1-2 晴れり今、春吹雪-琴葉-

「え、ちょっと待って……」そんな森本くんの言葉を聞こえないふりをして、音楽室を去った。


 私が緩い女子バスケ部の練習の傍ら、あの場所で弾き語りをするようになったのはつい最近のことだった。音楽の虜になり早五年、自分でも音を奏でるようになってから早一年。

 近所迷惑だという親の言いつけから家ではギターを弾くことができず、河原や公園など、さまざまな場所を転々としたがその末にたどり着いたのが音楽室だった。

 桜をなどの草木や、山に囲まれているため窓を開け放っていても心地良く、合法的に歌えて、しかも室内。そこは私にとって最高の環境だった。


 そんな私の新しい居場所に足を踏み入れた彼—森本陽向—はクラスでは目立たなく、人と話すところを見たことも、声を聞いたことすらなかった。

 私は友達もおり、オモテでは良好な関係を築いてはいるが、そんな見せかけのような自分に心のどこかで窮屈さを感じ、嫌気が差していた。だから彼みたいな”一匹狼”に微かな憧れを抱いていた。


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 彼の新たな一面を知ったのは一昨日のことであった。放課後、先生に頼んでいたプリントを取りに行くために美術室のある三階を通った時、校舎の奥にあるその部屋が何故か目についた。近づいて扉の窓を覗くと、そこにいたのが彼だった。

 後ろ姿を見て一目で分かった、目元まで伸びるほどに長くボサボサな髪、特徴的な猫背の後ろ姿。しかし筆を握っているのは教室での冴えない姿をした彼とは想像もつかないほど、生き生きとした空気を纏う森本陽向だった。

 彼が握る筆は魔法のように、キャンバスに色を乗せていく。私は見つからないように息を潜めて、じっとその手元を見つめていた。童話に出てくるような、優しいタッチの絵。そこにパステルカラーの淡い色彩が足され、可憐な世界が現れる。

 その世界、つまり彼の絵からは”音”が聴こえた様な気がした。その色彩が、美しい旋律となって頭の中に流れていた。言葉にできないような、不思議な体験だった。

 時間が過ぎるのも忘れて、夢中で見入っていた。彼はそれ以上の集中でこちらに気づく気配は無い。ふと用事を思い出し、静かにそこを去った。


 この時、私は思った。彼はきっと、自分の中にとても色鮮やかで素敵な世界を持っている。しかし、その世界を他人は見せようとしない。そんな私たちクラスメイトが彼に抱く暗いイメージとは程遠い、彼の色鮮やかな世界を、みんなにも知ってもらいたい。心のうちで、そんなことを考えてしまっていた。


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 一昨日、そんなことがあったので、演奏中、彼の顔が見えた時は目を疑った。それを出さないように、なんとか演奏を終えたは良いものの、驚きと恥ずかしさでそそくさと教室を出てきてしまった。


 それと、彼についてひとつ分かったことがある。それは、彼が人と話そうとしない”理由”だ。彼と初めて話して分かったが、恐らく彼は吃音症を持っているのだろう。それを出さない為に他人ひとと関わらない。中学生で吃音症を知っている人は少ないと思われるが、理由わけあって私は知っていた。


 こんなことは余計なお節介で、彼からは嫌がられるかもしれないが、彼の心を開いてあげたい。そう思った。






【はらり今、春吹雪】

 Inspired by ヨルシカ『春泥棒』

 (作詞:n-buna)

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