僕を死刑に処す

夕藤さわな

第一章

第一話「これで信じてくれましたか」

 二〇一九年一月二〇日 中山競馬場――。


 冬らしい灰色に近い薄青空が広がっている。天候は晴れ、馬場は良。スタンド右手から迫ってくる馬群に俺は馬券を握りしめた。


「マジか……」


 近付いてくる馬のゼッケンが見えた。


「……マジか、マジか」


 団子状態で見えにくいが……馬番八番が頭一つ、抜けん出ている気がする。

 スタンド前のゴール板が迫る。

 八番か、四番か。シャケトラか、フィエールマンか。


「マジか、マジか!」


 ゴール板前を先頭集団が駆け抜けた。


「マジかマジかマジかマジかぁぁぁ!」


 叫びながら、馬券を握りしめた拳を振り上げた。


「シャケトラ、ふっかぁぁぁつ!」


「シャケトラ、ふっかぁぁぁつ!」


 思わず上げた絶叫が見知らぬ隣のおっちゃんと被った。

 五十代頃のおっちゃんが握りしめていたのは単勝・複勝をセットで購入できる馬券――通称・応援馬券だ。好きな馬一頭の名前と〝がんばれ!〟の文字が印字される。記念馬券的な意味合いが大きいけど、おっちゃんの馬券は少なくともゼロが四つ並んでいた。云万円の馬券……ガチの応援だ。

 今日のメインレースである中山競馬場 第十一レースは、GⅡ〝アメリカジョッキークラブカップ〟――通称・AJCC。

 そのAJCCを制したのは、シャケトラ。

 青鹿毛あおかげと呼ばれる黒っぽい毛色の、今年六才になる馬だ。一昨年おととし二〇一七年にGⅡ〝日経賞〟を一着でゴールして以降、GⅠレースに挑戦するも結果は振るわず。去年二〇一八年は春に脚を骨折し、一レースもしないまま終わってしまった。

 その、シャケトラが――!

 一年一か月ぶりに出走したシャケトラが一着でゴールしたのだ!

 俺とおっちゃんは無言でガシッ! と手を握り合い、無言で頷き合った。そして一言も交わさないまま別れた。

 人混みに消えていくおっちゃんの背中を見送り、俺は手元の馬券に目を落とした。


「……マジか」


 俺が買った馬券は三連単。一着、二着、三着でゴールする馬を着順通りに的中させないといけない。的中させると一番、払い戻し金額が大きくなるのがこの買い方だ。

 つい今しがた終わったAJCCは、一着でゴールしたシャケトラが七番人気。二着は一番人気だが、三着は五番人気と三連単を的中させるのは難しいレースだった。

 でも、俺が握りしめた馬券は一着、二着、三着すべてがピタリと的中していた。


「着順、確定しましたよね。僕の応援馬券をください」


 淡々とした調子の女の子の声が下の方からした。俺を見上げているのは小学校高学年か、せいぜい中学生にしか見えない細身の少女だ。

 ショートボブの髪は白くて、さらさらで、真っ直ぐで。ちょっとつり目なところと言い、まるで白猫だ。自分のことを〝僕〟なんて言ってるし、安っぽいダウンジャケットで今は隠れてる胸もぺたんとしているけど、れっきとした少女だ。


「……」


 ぼんやりとしている俺に向かって、少女はもう一度、手のひらを突き出した。ちょっとだけ唇も尖っている。無表情でわかりにくいけど、すねているか、苛立っているのだろう。

 慌ててコートのポケットに手を突っ込んで、


「ほら」


 取り出した馬券を少女の手のひらに乗せた。


「……!」


 少女はぴょん! と、小さく飛び跳ねた。

 大切そうに両手でつまんでいる馬券は、たった今終わった第十一レースの応援馬券だ。〝アクションスター〟という馬名と〝がんばれ!〟の文字が印字されている。AJCCを出走した十一頭のうち、十一着でゴールした栗毛色の馬だ。

 馬券は二十歳以上にならないと買えないし、譲るのも禁止されているのだが……少女に渡したのはハズレ馬券。ただの紙切れになったわけだし、セーフだと思いたい。

 中山競馬場に着く前から少女が買って欲しいと言っていたのが、このアクションスターの応援馬券で。パドックを見に行きたいと言ったのも、アクションスターが出てくるときだった。

 パドックと言うのは次のレースに出走する馬たちを見るための下見所だ。陸上競技のトラックを小さくしたような場所を、レース前の馬たちがゆっくりと歩いてまわるのだ。


「……!」


 ゼッケン二番のアクションスターがパドックに現れた瞬間も、少女はぴょん! と、小さく飛び跳ねていた。


「小さい頃、よく父さんに連れられて馬を見に行ったんです。でも、僕は全然、興味を示さなくて。そのたびに父さんは〝お前はアクションスターだもんな〟って言って、栗毛の馬の話をしてくれたんです。どんな馬なんだろうって、ずっと思ってましたが……!」


 パドックを囲う柵にしがみつく少女の目の前をアクションスターが通過した瞬間――。


「ナイス……ミドル!」


 少女は押し殺した声で言って、ぐっと拳を握りしめた。競走馬で九才はミドルと言えるかもしれないけど……何、そのテンションの上がり方。


「長さが揃った後ろ足の白靴下に品の良さを感じます!」


 確かに後ろ足は両方とも白毛だけど……テンションが上がったポイント、そこ?

 ……なんて、内心でツッコミを入れる俺のことなんて完全無視で、お気に入りの栗毛の競走馬に目を輝かせていた。

 今だって少女は、外れてただの紙切れになった応援馬券を大切そうに握りしめて、


「おみやげ屋で見たアイドルホースぬいぐるみ……どうしてアクションスターを作らないんでしょう。あんなに可愛いのに」


 舌打ちしている。……いや、舌打ちはやめなさい。

 シャケトラの応援馬券を握りしめていた見知らぬおっちゃん。アクションスターの応援馬券を握りしめている少女。

 二人のキラキラした目に、俺はけらけらと笑い声をあげた。


「お前みたいなファンがいて、きっと馬も喜んでるよ」


 俺の笑い声に少女がふと顔をあげた。じっと俺の顔を見つめて黙り込んでいる。何かまずいことを言ってしまっただろうか。

 応援馬券を見つめてキラキラと目を輝かせていたのに、少女は白い髪をさらりと揺らして目を伏せてしまった。


「どうでしょう。人間ばかりのこの社会で生きていくことは、彼らにとって幸せなことなんでしょうか」


 ちょっと気まずい空気が流れた。でも、少女はすぐに顔をあげた。

 小学校高学年か、せいぜい中学生にしか見えない細身の少女だ。だけど――。


「これで信じてくれましたか」


 本人いわく、十六才の少女で。


「僕が未来からやってきたということ」


 本人いわく、未来からやってきて。


「……父さん」


 本人いわく、俺の娘なんだそうだ。

 俺――紺野 トウマは、自称・未来からやってきた俺の娘を見下ろして、


「ん、ん~……?」


 困り顔で唸り声をあげたのだった。

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