第4話 一歩先は罠だらけ

「操られてる? 王様が?」


 王家の墓は宿場町アリンガより東、海に近い場所にあるという。

 そこに向かう道すがら、フェルディリカは話をしてくれた。

 近頃父親である国王の様子がおかしくなったこと。側近たちの間で、国王は戦の準備をしていると、まことしやかに噂されていること。

 そして父王の様子が変わったのは、一月ほど前、宮廷付きとなった魔法使いが来てからだということ。

 父王の異変は魔法によるものと考えたフェルディリカは城の書庫で鏡のことを知り、城を出る決意をしたということ。


「真実の鏡と呼ばれるそれは昔、城に仕えていた魔法使いにより作られたものと書物には記されていました」

「なるほど。それを使って王様を元に戻そうっていうのね、あ、戻すんですね」

「いいのよ、ディア。いつも通りに話してください」


 くすくす笑って、フェルディリカが言う。

 夜で明かりを持ってきていなかったが、月が明るくて助かった。


「それよりも本当に良かったのかしら、あなたには仲間の方がいたでしょう? わたくしと一緒に来てしまって、心配しているのではないですか?」

「うん。でもどっちにしろ今町には戻れないしね、あのお城の人達に見つかったりしたら、それこそ姫を誘拐しただなんて言われかねないもの。だから鏡を取って、一緒に戻って、姫様の口から説明してもらわないと」

「あなたには本当にご迷惑を、ディア?」

「しっ」


 何事か言いかけたフェルディリカは、自分を庇うように前に出たディアから緊迫した空気を感じ取り、息を呑んだ。

 ディアは素早く周囲に目を走らせ、耳を澄ます。弓矢があればよかったが、今は持っていない。腰に携えた短剣を抜き、構えながら近づいてくる気配に意識を集中する。

 月明かりにうっすら浮き上がる、背の高い草むら。

 その影に潜む獣の息遣い。

 唸りを上げて、獣が飛び出すと同時に、ディアはフェルディリカを突き飛ばした。間近に迫った獣に刃を振るう。

 切っ先が獣の皮膚をかすめたらしく、キャウンと犬のような高い鳴き声が夜の闇に響いた。

 できれば殺したくはない。

 獣を殺すのは食べる時だけと、昔から決めている。

 だから、このまま去ってくれればと思う。

 しかし腹を空かせた獣は諦めが悪かった。

 標的を、無防備に立ち尽くす少女へと変えて、再び襲い掛かってくる。

 フェルディリカは迫りくる獣に危険を察したが、足が竦んで動けない。固く目を閉じ、顔を背ける。

 鋭い爪と牙が彼女の身を引き裂こうとしたその瞬間、どすっという重い音がして、獣の体は横方向に吹き飛んだ。

 地面に転がった獣はピクリとも動かない。その首筋には短剣が深く突き刺さっていた。

 呆然とするフェルディリカの目の前にはディアが立っていて、彼女はゆっくりと獣の死体に近づいていくと刺さった剣を抜き取った。

 持っていた布で血を拭きとり、柄に収めると、それからほんの少しの間、目を閉じて両手を合わせる。


「……大丈夫、ですか?」

「せめて毛皮だけでも取らせてもらいたいところなんだけど、今はそうもいかないからね。姫様こそケガない?」

「ええ。それにしてもあなたってすごいのね」

「そうかな? 普通のことだと思うけど。食べるために獣狩ったり、毛皮を剥いで服を作ったり……」


 フェルディリカはまだドキドキする胸を押さえて言う。


「いいえ、とてもすごいことよ。ねえ、ディアはどんなところで、どんな生活をしていたの? 剣の扱いは、誰から習ったのですか?」

「え、あ、うーんと」

「教えてください、ディアのこと。王家の墓に着くまでまだありますもの。歩きながらでも、ね?」


 フェルディリカは目を輝かせて、ディアの手を取る。

 うわあ、すごいだって。

 そんなこと言われたの初めて。

 なんかちょっと照れくさいな。

 歩きながら、ディアはたくさん話をした。

 東大陸、森の奥にある一軒家での母との生活。

 森を駆け回って、獣を狩り、木の実や果実を採取する日々。川に行けば魚だって釣れたし、作物もちょっとしたものなら家の裏手で育てることができた。それでも足りない分は近くの村に行き、物々交換した。木の皮や草の繊維を用いて仕立てた服や靴は丈夫だと喜んでもらえた。


「ではその服も手作りなのですか?」

「うん」

「素敵! 不思議な模様ね。何か意味があるのでしょうか?」

「えーと、確か魔除けって言ってたかな?」

「この袖のところなんてすごく細かくて綺麗だわ」

「えへ、お母さんほどうまくはできないけどね」

「あなたのお母様、きっと素晴らしい方だったのね」

「色んなことを教えてくれたよ、獣の狩り方も、服の仕立て方も」


 いつだったかの母の言葉を思い出す。

 いつかあたしがいなくなっても、あなたがひとりで生きていけるように。


「ねえ、ディア。あのね、こんなことを突然言われても困るかもしれないけれど」

「うん?」

「わたくしとその……」


 フェルディリカはなんだか落ち着かなげに指先を弄っている。

 ディアは彼女の言葉の先を大人しく待った。


「お、」

「お?」

「教えてほしいの、その、刺繍の仕方を……」

「うん、いいよ! でもその前に、全部終わらせないとね!」

「あ、はい。そうですね……!」


 何故かがっかりとしたように肩を落としたフェルディリカは、だけどすぐに真剣な顔つきになって真正面にそびえる格子状の扉を仰いだ。服の胸元から鎖に通した鍵を取り出し、錠を外す。

 フェルディリカはそこでくるりと体を反転させて言う。


「ディア。ここにはね、盗掘を防ぐための罠がたくさん仕掛けられているの。わたくしも何度か来たことはあるのだけれど、いつも墓標の前までで……その先のことはあまりよく知らないの。もしかしたらとても危険な場所かもしれない。だから中にはわたくし一人で行って、あなたはここで待ってていただいても……」

「だったらなおさら二人で行かなくちゃ」


 ディアは錠の外れた扉を押し開き、手を差し出す。


「どっちかが危ない目に合ってたら、もう片方が助けることができるもの」

「はい!」


 差し出された手をしっかりと握り、フェルディリカは頷いた。

 扉の内側は、まるで庭園のようだった。

 手入れされた草木に左右対称に置かれた像。

 そして石畳の小道を進んでいくと、一番奥に筒形の祠が見えてきた。扉がなく、壁にぽっかりと開いた入り口の奥には、当然のように明かりなどない。ところが、ディア達が一歩足を踏み入れると壁に備え付けられた松明に火が灯る。

 驚くディアにフェルディリカが魔法よと説明してくれた。

 中には大きな石碑が一つあり、後ろに回り込むと、そこには地下へと続く階段があった。


「気を付けてくださいね」


 階段の下は思っていたより広く、墓の中とは思えないほど、きらびやかだった。広間といってもいいような通路の壁際に黄金に輝く棺が並んでいて、その傍らの石の台座には数々の装飾品が収められている。それらは埋葬された歴代の王たちのために作られたものらしい。ただしそれらにうっかり手を伸ばそうものなら、恐らくそこに転がる遺体のように手首を鉄の輪に捕らえられ、動けなくなってしまうのだろう。

 初めて目にする白骨遺体に、二人の少女は震えあがった。

 けれど、もしかしたら自分がこうなるのかもしれないと考え、改めて気を引き締めた。

 目当ての鏡が、居並ぶ台座にあったらどうしようかとディアは思ったが、フェルディリカの話ではそれは最奥の部屋にあるという。

 内部の造りは単純で迷うことはないが、天井、壁、床と、至る所に罠が張り巡らされていて、ディアとフェルディリカは一歩一歩慎重に足を進める。

 足元には細い糸が張られていて、それに引っかかると壁に設置されたカラクリが作動し、矢が放たれるようになっていたり、頭上に吊るされた檻が落ちてきたりする仕掛けになっていた。

 突き当たりの壁に扉は見えている。

 何もなければあっという間の距離なのに、一歩一歩確かめながらだと、かなりの時間を要した。

 息をするのも何だか緊張する。

 やっとのことで通路の半ばまで来ると、ディアはほっと息を吐く。

 そこから先の壁と天井には先程までのような檻や弓矢の仕掛けが見当たらない。

 だがそれは裏を返せば、どんな罠が潜んでいるのかわからないということでもあった。

 ディアは深く息を吐き出して、再び歩き始める。

 次の瞬間、


「わっ!」

「ディア!」


 踏みしめた足が突然沈んだかと思うと、床がぱっくりと大きく口を開いた。

 落とし穴だ!

 気づいた時にはディアの身体は宙にあった。底は一面刃で埋め尽くされていて、落ちれば確実に命はない。

 フェルディリカが咄嗟にディアの左手を掴む。

 捻ったのか、体の重みが一点に集中したことによるものか、腕の付け根に鋭い痛みが走って、ディアは悲鳴を上げた。

 痛みに顔を歪ませながら天を仰ぐと、フェルディリカが必死に床に這いつくばりながら堪えている様子がうかがえた。


「だめフェリカ姫……」


 このままじゃ二人とも落ちてしまう。

 けれどフェルディリカは首を横に振った。


「ディア、あなたが言ったのよ」


 伸びやかで、細い腕。きっと重い物なんて持ったこともないだろう。

 真っ赤な顔で、涙目になりながら、フェルディリカはディアを支える手に力を込めた。


「どちらかが危ない目に合ってたら、もう一人が助けるんだって……!」


 フェルディリカはそう言って、床についていた方の手も伸ばし、両手でディアの腕を引いた。

 ゆっくりと、だが確実に身体が引き上げられていく。

 そうだ。

 そのために、わたしはここへ来たんだ。

 誰かの役に立ちたくて、フェリカを助けたくて。

 ディアは体の脇に垂れた右腕を頭上に向かって伸ばす。

 指先が床に引っ掛かって、今度は足の先で壁を探り、僅かなとっかかりを見つけた。

 いける。

 爪先に力を入れて、膝を曲げ、体を上方向に押し上げる。

 飛び出してきたディアの身体をフェルディリカが受け止め、床の上に転がる。


「す、ごい……すごい! 助かった本当に! ありがとうフェリカ!」

「ディア! よ、よかった、よかった本当に……うっうえぇ」

「な、泣かないでようもうぅぅ、怖かったよぅぅ」


 抱き合ったまま、二人してわあわあ泣いた。

 涙と鼻水で顔はべしょべしょになったが、気にもならなかった。

 互いに落ち着きを取り戻したのは、それからしばらくしてからだ。


「でもこんなのがあちこちにあるとしたら、下手に進めないよ。どうしよう」


 先程までは目視できる罠ばかりだった。

 だが先の床や壁には、それらしきものが一切見当たらない。ただ、床には白と青のタイルが不規則に敷き詰められているばかりだ。

 途方に暮れるディアの隣で、フェルディリカはぽつりと呟く。


「もしかしたら」

「何かわかったの?」

「ええ、でも……確かなことではないから」

「でもここでずっと考えてても仕方ないし、何か気づいたことがあるならやってみようよ。で、何がわかったの?」

「その、床にある白と青の二色はラトメリアの国旗に使われている色なのです」

「うんうん」

「白の生地に、青色で王家の紋章が描かれていて……だからそれと何か関係あるのかもしれないと思うのだけど」


 先程足を乗せた箇所が何色だったか、ディアは思い出す。

 そうだ、確か白だった。


「そうしたら青い場所が安全ってこと?」

「いえ、もしもそうなら、その落とし穴のところにあったタイルは全て白でなければいけません。ですが、わたくしの記憶が確かなら、そこには青と白のタイルが混じって敷かれていたかと」


 言われてみれば、踏んだタイルの近くに青色を見た気がする。

 一瞬のことで、もうはっきりとは覚えていないが。


「ねえ、ラトメリア王家の紋章ってどんな形なの?」

「え、ええ。王冠と鳥をモチーフにしていて。そうだわ、これ」


 フェルディリカが取り出してきたのは金の鞘に納められた、いかにも価値のありそうな短剣で、刀身には翼を広げた鷲と王冠の彫刻が施されている。

 しげしげと眺めていたディアはふと首を傾げた。

 なんだろう、何か引っかかるような。


「ん?」

「何?」

「いや、何かこれ……」


 そうして何とはなしに、もう一度通路に目をやってからひらめく。


「あ、あれ? なんか、わかっちゃったかも」

「本当ですか?」

「うん、あのさ。その落とし穴があるもう少し左側のところなんだけど、青いタイルのところ鳥の足のように見えない?」

「あ」


 フェルディリカも気が付いたらしく、刀身の彫刻と床を見比べる。

 足、体、そして広げた翼と頭。

 点々と置かれた青いタイルを繋いでいくと現れる鳥の形。恐らくその先には王冠が描かれているのだろうと思われた。


「さっきの落とし穴のところにあった青色のタイルは繋がらない部分。つまりフェイクということ? ではその、紋章の形になるように青いタイルの上を通って行けば」

「わかんないけど………行ってみる?」

「そうですね……」


 確信はないが、考えていても仕方がない。こればかりは実際にやってみないと答えが出ないことだ。

 だが、やはり間違っていたらと思うと怖い。

 さっきはどうにか助かったけれど、次はわからない。


「行きましょう、ディア」


 フェルディリカがディアの手を取って言う。

 指が細くて、白くて、柔らかい。

 綺麗な手だ。

 けれど温かくて、とても力強い手だとディアは思った。

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