<case : 09> encounter - アイザック

 ここまで来ると、レイカは自転車を降りて、手で押しながら細い路地を抜けて歩いていく。一日の終わりに酒を飲み、楽しく食事を摂るマキナスや人間を横目に、この配達が終わった後、ツゲさんへの差し入れと自分の夕食にちょうど良いテイクアウトができる店を探しつつ、例のクラブへ向かう。


 クメールルージュのある通りに入ると、レイカの目から見ても明らかに人とマキナスの層が変わったのが見て取れた。


 若者が多く、刺青や改造を施した身体を見せながら闊歩している。クメールルージュの前まで辿り着くと、エントランスで受付をしているボーイに声をかける。


「あの、すいません。配達です」

「あ?」


 ぼさぼさの金髪頭を携え、黒スーツを着たボーイは、面を食らったような顔でレイカを見る。ツナギ姿のレイカの出で立ちを見て、自分が声をかけられるとは思わなかったらしい。


「あ、ああ……配達屋か? なんだ。いつものオヤジじゃないんだな」

「はい。今日から私がこちらの担当になりました。えっと……」


「お前はこっちだ。入れ」


 ボーイはクラブへの入口ではなく、自身の後方にあるドアのロックを解除して開けた。レイカが覗き込むと、地下へ続く階段が伸びている。


「地下がシェアハウスになってんだよ」

「なるほど」


 お礼を言って、レイカは階段を降り始める。ボーイがドアを閉めると一気に暗くなって、足を滑らせないように急な段差を慎重に、一段ずつ降りていった。


 何で鍵が掛かってたんだろうとか、そういう細かいことは気にしないことにした。気にしたって仕方がないからだ。


「五番の部屋……あれかな」


 下まで降りると、デバイスで正確な住所を確認し、廊下の突き当りにある『五』と書かれた扉の前まで歩いていく。インターホンらしきものが見当たらないので、仕方なくノックすることにした。


「クシナダ配達です。お届け物です」


 そう告げるとドアが開いて、痩せこけた貧相な青年が中から顔を覗かせた。


「どっち?」

「え?」


「中に、もう一人いるんだよ。多分アイツのだと思うけど、三上パブロ宛?」


 レイカはデバイスで配達物の詳細情報を開き、受取人の名前を確認する。


「受取人は……篠塚アイザックさんになってますね」

「じゃあ、やっぱり俺じゃないや。アイザック、配達屋だって」


 声がかかると、ガサガサという物音とともに、中から別の青年が出てきた。その青年を見て、レイカは息を呑んだ。先に出てきた貧相な青年には申し訳ないが、彼と比較するのもおこがましいほど、後から現れた青年は、あまりに美しく端正な顔立ちをしていたからだ。


 ただ、この青年は先の貧相な青年とは違って、赤い目をしていた。


 彼はマキナスだった。


 マキナス自体はどこにでもいるが、こんなに人間離れした美しいマキナスを、レイカは見たことがなかった。


「やあ。今日はいつもの人と違うんだね……ん、どうしたの?」


 しばし、世界の時を止めてほしい。そんなこと思いながらレイカが青年の顔を見つめているうちに、話は先に進んでいた。


「あっ! ああっ……すいません、私ったら。あ、あの……こ、こちらにサインを」


 まともに青年の目が見れず、俯きながらサイン用のタブレットを差し出す。


「お姉さん。ペンがないよ」

「あ! す、すすすすいませんッ! こちらです」


「ありがとう。……はいどうぞ」


 タブレットを受け取り、サインに問題がないのを確認すると、バッグから小包を取り出して手渡す。顔が熱い、自分では見えなくとも、真っ赤に火照っていると分かると余計に顔が上げられない。


「し、篠塚アイザックさん。お間違いないか、ご確認お願いします」


 伝票の名前と突き合わせてね、という意味だったのだが、何を思ったのかアイザックはレイカの目の前で小包を開け始める。包装紙を剥がすと、プラスチックの白い箱。表には『異』という文字がプリントされているが、レイカには読み方が分からない。


 カチッと音がして、箱が開く。見るつもりはなかったが目の前だったため、赤い液体の入った小さなシリンダーが並んでいるのが目に入る。


「うん。ありがとう、問題ない」


 そう言って、アイザックは再びレイカの方を見る。


「これ、気になるの?」


 あっ、とレイカが思った時には、もう遅かった。あまりにアイザックが自然体だったので、ついぼうっとして見とれてしまい、箱の中身まで覗く形になってしまった。


 大失態だ。『荷物の中身は聞かない、調べない、詮索しない』がモットーのクシナダ配達の人間としてあるまじき行為。このことがツゲさんにバレたらと思うと、身震いが止まらない。


「すっ、すいません! 覗くつもりは……」


 思い切り振りかぶって頭を下げたが、アイザックに謝らないでと言われて顔を上げる。


「これは、んー……。何て言えばいいのかな……」


 アイザックは腕を組んで、目をつぶって思案しているようだった。


「一応、拡張データに該当するけど、あえて言うなら『種』かな……」

「種……ですか?」


「うん。これは、種。種族を次のステージに導くための」


 アイザックは種子のことを言っている、とはレイカも理解しているつもりだが、シリンダーには赤い液体しか入っておらず、今ひとつ言葉の意味が理解できずにいた。


「でも、その種は発芽したら、既存の種を滅ぼしてしまうかもしれない……」

「え?」


 アイザックが小さな声で何かを言ったが、レイカには上手く聞き取れない。


「ううん、こっちの話さ。君は、なんで配達屋をやってるの?」

「えっ!」


 アイザックからの突然の質問に、レイカは返事の声が裏返ってしまう。


「いや、ごめん。君みたいな綺麗な子が、配達屋をやってるのをはじめて見たんだ」


 今、何て言った? 彼、何て言ったの? 綺麗、って言った? 聞き間違いかな? レイカはそのまま頭に血がのぼって一瞬意識が飛びそうになる。


「えっと、そ、そうですね……。ふ、不謹慎かも、しれないですが、私はドームから見る〈外の世界〉の景色が好きなんです」


 嘘ではない。レイカはドームの外郭から見える〈外の世界〉の荒廃した姿が好きで、その景色をずっと見ていられるというのが理由で、自分の仕事に配達屋を選んだ。


「ああ、すっごく分かるな、それ」


 アイザックは、レイカを見つめながら言った。その目は、子供のようにキラキラと輝いている。


「ほ、ほんとですか?」

「うん。めちゃくちゃいい。ねえ、よかったら今度、僕も君の配達に連れてってくれない?」


「え、ええっ?」


 突然の申し出にレイカが戸惑っていると、アイザックの後ろで話を聞いていたパブロが口を挟む。


「アイザック。困ってるぞ」

「えっ? あ、ごめん。お仕事だし、無理だよね」


「え! い、いや、無理ってことは、ないですけど……」


 レイカは考える。実際、仕事の邪魔にならないなら、同行すること自体は問題ないはずだ。


「あ、いや、でも迷惑だよね。初対面で急に変なこと言ってごめん」


 それは全く気にしてない、いや、気にしてないと言ったら噓になるかもしれないが、少なくともレイカ自身、自分と同じように〈外の世界〉の景色が好きだというアイザックに好感こそ抱けど、拒絶する要素は、その端麗な容姿を含めて一切ない。


「ふぅん。じゃあ、週末のイベントに呼んであげたら?」

「パブロ」


 アイザックは驚いて、隣まで来たパブロに向かって言った。


「週末は君の……」

「いいんだ。その日は、俺が主催なんだからさ。お前は、この子と酒でも飲んでればいいって」


「なあ、パブロ。……本当にやるのか?」


 レイカの前で、アイザックとパブロは二人にしか分からない話を始める。


「当たり前だ。俺はチャンスを無駄にするつもりはない」

「でも……」


「アイザック、心配は嬉しいよ。でも大丈夫さ。今回で完成だろうって君のお父さんも言ってたんだろ? だったら、俺が最下層の惨めな暮らしから抜け出せるように応援してくれよ」


「……分かった」

「なら決まりだな。で、お姉さん、よかったら来ない?」


 話がまとまったのか、パブロがレイカに向かって言った。


「えっ? ど、ど、どこにですか?」


 急に振られて挙動不審な返事をしてしまうが、そんなレイカをアイザックは微笑ましく見つめながら話しかける。


「ここで、週末にパーティーをやるんだけど。僕、すごく久しぶりなんだ。良かったら、話し相手になってくれない?」

「え、ええぇ?」


 急な申し出に、レイカはふたたび声を裏返しにして答える。心臓がバクバクしている。ツゲさんに謝りにいかなくちゃとか、夕食は何にしようとか、荷物の中身を見てしまったこととか、色んなことがぐるぐると心の中で渦巻いていたが、この後、結局二つ返事で申し出を受け入れることになる。

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