12 コインランドリー

 フロア案内によれば、雑居ビルXXXX――クアドラプルエックス、バッシ、ハヌキ、ぺけよん、クロスフォー、どれかは正しい読み方なのか、どれも正しくないのか、俺は知らない――は六階がPOLKAクリーニング店、五階四階は住居、三階が冥途カフェ・ポルカ、二階はボクシングジム、そして一階がコインランドリーになっていた。


 クリーニング店を出て、六階から階段で下りていく際、三階の踊り場で冥途カフェの様子を窺ってみたが、重低音のメタル音楽が微かに漏れ聞こえてくるだけで、特に変わった様子はなかった。アルバイトでメイドを務めるユキことキヨコのロッカーから転がり出た死体は一体どうなったのか。後ろ暗いところのありそうな連中だから、肉屋かクリーニング店に処理を依頼したのかもしれなかった。

 一階まで到達した俺は、コインランドリーのドアを開けて中に入った。外は既に暗くなっていたが、店内はまばゆいばかりに明るい。ドラム式の乾燥機と洗濯機がいくつか回っていたが、客の姿はなかった。既に停止した機械の中に放置されている洗濯物もあり、盗まれたらどうするのかと余計な心配をしていると、


「おじさん、こっち」


 店の奥の洗濯機の陰からユキが――いや冥途カフェのメイドの白塗りメイクをしたままの源氏名キヨコが顔を覗かせていた。

「まだこんなところにいたのか」

 俺はキヨコのいる洗濯機の裏にまわった。

「灯台元暗しって言うでしょ。おじさんはどうやって店長達から逃げたの?」


 いささか込み入った話なので、俺はキヨコ――いや、やっぱりユキと呼ぼう――の質問を無視した。


「こんなところに隠れていたら、いずれ見つかるだろう。どこか、しばらく身を潜めていられる場所はないのか」

「あたし、店長のところに居候してたんだ。もう戻れないよね」

 ユキは鞄の中からタオルとクレンジング液を取り出して、白塗りメイクを落とし始めた。俺は、糞真面目そうな三十代男、リストラされた元銀行員みたいな冥途カフェの店長の顔を思い出していた。

「そんな顔しないでよ。あの人、ゲイなんだから」とユキはメイクをタオルで拭い落した顔をテカテカ光らせて言う。

「今時、隠すようなことじゃないのにね。恋人が部屋に来ると、いちゃついてるところを見物させてくれるんだ。見られてると興奮するんだって」


 俺は眉を寄せて口を開きかけて、言葉を失った。ユキはメイドの衣装を脱ぎ捨て、下着までとっぱらっていた。


「逃がしてくれたからサービス」

 ユキは停止している乾燥機の中から男物のトランクスを取り出して履き、「ちょっと大きいな」と呟きながら、セーター、靴下、ズボンなどを素早く身に着けていった。

「まだあったかいや」とユキは笑った。眉のないノーメイクの顔は驚くほど幼く見えた。

「お前、家はどこだ。家族と仲が悪くても、こういう事情だ。俺が送ってやるから、大人しく帰れ」

「あたし、孤児なんだ。おじさんと一緒」

「『男は身勝手』だっていう金言をのたまうママはどうした」

「記憶力いいね。ママ、新しい男ができて、あたしを捨てて駆け落ちしちゃった」

「それじゃあ、施設から逃げてきたのか?」

「里親のおっさんに犯されそうになったから半殺しにしてやったら、『あいつが誘った』とか言うわけ」

「そんな男の言葉を、誰が信じるんだ?」


 ユキは一瞬泣きそうな顔をしたが、弱々しい様子はすぐに消えた。


「あたしは嘘つきで生意気でパパ活もしてる淫乱だって皆から思われてたから。誰もあたしを信じてなんかくれないよ」

「誘われたって断るだろう、まともな男なら。いいか、仮に発情した雌猫みたいなガキがいたとして、がきんちょに誘われてこれ幸いと乗っかるような男は屑だ。屑の言うことなんか気にするな」


 ユキは答えなかった。脱いだ衣類をまとめて空いている洗濯機に放り込むと、客が置いていった洗剤をざらざら投入し、コインを投入した。水の流れ込む音がした。


「何してんだ、こんな時に」

「証拠隠滅ってやつ」

「証拠って、お前、ロッカーの男の死に関与しているのか?」

あるいは、それ以外の別の死体に、と俺は心の中で付け加えた。

「さあ、知らない」

 ユキは洗濯機の中で回転を始め、次第に泡立つ洗濯物を見つめている。

「ロッカーの男は絞殺されていた。お前のような小娘にやれたはずがない」

 俺の言葉に、ユキは顔を上げず、洗濯物を凝視している。

「でも、酒を飲ませて泥酔させたとしたら? 一服盛ることだってできるよ。あたし、こう見えて力持ちなんだ」

「絞殺なんざ、女の殺し方じゃねえよ」

「おじさん、考え方が古いよ。守ってやらなきゃならないか弱い女には無理だって思うの?」

「女だから守ってやらなきゃなんて思っちゃいない。自慢じゃないが、俺は腕っぷしには自信がない。いい歳の女なら、自分のことは自分でどうにかしろと言うだろう。だが、ガキは別だ。男でも女でも、ガキは大人が守ってやるもんだ」

「勝手に子供扱いしないでよ」


 ユキの視線の先にある回転し続ける洗濯物と共に白く泡立っていた水が、丸い窓の中でピンクに染まり始めた。ドラムが更に回転すると、中の水は真っ赤になった。


「おい、お前、一体何を――」

「きれいごと言わないでよ。肉屋であたしと同い年の女の子を見殺しにしたくせに」


 豚の頭に食いつかれ悲鳴を上げる少女の姿が浮かんだ。


「脂ぎったおやじ達に食い尽くされるあたしを、助けようともしなかったくせに」


 ステンレス製の台と、そこに群がる男達、床を流れて排水溝に流れ込む黒味を帯びた液体と、七輪で焼ける肉の匂い……俺は吐き気を催したが、慌てて手で口を塞ぎ、喉元までせりあがって来た酸っぱいものを飲み下した。


「世界中の恵まれない子供を全員救ってやれるわけじゃない」

 俺は力なく言った。背中が機械にぶつかって、俺は自分が後ずさりしていたことを知った。

 振り向いたユキの顔が般若の面になっていた。

 ぐるぐる回転し続けるマシンの全て、乾燥機も洗濯機も全て、丸い窓から覗ける中身が真っ赤に染まっていた。


「お前、一体何をやらかした」


 自分の声が酷く遠くから聞こえ、俺は暗闇に飲み込まれたが、目に焼き付いた赤色が染みついて落ちない闇だった。

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