15 談合

 古来より、桑名には神の社がある。

 史書には「春日大社」という記述があるが、現在は桑名大社と呼ばれ、地元の民はもちろん、桑名の港に集まる商人や旅人たちからも信仰を集めていた。


 しかし今、一般の民はもちろん、かねを積む豪商や物見遊山の華族でさえ出入りできなくなっていた。


 桑名大社の大鳥居に、金色の旗が翻っているからである。

 金地に龍が描かれ、青、白、赤、黒の玉が描かれたそれは、ジパングの民ならば誰でも知っている、王家の御旗みはただ。


 金地の御旗の隣には、白虎旗びゃっこき――西方鎮守府の御旗も立っている。

 すなわち、西方鎮守府軍がこの場所に駐留していることを示していた。



 桑名大社敷地の最奥。

 いくつかの殿舎のうち最も壮麗なこの連翠れんすい殿は、貴人・要人を招いたり、その滞在時に使われる場所である。

 ジパング特有の木造建築に大理石の柱やきざはし。美しさと堅牢さを叶えるこの技術は、王城にも採用されている建築様式だ。

 通常ならば、貴人・要人の華麗な衣裳の裾が舞う白い大理石の階。そこには今、鎧の硬い音が忙しなく行き交い、物々しい雰囲気に包まれていた。


 折しも、中から響く怒声に、正面扉の警備兵が背筋を伸ばしたところである。


「捕まらないとはどういうことだ!!」

 花崗かこう将軍はいわおのような身体を震わせて怒気を露わにした。

「三十騎!三十騎だぞ?!たった二人に三十騎で向かって取り逃がすとは何事だ!!恥を知れ!!」

 床に頭を擦りつけて震える兵士に、花崗将軍は刀を抜こうとした――が。

「まあ、そのへんで勘弁してあげてよ花崗将軍。ここは神の社だから、血の穢れはいけない」

 美麗な主の柔らかい制止に、花崗将軍は手を止めた。

「は。失礼つかまつりました」

 青ざめた顔で室を出ていった兵士たちを横目で見て、西方鎮守府大将軍・月白は言った。

「あり得るんだよね。愛すべき我が弟君は、筋肉バカだから。三十騎とか、たぶん一人で相手できる。しかも、弟君あいつを追ったのは半分だったっていうじゃない」

「は。あとの半分は大垣の若村長を追ったかと」

「で、そちらも収穫ナシで逃げられてる。戻ったのは?」

「三騎です」

「なかなかやるなぁ」

 月白はほっそりした顎を両手の甲に乗せた。

「僕らも手は尽くしたつもりだけど、ちょっと若き村長を侮っていたようだね。悔しいけど、これは網の外に逃げられてしまったかな……その後、我が弟君はどうしてる?」

「放った影の者によりますと、南方鎮守府大将軍におかれましては、どうやら芦ノ湖方面へ向かわれた、と」

「一人で?」

「は。しかし、おそらく、どこかで近習の者や影の者と合流するのでは、と」

「相変わらず単独行動ばっかで迷惑なヤツだね。部下がかわいそうだな」

 ふう、と優雅に溜息をついて、月白は銀色の髪をかき上げた。

「大垣の若き村長は、おそらく武蔵ノ国に向かっている」

「武蔵ノ国、ですか?」

 合点のいかない顔をする部下に、月白は艶然と微笑んだ。

「助力を請うつもりなんだろう。青龍刀の持ち主に」

「な、なるほど…!さすが我が君、慧眼けいがんにございます!」

 歓喜に打ち震える部下を一瞥いちべつしただけで、月白は淡々と続ける。

「沼津からだと、近道するなら箱根の関所を目指すよね。我が弟君も当然そう思ったから芦ノ湖に向かった、と」

「どういたしましょう。箱根の関所には、我らが今から向かっても間に合いませぬ」

「まあ、そうだよね」

 少し考えて、月白は言った。

「箱根は、管轄外だからなあ……とりあえず影の者を芦ノ湖に向かわせて。それから、毒を以て毒を制す――東方鎮守府に、青鳥せいちょうを飛ばそう」



 東海道と言われるこの道は、いにしえより整備されてきた道である。


 現王朝の都・山城やましろノ国京都と、古都のある武蔵ノ国東京を結ぶ道中には、霊峰・富士山をのぞみ、山々も多い。そのため、起伏の激しい難所がいくつかある。


 箱根の関所も、そのうちの一つだった。


「噂には聞いていたが……」

 急峻きゅうしゅんな上り坂を見上げ、いつもは獅子のごとく精悍せいかんな顔が珍しく精彩を欠いた。

 箱根の関所は、芦ノ湖湖畔にある。鬱蒼と茂る原生林は、目指す地点がまだ先であることを語っていた。 

「ごめんな、玄天。まだ先が長そうだ」

 漆黒の美しい馬はおとなしく頷いたように見えた。が、射干玉ぬばたまのようにつやめく毛並みは汗でしっとりとしている。

「ちょっと休むか。――

 道を外れ、森林に入る。この辺りの街道沿いには、森林の中にならされた広大な土地が点在する。遠い昔に何かに使用されていた場所なのか、池があり、人が歩きやすくなっている。ここもそのうちのひとつだろう。

 木々が茂っていても地面が平らなので、馬の脚にも優しいはずだ――そんなことを思いながら歩いていると、


「殿下」


 いつの間に現れたのか、足元に人影が膝をついていた。

 草木の色が混ざり合ったような、不思議な衣服を着ている。声を出さなければ周囲の景色に溶け込んでしまうだろう。

 切り揃った長い黒髪を一つに結い、背に金色の円環状の武器を差している。切れ長の優し気な双眸が、穏やかな印象を与える青年だ。


「四天王筆頭、多聞たもん。お待ちしておりました」

「待たせたな。で、どうだ。状況は」

「準備万端です。あとは殿下の号令一つで動き出します」

「よし。俺が行くまで、ぬかりなくな。古い怨念と魑魅魍魎の欲垢にまみれたこの地を、綺麗に洗い流してくれよう」

「は。すべては、殿下の御望みのままに……それと、今一つ」

「なんだ」

おおせの少女ですが、いまだこちらには現れてないようです」

「そうか…おかしいな。絶対、来ると思うんだが」

 多聞は怪訝気けげんげに主を見上げた。

「おそれながら、殿下の仰るような可憐な少女が、箱根の関所に一人で来るとはとても思えません。あそこがどのような所か知らなければ、あるいは有り得るかもしれませんが……」

 気遣きづかわしげに語尾をにごした配下に、碧眼の美丈夫はニヤっと笑った。

「いや、あいつは来る。見た目は華奢だが、ああ見えてけっこう肝が据わっているからな」

「? はあ……」

「あいつは必ず箱根ここに現れる。引き続き捜してくれ」

「御意」

 言うや否や、多聞の姿は風が吹くように消えた。

 近くに小川が流れていた。玄天の手綱を外して軽く叩くと、嬉しそうに小川で水を飲み始める。それを眺めながら、緋耀も近くの切り株に座り、水を飲んだ。


――なにせ、別人だったもんな。


 白龍刀を抜いた途端、あの少女――一桜いおは変貌した。 

 まだ14・15ほどだろう。色素の薄い髪と、同じ色の大きな双眸。美人というより、可愛らしい。その可愛らしい顔で、華奢な身体で、屈強なつわものたちを見事に斬り倒していた。


「……阿修羅のようだったな」


 幼子のように可愛らしく、淑女のように美しい尊顔そんがん。なのに戦闘を好むという、戦いの神・阿修羅。その本性は、無垢と残酷。


「オレはけっこう、好みだけどな」

 船の上でも緋耀を警戒し、観察を怠らなかった。女からは常に色めいた視線で見られる緋耀にとって、新鮮で初めての眼差しだった。


 そう。あの、強い輝きを放つ眼差し。


 戦略上の事情もある。

 しかし、もう一度あの眼差しに会いたくて、自分はあの少女を捜させているのだ。


 そんな自分の思惑に気付き、緋耀は少し驚いた。



 薬草と一緒に炊いた粥を食べた後、幻霞は囲炉裏に水を入れ、きちんと片付いた部屋を見回した。

「これでよし」

 そうして、一桜いおを傍らに呼び、懐から長く折りたたんだ紙を取り出した。


「地図だ!」

 思わず、一桜は覗きこんだ。

「地図は初めてか?」

「屋敷の、おさの間にあったのを見たことはあります。でも…」

「ちょっと違うだろ?」

 幻霞は得意げにニヤリと笑った。


 ちょっとどころか、ずいぶん違う。


 屋敷の長の間に掛けてある地図は、ジパング国全体の地図だ。北は北海道から南は西南海諸島までが細長く伸びている様子がわかるが、各地のことは州名と国名くらいで、詳しいことはわからない。

 幻霞が取り出したのは、富士山周辺の地域に限定された地図で、山や川、湖などや、村や町などの細かな地名、関所の位置まで記載された、かなり詳しいものだ。


「これはオレら忍びの一族が代々書き足して使ってる地図だ。一族の宝のひとつだと言ってもいい。王家が忍びの里を狙うのは、これが目当ての一つでもあるくらいだ」

「王家は、忍びの里を狙っているんですか?!」

「俺たちは両刃の剣だからな。王家に忠誠を誓う忍族は厚く保護されるが、そうでない忍族は常に狙われている。だから俺たちも、里を潰されないように警戒を怠れないってわけさ」

 常に警戒をするというのは、常に戦闘態勢を整えておくということだ。

 そうでなくては、圧倒的な軍事力を誇る王家軍には、瞬時に踏みつぶされてしまう。大垣村が、そうであったように。

「大変、ですね…」

「おうよ。俺たち風魔一族の悲願は『何の心配もなく枕を高くして眠れる日々がくること』だからな」


――そんな当たり前のことが悲願だなんて。


 一桜は、胸が潰れる思いがした。同時に、その願いは今の大垣村の人々の願いでもあることに気付いた。突然襲われ、蹂躙され、村の人々は途方に暮れているだろう。なぜこうなったのか理由もわからないのだ。眠れない夜を過ごしているに違いない。


「どうした?」

「いえ…なんでもありません」

 一桜は、膝の上で掌を握りしめた。一刻も早く、武蔵ノ国に行き、青龍刀の持ち主に会わなくては。


「そうか。まあ、しばらく肩の傷は痛むから、我慢しないで言えよ。薬はあるからな」

 幻霞は傍らの背負い箱をぽんと叩いた。

「で、話しを戻すと。俺たちは今、ここにいる」

 逞しい指が、富士山の南を差した。愛鷹山と呼ばれる山々の一か所だ。

「武蔵ノ国へ行くには、いくつか方法がある。道中最も安全なのは、箱根の関所を通る経路だ。東海道に沿った道は整備されていて、獣や魔物はほとんど出ない。距離も最短だ」

「でも……あたしと幻霞さんが関所を通るのは、目立ちすぎるのでは」

「その通り。ま、速攻捕まるな。俺は見た目めっちゃ怪しいし、おまえは御尋ね者だからな。そこでだ」

 幻霞は、ばん、と指を動かした。


 そこは芦ノ湖の湖畔、箱根の関所とは湖を挟んで正反対に位置する場所。

「俺たちは、ここを目指す。――龍が出るんで、少々、危険だがな」



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