第10話 もやが垂れている輪郭

 竹園灰が写真を床からはがすと、ぴりりっと音がして写真の表面が床に付いたままになってしまった。


「あ、ごめん、うまくはがれなかった」

「いいよ、私がうっかりしただけだから」

「このままにはしておけない、とらないと」


 竹園灰は山辺さんの方を向いた。


「すみません、ここ、シールはがしありませんか、掃除します」

「いえ、係のものがしますので、そのままにしておいてください。紙ゴミはこちらで処分しますので」


 そう言うと山辺さんは半ば強引に竹園灰の手からはがした写真を受け取った。

 

「お写真、汚れてしまいましたね。後で新しくお撮りしましょうね」

「いえ、大丈夫です。時間もないので、坑道の見学をお願いします」

「撮影は先ほどのように簡単にできますよ。記念になりますし、どうぞご遠慮なく」


 なぜか山辺さんはしきりに記念写真の撮影を勧める。


「お気持ちだけで、本当に」


 竹園灰が少し強めに断ると、山辺さんはすっと身を引くように、「承りました」と言った。

 それから山辺さんは表面のはがれた写真を絵はがきの入るサイズのポリ袋に入れて「ではお預かりして処分させていただきます」とブレザーのポケットにしまった。


「そうだ、舎利壺のレプリカ、まだ見てない」


 江洲楓が思い出したとばかりに声をあげた。


「碧浪寺にあったあれか」

「そう、それを見ないことにはここに来た甲斐がないじゃない」

「はしゃいで忘れてたのは、楓、あなただよ」

「それ言う、今。灰だって熱心に見たり体験してたじゃない」

「観察してた、だから写真のことにも気付いた」

「気付いたって、灰がえる人だから見えたんじゃないの」

「視える人かどうかはともかく、閃きと脳内構築では楓には叶わない」

「灰にそう言ってもらえるのはうれしいけど、視える人の方が特殊能力っぽくてカッコイイよね」


 江洲楓が口をとがらせると、竹園灰は肩をすくめた。


「何かご覧になりそびれたものがありますか」


 山辺さんが声をかけてきた。


「あ、はい、あります、あります」

「どのような展示物でしょうか」

「舎利壺です」

「舎利壺、と言いますと、辟浪寺の枇杷観音のものですね」

「そうです、碧浪寺でこちらにあると伺いまして」

「はい、ございます。こちらになります」


 山辺さんは舎利壺のレプリカが飾られているガラスケースの前に連れていってくれた。それは、展示室の片隅にひっそりと置かれていた。


「レプリカとはいえ尊いものなのに、ずい分おざなりにされてない」


 江洲楓は竹園灰に囁いた。


「この展示物の中では異色だから、どう扱っていいか困っているのでは」

「お賽銭置かれても困るものね」

「そうなんですよ」


 山辺さんが話しかけてきた。


「そんなことがあったんですか」

「はい、あったんです」

「さぞお困りだったでしょうね」


 山辺さんは苦笑すると話し始めた。


「大切な預かりものなので当初は受付の横に白木で御堂を作って展示したんです。そうしましたらお賽銭が置かれるようになって。

 初めのうちは大した額ではなかったので、受付の者が管理してお参りされた後にお持ち帰りいただいてたんです。

 ところが何かの番組で金運ご利益ランキング聖地の中部地方ベスト5に入ったそうで、それからしばらくは団体バスがひきもきらなくなりまして。御堂からお賽銭が溢れてしまって、金の湧く舎利壺御堂などと不謹慎な呼び方をされるようになってしまいまして。

 運営会議で話し合いまして、御堂を撤去して舎利壺だけ展示物として置くことになったのです」

 

 一見ありがたそうなものの台座に小銭が置かれているのを観光地で見かける光景だ。

 中には錦鯉が泳いでいる池や泉水のに放り投げて水底に溜まっているところもある。そうなると清掃も大変だ。うっかり高価な錦鯉が飲み込んでしまって不具合を起こして浮いてしまったりしたらとてつもない損害になることもある。

 公立の施設であれば役所と運営会社と管理を任されている業者の間でもめる事態にもなりかねない。お供えする側には悪意はないだけに、こればかりは注意書を表示するぐらいしか防ぎようがなかった。


「一般に開かれている施設の管理は大変ですよね」

「いえ、施設の維持管理は大切な仕事ですので大変だなんて運営側は言っていられません」

「さすが、運営がしっかりされてる所は違いますね」

「ありがとうございます。実際はいつもてんてこまいですが」

「おつかれさまです」


 労いの言葉を受けて山辺さんはにっこりと会釈した。


「では、どうぞ、ごゆっくりご覧ください」


 山辺さんとの会話が一区切りつくと、二人はガラスケースに顔を近づけて舎利壺を眺めた。ケースのすみに「玻璃製舎利壺」と名称が掲示されている。


 舎利壺は小さなつまみのついた蓋付きで、ころんとした形をしていた。

 見ようによっては枇杷の実のようだった。

 色はくすんでいるがカナリア色をしているようだ。

 山辺さんがいなかったら、ブラックライトで照らしたいところだ。

 そして、蓋をとって中身を確認したかった。


 仄暗い御堂の中で蛍光グリーンに光り輝く舎利壺は、きっと信心深い昔の人たちはさぞやありがたかったことだろう。それこそ素封家であれば小判を和紙で包んで記名したものを寄進していたに違いない。

 お供えの黄金の光がまばゆければ、好奇心旺盛な河童も見たがったかもしれない。両手で目隠ししながらも指の隙間からこそっと見ては欲しいものだと知恵を巡らせたかもしれない。

 

「ずいぶんあっさりとしか紹介されてない、どうして枇杷観音の舎利壺と書いてないのかな」

「盗難騒動があったから」

「そうかもしれないけど、レプリカなのに」

「用心のため」

「だったらレプリカでも展示しないんじゃない」

「楓の言う通り。どうやら久繰里家と関わりがあることをあまり表に出したくないようだね」

「でも、地元の人にはわかるよね、枇杷観音や山の素封家って聞けば久繰里家だって」

「観光客は興味を持たないでしょ、情報を目にしなければ、もの好きでない限り」

「そうかもね」


 言われてみれば、調べ物が好きだからこそ得る情報量が多く勘も働くので自分は気づくことが多いのだと江洲楓は改めて思った。

 けれどその気づくことで頭がいっぱいになってしまって思考がフリーズすることがある。

 竹園灰がそばにいる時はフォローしてくれるが、そうでない時は傍目にはフリーズ脳内はパニックだったりする。

 そういう自分の特性とは違う人たち、すなわち、気づかない、もしくは、気づいてもスルーできる人、気づきを取捨選択できる人だったら、この展示を見てもこの壺は金山との関わりがあまりないので申しわけ程度の展示の仕方になっているのだなと思うだけだろう。


「それに、黄金浦は久繰里家だけの財力で維持されているわけではないから、あまり久繰里家のことを強調すると面白くないと思う勢力もあるのかもしれない」

「表向きは町の繁栄のために協力し合ってることになってるけど」

「それは、まあ、どこの自治体にもあるよね、そういう勢力争いって」

「くだらない」

「そう、くだらない、けど、なくならない」

「犠牲になるものはたまらない」

「……」


 竹園灰の締め言葉に江洲楓はどう答えたらいいかわからなかった。

 もしかしたら、竹園家は江洲家の犠牲になっていると考えることがあるのだろうか。ふだんはそんなことは感じていないが、社会的弱者の話に触れることがある時の竹園灰は憎しみというよりは悔しさをにじませる。

 本人は抑えているつもりなのだろうが、冷静な口調とは裏腹に目に冷たい火が一瞬燃え上がる。


「それにしても、仏像は一種の人形だと思うのだけれど、中身も作って入れてたりするものもあるし、なんというか不思議な存在よね」

「存在は不思議でも形はわかりやすい」

「形あるものにすることで、永遠を目に見えるものにしたかったのかな」


 二人は十分観察したとガラスケースから顔を離した。

 それを機に山辺さんが声をかけてきた。


「では、復元坑道にまいりましょう」


 すたすたと歩き出した山辺さんの後ろで二人は声を潜めて話し始めた。


「何が写ってたの。私には画面が歪んだようにしか見えなかった。画面が流れるように歪むなんて、そのこと自体気味の悪いことだけど」

「写真は紙に画像が固定されるものだから、それが動くなんてのは超常現象。トリックってことはあるかもしれないけど」

「思わせぶりやめて、ちゃんと教えて」

「楓、本当に見えなかったの」

「見えなかったよ、人間は私しか写ってなかった」

「人間……人間は確かに楓だけだった」

「それって、どういうこと」

「人間のようなものが写ってた」

「人間のようなものって、心霊写真的なもの? 」

「輪郭は人で背景が透けてた」

「霊じゃない、やっぱり、それって」

「霊のようなものと言い切るわけにはいかないけど、見てしまったのは事実」

「な、なにか特徴なかった、ただ輪郭が浮かんでただけなの」

「頭頂部にもやがかかってた」

「また頭のところが何かなってたんだ」

「そう、水が垂れるようにもやってた。それから、この辺が光ってた」


 竹園灰は江洲楓の胸の中心の辺りを指差した。


「え、もしかしてペンダントしてたとか」

「それはわからなかった。でも、可能性はあると思う」

「色は、その光ってたものって」

「蛍光グリーン」

「それって、カラス玉」

「それもわからなかった。でも、可能性はある、かなり」


 写真のトリックは超常現象紹介番組で種明かしがされている。それが心霊現象番組では大抵の場合は謎は謎のままにしてお茶を濁すことが多い。

 視聴者も完全な解明は望んでいないともいえる。何もかもが明るみに出てしまえばそこに面白みは欠ける。面白みが欠けるということは、娯楽を旨とするものにおいては致命的だ。

 人の心の奥底に潜んでいる恐れ怖れ畏れの感覚は、一種の娯楽として共同体では扱われてきたのかもしれない。不謹慎という名のもとに表だっては享楽として取り扱うことはできなくても。


「写真のことは、もう確かめようがないのよね」

「そう」

「不安を煽るためなのかな」

「誰が何のために」

「久繰里あかりさんに近づくな、とか」

「かもね」


 江洲楓はそう言うと口をつぐんだ。


 復元坑道は資料館の建物の裏手の山にある。そのためいったん資料館の外へ出て歩いていくことになる。

 かつて実際に金山として採掘が行われていた山だが閉山になってからしばらくは放置されていたとのことだった。

 その間には逃亡犯が隠れていたといった物騒な噂もあったそうだが、町が衰退していくのを遺憾に思っていた素封家が音頭をとって立て直しをはかったのだ。


 話している間に復元坑道の入口についた。

 そこで二人はしゃべるのをやめた。


「こちらが黄金浦金山の復元坑道になります。実際に使われていた坑道の多くは崩落の危険があるので中へははいれませんが、こちらは整備をして見学できるようにしました。中では走ったり、大声をあげたり、壁を蹴ったり、天井に物を投げたり、飲食はしないでください。火気厳禁です」


 山辺さんは入館時に配布されるリーフレットを広げて掲げると、復元坑道の断面図を見せながら説明を続ける。


「今立っている所が入口になります。中はあまり広くありませんが、大人が通れるだけの十分な広さはあります。高さもありますのでかがまなくても大丈夫です。昔は大名坑と言いまして馬に乗ったまま入れる大きさの坑道もあったそうです。

 入りましてまっすぐ進んでいきますと地下へ降りる階段があります。階段を降りると上部に換気坑があります。そこを過ぎると切上り、坑内を下から上へ掘上げた空間に出ます。そちらには、実物大の作業現場が再現されています。そこを抜けると本物の金鉱脈をご覧いただけます」

「本物ということは、自然そのままでそこにあるということですか」

「はい。ただし復元時に調査しましたが、その部分以外には金鉱脈は見つからなかったそうです」

「他の鉱脈もなかったんですか」

「はい。調査時にはとくに変わったものは見つからなかったと聞いています」

「坑道の断面図の金鉱脈の先はどうなってるんですか。行き止まりみたいですけど、鳥居の印と×印が付いてますよね、事故があって封鎖されてるのですか」

「いえ。採掘はここまでという印です。人間の欲深さを戒めるために金山の神様が祀られています」

「鳥居の印ということは、金山の神様ですか。観音様や御地蔵様ではなくて」

「はい。黄金浦の山の恵みを司る素封家で代々信棒してきたものだそうです」

「素封家って久繰里家のことですよね。久繰里家は枇杷観音をお祀りしてるのではないのですか」

「枇杷観音は辟浪寺におさめられています」


 江洲楓のたたみかけるような質問に、山辺さんは淡々と答えていく。

 竹園灰は、二人のやりとりを観察している。とくに山辺さんの反応に目配りをしている。


「では、ご説明はここでいったんおしまいにさせていただきます。見学の後にお時間がございましたらまたお伺いいたします」


 山辺さんは説明を終えると入口脇の入場受付の所へ行って、受付テーブルの後ろに設置されたスチールロッカーからヘルメットを取り出した。


「安全には万全を尽しておりますが、念のためヘルメットのご着用をお願いします」


 工事現場で使われているようなタイプのヘルメットだった。

 二人がかぶったのを確認して、「では、まいりましょう。足もとにお気をつけください」と山辺さんが号令をかけて三人は坑道へ入っていった。









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