07 刑事

 要塞染みた威圧感を持つ豪奢なマンションだった。

 定年を来年に控えた高城刑事は、エントランスが見える位置に停車した車の中で溜息をついた。

 シニア向け分譲マンション、という触れ込みだが、高城と長年連れ添った妻には縁のない物件だということは、わざわざ値段を調べてみるまでもなく明らかだった。

「あるところにはあるんだなあ」

 金が。公僕として市民のため、殺人犯を追うことに費やした人生。引退したら、警備員にでもなるか、と呟いた彼に、妻は「何か趣味でも始めたら?」と笑って言った。

 だが、典型的仕事人間の彼には趣味などない。今更盆栽を始めたりアニメにハマったりできそうにない。体が動く間は、働いていたいと彼は思う。そう、例えば――

「探偵とか」

「え?」

 スマホの画面から顔をあげた溪山は、「あっ」と思わず声をあげ、しまった、と後悔したが後の祭りだった。

「こりゃまた随分と派手な車だなあ」

 高城は溪山の方を見ずに、言う。

「あんな目立つ車に乗ってるのは、一体どんな奴だろうなあ」

 グレーの屋根とメタリックブルーのボディ、カラー自体は淡いパステル調で、さほど目立つものではない。だが、いかにも今風はでない形をした、左ハンドルのクラシックカーだ。職業柄車の種類には詳しい二人の目には、突出して見える。

 やけに目立つ外車は、要塞のようなマンションのエントランス前に停車した。エンジンはかけたままだ。下りてきたのは、老人、子供、くたびれた風采の中年男。

子供と中年男は、言い争っていた。何を話しているのかはわからない。老人はそれに加わらず、ぼんやりと宙を見つめている。

 子供は老人の腕をとると、マンションの中に消えた。一人残された中年男は、腹立たしそうに、目でしばらく二人の跡を追っていたが、やがて諦めたらしい。

 高城は勢いよく車を飛び出した。

 溪山は首を振りながらも、すぐに後を追う。

 怪しげなバイトから足を洗わせようとぎりぎりまで粘ったものの、結局メイドに「迎えは要らないから、帰って」と言い渡された境は、頭をかきながら車に乗り込もうとした。

 その境の前に、二人のガラの悪い男達が小走りにやって来て立ち塞がった。

「さ~か~い~」

 と小柄な方が憎々し気に言った。

「あ。お久しぶりです、高城さん」

 境は助けを求めるように、高城の隣に立っている背の高い方に目をやったが、溪山は眉間に皺を寄せ、微かに首を横に振った。

 高城は自分より背の高い境の首根っこを押さえ、黒いセダンまで連行すると、後部座席に半ば蹴り入れた。そして自分もその隣に乗り込み、

「あそこの、バカみてえに目立つ外車は、お前の車だな?」

 とクラシックカーを指さして言った。

「俺のものってわけでは……」

「じゃ、借りものか? レンタカーじゃないよな? 刑事だろうと探偵だろうと、あんな目立つ車をわざわざ好んで借りる奴はいねえよなあ? きっと、しみったれた野郎が、情婦に泣きついて貸してもらったんじゃねえかなあ」

 境がむっつりと口を閉ざしていると、高城は更に

「この車にそっくりな外車が、冥途カフェとかいうイカれた店が入っている雑居ビルの近くに停めてあった。なあ、溪山」

 と助手席に乗り込んだ溪山を高城は睨みつける。

 溪山は、そうでしたっけ、と小声でしらを切ったが、高城は無視した。

「境、おめえはナニか、石積してメイドにヨシヨシしてもらうのが趣味なのか?」

 境は大きく息を吐いた。

「わかりました。白状します。俺は、ある依頼人のために動いてるんです」

「傍家山登みたいな資産家がお前みたいなしょぼくれた場末の探偵に依頼を? どんなヤマだそれは。殺しか? お前は、そこまで堕ちたのか?」

 大家の婆さんといい、なぜ金持ちが俺に依頼を持ちかけてきたら殺しだと思うのか。境は、まだそこまでは、と口の中で呟きながら、溪山を睨んだ。

「俺は何も言ってませんよ」と溪山が肩をすくめる。

「言わなくたってわかる。お前らが裏でこそこそやってることぐらいなあ。俺を馬鹿にしてんのか」

 高城は片手で境の顎を掴んで揺さぶると、

「ここは、持ちつもたれつといこうや、探偵。おめえは一体、何を追いかけてんだ?」


     *


 高城から解放された境は、這う這うの体で事務所まで戻って来た。

 不義理を働いたという自覚があるため、境は高城に強く反発することができない。いや、不義理がなくても、刑事としてのイロハを教わった先輩だ。元々頭は上がらない。

 守秘義務を盾に、依頼人の素性は最後まで白状しなかったが、先方はお見通しだった。傍家山登の行方を捜している警察の行く先々に境が二度も現れたのだから、怪しまれるに決まっている。

「持ちつもたれつ」と高城は言ったが、依頼内容さえ把握しておらず五里霧中な境に、警察側の情報を与えてもらった形だ。

傍家山登はやはり、姿を消していた。

「困った時には連絡して来いよ」と高城から名刺を渡され、渋々境も皺の寄った名刺を差し出した。

「ふん、探偵事務所かあ。おめえ、俺が来年定年退職したら、雇う気ねえか?」

「間に合ってます」

 実際には、社員を雇うほどの余裕がないためだが、高城のことである。エネルギーを持て余したら、タダでいいから働かせろと言いかねない。

 散々世話になった先輩の顔に泥を塗ったという自覚を今も持ち続けている境には、高城の顔をまともに見ることが憚られるのだ。あれから十年以上経った今でも。


 ――境、てめえ。

 高城の怒声。

 ――なんで撃った。あいつは……

 なぜか。それは未だに、境自身理解も説明もできない事であった。

 ――見つかっちゃったかあ。

 あの糞野郎が、薄ら笑いを浮かべて言ったのだ。

 ――まあでも、一生分の思い出は作ったからなあ。

 刑務所の中でも楽しく暮らせます。そう言った。

 無残な姿で発見された少女、白骨化した少年、そして五年間監禁された少女。

 気付いたら引き金を引いていた。

 どれだけ押さえつけても、隙あらば浮上して来る、過去。


     *

 

 ビルヂングの階段を上る途中で、境は異変に気付いた。煙草の匂いが微かに残っていた。境が吸う銘柄とは異なるものだ。

 四階に到達すると、事務所のドアが開いていた。

 境はコートのポケットを探って、小さなピストルを取り出した。勿論、オモチャ、痴漢撃退用である。

 最近この銃を使ったことがあるような気がしたが、正直、依頼人が来ない日々が続き暇を持て余し酒を飲んでいたのだ。身の危険を感じることもなかったはずだ、と境は結論付けた。

 足音をたてないように慎重にドアに近づいていくと、中から物音がする。誰かが、すすり泣いているような。

 ドアの隙間から中に滑り込むと、事務所の内部は酷い有様だった。破かれた書類とファイルが床に散乱し、デスクの引き出しはひっくり返され、ソファはナイフで切り裂かれ、中の詰め物が飛び出していた。それを、大家の婆さんが泣きながら縫っている。

 奥の給湯室に誰も隠れていないことを確認した境は、オモチャをポケットにしまい、大家の肩をそっと抱いた。

「何があった」

「目つきの悪い男が、『手帳を出せ』って押し入って来たんや」婆さんは子供のように泣きじゃくりながら言う。

「押し入って来たって、あんたここで何してたんだ」

「そんなこと、あんさんに言えまっかいな」大家は、悪びれもせずに言う。

「で、無理やり金庫を開けさせられたんや」

 見れば、金庫のドアも開け放たれている。

「やられたな。――なんであんたがここの金庫の番号を知ってるんだ?」

 昔懐かしい、ダイヤル式だ。とにかく重くてでかいため、持ち運ぶのもこじ開けるのも骨が折れるだろうから安心だと境は思っていたのだが。

「先代のサカイはんが教えてくれたん」

「何やってんだ、あのじじい」

「番号を教えろって、チンピラに殴られてん。抵抗する気なんてなかったのに」

 婆さんの頬は赤く腫れあがり、唇の端が切れていた。

「こんな老いぼれを殴るとは」

「誰が老いぼれや」

「とにかく、怖い思いをさせて済まなかったな」

 境は給湯室でタオルを濡らし、婆さんの頬にあてた。

「きったないタオルやな」

「贅沢言うなよ」

 大家は、二人組の内、年かさの男が若造から「トラゾウ兄さん」と呼ばれていたこと、手帳を見つけないと会長から酷い目に遭わされるとぼやいていたこと、金庫が空だったので腹を立てて事務所を荒らしていったことなどを滔々とまくしたてた。

「金庫が空だった? 手付金を放り込んでおいたのに。先に空き巣でも入ったのか? こんなボロビルに?」

「それは、わてや」

「ああ?」

 今時、箪笥貯金など、この近所の老人達ですらやらない愚かなことだ、と大家は言う。

「箪笥より安全だと思ったんだがな。デカくて頑丈な金庫だから。で、金はどこだ?」

「知らんかったら、拷問にかけられても白状できひんやろ?」

「俺にとっては大金だが、拷問に耐えてまで守り抜きたい額でもない。教えてくれよ」

 庭に埋めた、と婆さんは言った。そして、髪を結んだお団子の中から、小さく折り畳んだ札を三枚取り出した。

「当座の調査費用や。あんたに大金持たせといたら、三日で酒に消えるやろ」

 そんなに飲んだら、一日半で吐血してぶっ倒れると思ったが、境は黙って金を受け取った。

「とにかく、危険な目に遭うかもしれないから、もうここには来るなよ」

「わてのビルやで。それに、あんたがひっそりと殺されてたら、困りますがな」

 腐り果てる前に見つけてあげまっさ、と大家は因業な顔をして、くくくくくと忍び笑いを漏らした。


     *


 境と別れた後、高城は助手席でむっつりと黙り込んでいた。

「意外と元気そうで、安心したんじゃないですか」

 と運転席の溪山が訊くと

「黙って入口を見張ってろ」とどやしつけられた。

 高城は横目で溪山の様子を窺う。

 こいつは、何も気付いちゃいねえ。

 境の姿を十年以上ぶりに見たために、高城もすぐには思い至らなかった。境と一緒に居た、老人。あのマンションの住人らしく、身なりは上等そうだが、覇気のない顔をした、萎びた爺さん。あれは、忘れようったって、忘れられるものではない。

 野堀別情字のぼりべつじょうじ。なんであいつが。

 高城は内心呟く。

 境の奴、一体何に首を突っ込んでいやがる。

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