「その通りじゃ」

 背後のぬりかべのようなものが声を出した。しゃがれた老婆の声だった。

 ときは顔をねじるようにして背後をふりむく。自分の頭のすぐうしろ、不気味に白いぬりかべの上に、よどんだような黒い丸いものが見えた。目だろうか。


 老婆の声は続く。

「ゆき姫の死後、おふだに形を変えた。変身はあまり得意ではないのじゃが、そんなことは言うておられぬ。おふだになって妖気をごまかし、じっとしておった。わしがとりつくことのできる身体が、牢に入ってくるのをひたすら待っての。ふっふっふっ、八十年待ったかいがあったわ。お前の身体なら、うまく合いそうじゃ」


 ぺろり。

 背後から耳をなめれらた。

 気持ちが悪くて、思わず身をすくめる。髪をつかまれ、首を絞められ、おまけに両手を押さえられていて、逃げようにも逃げられない。

「どれ、面の下はどうなっておる?」

 新たな「手」が動いて、頭のうしろで結んだ面の紐をほどく。一体何本の「手」があるのか。


 面がはずれ、にぶい音をたてて、床にころがった。

 歯を食いしばったの顔が現れる。左半分をおおうやけどの跡も丸見えとなる。左の額から目のまわりをとおり、唇のほうにまで、赤黒い、ひきつったような跡が続いている。

 すりおろした山芋のような「手」がのびてきて、ときの顔を、特にやけどのあとをなでつける。


「よせっ」

「かわいそうにのう。若い娘にはつらかろう。よしよし、心配いたすな。わしが乗りうつれば、たちどころに元のきれいな顔になるわい。どうじゃ、よい話じゃろう? ん?」

「まがいものの顔など……いらぬわ」

「無理をするな。おなごは、だれでもきれいな顔がほしい。そうして――」

「ああっ、なにをっ?」


 ときのお尻側から、さらなる「手」が、袴の股の間へのびてきた。どろりとした「手」は、布の上から、ときのまたぐらをあけすけにさぐってくる。ときは思わず両のももを閉じた。

「いやっ、やめてっ」

 いつものときに似合わぬ、娘らしい悲鳴が自然に出た。

 「手」はすぐにまたぐらから引いて行った。


「お前、おぼこじゃろう? 男を知らぬな。その面相では無理もないか、ひっひっひっ」

「よけいなお世話だ」

 あやかしの下卑げびた笑いをはねつけるように叫ぶ。


「気に病むことはない。わしがとりつけば、たちどころにきれいな顔にもどって、男どもが寄ってくるわい。夜ごとに男をしとねに引きこんで、まぐわうのじゃ。お前におなごの悦びを存分に味わせてやろう」

「色狂いめ。だれがそんなことを許すか」

「許す、許さん、の話ではないぞ。それ、こうして」


 ぬるり。

 耳の穴に、どろどろしたものが入り込んできた。頭をふって、はらおうとする。頭は思うように動かず、ふりはらうこともできない。

「やめろぉ」

 ときが叫んでも、そいつはやめる気配がない。じわじわと耳の穴から入り、頭のなかへと侵食してくる。ぬるりとした感触が生理的に嫌悪感をもよおす。


(くそ、〈かまいたち〉に手が届きさえすれば)

 切にそう思う。

 せっかく腰には、あやかしを一刀のもとに切り捨てられる妖刀をはいているというのに。

 両手を拘束されているいまは、ときにはなんの力もないのである。


「これ、ジタバタするでない。お前の身体に入って、しばしの間、陰のほうに隠れさせてもらうぞ。そうして、結界の外に出たならば、いよいよお前の身体のすべてを、わしのものにしてやる」

 ひひひひ、といやらしく笑いながら、どろりとしたモノが次々に耳のなかへとはいりこんでくる。


(あ……ああっ……)

 初めのうちは不快でしかなかったそれは、やがて、とろんとした眠りを誘う、甘美なモノへと変わっていき――。

 ときは、意識を失った。

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