12時発、1時着。 〜灰かぶりの魔法が剥がれる1時間〜

森陰五十鈴

12時の鐘。シンデレラは暇を告げる。

 アーチの天井に描かれた聖女と天使の絵画が、シャンデリアの灯火に浮かび上がる。縦長に作られたホールでは優雅な音楽が響き渡り、色とりどりの花たちがリズムに合わせてステップを踏んでいた。

 今はダンバートン公爵家が住まうルゴス宮殿。白い大理石の造りが壮観な宮では、今宵、王の従弟たるウィルバートの二十三歳の誕生日を祝う祝賀会が行われていた。オルコットの国の各地から貴族たちが招待され、老いも若きも男も女も豪奢な衣装に身を包んでホールに集い、ダンスにお喋りにと興じている。


 晩秋とは思えぬほどの華やかな光景。

 だが、その中で一際目を惹くのは、ホールの中央で踊る一組の男女だろう。


 男のほうは、なんといっても今宵の主役ウィルバート。綺麗に整えた金糸の髪。純白の衣装。宝石の如き青の瞳。神に祝福されたかのような美しさに、年頃の令嬢も、既に伴侶を得た淑女たちも釘付けだ。

 そして、その若い公爵以上に人目を引くのが、女のほう。ウィルバートのダンスの相手をするのは、真紅の薔薇をそのまま纏ったかのような衣装に身を包む、二十歳前後の女だった。結い上げられ、真珠の散りばめられた栗色の髪。強い輝きを宿す青色の瞳。光を弾くほど艷やかな肌は、健康的な小麦色。剥き出しの肩や背中、ほつれ毛のかかる首筋などから、圧倒的な色気を漂わせていて、まさに女神のような美麗さに、会場の男たちの視線は全て攫われた。

 焼け付くような熱視線の中でも、注目の女性ヒロインたおやかに笑んで魅せる。

 例え、その中に妬心や嘲りの鋭い視線が紛れようとも、だ。


「まるで夢のようです」


 すっかり赤薔薇に魅せられた純白の貴公子は、レースの手袋に覆われたしなやかな指先を握りしめ、熱に浮かされたように言う。


「ええ、本当に」


 腰に響くような低めの声を吐息に混じらせ、女はその朱唇に弧を描いた。吊りがちな目も柔らかく細められてしまうと、きつめの印象もたちまち覆る。生命力に溢れた美しさに、若い公爵は虜になっていた。


「貴女が既に他の男性ひとのものであるなんて……到底信じられない」

「それはきっと、主人が掛けてくれた魔法のお陰でしょう」

「愛されておいでなのですね。なんと羨ましい」


 女はそっと目を伏せた。その微笑が一瞬崩れたのを、公爵は見逃さなかった。


「ええ。私は果報者ですわ」


 そうして再び作り上げられた翳りを帯びた笑みに、ウィルバートは息を飲む。なにかを言いかけては口を閉じるのを繰り返した。その間、女は何処か遠くへと視線を飛ばす。交じり合わない視線がまた、ウィルバートにもどかしさを与えた。

 そうこうしているうちに、きらびやかなワルツは最後の和音を奏でた。金色のホールを舞っていた男女はお互いに距離を取り、礼を交わす。若い公爵の掌からも、女の繊手が離れていった。


「ミズ・レイラ」


 その指先を追いかけるかのように、ウィルバートは女を呼び止める。薔薇のドレスを摘んで会釈していたレイラは、遠慮がちに視線を上げた。


「もしなにかお困りでしたら、是非私に――」


 その時。

 ウィルバートの言葉を遮るように、荘厳な鐘の音が鳴り響いた。宮殿の近くに古くから建つ時計塔が、真夜中を知らせている。


「あら、もうこんな時間」


 周囲と同じように、鐘のあるほうを振り返っていたレイラは、公爵に向かい見事な挨拶を披露した。


「公爵、私はもう、お暇を申し上げます」

「そんな……もう?」


 夜更けを迎えても、祝賀会は盛り上がりを見せていた。夜明け頃まで続くのだ。レイラのように十二時に帰る者は数少ない。せいぜい、デビューを迎えたばかりの令嬢くらいなものだろう。

 どうにか引き留めたいウィルバートだったが、レイラはその手をするりと躱した。


「これ以上は、主人に怒られてしまいますから」


 眉を垂らし、困った様子で言われてしまえば、さしもの公爵とて強くは出れない。しかし、それでも諦めきれずにまごついていると――


「グレイス夫人」


 雪だるまを思わせる恰幅良いの中年の紳士が、二人の間に割って入る。不遜な表情のその紳士は、ウィルバートにうやうやしく禿頭を軽く下げると、レイラに手を差し出した。


「よろしければ、馬車までお送りしましょう」

「まあ、よろしいの? 奥様に失礼ではありません?」

「妻は友人と歓談しておりますから。さあ、お急ぎになられたほうが」

「ありがとうございます。では公爵、ごきげんよう」


 ウィルバートが口を挟む暇もないほどに流れるようなやり取りを交わした二人は、呆然とした公爵に躊躇なく背を向けた。

 遠くなっていく背中に、ウィルバートが伸ばした手は届かない。


「ご覧になりました? オコナー伯爵とグレイス子爵夫人の、あのご様子」

「ええ。とっても親密そうでしたわね」

「先程はマーベル男爵ともご歓談されていたし」

「フリーマン伯爵とも」

「旦那様が本日夜会に参加されていないからって……あまりに節操がなさ過ぎやいたしません?」


 皮肉と嘲笑混じりの婦人たちの会話を拾い上げ、取り残されたウィルバートは肩を落とす。姦しい孔雀たちの話に出てきたのは、資産家としても名高い貴族たちの名だった。

 そして、レイラの嫁いだグレイス家もまた、その一つ。

 つまりそういうことなのだ。


 十二時の鐘が、最後の音を打つ。

 その音と同時に、ウィルバートの甘い夢は瓦解した。

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