第8話 雨乞いの血筋

「どうされましたか」

「え、あ、その」


 ふいに声をかけられ、江洲楓は金縛りが解けた。

 山葵わさび色の駿豆鉄道の制帽をかぶった運転手が立っていた。


「バスのあかりがついたり消えたりしてたので、故障したのかと思って」

「そうでしたか。ご心配おかけしたようで申しわけございません」


 初老の運転手は帽子をとって軽く会釈した。


「あの、つかぬことをうかがいますが、懐古街の御屋敷の変死事件のこと覚えてますか」


 懐古街は空き家になってしまった屋敷の多い区域の地元民の呼び名だ。


「ああ、あれね。去年の今頃だったかな、いや、もうちょい後、夏休み中だったか。だいぶ騒がれたからね。でも、あれがきっかけで行政の手が入るようになったから、それはそれで……」

「お亡くなりになった方の身元はわからなかったんですよね」

「さあ、発見された時はだいぶ騒がれてたようですが、その後は報道もしりつぼみになったみたいだし、どうだったかな」


 運転手は目を閉じてこめかみを抑えて思い出そうとしている。


「不法侵入とか器物損壊とかはどっちもどっちってことだったから、調査も深入りしなかったんじゃないですかな。それに心不全だったらしいですし。傷もなかったし失血死になるような血だまりもなかったし。結局、事件性はないってことになってたはずですよ」

「そうでしたか」


 江洲楓は礼を言ってその場を離れようとした。

 一瞬、雨乞麗嬢が「おねえちゃん」なのかと疑ったが、時期的に合わない。

 それに、高齢のようだったという話だし。

 最も、見かけの年齢はいくらでも変えることはできる。


 と、運転手が思い出したとばかりに話しだした。


「そういえば、雨乞いの血筋だとふれまわってらしいですよ」

「雨乞いの血筋? 」

「雨乞いってのは、昔だったら、農作業に必要な雨を降らせるおまじないやら、儀式やらをする巫女さんのようなものだったんですな」


 占い師としての雨乞麗嬢が今運転手が言ったような存在だいうのは、江洲楓の想定内だった。占いをしてもらったという生徒の話をきいた時にぼんやりと思いついたことだった。


「人柱に立ったもんもおったみたいです」

「自らの命を捧げて神にお願いする、ということですか」

「神さんのご機嫌をとるってことですかな、まあそうなりますと人身御供ですかな」


 運転手は郷土資料館の市民講座で大学の先生がやってた民俗学の講座で知ったという知識を誇らしげな顔で述べている。


「今だったら、天気予報を確認して、雨の降る時間帯を予測するってことで、まあ、誰にでもできそうなことといえばことですな。普通に考えればわかることですが、子どもや不安定な人などは、惹きつけられていったみたいですよ」

「占いもやってたんですよね」

「そうみたいですな。女子高生が連れ立ってよく来てましたよ。バスに乗って。私が運転してる時も、何組もいましたよ」


 江洲楓も一通りの噂は聞いていたが、さすがは耳の早い地元の運転手の情報網には足もとにも及ばないようだった。


「予算削減の人減らしで点検整備の人材も確保できなくて、私などは整備士の資格も持ってるんでかりだされてますよ」


 ひとしきり愚痴めいたことをつぶやくと、「では、お気をつけてお帰りください」と言って運転手は帽子を深くかぶり直してバスへと戻っていった。

 運転手は乗り込むと、車内灯をつけた。

 一気にバスの中が明るくなった。


「いない」


 思わず江洲楓はつぶやいた。


 バスの後部座席には、誰もいなかった。






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