大きな盃のような皿を抱いている羽織袴の男がいる。手の指の間に水かきがあることから久繰里家とゆかりの深い河童であろうと思われた。その両側にいるのは女性のようだ。

 一人は打ちかけ姿で角隠しの代わりに頭頂部に皿を10枚ほど重ねて載せている。もう一人は割烹着姿でこちらは頭頂部には何も載せていなかった。


「河童の婚礼? 一人は花嫁でもう一人は介添えさんかな」

「介添えさんは割烹着は着ない」

「お皿をこんなに沢山頭にのせたら首が痛くなっちゃう」

「皿は、家宝かもしれないね」

「本物の鍋島だったらひと財産」


 二人は顔を見合わせた。


「なるほど、持参金ってことかな」

「持参金付きの供物として差し出された」


 そこで江洲楓は首をひねる。


「困窮している所に財をもたらすために嫁ぐのに、持参金を用意できるものなのかな」

「では、先方からの結納品かも」


 竹園灰の言葉にも江洲楓は首をひねる。


「それも違う気がする。割烹着の方は皿を載せてないけど、これはどういうことだと思う」


 竹園灰は少し考えこむと話し出した。


「皿は、神に捧げるものをのせる器。人体で考えると人のつむじのこと。つまり、神に皿を捧げるというのは人身御供を出すということ。積んだ皿は、これまでに捧げられた生贄の数を表しているのかも。実際には皿を載せはしないのかも。でも儀式としては皿を載せて曲芸師のように歩かされたのかも」


 江洲楓は、はっとして竹園灰を見つめた。

 竹園灰は、強い目線を返してきた。


「伝説にありそうだけど、灰、まさか、河童信じてる」

「河童は、大陸、黄河の辺りから移入してきた河伯の末裔という話があるから、妖怪としてではなく、異民族を表現した存在としての河童は信じてる」

「移入してきたものの末裔というと、黄金浦の山の伝承が気になってくる」


 江洲楓は、もう一度線画をじっくりと眺めた。


「そっか。あれ、これって、サラカツギの儀じゃない、って灰さっき言ってたよね」

「その可能性はある」

「それにしても、どうして、こんな人目につかないようなところに彫ったんだろう。それも、触ってはいけないものなのに。建碑祝いの時に騒ぎにならなかったのかな」

「多分、後になって誰かがメモとして残したのかも」

「お墓をお掃除する時みたいに、この石碑を清めるってことはしてないのかな」


「そういえば、サラカツギのことだけど、こんなのを見つけた」


 竹園灰は携帯機器のブックマークしておいた箇所を江洲楓に見せた。


「これって」

「信川家の先祖が書いた覚書。久繰里家と信川家の関係と、町の維持について。勤務先の郷土資料をあさってたら出てきた。今、アーカイブ任されてるから」

「いいな、私もアーカイブ勉強したいのよね。ところで、これは、信川家の歴史をただ記録してあるだけじゃないの。信川家って郷土史家だったみたいね」

「そう、郷土史家。それより、よく見て、参考文献のとこ、ここ」


 竹園灰が画面をスクロールしてみせた。


「サラカツギの儀については口伝に付記載不可」


 読み上げると江洲楓は、竹園灰を見た。


「サラカツギって、山辺さんもはっきりとはわからないと言っていたけど、やっぱり秘事なのね。でも、口伝ってことは、伝承している誰かがいるってことになる」

「とりあえず、ここを出よう。人形は動けないようにしてきたけど、備品を再起不能にするわけにいかないから、破損にとどめた。完全に破壊したわけではないから、自己修復されたらやっかい」

「そうだね、この奥に通気口があってその右奥に非常口があったから、そこから外に出ましょう」


 二人は注連縄に触れないように壁際に寄りながら奥へ進んでいった。石碑の横を通り抜けて50メートル進んだところの右手奥に非常口の緑の掲示が見えた。

 二人がそちらに入っていこうとした時だった。


「そっちへ行ってはだめです」


 突然呼び止められて二人は同時に振り向いた。

 そこには、おねえちゃん、こと、信川美理愛が立っていた。

 雨乞麗嬢の姿ではなく、無地の白いTシャツにグレーのパーカーをはおりジーンズにスニーカーというこざっぱりとした恰好をしていた。髪は自然に背中に流している。化粧はほとんでしていないようだったが、リップクリームが塗られている唇の艶が顔立ちのきれいさを際だたせている。


「その出口の外は、先日の豪雨で道が崩れかけています。足を踏み外したら崖下の谷川まで滑落してしまいます」


 信川美理愛は非常口の危険を説明すると、懐中電灯で足元を照らしながらこちらに歩いてきた。

 

「おねえちゃん、さん、どうしてここに」


「すみません、お二人をつけさせてもらいました。私とばれずにあかりを助けてくれるのは、自然にあかりに近づくことのできるあかりの母校の教職員の江洲さんしかいないと思って。竹園さんには、おおよそのことは話してあります」


 信川美理愛は竹園灰に会釈した。


「灰からききました。代々伝わることであればお家のことは外部のものには口出しできません。でも、教え子が健やかさを損なわれていくのをただ見ているわけにはいきません。よろしかったら、信川さん、ご存知のことを話してもらえませんか」


 江洲楓の申し出に、竹園灰は意外そうな顔をし、信川美理愛は物思わし気にうなづいた。


「まず、この石碑についてお話します」

「観光ボランティアの方のお話で概要はご存知かと思います」

「はい、ききました」

「では、その部分はざっとお話します」


 信川美理愛は、石碑を指すと話し始めた。

 

「この石碑は、観光ガイドとしては採掘はここまでという印です。人間の欲深さを戒めるために金山の神様が祀られています、ということになっています」

「鳥居の印ということは、金山の神様ですか。観音様や御地蔵様ではなくて」

「はい。黄金浦の山の恵みを司る素封家で代々信棒してきたものだそうです」

「素封家って久繰里家のことですよね。久繰里家は枇杷観音をお祀りしてるのではないのですか」

「サラカツギの儀についてご存知なのですか」


 江洲楓の問いに信川美理愛は問いで答えた。


「私は伝承者ではありませんが、母が行儀見習いで久繰里家に入っていた時に、久繰里あまねさんと二人で、口伝を受けたと言っていました。久繰里あまねさんは、それはとても熱心だったそうですが、母はあまり乗り気ではなく、大学進学で都心に出ていたこともあり、そんな忌まわしい風習は時代錯誤だと一笑に付していたそうです」

「そうです? 」

「母は、サラカツギの儀の後、私を産むと病を得てしまって。ずっと寝たり起きたりでしたが、私が小学校にあがる前に亡くなりました」


 信川美理愛は目を伏せた。


「え、そうなんですか」


 彼女はうなづくと言葉を継いだ。


「それからは、私は、久繰里の家で過ごすことが多くなったそうです。あまねさんを実の母のようにして育ったのです。でも、引き取られたわけではなかったので、あかりと寝起きを共にしていたわけではありません。長い休みの時はそういうこともありましたが」


 信川美理愛の語りは、全てを解きほぐしていくようだった。


「母が亡くなったので、サラカツギの儀ができなくなりました。私がお盆の夜にきいた大人たちの話はその頃だったのだと思います。

 母親が伝承のことをきっちり娘に伝えるのがならわしだったので、それができなくなった信川家に策を講じろともめていたのだと思います」


 二人は彼女の話にじっと耳を傾けている。


「そこで、あまねさんの登場です。次の世代の私とあかりになんとしても引き継がなければならないと、あまねさんは焦りを感じるようになっていったように思います。

 カラス玉に惹かれるようになった私を怒ったのも、悪い子のおかあさんも、あまねさんです。

 カラス玉は、河童を駆逐するものですから、黄金浦では。サラカツギの儀で金山の守り神であり山に財をもたらした河童に嫁ぐことになる娘が、河童の嫌うものに魅入られていて集めているなどというのは、言語道断なのです」


 小さくため息をついて信川美理愛は江洲楓を見た。


「河童よけのお守りだったんですね、これは」


 江洲楓はペンダントを握りしめた。


「いつも床についている母の枕元で、私は遊んでいました。熱にうかされて母は口伝を寝言のようにつぶやいていたのです。子どもの頃の私には、それが子守歌でした。

 聞いている間にうとうとしてきていつしか眠っていました。母はそれに気が付くと、自分のカーディガンをかけてくれました」


 信川美理愛はなつかしそうに目を細めた。そして、おもむろに続けた。


「寝入りばなに聞いたことは記憶に刻まれます。私はサラカツギの儀の伝承を母の寝言を耳にすることで自然と覚えていたのです」

「それは、どのようなことだったのですか」


 二人が同時に声をあげた。

 信川美理愛の口元がわずかにゆるみ一瞬微笑が浮かんだ。


「サラカツギの儀は、儀とついていますが、特別な儀式をするわけではないんです」

「儀式ではない」

「サラカツギは、昔話の鉢かつぎ姫に由来すると言われています」

「そのことは、観光ボランティアガイドさんからききました」

「そうですか。私が子どもの頃は、サラカツギという言葉を口にするのも憚られる、秘中の秘とされていたのですが、時代は変わったのですね」

「そのガイドさんも詳しいことは知らないとおっしゃってました。そういえば、口外は無用のようなことも。信川さんはご存知なので言ってしまいましたが」


 信川美理愛は、深く息を一つつくと、話し始めた。


「久繰里家は実業家として、信川家は学究の徒として黄金浦の繁栄に力を尽してきました。

 河童というのは、駿豆半島の峠を越えた山間に流れついた修験者と東海岸に漂着した異国の香具師です。昔は西の都からのもの、異国のものであるというだけで、珍しいものやこの国にはないものを持ってましたから、ありがたがられていたのです。カラス玉も、その一つです。

 峠の向こうに流れついた修験者と漂着した異国の香具師、このふた色のものが黄金浦の山に、久繰里家に、信川家に財をもたらせたのです。久繰里家には経済的財を、信川家には知財を。

 娘が二人必要なのは、このふた色のものとの縁をつなぐため。

 いずれかに偏れば、いずれかが仇なすといわれていました。

 昔は、港の素封家と山の久繰里家は仲たがいをしていました。それで港を使うのに法外な使用料をふっかけてきたそうです。そこで、東海岸の港町と手を組んだというのが、あの二つ目の伝説のことなのです」


 江洲楓も竹園灰もじっと信川美理愛の話に聞き入っている。


「私はサラカツギの儀のことを知ってから、子ども心に不気味さを感じて、一刻も早くこの町を出たかったので、母亡き後母の実家へ嫌がらずにいきました。母の実家の祖父母からは四年生大学進学を望まれましたが、一人立ちしたかったので資格を取得できる短大に進み卒業すると同時に就職しました。江沼駅の繁華街にほど近い旅行会社の事務職でした。景気のよい時でしたのでお客様はひきもきらずで充実した毎日をおくっていました。そこに、あかりが現れたのです」


 彼女の瞳の色が深くなったように見えた。


「そうだったんですね」

「うれしかったです。再会は。でも、サラカツギの儀のことを思うと、成人した二人がひと所にいてはだめだと思い、彼女から離れることにしたのです」

「その辺りの話は、灰からききました。おつらい思いをされましたね」

「あかりは、かわいい妹でした。病気がちの母に甘えられない私が、彼女に甘えていたんだと思います。彼女をふりまわすことで」


 信川美理愛は雨乞麗嬢の姿の時とは違い、線の強いしっかりとした娘さんだった。そうでなければ、幼なじみを守るために不穏な姿に身をやつして生きることなどできなかっただろう。



――おねえちゃん――



 時にきびしく、時にやさしく、時に禍禍しく、時に神々しい、慕わしい人。



「ところで、先ほど松明を持って来ていませんでしたか」

「いえ、松明はこの場所では危険なので使うのは懐中電灯です」


 江洲楓と竹園灰は顔を見合わせた。

 では、松明を持って現れたのは誰だったのだろう。


「とにかくここを出て久繰里家に戻って、あかりさんの様子を確認しましょう」


 そう江洲楓が言った時だった。


「何勝手なことをおっしゃてるのかしら。行きずりのお嬢さんがた」


 いっせいに電灯がついて、奇妙に若々しい声が響いた。




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