<case : 32> rejection - 父


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 レイカは、小さな部屋で目を覚ました。


 外は薄暗く、例の建物のどこか、別の一室のようだった。ベッドに寝かせられて、アイザックが人工毛布の上にもたれかかる様にして眠っている。隅に置かれた電灯が、朧気に空間をを映している。


 寝ているアイザックの髪に触れると、彼がゆっくりと目を開けた。


「レイカ……」


 アイザックは、レイカを優しく包み込んだ。レイカも彼の胸に顔を埋め、安心を再確認する。


「会いたかった」

「私も……」


 やがて、ゆっくりと身体を離すと、アイザックは赤い瞳でレイカを見つめた。


「ケガはない? 痛むところは?」

「大丈夫……でも」


「すまなかった……君を危険な目に遭わせてしまった」


 レイカは身体を起こすと、アイザックを見つめる。


「一体、何があったの?」


 レイカがそう言うと、アイザックはしばらく黙り込んだ後、言葉を選んでレイカに話し始めた。


「本当は……ずっと眠っていたかったんだ」


 アイザックはうな垂れながら、言葉を絞り出して続けた。


「僕は二百年前、こことよく似た、とある秘密研究施設の地下でマキナスのプロトタイプとして造られた。僕は、他の子たちと違う特別な力を持って生まれた」

「あの、超能力のことね」


 アイザックは頷いた。


「そのせいで、研究所の職員には特別視され、他の子たちからは疎まれた。でも、父は僕の力が解明できたら、僕を人間にするための技術を開発すると言ってくれた。将来、人間として自由に生きられるのならと、どんな過酷な実験にも耐えてきた」


 クメールルージュでも聞いた、アイザックの過去。隔離されて、決められたことをただ延々とこなして幼少期を過ごすのは、いったいどんな気持ちなのか。レイカには想像もつかない。


「ある日、僕は、前から僕の力を妬んで嫌がらせを続けてきた別のグループのマキナスたちを……」


 アイザックは頭を抱え、大きく肩で息をし始める。


「僕は……」

「アイザック!」


 レイカは傍に寄ると、アイザックの身体を支える。


「いいの、言わなくていい!」

「いや、言わせてくれ。僕はカッとなって……そのマキナス達を……殺してしまったんだ」


 衝撃がレイカの胸を打つ。同時に地下で、男二人が死んだのを思いだす。


 でも、あれはアイザックのせいじゃない。アイザックは、ただ私を助けようとしただけだ。


「僕は我を忘れて暴走した。抑えに来た研究所や軍の人間も傷つけて、衝動のままに研究所を脱走した。雨の中、泥まみれになって走った。どこまでも、どこまでも走った。でも、僕は外のことをほとんど知らなかった。結局、時間が経つと、怖くなって研究所に出頭した」

「……それで、その後はどうなったの?」


「大人たちは、僕の処遇をどうするか会議を重ねていたけど、最終的に、僕は危険個体として凍結されることになった。人格データを記憶媒体に移して、終わりのない冷凍睡眠にかけられるんだ」

「そんな……」


 人間のエゴで造っておいて、危険だから凍結する。果たしてそれが本当に正しいのか。幼いアイザックが受けた仕打ちを知って、レイカは言葉を失う。


「いや、でも、それでよかったんだよ」


 アイザックは意外にも、砕けた表情で言った。


「そう思えるくらい、実験ばかりの日々に僕の心は擦り切れて、疲れ果てていたんだ。むしろ、当時はその決定に感謝していたくらいだ。でも……一人だけ会議の決定に反対する科学者がいた」

「あなたの、お父さんね」


 アイザックは頷いた。


「そう、篠塚宗次郎……。僕を生み出した科学者である父は、この措置に猛反対した。彼は、僕の力を自身の科学力で、人類に転用できると信じて疑わなかった。もしそれが実現したら、確かに社会への影響は計り知れないし、それで救われるものもあるのかもしれない。当時、よく父は僕に言って聞かせたよ。僕のこの力は地球の外から来たもので、それを人類が何らかの形で獲得することができれば、きっと我々は次のステージに行けるのだ、ってね。それが、科学者としての彼の夢だったんだ」


 手を伸ばし、アイザックの手を握る。冷たくて大きな手が、レイカの手を優しく握り返す。


「僕が凍結される日に、父は研究チームを去った。僕は冷凍睡眠によって、永遠の眠りについた。それで、苦しかった日々と過去からも解放されると思っていた。でも、現実は違った。僕は二百年後のこの世界で、永い眠りから強制的に覚醒させられてしまった」

「地下にいた男たちね? あの人たちは何なの?」


「……彼らは、反人工生命主義組織テンペストのメンバーだ。近年、父が作った組織だ」

「えっ?」


 レイカは一瞬、アイザックが言い間違えたのかと思ったが、彼の表情からそれはないと悟ると、言い知れぬ不安がこみ上げてくる。


「待って、アイザック。でも、お父様は、二百年前に……」

「父は、生きてるんだ」


 思いがけぬアイザックの言葉に、レイカは唖然とする。


「マキナスの人格データ理論、その基盤を作ったのは父だ。父はその技術を応用して、人間の人格をデータに置換して保存する技術を開発した。失踪した父は、地下で自身の人格を記憶媒体に移して、時が流れるのを待った。そして、世間がその存在を忘れた頃、覚醒して篠塚サイバネティクスを創り上げた。その後も、父は肉体を替えながら二百年後の今に至るまで生き永らえている。自分の夢を実現するためにね」

「お父さんの……夢って?」


「レイカも地下で見ただろう? 人間でもマキナスでもない。新しい種の姿を」


 地下でアイザックたちが囲んでいた、金色の瞳を持つ男。あれが、新しい種。


「僕たちはあれを、〈第三の知性〉と呼んでいる。僕の持つ〈カオティック・コード〉を組み込まれた、新しい人類。彼らは、特定の人間の意思に呼応できるように造られた、マキナスにとって代わる新たな人工生命体」

「とって代わる……って」


「言葉の通りだよ。マキナスの人格データには、人工生命体の倫理規定が組み込まれているのは知っているね。だから、マキナスは労働力でありながら人権も自由意思も持っている。それは素晴らしいことである一方で、ある意味人類と同じく、競争や、嫉妬、他者との比較といった、あらゆる差を生む。上層で富裕層とともに悠々自適に暮らすマキナスもいるし、最下層で住所も持たず、正規の配達屋では荷物すら送れないマキナスだっている」


 アイザックの言うことは確かにその通りだった。戦後の混乱の中、復興したドームでは、格差は拡大する一方である。最下層に生まれた者は、一生這い上がるチャンスもなくそのまま最下層で一生を終えるしかないと聞く。


「父は、その社会のシステムに疑問を抱いて、この世界を変えようとしている。僕も、最初はその思想が正しいと思って、共感したこともあった。でも、父の繰り返す実験で死んでいくマキナスや、怪物に変えられてしまったパブロを見て……」


 怪物の映像が、レイカの脳裏にフラッシュバックする。


「ネットで映像を見たわ。あれが……本当に、あの怪物がパブロさんなの……」

「パブロは、父が最下層で起用した〈志願者〉なんだ……。あのイベントの本当の目的は、あの場で〈第三の知性〉を誕生させることだった。でも、あの時点の〈カオティック・コード〉は未完成で、結果、パブロは急速な人体変異に耐えられずに、自我を失い、変わり果てた姿になってしまった。何度も止めようとしたけれど、テンペストの連中は聞く耳を持たなかった」


 アイザックは肩を落として、絞り出すような声で言った。


「アイザック……」

「すまない……僕が目覚めてしまったばかりに……」


「そんな風に言わないで。あなたのせいじゃない」


 レイカは強い口調で言った。


「あなたは幼かった。もっと周りの人が、あなたに配慮のある接し方をしていれば、そもそも凍結される必要だってなかった。人間の冷たさが、あなたをそこまで追い込んでしまったのよ」

「レイカ……ありがとう」


「でも……アイザックの力があれば、逃げられないの? そこまで苦しんで、お父さんに協力する義理なんて……」

「そうだね。そうできたら、良かったんだけど……」


 アイザックは目を細めて、遠くを見る。


「僕の命は、父が握っているんだ」

「えっ?」


「限りなく似せてあるけれど、実はこの身体は、本来の僕の素体じゃないんだ。人格データを凍結された後、元の素体はとうの昔に廃棄されてしまった。今の素体はテンペストが用意したもので、僕の人格データとの整合性に微妙なズレがある。そのズレは、時間の経過とともに深刻な拒絶反応を起こす。その症状を緩和する薬物は、父にしか造れない……」

「だから、仕方なくお父様の実験に……」


 アイザックは頷いた。


「クメールルージュでの光景を見て、これ以上一緒にいると、君に危険が及ぶかもしれないと思った……。だから、何も言わず君の前から姿を消したんだ。けど、僕を追ってレイカがここまで来てくれたのを見た時……何かが、僕の中で変わった。これじゃダメなんだと気付いたんだ。だから……」


 まるで物語の中のような話に、レイカは返す言葉が見つからなかった。アイザックの背負っている過去の重さは自分には到底、計り知れない。


 それでも、アイザックは行動した。レイカを守るために父を裏切り、テンペストのメンバーを返り討ちにし、覚醒した〈第三の知性〉をも停止させたのだ。それは文字通り、命を懸けて。


 二百年前、他と違う生まれ方をしただけなのに、誰が彼の運命をここまで捻じ曲げてしまったのか。いつの間にか、レイカの頬を涙が伝っていた。自分にできることは何がある? 彼に何もしてあげられない自分が悔しくなって、レイカは唇を噛む。


「父は……」


 アイザックが続く言葉を話し始めたその時、レイカが思い切り彼を抱きしめる。


「レイ──」


 アイザックの口をふさぐ。唇が離れると、一瞬アイザックは驚いた顔をしてレイカを見つめていたが、再びレイカが唇に触れると、彼女の首に腕を回して、そのままベッドに倒れ込む。


 わたしが彼を救いたい。ひと時でもいい。


 最下層の果ての果てにある朽ち果てた研究棟。


 その放棄された一室で、二人は闇に溶けていく。


////


 未明になっても、最下層の暗さは変わらない。


 窓からは差し込む光もなく、相変わらず隅に置かれた電灯だけが、アイザックとレイカ、二人の世界を彩っている。


 アイザックはそっと身体を起こし、身支度を整えると、眠るレイカを抱き抱えて研究所の外に出た。彼女が起きないよう、力を使って少しだけ眠りを深くしてある。そして、隣接する倉庫の中に停めておいた車の助手席にレイカを座らせる。


 先鋭街の廃れた背景に溶け込みそうな、ジャンク一歩手前の古い車だったが、まだまだ現役で稼働する。彼女の乗ってきた自転車はトランクに入れて、半開きのままワイヤーで固定した。


 髪を後ろでまとめ、眼鏡をかけ、コートを羽織ったアイザックは運転席に乗り込む。後部座席には、何十回の調整を経て完成した〈カオティック・コード〉のサンプルが入ったアタッシュケース。


 ふと、眠るレイカの横顔を見る。


 生まれて初めて、自分に本当の愛情をくれた大切な人の顔を、瞳に、心に焼き付ける。もし自分が今後、挫けそうになったら、いつでも思い出せるように。


 アイザックはデバイスのARスクリーンを起動する。視界の隅に通知が表示されて、父からのメッセージを確認する。


 ──中層、第二湾岸廃倉庫の地下。それが〈カオティック・コード〉の受け渡し場所。


 乾いたエンジン音が辺りに鳴り響き、車は下層に向けて走り出す。

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