09 惨劇館(1)

 耳が痛い。

 ひどい耳鳴りだった。鼓膜が破れたのかもしれない。

 ミニシアターの中にはもうもうと白煙が立ち込めていた。

 飛び散ったドアと壁の破片。しかし、見た目が要塞染みているだけあって、ポノレカは内部の造りも頑丈らしく、被害はそれほど酷くない。

 いや、そうでもないか。

 いかれた元極道による襲撃がなくとも、シアターの中は惨状といっていい光景だったのだ。

 企業CMが終わったらしいスクリーンからはノボルの姿が消え、かわりに本編『ハタケヤマノボルの生涯』の上映がフルスクリーンで始まっていた。白黒ののどかな風景。三十年ほど前の、電柱が立ち並ぶ、平和そうな住宅街の一本道を、カメラが映し出している。

 その白黒の画面に、びしゃびしゃと黒味を帯びた赤い液体が降り注いでいる。たっぷり墨を含ませた筆を、でたらめに振り回したかのように。液体は映像を透過して白いスクリーンに付着し、下に向かって幾筋ものラインを作る。一本道を歩く二人の男の背中にも、赤い雨が降り注ぐ。

 俺の体の下から抜け出したユキが、俺に向かって口をぱくぱくさせて怒っている。ゼスチャーで耳が聞こえないことを示し、唇の前に指を一本立てて静かにさせた。

 ユキは改めて周囲を見回し、呆然とした。無理もないことだと思う。

 拘束された両腕を引きちぎって座席から立ち上がった老人達が、スクリーンを凝視しながら、顎が外れるのではないかと心配になるほど口を開けて、恐らく、叫んでいる。

 幸い酷い耳鳴りのせいで、俺には何も聞こえない。

 老人達の体には、吹き飛ばされた壁とドアの破片によるものと思われる損傷ができていた。酷いものは、老人の短く刈り込まれたごま塩頭の側面を抉り取っていたが、当人は気にならないらしく、相変わらずスクリーンを凝視し、叫んでいる。

 袖を引っ張られて振り向くと、ユキが深刻な顔で、掌を俺の前に翳した。

 べっとりと血に濡れていた。

 ――どこか怪我したのか!

 俺は叫んだ――つもりだったし、実際叫んだのだろうと思う。イヤホンで音楽を聴きながらだとやたら声がでかくなるが如く、必要以上に大きな声で。

 ユキは一瞬驚いて細い目を見開いたが、俺の背中を指さしてから、血塗れの自分の掌を指した。

 俺の血か

 安堵している場合ではないのだが、俺は胸を撫で下ろした。

 言われてみれば、背中に違和感がある。破片がいくつか刺さったのだろう。だが、アドレナリンが大量に分泌されているためか、痛みは感じない。まあ、ざっと見積もって、怪我の具合がどんなだろうと、あの老人達より酷いということはあり得ない。さもなくば、普通の人間の俺は、とっくに死んでいるはずだ。

 耳鳴りの向こうに、微かな気配が感じられた。

 ころころと、破片が床を転がって、ふかふかの絨毯に埋もれて止まった。

 ひしゃげた扉が半分吹き飛んでぽっかり開いた壁の穴に、小柄な老人の姿があった。眼光の鋭さはかつての組頭を彷彿とさせるが、頭の両脇からは、鉢巻で括りつけられた金属製の黒く細長い箱が、角みたいに伸びている。あれは恐らく替えの弾倉だ。というのも、スリングで何挺もの銃を肩からぶら下げており、体の前には短機関銃が揺れ、背中にはライフルとショットガンを背負っているという物々しい出で立ちだったからだ。そのくせ、よくよく見ると、素裸にミリタリーベストとブーツを着用しており、やはり、所詮まだら呆け、もしくはまだら正気だ。

 客席の老人達の顔が、弾かれたように同じ方向――ノボリベツジョージの方――に向いた。まだ足枷で座席に拘束されており、ドアは座席の後方にあるため、体も首も不自然な角度にねじ曲がっている。

 彼等の見開かれた目が一層大きく開かれた。

 彼等はずっと、叫び続けていた。

 機能を停止した鼓膜の代わりに、腹の底を鈍く振動させる感覚があった。映画のOP曲へヴィメタ版ポルカ・ポルカ・ポルカ――のどかな白黒映像に全くマッチしていないと思うのだが――の重低音のベースやドラムがスピーカーを通して大音量で流れているに違いなかった。

 既に限界まで開かれた老人達の顎の関節が、口の両端をめりめりと(俺には聞こえないのだが、音が、見えた、気がした)裂きながら、ぱっくりと開いた。そうして鎖骨の間まで垂れ下がった下顎と上顎の間で、長い舌が生き物のように蠢き、涎と血が混じった液体が零れ落ちた。

「――たな」

 ジョージの口が動いた。酷い耳鳴りは続いていたが、聴覚が少し戻ったようで、途切れ途切れに音が聞き取れるようになってきた。

 相変わらず顔を捻じ曲げてジョージを凝視していた老人達が一斉に、猛烈に暴れ出した。床にボルトで留められている肘掛椅子がガタガタと揺れ、その衝撃で彼らの口の裂け目が更に大きく広がっていく。

 ――やめろ!

 自分の叫び声が、えらく遠くから聞こえる。

 どれだけでかい声で叫んでも、老人達には届かない。

「この――が。――すぞ、――めが」

 ジョージは怒りに燃えた目で老人達を睨みつけ、肩からぶら下げている短機関銃――ウージー、MP5、M-10――の中からイスラエル製の銃口を彼らに向けて構えた。

 俺は硬直したユキの腕を掴むと、スクリーンに向かって走り出した。

 ばちん、ばちんと堅いものがへし折れる音がして、足首の拘束を解いた老人四人が、通路側に躍り出てきた。膝から少し下の部分をも失った彼らは、身長が二十センチほど小さくなって、やはり短くなった腕を振り回しながら、よちよちと駆けていく。

 彼らが一心不乱に目指すのは、ジョージだ。

 段上に駆けあがった俺は、スクリーン横に脱出用通路に通じるドアを探したが、なかった。それは、ここにはない。どうやら俺も相当パニクっているらしい。俺はユキの体を押し倒して上に覆い被さった。

 重いキモいと文句を言う声が聞こえた気がしたが、無視した。

 たたたたた、と乾いた音がした。

 俺はユキの頭を押さえ付けながら、首だけねじって、見た。

 たたたたたた……

   たたたたた……

 それはまるで、コビトのゾンビVSミリタリー馬鹿老人というB級ホラー映画のような光景だった。

 ジョージの構えたウージーが火を噴き、九ミリ弾を連射するたび、四肢が異常に短くなった老人達は、不思議なダンスを踊るように体を揺らすのだが、倒れない。


 たたたた……

   たたたたたた……

     たたたたたたた……


 彼等は倒れないが、弾は命中しているので、肉が飛び散り骨を砕かれ、更に血を流し、バランスを崩すのだが、器用に体制を立て直し、前へ前へと、ジョージを目指して進んでいく。ウージーに文字通り蜂の巣にされて二足歩行が困難になっても、四つん這いで、更には匍匐前進で、仕舞には残っていた手足もあらかた吹き飛ばされて芋虫のようになりながら、体幹を伸縮させて、肩を交互に動かしながら、進む。

「このくたばり損ないのバケモンが!」

 ジョージがウージーから手を離し、素肌の上に直に纏っているベストから手榴弾をとり、口でピンを外した。

「おい、やめろ」

 俺は叫んだが、ジョージは返り血を浴び悪鬼のような凄まじい形相で、にやりと笑うと、四体のゾンビ達に向けて、手榴弾を放り投げた。

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