10 江ノ島で-琴葉-
陽向たちと五人でお祭りに出掛けてから二週間ほどが過ぎた。
”陽向”という彼の名前である二文字を見るとどうしてもあの日のことを思い出してしまう。あの日、この町で年に一度の花火が打ち上がった日、チョコバナナを買いに行くと言って朱莉と一果に連れ出された時、彼女たちに思わぬことを言われた。
「ねえ、琴葉、そろそろ言ってくれても良いんだよ?」
「へ?何を?」
「何って、、琴葉ちゃん、森本のこと、好きなんじゃないの?」
「、、、は?」
何も考えず、反射的に思わず声が出てしまった。私が陽向を好きだなんて考えたこともなかったし、彼のことをそんなふうに見ているつもりは無かった。
「え?そうじゃないの?だって今までの森本に対する言動って好きって気持ちから来るものなんじゃないの?」
「いや、好き、、というか私は彼の良さをみんなに知ってもらって、友達になってくれて、陽向の笑顔が増えればいいな〜って思ってただけだけど、、」
「「えっっ?」」
二人が信じられないといったような顔をしたが私にはその訳がよく分からなかった。
「いやー、それを好きっていうような気がするけど、まあいいや。あんまり遅いと男二人にも怪しがられるだろうし、早くチョコバナナ買っていこ。」
「うん、琴葉ちゃんごめん。今の忘れて?」
忘れてと言われて忘れられれば楽なのだが、生憎そうできるはずもなく、チョコバナナを買いに行くときも、そこのおばちゃんとじゃんけんをしているときも、彼らと合流したときも、花火を見ているときでさえ頭の片隅にはずっと陽向の事があった。
花火の最中に彼と目があったときは、ドキドキで鼓動が早くなりすぎて心臓が止まるかと思った。これを”好き”というのだろうか、気持ちの整理がつくことはなかった。
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布団の中で、そんなこの二週間で何度も
昨日からお盆休みに入り部活もしばらくない。家族と帰省するのも少し先なので、今日は例の五人で江ノ島まで出掛けるのだ。一週間ほど前に珍しく藍沢から、お盆休み期間に五人で遊ばないか、グループラインに連絡があった。
彼が何を考えているのかはわからないが、少し遅くまで江ノ島にいるつもりだから集合は昼前でもいい、とのことだった。
朝食を摂ったあと顔を洗い、髪を丁寧に
こんな田舎なので私服で出掛ける、という機会が少ないため気合が入る。
集合時間に間に合うバスを検索し、少し余裕を持ってバスを待つ。
沢山の人を乗せてやってきたその車内に陽向の顔があった。過剰に意識してしまい、二人きりになるのはなんだか気まずいような気もしたが、目が合ったので仕方なく彼の元に向かう。
「お、おはよう」
「おはよ、」
「せ、せっかく部活ない日なのに遊びに来ちゃって大丈夫だったの?ほ、ほ、ほら、家族と出かけたりとか、、」
「帰省するけど明後日からだから大丈夫だよ。ねえ、なんで藍沢は急に江ノ島行こうなんて言い出したの?」
「えっ、僕はまあ知らないですよ。ただ五人で遊びたかったんじゃないですか?」
彼はそう言いながらどこかニヤけている。
「なんで敬語?あとそのニヤけはなに? 本当の理由を知ってるんでしょ?」
「うう、バレたか。でもまあ、後でわかるから楽しみにしててく、く、くれればいいかな」
そう言って頭をポリポリと掻く彼の返事に不安と期待を抱きつつバスに揺られて外を眺める。窓に映る二人の姿がいつかの放課後と重なった。
あの日からだ。あの日から、私たちはそれまで以上の繋がりを持つようになった。あの夕方の偶然があったから今日があるのだな、と感慨に耽っていると駅に到着した。
改札を抜けてホームに降りると三人がベンチで待っていた。集合時間に遅れてはいないがおまたせ、と一言声をかける。五人で円になって言葉を交わし、電車が来るのを待った。
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JR藤沢駅の改札を出て、右方向へと進む。屋根付きの陸橋を通るとデパートの中に入った江ノ電の藤沢駅に着く。夏休み真っ只中の江ノ電は人でごった返している。
そして鮨詰めの車両に揺られてから江ノ島駅で降車すると、微かに塩の香りが漂って来る。バラエティ豊かでお洒落なお店が立ち並ぶ通りを抜けると目的地の江ノ島が顔を出した。
「うわー、着いたね!」
「思ったより大きいかも」
「私は久々!って感じ〜」
それぞれが口々に感想を言いながら地下を抜けて橋を渡っていく。
島の玄関口では、そこを囲む沢山のお店から芳ばしい香りが混ざり合う。呼び子の声が飛び交い、水着を着てサンダルを履いた人たちでひしめき合っている。
「あっ!あのアイス!食べたい〜」
「だめだよ、まずはお昼食べないと」
一果のわがままを藍沢が嗜める。
私たちは島に入ってすぐのところにある食堂で少し遅めの昼食をとった。全員がしらす丼とイカを頼んでいたのがなんだか可笑しかった。
お店を出ると皆思わず感想が溢れる。
「は〜、食べた食べた。お腹いっぱいだな」
「うー、僕もう、何も食べられない、、」
陽向は一人ぶつぶつと呟いている。その光景に少し面白みがあり、思わずくすっと笑ってしまう。彼には少し怒られたが嫌な気はしなかった。
その後は写真を撮りあったり、途中の神社でおみくじを引いたりして頂上の展望台を目指す。一度頂上には着いたがせっかくなら夕日のタイミングで展望台にいようということで島のさらに奥の神社や岩屋という観光地などを巡った。
途中、モクモクと蒸気を立ち上らせ甘い香りの漂う羊羹店で
島の奥にある江の島岩屋は神秘的な空間でひんやりとした空気が不思議な感覚だった。
暗い洞窟を出ると既に空が茜色に染まり始めている。
「やばいやばい!早くしないと日が落ちちゃう!」
「走る、、?」
「走ろう、、!!」
五人で階段を駆け出す。他の観光客の邪魔にならないように避けながら間を縫って展望台を目指す。
どうやら展望台は庭園の中にあるようで、チケットを買って入園する。そこには展望台以外にも喫茶店など幾つかの施設があり、沢山の人がそれを楽しんでいるようだったが、私たちは展望台に直行する。
最上階まで運んでくれるエレベーターに身を任せ、その扉が開くのを待つ。
「うわぁ、」
思わず声が零れた。銀色の扉が開いたその向こうには、遮るものが何一つない完璧なほどに美しい茜色の空と、無数の光を灯した街が広がっていた。
柵に駆け寄りその光景をじっくりと眺める。
そのまま数分間、潮風を感じながら皆で写真を撮ったり、備え付けの双眼鏡で遠くを眺めたりして時間を過ごして時間を過ごした。
「そろそろ暗くなりそうだし、行こっか」
藍沢の号令で展望台を降りる。そのままたこせんべいを買って食べ歩いたりしつつ他の観光客と同じように島の出口へと向かう。
「そういえば藍沢がちょっと遅くまでいたいって言ってた理由ってあの夕焼けが見たかったってこと?」
「あー、それ聞いちゃう?陽向、もう言ってもいいかな」
陽向はがこくりとうなずくと、藍沢は背中に背負っていたリュックサックからなにやら平たく大きな、派手なデザインの物を取り出す。
「これ、前のお祭りで射的やって陽向と取った手持ち花火。みんなでやろうと思ってたんだよね」
「手持ち花火!そういえば今年まだやってなかったわ〜やりたい!」
朱莉が興奮気味に反応する。私も久々の花火に心が躍る。
「はやく砂浜に行ってやろう!」
「うん!!」
人の波に合わせて、街へと続く橋を渡る。周りを歩く人はみな幸せそうに笑い合っている。私もこんな顔をしていたのかと思うとなんだかこそばゆい。
橋を渡りきり、行きに前を通ったコンビニでバケツとライターを買って西の浜へと向かう。有名な水族館があるのもこの浜だとか。いつか行ってみたいな、と心の中で呟く。
既に半分以上が闇に包まれた砂浜には大人のカップルが数組、楽しそうに話をしていて思わずまじまじと見つめてしまった。
「この辺でいいかな?」
浜に入り三分ほど歩いた、人のいない海の家の前にバケツを置く。
「バケツに入れる水って海水でいいー?」
「うん、ぼ、僕が一樹と行ってくる」
「俺?」
自分を指差す藍沢の手を引いて陽向が波打ち際へと向かう。
「仲良いな〜あいつら」
「ね、数ヶ月前まで他人だったなんて思えないよ」
「いや誰が言っているのよ」
もはや夫婦のような仲の良さを普段から見せつけてくる朱莉と一果に思わずツッコミを入れてしまう。
すると一樹が手で大きくバツ印を作りながらこっちに走ってきた。
「ダメだ〜全然汲めない〜」
「ち、ちょっとさっきあった水道のとこまで行ってくる!」
「ありゃりゃ、頼りになるのかならないのか」
朱莉が頭を掻いて呟く。
「私たちは花火開けておこっか」
「そうだね〜」
そして花火を種類ごとに開けているとすぐに彼らが戻ってきた。
「よし、じゃあ準備できたしやるか〜!」
「うん!」
「まずはそれぞれ好きなの取ってやっちゃお!」
「あ!線香花火はみんなで一斉にやるからまだやらないで〜」
「ねーねー、動画撮ってもいい〜?」
「うん、じゃあいくよ?」
それぞれが好きな花火を持って蝋燭の先に近づける。ブシュー、という音とともに勢いよく光が溢れ出す。火薬の香りがどこか懐かしさを感じさせる。五人で大きな円になって花火の先を中央に向ける。一果が動画を回すスマホのカメラに手を振る。
醒めることのない夢を見ているようだった。夜の海は私たち以外の全てを吸い込んで、この世界に私たちしかいないと錯覚してしまう。遠くの海沿いでは橙や緑色など色とりどり高速道路の光がどこまでも続いている。
そういえば、こんなに色に敏感になったのは陽向に出会ってからかもしれないと思う。その彼は眩ゆいばかりの笑顔を見せている。その表情は他の何よりも輝いて見えた。
「琴葉ちゃん、もう花火終わってるよ?」
「え?あ、本当だ。次どれにしようかな〜」
隣にいた一果に声をかけられてはっと気がつく。夢からはまだ醒めていない。
「琴葉、写真撮ろ〜」
朱莉の呼びかけに応じ自撮りの体勢に入っている彼女に駆け寄る。
「うんっ、可愛く撮れたよ〜琴葉も自分で撮らないの?」
「えっ、あ、撮るよ!ちょっとスマホ取ってくるね」
鞄からスマホを取り出し、再び皆の元に駆け寄る。少し躊躇いつつも次の花火をどれにするか選んでいる陽向に声を掛ける。
「ねえ、次の花火持って一緒に写真撮らない?」
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帰りの東海道線では運良くボックス席が二つ空いていた。私と陽向、そして他の三人に別れて座り、自分の町に帰るのを待つ。
外を眺めるが、辺りは真っ暗で何も見えない。代わりに窓に写った自分の顔をぼんやりと見つめる。とてもいい一日だった。もし好きな時に死ねるというのなら、こんな幸福感に満たされて死にたいものだ。
通路を挟んだ反対側にいる三人は愉しげに談笑し、正面に座る陽向はスヤスヤと気持ちよさそうに寝ている。前のバスでのことが思い出される。体力がないから疲れやすいのだろうか。そんな彼の顔を見ていると、こっちにまで眠気が伝染してくる。ふわぁ、と一つあくびを吐き、スマホを取り出す。グループラインのアルバムを開き、画面をスクロールしながら何十枚とある写真をぼうっと眺める。皆いい笑顔だ。今はただ今日過ごした時間が、画面に写る笑顔が愛おしい。そんな時間が過ぎていってしまうのが
いつまでもこんな時間が続けばいいのに、そんなありもしない現実を思い浮かべ、そっと目を閉じた。
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