<case : 47> explosion - 残された時間

 篠塚も驚いて、ヴェルの腕に押し当てていた圧縮注射器を引っ込める。


「えっ?」


 少し間隔をあけて、また鼓動が鳴る。ドクン、という部屋全体を揺さぶるような力強い音は、隅の暗がりから聞こえてくる。


 ノアの目は暗闇を見通せるが、音の発信源の手前にタンクが並んでいて、その向こうまでは見通せない。だが、あそこに何かがあるのは分かる。


 ノアは最初、鼓動が自分だけに聞こえているのかと思ったが、周りを見るとそうではないことにすぐに気付く。


 何より驚いたのは、篠塚だけでなく、感情がないはずの〈第三の知性〉たちまでが、音に反応して暗がりに目を向けている。


「な、何だ? まさか……」


 〈第三の知性〉が一斉にノアの拘束を解き、篠塚のもとに駆け寄る。


 自由になったノアは、膝をついて呼吸を整える。遠目から見ても、篠塚の表情から先ほどまでの余裕が消え、暗がりの向こうの何かに怯えていることが分かる。


「何なの……?」


 暗がりの奥から伸びてきた手が、タンクの表面を打ち付ける。


 手は人間のそれだったが、一部が変異して灰色の皮膚を纏っている。腕から肩、肩から全身が、暗がりを抜けて露わになる。暗く、しかし爆ぜるように輝く、赤の瞳。


 ノアはその瞳を、その暗い色を知っている。


「まさか……アイザック……」


 暗がりから現れたのは紛れもなくアイザックだった。腕の一部、肩、背中から脚、そして顔の半分が醜い怪物のそれに変異して、隆起した膚が衣服を貫いている。


「な、なぜだ。死んでないとおかしい。わ、私の細胞活性剤は、お前の身体を崩壊に導いて……」


 慌てた篠塚が、現れたアイザックの口早に告げる。


「確実なものなんて……この世に……ない」


 アイザックは、篠塚の言葉を途中で遮るようにして言った。


「それを……教えてくれたのは……父さん、あなたですよ」

「だ、黙れぇ!」


 篠塚が叫ぶと、呼応して〈第三の知性〉たちがアイザックに向かって走り出した。一歩前に出たアイザックを三方向から取り囲むと、タイミングを合わせて一気に詰め寄る。ヴェルの身体を貫いたのと同じ攻撃がアイザックにも直撃し、同様に身体を三方から貫かれる。


「ふ、これで終わりだ……」


 そう言った篠塚の表情が、すぐに歪む。


「ど、どうした、なぜ離れない……?」


 篠塚の目には分からずとも、ノアには分かった。〈第三の知性〉たちは、貫いたアイザックから離れないのではなく、離れられないのだと。


 アイザックの身体を貫く〈第三の知性〉の腕に、すでに変異細胞が侵食し、同化を始めている。本来なら、腕を切り落としてでも逃げるのが最適解だが、篠塚の思考とリンクしている〈第三の知性〉にその機転はない。


 つまり、勝負はすでについている。


 アイザックの口元から血が流れる。変異の反動が、残り短い命を容赦なく削っているに違いない。


 ほどなくして、篠塚の目にも分かる形で〈第三の知性〉たちが増殖するアイザックの変異細胞に絡められていく。


 不定形なアメーバが他生物を取り込むように、ノアをも圧倒した〈第三の知性〉が、為すすべなくアイザックの身体へと呑まれていく。


 アイザック自身も、顔の半分を残してほとんど全ての部分が怪物のそれへと変異していく。


「ノア」


 アイザックが掠れた声で言う。その声は既に、彼の本来のものとはかけ離れた、不快な金属音が合成されたような声に変わり果てている。


「こんな姿になって、ようやくちゃんと話すことができるなんてね」

「アイザック……本当なの? あなたが、私の……」


「そうだ……。彼は君の兄さんだ」


 その声は、アイザックのものでも、篠塚のものでもなかった。すでに何度も聞いた声。ノアは我を忘れて声の傍に駆け寄る。瀕死のヴェルが、薄目を開けてノアを見つめていた。


「ヴェル! 身体は……」

「心配するな、八割を吹っ飛ばされて生きてたこともある……」


 ノアに支えられながら立ち上がったヴェルは、アイザックの方を見て言った。


「アイザック、助けられなくてすまない」

「君は、あのクラブにいた……」


「ノアに、何か話しておくことはないか」


 ヴェルに言われて、アイザックがノアの方に顔を向ける。残された片目がノアを捉えると、優し気に微笑んでいるように見える。


「ノア……」

「お兄……ちゃん……」


「困るよな、実験ばかりの日々で、兄らしいことなんて何ひとつしてこなかった。それに……どう謝っても、僕のしたことは許されることじゃない。僕は人を殺めた。誰かにとっては、大切な人だったのに、自分に大切な人ができるまで、そのことに気付けず、ただ自分がどう生きながらえるかしか考えられなかった」


 突如、配管の軋む音がそこかしこから鳴り響き、地面が揺れ始め、ノアとヴェルは辺りを見回す。次の瞬間、篠塚の背後に並んでいるモニタが破裂し、彼の頭上に液晶の破片が飛散する。


 辛うじて割れずにいるモニタは、頭上に並ぶ僅かの電灯を同じように不規則に明滅を繰り返す。


「僕の中の〈カオティック・コード〉の影響が外部に漏れ始めていて、制御不能になりつつある。時間がない。これは僕が終わらせる。〈カオティック・コード〉も〈第三の知性〉も、僕がカタをつける。それが、このドームに生きる人たちへのせめてもの償いだ」


 アイザックは〈第三の知性〉を引きずりながら、一歩ずつ前に出る。


「ノア、君は彼を連れて逃げるんだ」

「でも!」


「いいから行け。最後くらい、君にいい所を見せたい」


///


「──現在、施設から自力で逃げ出してきた人々を保護しています。中には、失踪していた黒澤氏の姿も確認できました」


 部隊を引き連れて現場に戻ったナタリが、ARスクリーンの向こうのミコトに向かって言った。


「やはり、ここに囚われていたのね……」


 篠塚が拉致したドームの要人たちは、ミコトとキオンが連れていかれた部屋とは別の、施設の地下牢に幽閉されていた。ナタリがどうやって脱出したのか尋ねると、皆、口々に、金髪の青年が助けてくれたと語った。


「保護した方々はいずれも衰弱しています。他の隊が施設から少し離れた場所に拠点を準備していますので、医療班の手配を──わわっ!」


 突如、ARスクリーンに映るナタリの姿が、激しく上下に揺さぶられる。


「ナタリ、どうしたの?」

「爆発です! 画面共有します」


 そう言って、ナタリはスクリーンを視界共有モードに切り替える。ナタリの見ている光景がそのまま、ミコトのスクリーンに投影される。施設の一部から火の手が上がっている。


「一体何が……」

「分かりませんが、先輩が心配です。ここは部隊に任せて、私は中に!」


「それはダメ、いくらあなたでも危険。後続が到着するまで、引き続き部隊の指揮を執って」

「で、でも……」


 ミコトに諭されてもなお、ナタリは施設から視線を外そうとしない。


「先輩……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る