画竜点睛〜龍に守られし国〜

〜天女降臨?〜

第1話 青天の霹靂



子淡ズーダン

章絢ヂャンシュェン、おはよう」


 章絢ヂャンシュェンよりも先に目を覚まし、書房で絵を描いていた子淡ズーダンは、愛しい夫の声にふわりと微笑み、朝の挨拶をする。

 それに応えるように、彼は愛しい妻の頬に口付けて、彼女の描いていた絵をのぞき込んだ。


「何を描いているんだ?」

麒煉チーリィェン大哥兄さんの絵よ」

「あいつはまた!」

「ふふ。許してあげて。天子様にもお休みは必要よ?」

子淡ズーダン。あいつを甘やかさないでくれ。あいつがサボった分のしわ寄せは俺達にくるんだ。子淡ズーダンは俺との時間が減っても寂しくはないのか?」

章絢ヂャンシュェン。そう言われると辛いわ。どうすればいい?」

「それなら、俺の絵も描いてもらおうか? あいつの絵よりもより正確に描けるんじゃないか? 毎日、隅々まで見ているんだから」

「もう! 章絢ヂャンシュェンってば!」


「朝から止めてくれません? 甘ったるくて吐きそうなんですけど……」


 書房で戯れていた新婚夫婦の激甘、激熱な空気に水を差す、第三者の声がした。

 子淡ズーダンの頬が赤く染まる。


浩藍ハオラン……」

 章絢ヂャンシュェンは、苦虫を噛み潰したような顔をした。


「……朝から新婚家庭に来るお前が悪い」


「はいはい。ウー待詔たいしょう。絵の進み具合はどうですか?」

 そんな章絢ヂャンシュェン浩藍ハオランは適当にあしらった。


「ごめんなさい。やっと輪郭りんかくが描けたところです」

「そうですか。申し訳ないのですが、明日までには仕上げてください」

 浩藍ハオランは、言外に「邪魔するなよ」とほのめかし、章絢ヂャンシュェンを半目でにらんだ。

 章絢ヂャンシュェンは肩をすくめて、「はぁ」と息を吐いた。


「随分、急いでいるんだな」

「ええ。ちょっと厄介な案件がありまして……」

「俺が知らないってことは、ここ一週間以内に持ち込まれたものか?」

「まぁ、そうですね」

「そうか。なら面倒に巻き込まれるのは勘弁だから、聞かないことにする」

「そう言うと思っていましたけど、結婚して一週間経つんですからそろそろ休暇は終わりですよ。今日からでも出仕して下さい」

「まさかお前、それを言う為にわざわざ来たのか?」


 章絢ヂャンシュェンは顔をしかめた。


「ええ」

 章絢ヂャンシュェンの強面に、全くひるむことなく、浩藍ハオランは首肯した。

 そんな浩藍ハオランの態度に、章絢ヂャンシュェンは口を尖らせる。


「はぁ。勘弁してくれよ。ずっと休まず働いて来たんだ、せめて一ヶ月くらい休ませてくれ……」


 子供っぽい章絢ヂャンシュェンに、浩藍ハオランは呆れ、溜め息を零す。


「はぁ。止めて下さいよ。いかつい顔をした、いい大人がそんなことしても、気持ち悪いだけですから」

浩藍ハオラン。流石にそれはひどくないか?」


「くす」

 二人の遣り取りを見ていた、子淡ズーダンが笑う。


子淡ズーダン。何で笑うんだ?」

「ごめんなさい」

 子淡ズーダンは悪びれることなく、軽い調子で謝った。


「……一週間でも破格だと思いますけどね……」

 浩藍ハオランは、ぽつりと言って、遠い目をした。


「まぁ、な」


 そう言えば、彼の時は一日しか休みがなかったと思い出し、章絢ヂャンシュェンはそれ以上の文句が言えなくなった。


 章絢ヂャンシュェン子淡ズーダンへと目を向ける。


「仕方がない。子淡ズーダンも絵に集中したいだろうから、出仕するか」


 章絢ヂャンシュェンは、ガシガシと頭を掻きむしり、準備のために奥の部屋へと消えた。



ヂャオ中書令ちゅうしょれい。どうぞこちらにお掛け下さい。今、お茶をご用意いたします」

 子淡ズーダン浩藍ハオランに微笑み席を勧めた。


 浩藍ハオランは彼女に微笑み返し、「ウー待詔たいしょう。それには及びませんよ。私は先に宮城きゅうじょうに戻ります」と言って、書房を出る。


ヂャオ中書令ちゅうしょれい。あの絵は陛下がお休みする為に、その間の代理が必要だからとお伺いしていたのですが、違うのですか?」

 子淡ズーダン浩藍ハオランの後に付いて行き、尋ねた。


「ええ。今は詳しいことはお話し出来ませんが、決して悪用はいたしませんのでご安心下さい」

 そう言った浩藍ハオランに、子淡ズーダンはそれ以上訊くことが出来ず、「分かりました。いつか、お話しくださいね」とだけ言った。


「はい、もちろんです。それでは、明日また伺いますので、よろしくお願いします」

「はい。明日までに仕上げますので、御心配なく」


 浩藍ハオランが去ると、子淡ズーダンは書房に戻り絵の方へ意識を向けた。

 章絢ヂャンシュェンが準備を終え、子淡ズーダンに出立の挨拶をしたが、彼女が気付くことはなかった。

 章絢ヂャンシュェンは、「いつものことだ」と、少し寂しそうにしながらも微笑を浮かべる。

 絵に集中している彼女から名残惜し気に視線を外した章絢ヂャンシュェンは、宮城きゅうじょうへと意識を向け、歩き出した。





  *    *    *   





「で? 一体何があったんだ?」


 章絢ヂャンシュェンが出仕して、主である麒煉チーリィェンに真っ先に言った言葉がこれである。


章絢ヂャンシュェン。相変わらずだな。久しぶりに会った主君にまず先に言うことがあるんじゃないか?」


 麒煉チーリィェンは筆を置いて、章絢ヂャンシュェンさとすようににらんだ。

 それに対し、章絢ヂャンシュェンは鼻を鳴らして、「何かあるか?」と言った。


「はぁ。結婚祝いに対する返礼もないとは、無礼なヤツだ。何で子淡ズーダン程の良い女がこんなヤツを選ぶかなぁ。全くもって報われないよ」

「ふん。分かっているさ。結婚祝いとそれから、彼女の想いを叶えてくれて本当に感謝している。ありがとな」

 顔を背け、そう言った章絢ヂャンシュェンの耳が赤くなっているのを見て、麒煉チーリィェンは、やれやれと溜め息を零す。


「最初からそう言え。全く」


「ゴホン。それで、厄介ごとは何だ?」

 章絢ヂャンシュェンは、咳払いをしてから真面目な顔になり、尋ねた。


「西の国境に天女が現れたそうだ」

「はっ?」

 麒煉チーリィェンの言葉に、章絢ヂャンシュェンの真面目な顔が一気に崩れ、鳩が豆鉄砲を食らったように口をぽかんと開けた。


「えーっと。天から舞い降りたのか? それとも、飛燦フェイツァン国から来た新手の使者か何か、か?」

「そう考えるのは分かるが……」

「はっ! まさか!? その天女を後宮に迎えるつもりか?」


 麒煉チーリィェンはジト目で章絢ヂャンシュェンにらむ。


「何でそうなる?」

「だって……」


 章絢ヂャンシュェンはもじもじと言い淀む。

 大の男のそんな様子に、麒煉チーリィェンはドン引きし、話を打ぶっ手た切ることにした。


「その続きは言わなくていい」


 章絢ヂャンシュェンが不満そうな顔をする。


「……まあ、聞け。その天女を隣国の奴らが連れ去ろうとしたところ、消えてしまったらしい」


 あごに手を当て、少し考えてから、麒煉チーリィェンの顔を伺うようにして、「それはもしや……」と、章絢ヂャンシュェンが言った。

 それに、「我が意を得たり」とでも言うように、麒煉チーリィェンが口角を上げる。

「ああ。その天女は造士ザオシーが描いたものと思われる」

「だが、それほどの技術を持った造士ザオシー子淡ズーダン師君シージュン以外報告されていないよな?」

「ああ。どうやら新たに現れたようだ。隣国が造士ザオシーに気付いて連れ去る前に、早急に保護しなければならない」

「そうだな。それで急いでいたのか」

「ああ。このことは国の機密だからな。俺が自ら動かなければならない。子淡ズーダンが俺のインを描き上げ次第、出発する。章絢ヂャンシュェンも随行するように。浩藍ハオランインの補佐を頼む」

「はっ!」


「それにしても、なぜ『天女』なんだ?」

 章絢ヂャンシュェンはそう言って、首を傾げる。


「さあな」

 そう言いながらも、麒煉チーリィェンは思案するように瞑目する。


「寂しい男がなぐさめに描いたのか?」

「はぁ。お前な……」

 章絢ヂャンシュェンの真面目なのか巫山戯ふざけているのかよくわからない問いに、麒煉チーリィェンは半目になる。


「それは考えづらいですよ。それだけの腕がある者は、必ず画院に入るように、通告しているのですから。そんなことは、この国の者ならば、誰でも知っていますよ」

 浩藍ハオランは真面目な顔でそう言った。


「入りたくなくて、隠していたんじゃないか?」と言いながらも、きっとそんなことはないだろうなと章絢ヂャンシュェンは思った。


 皇帝の御抱えでもある画院に入ることは大変名誉なことであり、手厚く遇され、生活に困ることもない。

 超一流の道具や講師が揃い、高度な技術を習得し、最先端を発信することが出来る。

 入りたくないと言う変人に、今まで出会ったことはなかった。


「そうだとしたら、罰さなければいけなくなるな」

 麒煉チーリィェンが嫌そうに言う。

 貴重な力を持つ画家に罰を与えるのは、決して本意ではない。


「新たな力に目覚めた、無知な子供だと考えるのが妥当だと思いますが……。もしかしたら、他国の者の可能性も有りますね。場所も国境ですし……」

 浩藍ハオランの言うように、他国の者であった場合、更に面倒なことになると、麒煉チーリィェンの顔が益々渋面になる。


「どちらにしても、意図的に『天女』を描いたのだとしたら、一気にきな臭くなるな」

「そうですね。それこそ、ただ自分の慰めだけに描いていたのなら、隠匿いんとくしていた罪だけで済むのですが……」

飛燦フェイツァン国の企みか、はたまた飛燦フェイツァン国と我が国が争って得をする第三の国か、俺に反発している国内の者か」

 そう言って、麒煉チーリィェンは溜め息を零した。


「ただの金儲けのため、または宗教的に利用しようとしたということも考えられるが?」

 章絢ヂャンシュェンの言葉に、更なる憶測ばかりが広がっていく。


「何にせよ、十分に警戒して事に当たらなければいけないな」

 一度頭を休めようと、麒煉チーリィェンは話を終わらせた。


「そうだな」


 三人は改めて気を引き締め、うなずき合った。







____________________________________


李章絢(リーヂャンシュェン)……侍中(門下省の長官)。子淡の夫。

呉子淡(ウーズーダン)……待詔(画院の優秀な画家)。「造(ザオ)」の力を持つ。章絢の妻。

李麒煉(リーチーリィェン)……瞳(トン)国皇帝。

趙浩藍(ヂャオハオラン)……中書令(中書省の長官)。

師君(シージュン)……「造(ザオ)」の力を持つ。子淡達の師。「師君」は、子淡達が呼んでいる通称で、本名ではない。

影(イン)……造士が描いて実体化した絵の人物や物のこと。

狗(ゴウ)……麒煉が天子の力で操る狗の姿をした影。

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