ヒデさん

 ゴールラインから少し離れた所で沢村さんと伴走者の人が立って話をしていた。

 聡さんに連れられて、そこにやってきたオレ達は深々と頭を下げた。

「申し訳ございませんでした」


「怪我は大丈夫ですか?」

 そういうオレに、威勢のいい関西弁が飛んできた。


「いったいな〜。兄ちゃん、何すんねん。いっきなり絡んできて、危ないやないか。手も足も擦りむけてしもたわ」


 オレより先に聡さんが声を出した。

「本当にすみません。あの、救護室ですぐ手当てを受けて下さい。自分のせいです。改めて後でお詫びに参ります」

「悪いのは全部自分です。すみませんでした」

 慌ててオレがそう言うと、また関西弁が飛んできた。


「あんたら、罪のかぶり合いか?

 罪のなすり合いより、ある意味タチが悪いで。特に伴走者の君や。どうみても相棒の暴走が原因やろ」


「それをコントロールするのも僕の仕事ですから‥‥‥」


「は〜、仕事ですか。兄ちゃん達、たっぷりとオレの説教を喰らいなさい」

 沢村さんが話してる途中で伴走者の人が口を挟んだ。

「目の見えん兄ちゃんの肘からごっつう血ぃが流れてはる。はよ、手当てしてもらった方がええで。自分らの傷の手当てが済んだら、もう一度ヒデさんの話を聞きに来なさい。 うちらは擦り傷で済んでるわ」

 こっちの人も関西弁だ。


 二人の言葉の調子とは裏腹に、何か心に温かみを感じながら、オレ達は一旦そこを離れ、傷の手当てをしてもらってから戻ってきた。


 沢村さんの伴走をしていた人が椅子とお茶を用意してくれていた。

「ゆっくり出来る時間はあるんか? ヒデさんはね、あ、沢村さんのことや。兄ちゃんらもヒデさんって呼んだらええから。

 ヒデさんは口は悪いけど、あったかい人やから、心配せんでええで。ごっつう楽しみな若者が出てきたな〜って、ゴール後えらいご機嫌やったで。色々教えてくれはると思うし、よー聞いときや」


 ヒデさんはパラリンピックに既に三回も出場していて、もうすぐ四十歳になる。前回1500m で銅メダルに輝いているだけでなく、5000mとマラソンでも何回も入賞を果たしているレジェンドだ。


「兄ちゃんは全盲やろ? オレもや。若い頃はオレもごっつう失敗してきたで。兄ちゃんの失敗なんかまだ可愛いもんやで。オレはもっと酷い暴走をして、危うくこの競技から追放されそうになった事もあるねんで。自慢やないけどな。

 ずっとこのマサちゃんと組んでやってきてるねんけど、こいつがまたお人好しでな〜。オレの言いなりに動いてくれて、そやけど全然上手くいかんかった。

 お互い腹を割って話して、ぎょうさん喧嘩もして、やっとこさっとこ、ここ数年やで。いい感じになってきたのは。

 いくら走力があっても、この競技は上手くいかん事が多い。そんな簡単な競技やないで。

 伴走者は、障害を持つ選手の援助をする人やとか、選手を安全に誘導する事が仕事やとか、オレはそういう考え方が嫌いなんや。そういう思いで伴走してほしいとは思えへん。二人は対等で、二人はチームやと思とる。二人で一緒に勝ちにいくんや。なあ、マサちゃん」


 話は止まらない。


「悪いな。久々に興奮してるんや。若くて元気のいい選手が全然出てきいひんかったけど、やっとや。足引っ掛けられて腹立ったけど、兄ちゃんには熱い物感じたわ。わざとやない事も分かっとる。

 これから学ばなあかん事は山ほどあるで。強うなるで。頑張りや。

 オレも久々に刺激受けたわ。

 来年また対決やな。次はパラリンピックの選考会や。いい走りが出来たら一緒にパラに出場出来るかもしれん。けど、オレらを負かしてみい。来年、また勝負や。

 兄ちゃんら、まだ高校生やろ。おっさんは羨ましいわ。若い力が。顔は見えんけど、たぶん男前やろから、余計腹立つわ」


 そんな風に言って豪快に笑っていた。


 すごい人だと思った。こんな先輩がいてくれる事が嬉しい。何だかこの競技が好きになった。

 結局オレ達は失格となり、初挑戦は散々なレースになってしまったけれど、学ぶ事は沢山あった。

 走力を磨く事よりも、この競技で戦う為にオレがやらなければならない事は沢山ある。


 もしも、ヒデさんに出会えてなかったら、あんな風に話をしてもらえてなかったら、きっともうレースを走る事が怖くなってしまっていたと思う。

 でも、オレ達はまだ始まったばかりなんだって思えた。そして来年は絶対にオレ達が勝ってやると思った。

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