其の十五

 「大丈夫?」アンが心配そうな顔をこっちに向けてくる。「泣いてるよ。」少年に気を遣ってか小声だ。

 少し口角を上げて、「大丈夫だ。」と踵を返した。屑は完全に少年に対して虞を抱いているので、少年の一挙手一投足にビクついている。

 少年はゆっくり一歩一歩屑に近づく。其の度に屑は満身創痍な身体をやっとの如く動かして逃げようとする。少年が屑に追いついた、その時、その屑は断末魔を上げた。

 ところがどっこい、少年はしゃがんだかと思うとポーチから応急手当の物を出して、テキパキと処置を始めた。その様子を見てその屑は呆気にとられたようだ。

 「何で、助けて、呉れた、ゲホッ。貴様。」「別に。唯、貴様が要救助者の一人であることには変わらない。それに俺は災害出動中の自衛官だ。仕事だから助ける。最もさっき喧嘩を吹っ掛けてきたのは、貴様が急迫不正の侵害でこっちとしては正当防衛という扱いだから、そこについては補償等は出ないから宜しく。」

 そう言っているうちに手当てが完了した。「ほれ、手当は終わりだ。後でちゃんとした県立病院にでも運んでもらって早くしっかり養生しろ。」「あっ、ありが、とう、ござ、い、ました。」「よろしい。」

 その屑、川崎陽太を保健室のベットの上に運んで、この騒ぎは一段落ついた。体育館に戻るとアンと妃花さんが出迎えてくれた。「お疲れ、國男。」「お帰りなさい。」ところが、「ちょっと私はお邪魔虫みたいだから退散するね。」とあえて左手の薬指の婚約指輪を見せびらかすように手を振りながら、妃花さんはすたこらサッサと自分のスペースに戻っていった。後に残された二人は気まずかった。一人は公衆の面前で抱き付き、もう一人は自分の思いをしっかりと自覚した。そしてさっきの一連の流れで何かを察して妃花さんは敢えて彼らを二人っきりにした。流石妃花さん、文先輩の嫁に相応しい気遣いである。周りの取り巻き連中は(グッジョブ、妃花さん。)と心の内で呟いていた者(主に女子)もいれば、(何であんな奴がアン様と!)と歯ぎしりする者(主に陽キャ男子)もいたのは言うまでもない。

 周りの視線が兎にも角にも痛い。だが、無論それに臆することなく「大丈夫だったか?」とアンに声をかけた。「大丈夫も何も、御覧のとおりピンピンしているわよ。」確かに怪我どころか傷一つすら無い。「愚問だったな。んじゃあ、基地に戻るわ。」「待ってー」

 基地に戻ろうとした少年の腕を引っ張ったので後ろを振り返ると、アンの顔が近づいてきた。

 そしてー、「ハムッ…」「アウsfヴァcs…」。

 唇と唇が触れて、互いの口を繋ぎ合い、アンが舌を懸命に動かす。

 突然かつ公衆の面前という羞恥心を掻き立てるような大胆なキスに、少年は敵に奇策を打たれた時以上に混乱した。

 いや、嬉しかったからこそ動けなかったというべきか、少年の目は大きく見開いた。

 「毎朝の、やつ。」アンは少年から眼をそらす。やはり恥ずかしいのだろう。

 少年はヘルメットの顎ひもを外してヘルメットを脱ぎ、それをアンに被せた。そうすると「むうっ、」とリスのようにほっぺたを膨らませた。

 「かわいい。」おっと、思わず思っていることそのまま口にしてしまった。アンは顔を茹蛸の如く真っ赤にし、頭から湯気を出し、小さな口は半開きになって「アワ、アワワ…………」と言葉にならない言葉を発している。

 何だろうな、あたふたしているのもやっぱり「かわいい。」おっと。

 「もう恥ずかしいから『かわいいかわいい』って言うなぁ~、バカぁ~~!」

 ベシッ!見事に頬にビンタが命中。

 理不尽ッ!しかもガチ勢の力量でヒリヒリする。ぶっちゃけオヤジさんのビンタの方がマシである。

 今一瞬、「ぴえん」という言葉が頭に浮かんだが、そんな感性をした己がキモい。だって考えてみろ、FPSぺクスとかに出てくるゴッツイおっさんキャラが「ぴえん」なんて言ってみろ。それこそ天変地異だぞ。チビ助たちは泣き喚き、クレームの電話は鳴りやまず、ゲロ吐こうとしてトイレには長蛇の列、なんならショック死する奴まで出てくるぞ、マジで。俺がそれを口にした途端、世界はオワコンでしょ。

 取り敢えず、基地にすたこらサッサしますか。(即ち、敵前逃亡。)

「うわぁぁぁぁぁぁぁ~~~~!めっちゃ恥ずかしいッ!だけど嬉しいッ!國男にかわいいって言われた~~~!妃花先輩妃花先輩ッ!」「もぉ~う、アンちゃんったら、人前で大胆ね。本当に國男君の事が大好きなんだね。」妃花先輩はクスクス笑いながら言うが、「別に好きじゃないけど。なんなら嫌い!」とそっぽを向く。「でも、アンちゃんのその様子って、私が家で文様と二人っきりの時のようだわ。でも文様は身長が高すぎて背伸びしてもキスは出来ないから、羨ましい。」と妃花さんはぷんぷんとしていた。

 「羨ましい。」次にそう言ったのはアンだった。「自分の気持ちに素直になれて。私なんて國男の事が大好きすぎて大変だから、逆に嫌いになっちゃった。自分の気持ちが大きすぎて、この感情、どうしたらいい?」何故かアンは姫花を前にすると思わず本音で喋ってしまう。「あっ、やっと自分から認めた。」「妃花先輩、からかうのやめてくださいよ~~。」なんせこの先輩は、こういうネタに目がないのだ。

 「ところで、何で國男君の事を好きになったの、アンちゃん?」「だから、嫌いですって。だけど、初めて会ったときは何なんだろうな、この人は信じられる、って直感で思ってね。自分と同世代なのにもう戦っている強い人だなって。あの時の彼の目は、今まで見てきた男の人の目の中で不思議と安心できる一番優しい目をしていた、一見冷徹に見えるけどね。だけどその冷徹な光は本当の國男じゃないって、そう思えたの。ずっと戦場という阿修羅に身を置いていたから、ずっと大切なものを奪い奪われていく中で生き残るために。そんな彼の凍えてしまった心を温めて、本当の姿を見たいなって。それに、なんやかんや言って優しいし、実際見た目もカッコいいし、私の事を大事にしてくれているなって思えるし、なんだか頼りたくなるし。今でもそう思って、しまう。」

 妃花さんはアンの顔をまじまじと覗き込んだ。「本当にベタ惚れね。」「なっ、惚れてませんよ。(小声で)大好きだけど。」「何か言った?」「な、何も…………」「でも大好きだけどって聞こえたような~。」「やめてください!」「アンちゃん顔真っ赤~。まあ、彼の魅力は本当に知る人ぞ知るみたいな感じだし、國男君はクール系イケメンだし。なんか怖いオーラさえ無ければ女子にモテモテだろうね。なんやかんや言って優しいし。まあ文様も似たような感じだけど、文様は大人な余裕な感じがやっぱ良いのねぇ〜。」「本当に文先輩にベタ惚れね。」「それはお互い様でしょ。」「ぐぬぬぬ…」たった一歳歳上だけなのに、ここまでコテンパンにやられるとは。文先輩に追いつきたいから背伸びしていつの間にか大人な風格が身に付いたのか。

 姉妹の様に仲の良い二人だが、其の天然な会話で周りに大きな影響(主に嫉妬と羨望)を引き起こしている事に気づかないほどの天然なのであった。

 少年は基地に戻る為に瓦礫道を走り続けていた。それにしても、何とも言えない濃密な時間だったな、と思った。

 ババババババと喧しい騒音を立てて町の上でプレスのヘリが飛んでいる。

 ーそうか、火山灰自体は大して空中に浮遊していない。じゃあ、C-2で空中投下とかいけるかも。でも投下場所指定をしても十割安全というわけでない。偶々落ちた所に人がいたら、それこそ大ごとだ。一番安全なのは

物資を積んだCH-47JA輸送ヘリ等を町の何処か広くて地盤が比較的しっかりしている土地に離着陸させる、若しくはUH-1Jとかの多用途ヘリコプターの下に物資をぶら下げて少々広いスペースにヘリは着陸させずに物資だけ置いていくみたいな事だろう。

 やっぱり後者の方が輸送量は少なく、空中は混雑するが、現実的だ。前者を闇雲に行ったら事故も起こりやすいし、効率的に行うには最低限の航空管制と地上支援態勢が必要だし、そもそもそんな土地有ったか?

 そうこう考えているうちに基地に着いた。報告を済ませたら、取り敢えず腹ごしらえだ。と言っても普段の給食や家での食事とは違って冷たい軍用肉缶だ。ハッキリ言って自分で同じ物を作った方が美味しく出来る自信しかない。そう思いながらも、丸一日水以外一切口にしてこなかった少年は缶詰をあっという間に平らげてしまった。

 食い終わった時に気が付いた。一年前のアンの誕生日に自分が言った言葉がアンへの恋愛感情に気付いた今、特大ブーメランと化して少年の頭にぶっ刺さっているようだった。

 「うげぅぅ…」ぐうの音とゲップが混ざった。

 少年が缶詰にガメついていた時、文先輩は災害対策本部とのテレビ会議に出席していた。

 出席していた面々は今までにないほどに陸の孤島と化したこの地域に頭を悩ませている。周辺に海と険しい山脈と深い谷に囲まれているこの町は日本一の陸の孤島として有名で、地質学者がよく町を訪れる。何故こんな複雑な地形が出来上がったのは未だ不明なのだそうだ。

 そして、物資輸送の手段が「陸上自衛隊の普通科が背中に物資を背負って険しい山々を踏破する」という危なさしかない方法に決定されようとしていた。

 「よお、國さん。」「嗚呼、陸奥さん。」変わらぬ安定感は妙に安心する。

 「聞いたか?越山踏破作戦のこと。」「何だそれ?」「陸路も海路も空路もダメ、だから町の東側の山を他の普通科の部隊が歩きで物資を持ってくるらしい。作戦もクソもヘッタクレもありゃしねえ人海戦術だよ。」「えっ⁉︎あの二千メートル級の山々を荷物背負ってやってくるのですか⁈」「んなもん作戦の外道だよ。」と、吐き捨てるように言った。

 「こっちが越山部隊のケアしなきゃだから余計迷惑だよ。」そう言って煙草を取り出してさっと火を点けて黙々とふかし始めた。

 「やってらんないよ、なあ國さん。」津波で割れた窓の横側にもたれながら言う。

 「また、何かを失いそうでさ。」

 煙草の煙が夏にしては珍しく天高く真っ直ぐに昇っていった。


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