ボトルネック

江戸川努芽

プロローグ

 お金には、人を殺す力がある。


 その日、少年はその真実を知った。

 いつものように授業を終え、高校から帰宅した久間善きゅうまぜんじが玄関を開けた瞬間、彼はまるで時が止まったかのように固まってしまった。


 目の前にだらりと垂れ下がったマネキンのような何かをじっと見つめ、信じられないといった面持ちで、ゆっくりと膝を落とした。

 今朝、母親が来ていた服と全く同じものを身につけているそのマネキンが、己の母親の首吊り死体だと理解したのは、それから二時間が経過した後だった。


 最初は、そんなことがあるはずないと、現実から目を逸らしていた。

 何故なら、天井から吊り下げられている死体からは、生を感じられなかったからだ。もはや人だとは認識できない。人形か何かとしか思えなかった。


 死体なのだからそんなことは当たり前かもしれない。けれど、今までずっと生きている人間と接してきた彼にとって、死んでいる人間と生きている人間を同じ人間と捉えるのは、やや難しいことだった。


 当然、誰かが作った母親そっくりの人形に違いない、そう思った。


 だがもし、そんなイタズラを誰かが仕掛けたのだとしたら、悪趣味どころの話ではない。その服装から考えて、まず思いつくのは母親だ。


 しかし、息子に自分の死体を彷彿とさせる人形を見せるなど、もはや常人の感性ではない。狂気の沙汰だ。


 久間が、どうして二時間後にそれを母親だと認識できたのか、それには理由があった。

 それはテーブルの上に置かれていた紙、そこに書かれていた内容は、父親への絶望と怨嗟の言葉だった。


 多額の借金を押し付けて家を出て行ってしまった父親に、母親の心はついに折れた。そして選んだ道が、自殺だった。

 返せないほどの額というわけではなかったが、父親に捨てられた悲しみと絶望が、死の道へと母親を後押しした。


 唯一の肉親と呼ぶに値する母親に先立たれ、久間は悟った。

 この世は、お金が全てだと。


 お金で人を殺せるなら、お金で人を救うこともできるはずだと。


 なら、己をお金で救ってみせる。そう決意した。

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