第4話 ひとりドライブでいーさ

伊佐はとっても いーさ

鳥神山 高くそびえー



突然目の前は真っ暗になり、暗闇の中で少年少女の歌声が聞こえる。


急激に出来なかったはずの呼吸が出来るようになる。瀕死のダイバーのように酸素を取り込もうと身体全体を揺らしながら必死に息をする。同時にクラクションの音が鳴り響いた。ハッとしてアクセルを踏む。青くなった信号の下を勢いよく通り過ぎる。冬の終わりの寒さを纏った風が太陽の光に反射した。

ラジオからは夢で聞いたあの曲を少年少女が歌っているのが聞こえてきた。


「伊佐の市歌を少年少女合唱団の皆さんに歌っていただきましたー。5年前に制定されたこの歌は…」


ラジオのパーソナリティが楽しげに話している。

そうか、これは伊佐市の市歌だったんだ。さくらは妙に納得した気持ちになり、そして、不思議に思った。

5年前にこの歌が制定されたの?私、小さい頃にしか来たことがないはずなのに何で知ってるんだろう。

さくらは30歳になろうとしていた。5年前の25歳の頃、ここに来ただろうか?いや、来ていない。だから、この歌を知るはずもない。ニュースか何かで見たんだろうか。さくらは先程の夢のような記憶をほとんど忘れかけていた。

    

 道沿いの五十嵐食堂というラーメン屋さんへ着くと駐車場に車を停め、店内へ入る。味のある店構えで、暖簾をくぐって入る。一人なのでカウンターに座り、注文をしてラーメンを待つ。お腹が減っていたようで、湯気のたった豚骨ラーメンといなり寿司のセットをペロリと平らげた。白いスープにキクラゲが揺れる。

 こんなローカルそうなお店に入って、カウンターで一人でラーメンを啜れる強い女性、誰か好きになってくれないだろうか。お嫁に貰ってくれないだろうか。さくらはふうっとため息をついた。

 ところで、何故ここへ来たのかを考えてみた。けれど、一週間前に自分でチケットを取ったのだということを思い出すくらいしかできなかった。

 何日も続けて休みを取ってしまった。これからのことを考えるには必要な時間だった。これから未来の自分を想像して、その自分になれるよう努力しなければならない。そのはずなのに、考えが全く浮かばなかった。これから生きていって、なりたい自分って何なのだろうか。学生が思い描く未来のようにキラキラしていればいいのに。この年齢になってからの未来なんて、そんなに簡単には想像できない。

 考えを停止して、ラーメンに集中する。お行儀は悪いけれどカウンターに肘をつき、物思いに耽りながら残り少ないスープを美味しく頂いていると、カウンターの隣の席に少年が座った。目は糸のように細く、優しく子供らしい顔立ちをしていた。5歳くらいだろうか。お店の人がその子に注文を聞く素振りはない。お店の関係の子なのかもしれないとさくらは思った。


「お姉ちゃん、きばれ。」


少年はさくらをじっと見て、急に優しい声でそう言った。突然のことでさくらはそれが自分にかけられた言葉なのだと思い至るのに少し時間がかかった。けれど、確かに彼はさくらにそう言った。少年を見ていると、さくらは泣きそうになった。涙は出ないけれど、きばれってどういう意味かわからないけれど、応援されているような気がしたからだ。少年は、それだけ言って外へ駆け出して行った。さくらは慌ててお金を払い、少年を追いかけた。けれど、少年はどこにもいなかった。


ふいにヒノキの香りがした気がした。








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